モブレー動画コメントを紹介/1968年コペンハーゲン カフェモンマルトル、ハンク・モブレイのライヴ

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先日「動くモブレー!ハンク・モブレイのライブ動画がアップされていた!」という動画をアップしました。

この動画に視聴者の皆さまよりコメントをいただいたので、アンサー動画をアップしました。

コメント

Jさんからのコメント。

海野さんって 一番前で 陣取ってる客?   そんないま歳のひと?
                      J

この時代には生まれていないと思うんですが……。
だって、私が大学生の時に彼は小学生でしたから(音楽学校の発表会で共演したことあります)。

K N さんからのコメント。

Mobleyのライブ映像初めてみました。60年代後半は衰退期と思い込んでいましたが、
反省です。特にテーマの吹き方が素晴らしく、モーダルにいくかと思いきや、ふっとバップイディオムに戻るあたり自在ですね。動画のサブタイトル‘MobileMobley”なんてどうですか。

エデルまさおさんからのコメント。

高野さんに紹介してほしいバンドがいるのですがMJQ(マンハッタンジャズクインテットのほう)です!
ぼくは初期のメンバーが好きですー

デヴィッドマシューズ:ピアノ
ルーソロフ:トランペット
ジョージヤング❤❤❤:テナー
チャーネットモフェット❤❤:ベース
スティーヴガッド❤:ドラムス
チャーネットモフェットは初期の2枚
に参加しててその他リズムセクションは結構変更が多いんですが、モフェットかっこいいです❤たまらんです!
自分はこのメンバーの「枯葉」(2枚目)を持ってますが他のアルバムも現代風のビバップが聞けておすすめです!
ところで❤❤❤のジョージヤングなんですが、なんともジョージアダムスに似たフレーズ吹くんですよ
プーレンとアダムスファンの自分にはもう…❤❤なのでぜひぜひ紹介してほしいです!(初期のメンバーとは若干違うもののライブアットピットインでアダムスフレーズが顕著なのでお願いします!)

個人的体験談を交えて語るとすると、ちょっとデリケートな領域に突入してしまう可能性アリなので、もし取り上げるとしたら、YouTubeメンバーシップのプレミアム動画のほうになっちゃうでしょうね。

ノエルNoelさんからのコメント。

ブルーボッサ、サブスクだと1曲しか入ってない。゚(゚´ω`゚)゚。
権利の関係でしょうかね⋯💦

高松貞治 さんからのコメント。

高野雲さん、コメントを書いても、何回書いても消えてしまうんですがどうすればいいですか?私はただ「ブルーボッサ」がアマゾンも売っているってことを知らせたいだけなんですが、なぜかコメントが消えてしまう。私の機械のせいですかね。おかしいなあ?

こちらのほうは、特に何も設定はしていないのですけどね……。

もしかしたらの推測ですけど、高松さんって投稿してもすぐに消しちゃうことが多いじゃないですか?

返信しようとしたら、すでに消されていることが多いように感じます。

この一週間の中でも、「高野さんにお願いがあります」みたいな文頭で始まる文章の投稿告知がスマホにきたのですが、移動中だったので返信はせず、後ほどPCの前に座って返事を書こうとすると書き込みが削除されていました。
こういうことが過去に何百回、とまではいきませんが、十数回はありましたので、もしかしたら書き込まれた内容云々が問題なのではなく、「投稿⇒すぐ消し」が影響しているのかもしれません。

サンジョルディさんからのコメント。

【<パラレルワールド江戸>空想好きな八つぁんと、知らないとは言えないご隠居の会話、あるある】

【八つぁん】
ご隠居、youtubeに上がっていたモブレーの動画、見やした?

【ご隠居】
おお、見たわい。今まで、動くモブレーと言えば、みんなたった数秒じゃったからのう。
モンクと話すニカ夫人の横でモブレーが笑っている動画と、
ニューヨークの街をモブレーが向こうから歩いてくる動画ぐらいなものじゃった。ゆえに、1曲まるまるの演奏動画には驚いたわい。

【八つぁん】
あっしは、あの動画を見て、当時のモブレーに、色々と想いを馳せやした。

【ご隠居】
また、お前さんの空想癖が始まったのう。嫌な予感がするが、言ってみなされ。

【八つぁん】
へえ。あっしが知る範囲では、ネットなどで触れらていないことなんですがね。それは、モブレーのヨーロッパ滞在と、ブルーノートとの関係でさあ。

【ご隠居】
ふむ。ヨーロッパへ行ったのは、1968年らしいのう。その頃のブルーノートと言えば…
1966年のリバティ・レコードへの売却と、67年のアルフレッド・ライオンの引退じゃな。

【八つぁん】
おっしゃる通りでさあ。特にライオンの引退は、モブレーには、かなりこたえたと思うんでさあ。

【ご隠居】
確かに、リーダー作を多く作り、モブレーを代表的なハードバッパーとして育て上げたのは、ライオンじゃからのう。モブレーのショックも大きかったじゃろう。
まあしかし、ライオン引退以降も、フランシス・ウルフやデューク・ピアソンを中心に、ライオンの意思を受け継いで、ブルーノートらしいアルバム作りをしたと聞いておるがの。

【八つぁん】
確かにそうでやす。ですが、この頃のブルーノートのアルバムを注意深く見ると、だんだんリバティ・カラーが出てきやす。つまり大編成録音とかポップス路線とかでやす。

【ご隠居】
まあ、たとえば、スタンリー・タレンタインのアルバムの、大編成録音とポップ化については、当時日本のジャズファンの中には落胆した人もいたと聞くのう。
他のジャズマンのアルバムを見ても、確かに徐々にポップになっておる気がするわい。

【八つぁん】
そこで、モブレーのヨーロッパ行きは、ライオンの引退と68年録音の『リーチ・アウト』が大きく影響していると思いやす。

【ご隠居】
『リーチ・アウト』のう。まずもって、R&Bコーラスグループのフォー・トップスの曲名をアルバム名にするとはのう。そして、その1曲目が、そのポップスカヴァーとは。
確かにそれまでのモブレーのアルバムにはなかった、<扱い>じゃのう。アルバムの全体の印象もやけにポップじゃ。

【八つぁん】
『リーチ・アウト』が68年1月録音、そしてその年の3月に、デンマークのコペンハーゲンと、オランダのアムステルダムでの録音が残っていやす。youtubeのコペンハーゲンのカフェ・モンマルトルでのモブレー動画もその頃のものだと思いやす。
モブレーは、ブルーノートよりも、ヨーロッパに居場所を求めたんだと、あっしは思うんでさあ。

【ご隠居】
なるほどのう。『リーチ・アウト』の中の「ルッキン・イースト」とは、すでにその頃、モブレーがヨーロッパに注目していたのかも知れんのう。ヨーロッパの熱いモブレーファンの誘いもあったじゃろうし…。ただ、ヨーロッパ行きは、向こうにもジャズメンがいたし、軽い気持ちじゃったかも知れんがのう。

【八つぁん】
へえ。そして、68年7月パリ録音の『ザ・フリップ』は、ポップ化するブルーノートに対する、モブレーの<抵抗>とも取れやす。内容は全作オリジナルの、いわゆる<ジャズロック>や<ラテン調>も含めて、モブレーらしいハードバップ色が強いアルバムでさあ。『リーチ・アウト』とはまるで違った印象でさあ。

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【ご隠居】
まあ、ヨーロッパのパリ録音ということで、リバティから離れて、自分がやりたいジャズを演奏したかも知れんの。

【八つぁん】
そして、ヨーロッパから帰国した70年、ブルーノート最終録音の『シンキング・オブ・ホーム』で、<リバティ傘下のブルーノート>とは完全に決別したと、あっしは、にらんでいやす。

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【ご隠居】
そう思うと、『シンキング・オブ・ホーム』というアルバム名も意味深じゃのう。<ホーム>は、アメリカ合衆国のことかも知れんし、15年間在籍したブルーノートのことかも知れん。組曲も曲想が変化し壮大じゃ。モブレーの総決算とも言えそうじゃのう。
このアルバムは、マイケル・カスクーナの<発掘>まで、いわゆる<お蔵入り>には、なったがのう。

【八つぁん】
モブレーこそ、最後まで<ブルーノート型ハードバップのテナーマン>であり続けやした。あっしはそう思いやす。

【ご隠居】
そうじゃのう。
いやいや、どうもお前さんの空想に乗っかってしまったようじゃわい。