【コメント返し】ジミヘンニコルス

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動画「【コメント返し】トイレでドストエフスキー?天才ピアニストゆうこりん推しの理由、原稿書きながらバド・パウエルinジャズ喫茶ほか」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。

コメント

オカハセちゃんねるさんからのコメント。

度々オカハセコメントの返し動画ありがとうございます。
ゆうこりんさんのピアノのセンスには全く言うことないですよね★
彼の話す内容も本質部分はかなり真っ当だと思います。ただあそこまで毒っ気は元々無い人だと思うので、YouTuberとしての生き方に迷走していることは確かかなと思います(笑)。
僕の知人は「上手くバズってるけど実力無いジャスメンに対しての、単なるやっかみだよね」と言っていますが、あの軽薄ノリがハマった人にはどちらにせよゆうこりんは面白いことは確かです。
ただ、ハマらない人にはクソ面白く無いみたいですが、その感覚もわかります(笑)。
僕はあの最高なピアノ演奏のセンスとキャラクターのギャップが面白いなと楽しんでいます。

オカハセさん、いつもながら興味深い深いコメントありがとうございます。

いつもながら、さりげなく一つの事象を斜め上からスッと眺めるような視点が軽やかな感じでイイんですよね。(上から目線、ではありません)

まず、ゆうこりん こと二見勇気さんのピアノについては、たぶんオカハセさんと私は、ツボなポイントはかなり近いんじゃないかなと思っています。

あのタッチ、綺麗なアタック感と粒立ち、フレーズの切り取り方、一発で「あ、ゆうこりんだ」と分かる音の「輪郭の濃さ」。
そして、あのキャラとのギャップ(笑)。

動画での喋りや動作、時にお下品ギリギリ(いや、すでにアウト?)な言い回しからは想像できないくらい、ピアノそのものはものすごくまっとうで、基本のジャズ語法にどっぷり浸かったうえで、自分の色を乗せている。

オカハセさんの「ピアノのセンスには全く言うことない」には、「意義なし!(かまいち語)」であります。

一方で、YouTube上での「毒っ気」やキャラづくりについては、賛否が分かれるところですよね。
オカハセさんの友人がおっしゃるような「バズってるけど実力ないジャズメンへのやっかみ」という見立ても、そう感じる人の気持ちは分かりますし、「軽薄ノリがどうにも受けつけない」という人の感覚もよく分かります。

ただ、個人的には「中身はかなり真っ当なジャズ観・音楽観を持っている人が、あえて“過激な入口”を用意している」というふうに見ていて、その戦略自体はかなり面白いなと思って眺めています。

私はどちらかというと「べつに無理してジャズファンの裾野を広げなくてもいいんじゃない?」派なんです。ジャズはそもそもニッチだし、興味ある人が自主的に深掘りしていけばいい世界なんじゃないの?という気分は正直あります。

それでも、YouTubeというプラットフォームを使って発信していれば、ジャズを聴いたことがないけれど、ちょっとだけ興味がある層に対して、YouTubeの「おすすめ」に「ゆうこりん動画」がサジェストされた時、そこに、ゆうこりんの「時にお下劣で、だけどどこか親しみやすい入口」は、じわじわ効いてくる部分もあるんじゃないかな、とも思い、じわじわとジャズ好きの裾野を広げる効果はあるんじゃないかと思ってもいます。

最初は「なんだこの下品なヤツ」と反感から入りつつも、見ているうちに「でも…弾いてるピアノ、めちゃくちゃうまくない?」「言ってること、意外とスジ通ってない?」と少しずつ意識が変わっていく人も、確実に一定数いるはずです。

例えばですが、難しい社会問題の本や国際問題のを正面からドン!と差し出されると、多くの人は眠くなってしまいますよね。
でも、馬鹿馬鹿しいくらい極端な設定のアニメや、くだらないギャグマンガの背景にはそのようなテーマがあったり、あるいはグラビア満載のオヤジ週刊誌の中に、さりげなく社会批評の記事や渾身のルポルタージュが忍ばせてあると、人はなぜかスルッと受け取れてしまうことがある。

お笑い芸人、グラビア週刊誌の編集者、漫画家、脚本家、道化師……。
こういう人たちは、難しい話をそのまま投げるのではなく、「笑い」「エロス」「物語」「可愛さ」など、人が関心を持ちやすい要素で表面をラッピングして、知をやわらかくして差し出す職人的側面もあると思っています。

週刊誌なら、表紙は派手なグラビアやスキャンダルで目を引きつけつつ、中身の活字では社会の矛盾を突く。
お笑い芸人は、日常の不満や違和感を笑いに変換することで、「あれ、おかしくない?」と考えるきっかけをつくる。
チャップリンは悲劇を喜劇に変え、手塚治虫は娯楽マンガの形を借りて倫理や命の問題を描いた。

「伝わる人にはちゃんと伝わるし、伝わらない人は単純にエンタメとして楽しめる」
この二重構造こそが、実はすごく強いんですよね。

真理や本質をストレートに語るのは難しい。
小難しくなる。敬遠される。
「俺は正しいこと言ってるんだぞ」と熱くなればなるほど鬱陶しさの温度が上がる。
理念倒れのインテリにありがちな傾向ですねw

結論は正しいのかもしれませんが、「正しい」と思っているがゆえに、真っ当なことは誰にでもわかるだろうと「伝える」手段を軽視しがち。
あるいは「正しい」と思っているがゆえに、「わからんやつは無知かバカ」という傲慢さが生まれることもある。
理念倒れのインテリにありがちな傾向ですねw

だからこそ、砂糖をまぶしたような「まわり道」も必要になる。
なんといっても人は、説教や正論だけでは動かない生き物だからです。
いや、正論だからこそ鬱陶しい、面倒臭い人も少なくないですから、ますます主張に耳が傾けられない。

ゆうこりんのアピール方針も、この構造をわかった上での戦略だと思います。
入口は「うんこBGM」だとか、過激なワードチョイスだとか、アホなノリ。ほとんど下品なお笑い芸人です。
でも、奥の方に入っていくと、ピアノは超まっとうなモダン〜現代ジャズの語法の上で成り立っているし、語っている内容も音楽の本質や現場のリアリティに肉薄している。

そこに気づく人にはちゃんと届くし、気づかない人にとっては「なんかうるさいけど、喋りが面白いピアニスト」として終わるだけかもしれない。しかし、それはそれで、エンターテインメントとして成立しているわけです。

もちろん、その「砂糖のまぶし方」がキツすぎて、「甘すぎて胸焼けする」「下品すぎて無理」と感じる人もいることでしょう。
そこはもう、体質や好みの問題なので仕方ないと思います。

だから、オカハセさんがおっしゃるように、「ハマらない人にはクソ面白く無いみたいですが、その感覚もわかる」という感覚もわかります。

ただ、その「好き嫌いの強さ」「濃度のコントラストの強さ」自体が、実は彼のキャラクター戦略なんでしょうね。
薄く広く無難に好かれるよりも、強烈に刺さる人と、「絶対無理」と切り捨てる人を両方生んでしまうタイプの表現者。ジャズジャイアンツにも、そういう人、いますから。

そして、YouTuberとしての「迷走感」も、私はけっこう微笑ましく見ています。
おっしゃる通り、根っからの毒っ気が強いタイプの人ではなさそうですからね。ただ、せっかく作ったキャラなので、「ふざけた入口から入って、実はかなり真っ当な場所まで連れていくガイド役」というポジションは今後も続けて欲しいなと思っています。

最近は、オスカー・ピーターソン奏法の解説動画「上」と「下」がツボでした。
ピーターソンは個人的には、あまり奏法とかスタイルとかを意識して聴くタイプのピアニストではなかったので、まあ勉強になったというか、改めてさまざまなテクニックや考えに裏打ちされた表現者なんだということを知ることができて良かったと思います。

2025年2月13日 12:35