【コメント返し】ごるよし

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動画「【コメント返し】若い!」(こちら)視聴者さまよりいただいたコメントに対してのアンサー動画です♪

コメント

博 橋本さんからのコメント。

ご無沙汰してます。【コメント返し】有り難うございます。
字余りに再触発され、サンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズを全曲数回繰り返して聴いてしまいました。

博 橋本さん、大変ご無沙汰しております! お元気でしょうか。

「字余り」に再触発されて『アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ・アット・ザ・ジャズ・コーナー・オブ・ザ・ワールド』……ではなく(笑)、サンジェルマンの『ジャズ・メッセンジャーズ・ウィズ・セロニアス・モンク』……でもなく(笑)、あの『サンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズ』を全曲、それも数回繰り返して聴かれたとのこと。なんと正しくも美しいい時間の無駄遣いでしょうか(笑)。

一度ならまだしも数回ですから、もはや再聴ではなく、サンジェルマンへの短期留学と言っても過言ではないでしょうね。

ゴルソンの曲には、ときどき、一般的な32小節の枠から4小節ほどはみ出していて、数えてみると「あれ? 多いぞ」となる曲がありまして、いわば「字余り」なのですが、ここで大事なのは、俳句の字余りとは触感が違うことだと思います。

俳句の字余りは、声に出して読めばもちろん、黙読していても、「ここは、あえて余らせたな」という感じが伝わってきます。その「敢えて感」が、風情になったり、情緒になったり、作者の個性として味わえたりする。

ところが、ゴルは違う!(笑)

ゴルソンの字余りには、「どうだ、普通の作曲家なら32小節に収めるところを、俺様は4小節もはみ出してみたんだぜ!」という自己主張が、感じられないんですよね。「定型を破壊してやった」という感じはまったく感じられない(だから意識して聴いてもなかなか気づけないほど自然)。

そうではなくて、「この曲には、この長さが必要だったから」。あるいは、「このメロディを、いちばん自然な流れになるように置いていったら、たまたまこうなった」という感じなんです。

必要なだけメロディを書き、必要なだけ和音を動かし、さて数えてみたら、よくあるスタンダードナンバーとは違う小節数になっていた。それだけ。本人としては、はみ出したつもりすらないのではないか。定型から逸脱したというより、曲の方が先に歩いていって、定型が後ろに置いていかれた、そんな感じがするんですね。

このような、「自然な感じ」が、ゴルソン・ナンバーの素晴らしさだと思います。奇をてらっているようで、本人の中では奇ではない。「自然さ」や「その曲らしさ」を優先した結果、外から見ると独特な形になっているような気がします。

もちろん推測です。
違うかもしれません。
敢えて「定型とはちょっとだけ違うことをやってみたぜ!」だったら、相当な策士ですw

キーの選び方にも、同じ美学を感じます。
代表的なのが《ファイヴ・スポット・アフター・ダーク》です。

あれはBマイナーのマイナーブルースですが、なぜBなのか。半音上げてCmにすれば、《ミスターP.C.》のようにもう少し馴染みやすそうですし、半音下げてB♭mにすれば、ホーン奏者にとっては吹きやすいように感じます。

それでも、Bマイナー。

私はサックスの運指に詳しいわけではありませんが、少なくとも「みんなが喜ぶ、いつものブルースのキー」ではない。ピアノにたとえるなら、半音移しただけなのに、白鍵中心だった景色が急に黒鍵だらけになるようなものです。同じメロディでも、指の置き方が変わり、身体にかかる抵抗が変わり、結果としてフレーズの表情まで変わる。

ゴルソンは、演奏のしやすさよりも、その曲に必要なダークさ、苦み、コクを優先したのではないかと思います。《ファイヴ・スポット・アフター・ダーク》は、半音上げたCmでも、半音下げたB♭mでも成立するでしょう。しかし、あの「半音ずれた場所」に置かれているからこそ、都会の夜の裏通りのような、黒ずんだ艶が出る。
動画を探すとCmで演奏している演奏もありますが、聴き比べると、キーは単なる高さではなく、曲の照明なのだと感じます。

「字余り」に話を戻すとですね(笑)、そういえば小節の字余りで思い出すのが、ウェイン・ショーターです。たしか《イエス・オア・ノー》だったと思いますが、ゴルソンの「4小節」とはまた違って、2小節余るような箇所がある。それなのに、「ここに2小節、継ぎ足しました」という「増築感」がまったくありません。最初からその形で生まれてきたように、自然に流れていく。

私の場合、ベースで追っていても、不思議と迷子にならないんです。頭で小節数を勘定すると変則的なのに、耳と身体は「次はこっちです」と分かっている。普通は変則的な構成ほど、譜面の余白に赤鉛筆で「注意!」と書きたくなるものですが(モンクの《ブリリアント・コーナーズ》みたいに)、ゴルソンやショーターの場合、音楽そのものが案内板になっている。

そう考えると、この二人は独特なセンスを持ったテナーサックス奏者というより、たまたまテナーサックスを手にしていた作曲家だったのかもしれません。もちろん、奏者としての力量も申し分ないことは言うまでもありませんが。

2026年2月20日