破壊と創造 既存の価値観クソくらえ精神がジャズをカッコ良くしてきた

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なぜジミヘンは?
なぜマイルスは?
なぜエリントンは?
なぜリー・モーガンは?

サンジョルディさんのコメント
こちら

ヒップホップにおけるターンテーブルのスクラッチ

南北戦争の軍楽隊の安物廃品楽器を譜面読めない黒人たちが好き勝手に気持ちよく演奏したディキシーランドジャズ

大太鼓、小太鼓、改造シンバル(ハイハット)や、大型シンバルなどを合体させて作ったドラムセット

ギターをアンプで増幅したチャーリー・クリスチャン

手垢のついたヒット曲を「魔改造」して即興演奏の土台にしたビ・バップ

ドラムがいないから、ベースの弦を叩くようにしてパーカッシブな効果を出した(ラリー・グラハムのスラップ奏法)

貧乏でハイハットを買えなかったから、変則的なシンバルレガートを生み出したロイ・ヘインズ(そして彼から大きな影響を受けたトニー・ウィリアムス)

隣の住人から「うるさい」を言われるから、仕方なく親指で練習してオクターブ奏法のマスターになったウェス

などなど、

「本来の使い方」
「そういうことになっていること」を無条件に受けている風潮(思考停止な精神)に対するアンチ、
つまりは反骨精神、

あるいは、

新しい価値を作り出してやろう根性、

そして、それを元に
新しい表現を獲得しているものが
黒人文化には多いような気がします。

もちろんすべてがそうだとはいいません。

しかし、突出したものや、
新しい価値を生み出した刺激的なものには、
そのような「破壊と創造」、「工夫と創造」、「少ない資源で最大限の効果」などといった
発想の転換や、
既存の価値観クソくらえ精神が根底にあると思うんですよね。

で、もちろんすべてのジャズがそうではありませんが、
私が感じるカッコいいジャズって、
そういうカッコいい精神が根底に横たわっている気がします。

マイルスしかり、
モンクしかり、
パウエルしかり、
オーネットしかり、
セシル・テイラーしかり。

もちろん、エリントンもモーガンもミンガスもドルフィーもね。

新しいことにトライして、失敗した例も山ほどあるとは思いますが、
今までとは異なる手法で芸術性を獲得したり、
感性の鋭い人たち(同業のミュージシャンが多い)から注目を集める音楽を創造することによって、

新たな価値を提示したジャズマンが、
イノベーターを呼ばれ、
「ジャズジャイアンツ」として音楽史に刻まれるのでしょう。

だから、「ジャズの本質をとらえているなぁ」と私が感じている人には、
面白い人が多い。

ま、世間的には「変わった人」になっちゃうのかもしれないけど(苦笑)。

でも、そういう人は、
私からしてみたら「素敵な人」です。

で、その反対がスクエアな人ね。

頭が固い人。

本来、この楽器はこうやって演奏するもなのに、
そうじゃない演奏の仕方をしている
⇒だから認めない(嫌い)

……というような発想の持ち主ね。

ルールが最初にあって(そのルールや理論ってやつも、後付けで誰かが体系化したものに過ぎないのにね)、
そこから逸脱しているものはダメって、
それって順序が逆だと思うんですよね。

感動⇒分析

ならわかるけど、

分析⇒判決

という鑑賞姿勢では、
創意工夫を重ねて、
あえて危険を冒しながら(ルールから逸脱しながら)、
「自分だけのサウンド」の獲得に心血を注いだミュージシャンのクリエイティヴィティと苦労に対するリスペクトが感じられないからです。

ていうか、いちいち頭の中に「理論(規則)」という名の定規を持ち歩いて、
規格内、規格外、認める、認めないって判断するのって、面倒だし、窮屈、
あまり自由じゃないような気がする。

ま、そういう気質の人が一定数いるのは分かるし、
べつに批判するつもりもないのですが、
定規なだけに、
私からしてみれば「杓子定規」でつまらないなぁと思ってしまうわけですよ。

そして、
べつにそういう人たちと敵対したり戦ったりするつもりは毛頭ないのですが、
私的には「なーんかちがうなぁ」であります。

ハンク・モブレイじゃないけど、
『ノー・ルーム・フォー・スクエアーズ』!
ですねw

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