【雑誌読み】スイングジャーナル1979年5月号のキース・ジャレットインタビュー

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『スイングジャーナル』1979年5月号に掲載されているキース・ジャレットのインタビューを読んでいます。

コメント

永井勉さんからのコメント。

あっしは何故かキースジャレットが苦手なんです・・・
雲さん、キースジャレットの良さを教えて下さい・・・😅😅

う〜ん、言葉で伝えるの難しい……。
「良さ」じゃないかもしれませんが、「独特さ」に説明になってしまうかもしれませんが、我慢してお付き合いいただければ、と。

強いて言うなら、なんでもなさげな演奏から漂う「タダモノではない感」とでもいうのでしょうか。

もちろん、チャールス・ロイドの『フォレスト・フラワー』や、マイルスとやっているライヴ演奏のエレピ(オルガン)などには「すんごい」鍵盤プレイはあるので、そちらの方をお勧めして「どうだ、凄いぢゃないか!」という手もアリだとは思うのですが、おそらくそのあたりは、きっと永井さん聴いているでしょうから(何せ、私が過去に動画で紹介しているのw)、別な切り口で考えると、やっぱり、普通の演奏、もしかしたらヤッツケ的な演奏の中にも、やっぱり凡百のピアニストにはない音の存在感、キース・ジャレットにしか出せないワン・アンド・オンリーの「個性」、ではなく「音の気配・佇まい」が感じられるのですよ。

例えばですが、マイルスが亡くなった後、比較的すぐにスタジオ入りして録音したというエピソードの方がもしかしたら有名かもしれない『バイ・バイ・ブラックバード』というアルバムがあります。
正直、駄作とは言いませんが、凡作だと思います。キースにしては、ですが。
なんか拙速感が否めないというか、どうも雑な感じがするんですよね。
楽器演奏が上手過ぎる人たちのジャムセッションみたいな感じとでもいうのかな? それはそれで良いのですが、他の『スタンダーズ』の一連の作品を聴いている耳からすると、クオリティ的には「ん?」な出来に感じたんですよ。なに贅沢言ってんだよ!かもですが。

で、私、このアルバムが発売されてすぐの頃、吉祥寺の誰もいない昼下がりの『メグ』でこれを聴いた。最初にかかったのが《ストレート・ノー・チェイサー》でした。
わっ、キースだっ!
すぐにわかった。声で(笑)。
おお、これがれ「例の」「話題の」ニューアルバムかぁなんて思いながら飾られたCDジャケットを眺めていたんですが、なんだかわけもわからず、猛烈にこのシングルトーンで奏でられるキースのピアノとところどころ聞こえてくる声に嫌悪感を覚えたんですね。
なぜだろう?
よくわからぬまま、やっぱ俺ってキース苦手だなぁ、なんて思いながら店を後にしたものです。

しかし、どうも、あの素朴なシングルトーンのアドリブが耳に残っていて気になるんですよね。
なので、仕方なく(?)、買いました(笑)。
そして、聴いてみると、やっぱりアレなんですよ、あんまり好きじゃない。

ほんと、ジャムセッションでやるような、なんのヒネリもない、普通のFのブルース。
でも、やっぱり気になる。
道を歩きながら、煙草を吸いながら、風呂にはいりながら、覚えてしまった《ストレート・ノー・チェイサー》全体の音の塊を反芻していると、やっぱりピアノの音色や、フレーズが湧き出てくるような感じ、なんの設計図もなしに、「今思いついたから、思いついた0.0000001秒後に気がついたらもうピアノでメロディ弾いてました」感というのかな? 衒いもなく剥き出し、おそらく脳味噌と指が一体化しているような一致感(以前私が動画で説明したいわゆる歌心)を感じ、それがあまりにも自然すぎるインパクトで、インパクトがありながらも、それを露骨に感じさせずに、気付けばこちらの内部に素早く深く侵入している、それが最初不快感を感じ、しかしもう内部に入り込んでしまっているので、気づけば何度も反芻している自分が癪だったり、それがやがて気持ちよさに転化されたりと、まあ要するに「音の浸透度」が他のピアニストよりも格段に高いんですよね。

そのあたりが、私はキースの持ち味だと思ってますし、だからといって全てのキースが好きというわけではなく、やっぱりヨーロピアン・カルテットなどに散見されるクサ過ぎるメロディはあんまり好きではありません。

でも、そこも含めて、キース・ジャレットが持つスルスル感(スルスルと耳の中に滑らかに抵抗なく入ってきてしまう感じ)にはバド・パウエルやドド・マーマローサやウォルター・ビショップらのゴツゴツ感とは対照的でもあり、どちらかというとドライでゴツゴツなテイストが好きな私からしてみれば、普段はシングルモルトが好きで、それ系のロックしか飲んでいないくせに、たまたま気まぐれでカルーアリキュールのカクテルなんぞを飲んでみると、気づけば酩酊、頭いい気持ち、みたいな感じなんですかねぇ、悔しいけど(?)、ま、そんな感じです。

Keith Jarrett キースジャレット / Bye Bye Blackbird 【SHM-CD】

永井勉さんからの返信。

モンクとかエバンスとかのドロドロピアノ
が好きな人は苦手かもしれませんね・・・WWW

永井さんの豆腐の好みは分かりませんけど、豆腐に喩えるなら木綿やこうや豆腐の食感が好みな人には、絹ごし豆腐や玉子豆腐のようなものなのかもしれませんw

人力飛行機さんからのコメント。

他のコメントで永井さんて方が「何故かキースジャレットが苦手なんです。キースジャレットの良さを教えてください」と質問。で主さんがそれに答えて長い回答を。これが面白いんですよね。私みたいなレベルの人間には。相変わらず勉強で主さんがあげてる音源を聴いたりして。キースジャレットもマイルスのライブで聴いた程度の人間ですから。

動画のインタビュー聴いてて、沈黙、てことは間が重要って言ってるところがやっぱり達人ぽいな。と思いましたけど。そういえばキースジャレットといえば私クラスの人間でも思い出す事があります。マイルスの1970年代初頭のライブでキースジャレットが弾いてるのがけっこうYouTubeでUPされてて、何本かみたことあるんですけど。そこで印象的なのが、いやにキースジャレットが酔ってるんですよねえ(笑)。頭をクネクネして。目を瞑って。いかにも音と一体化してて。それがすごく印象的でね。ていうのも、聴いててキースジャレットの演奏は、たぶん上手いんだろうと思います私ごときが聴いたところで(笑)アラが見分けられるなどないわけで。しかしそこで一言言いたくなるのが改めて。そう酔うほどに良いのか?(笑)ウットリ聞き惚れるほどに。ああもクネクネ頭を振って目を瞑るほどに。そこが今にして思えばキースジャレット。すごいナルシストだと思うんですよねあの仕草が。で、マイルスのバンドでもああも酔ってる人ってキースジャレットだけでしょう視てたら。その酔ってる度合ではバンド内随一である。それは間違いない。他の人は酔ってないからああも。もう一人の鍵盤チックコリアもああも酔ってはいない。むしろ反対側から、自分に酔ってるキースジャレットを不思議そうに凝視(笑)そのコントラストも面白いんですよね視てると(笑)。あれ?チックコリアもキースジャレットみてて不思議がってる(笑)。分かる。チックコリアの気持ち。凝視してる気持ちが。俺もなんかどっか思うもん。ああも酔うほどにアレ良いか?(笑)その酔ってる感じが今思うと屹立してて浮いてる気がする。ワイト島のキースジャレットって今見るといかにもドラマで出てくる昔の芸能プロの敏腕社長。よ!社長!って声掛けたくなる。いかがわしい満点。

その印象はありますね。キースジャレット。

あと、久しぶりに聴いたマイルスの1970年ワイト島Call It Anythingはやっぱりイイですね。これはこの頃のペットの音がマイルスのなかでは一番好きかもしれない。あのオープントランペットのフレーズが切り裂くようで突き抜けるようでいいんですよね。機関銃発射してる。キースジャレットのいかがわしい感じも個性的だしバンド全体がいい。ワイト島でも演奏したけど楽曲bitches brewってやっぱり「妖怪人間ベム」の冒頭。「それはいつ生まれたのか誰も知らない。一つの細胞が分かれ3つの生き物が・・・」の部分ですよね!だと思うけどなあ。マイルスはアレにオマージュするために書いたでしょう。でSpanish Keyの冒頭の印象的なフレーズは「マグマ大使」で江木俊夫演ずる少年マモルがマグマ大使を呼ぶときに「マグマ大使~」と叫んで吹く警笛みたいなあのフレーズ。「pipipipipi~」ていう、あれですよね紛れもない。マイルスってあの当時の日本の怪獣特撮や妖怪アニメ。かなり好きだったんじゃないのか(笑)。いや思い出して仕様がない。

ワイト島はもちろんのこと、キース参加のマイルスのライヴ映像はいいですよね。
やっぱり、面白い、というとちょっと違うのかもしれませんが、やっぱりキースのクネクネ動きに目がいってしまう。
いつも不思議に思うのが、内側から湧き出しているエモーションが身体が制御できないのか、それとも周囲の音の洪水に陶酔・身悶えしているのか、そのわりには(?)音楽のリズムや波のようなものと、キースの動きが一致していないんですよね。もちろん弾いているサウンドは周囲と同化しているんですが、キースの内側の世界は彼独自の「キース時間」を刻んでいるように見える。要は強力にマイペースなんでしょうね。
あの「日本一のマイルス者」の中山康樹氏に「マイルスバンドに所属していながら、マイルスの影響をまったく(ほとんど、だったっけ)受けていない男」と言わしめただけのことはあるw

御駄賃取郎さんからのコメント。

誤解を恐れずにいえば、私の中では、キース・ジャレット・児山紀芳氏・村上春樹氏のお三方には共通認識が
浮かぶ・・。それは「いかがわしさ」だ。もちろん良い意味も含むが、個人的には(歴史には残らないであろうなあ)と思っている。個個の理由はあまりにも長くなるのでここでは避けるが、今はキースについてだけ。

キースに感じる最大の疑問は「クラシックの録音でグレン・グールドがあれだけの解釈(主としてバッハ)をしたのに、何故これほどまでの凡演しかできなかったのか?」ということだった。

ソロコンサートをやめた時には(流石に限界がみえたよなあ・・)と納得したものだ。

インパルス時代の録音はジャズ喫茶マニア以外の人の話題に登ることはなかった。むしろアトランティックの「マイ・バック・ページ」に注目したファンが多かったように記憶する。

クラシックを学ぶ音大生からは「原始クラシック・ソロのスタイルは、こうであった(と思う)」という話をよく聞いた。つまり、ラジオも蓄音機もなかった時代のコンサートでは少しのアドリブはゆるされていたのではないか?)ということ。
ソロによる「ケルン・コンサート」を何度も繰り返し聴くとこの説も納得がいく。

キースのソロピアノがブームであった頃、SJ誌上では「なぜこれをジャズとして取り上げるのだ?」という論争があったが、最後は油井正一氏の一言「キースのソロ演奏にはブルースの通底がある。」という、これまたわかったようなわからん理屈で終わった。

以上独断で思うまま書きましたが、ぜひ反論をお待ちしておりますです。。m(__)m

「いかがわしさ」(笑)。
たしかに言われてみれば、そんな感じもしなくもありませんが、わりと私、いかがわしいの好きだったりするんですよねww

いかがわしい、とはちょっと違うかもしれませんが、学生の頃、まだベースを始めたての時にヘタクソなロックバンドでもベースを弾いていたり歌ってたりしたんですが(オリジナル・パンツロック)、その時、私、ベースに「ニセモノ、B級品にも五分の魂」といいう活字を雑誌から切り取ってペタッと貼っていた時期があったんですよ。
たしか、その切り抜いた見出しの雑誌は『宝島』のパチモン特集だったと思うのですが、妙にそそられるコピーだったので(笑)。
で、この言葉を貼った状態のベースを持ってベース教室に言ったら、先生から、「その言葉いいねぇ!!!」と大絶賛されて、互いにB級、C級愛を語り合い、結局その日はほとんどベースのレッスンはありませんでした。アホですねぇ。でも、わりとそういうの好きです。

あ、もっとも、キースも春樹もニセモノでもB級品でもありませんが(汗)、いかがわしさ漂うものも私好きなので、ついつい反応してしまいました。

井口史朗さんからのコメント。

面白かったです。

ありがとうございます♪

井口史朗さんからの返信。

小澤征爾には、バックられちゃいましたからね。はっきり言って、小澤征爾にはムカついてます。

kamaichi2002さんからのコメント。

4月号はありません。この頃は毎月SJを購入していなかったんです。ごめんなさいね。

そうですよね。
無いものねだりを言ってすいません……。

adlibjapanさんからのコメント。

キースジャレットのインタビュー、スイングジャーナルでしたらスタンダーズのアルバムに対するインタビュー記事を読んだことがあります。以前スイングジャーナルのバックナンバー(主に60年代)を何冊か手に入れたことがあります。リアルタイムでのディスクレビュー記事や来日された時のミュージシャンの写真等興味深い内容でした。