ふがふが系テナーサックス奏者~サム・リヴァースの『フューシャ・スウィング・ソング』

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ふがふが系テナーサックス?!

新主流派が苦手、ウェイン・ショーターやジョー・ヘンダーソンのテナーサックスがいまいち楽しめない……。
ハードバップは楽しめるんだけど……。
そういう方は、サム・リヴァースの『フューシャ・スイング・ソング』を聴いてみてはいかがでしょう?
ジャッキー・バイアードのピアノが分かりやすいガイドライン役を果たしてくれているために、ハードバップと新主流派の橋渡し的な役割を担っているように感じます。

動画をアップしてみました。

コメント

市田真二さんからのコメント。

May 21, 1965の録音は彼のsecond album『Contours』ではないでしょうか。Debut albumの本作録音日はDecember 11, 1964 が正だと思います。サムリバースとくれば、ここしばらくご無沙汰していた『in Tokyo』, 『in Kyoto』でまず耳慣らし、そして怖いもの聴きたさに『Fuchsia Swing Song』に挑戦。ところがどっこい、普通でした。Ron, Tonyはいつもの通り、Jaki Byardとか言うピアニストも違和感なく馴染んでいるなあ。

やっぱり東芝EMIの日本盤のライナーの表記の方が間違いだったんですかね〜、危うく5月21日のジャズとして取り上げるところでした。
そうそう、わりかし普通なんです。
ジャケットのイメージからだと手強そうな感じがするんですが。

永井勉さんからのコメント。

Fuchsia Swing Song タイトル曲だけ聴きました。
みんなが先に進みたがっているのに Sam Rivers Jaki Byard 二人は  ツーファイブ感
残したがっててますね!
私の個人的な見解なんですが マイルスはジャズからツーファイブ感をなくして作曲するという
無謀な実験をしていたのでは? だから ウエイン・ショーター他の
メンバーを集め 4部作を創ったのでは?
マイルスは死ぬまで無謀な実験を繰り返していたんじゃないんですか?
教えて 雲さん・・・酒飲みのコメントです・・・スルーして下さいWWWW

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サム・リヴァースはわからないんですけど、バイアードの方は、明らかにツーファイブ感を残したがっていますね。
だから聴きやすいといえば、聴きやすいです。ガイドラインになってくれているから。
だから逆にマイルス4部作に慣れた耳で聞くと保守的に聞こえちゃうんでしょうね。
だから、ハードバップが好きな人が聴いても、半歩だけ踏み出した感があって良いんじゃないかと思って取り上げました。
>だから ウエイン・ショーター他の
メンバーを集め 4部作を創ったのでは?
多分当たっていると思いますよ。

R Kさんからのコメント。

バップトロンボーンの第一人と言われたJ・Jジョンソンは、実は〝クール〟なスタイルだと評論する人がいるのは有名な話ですが、そのJ・Jと熱いアドリブのバトルを繰り広げたのが、こちらも〝クールスタイル〟の代表者、〝スタン・ゲッツ〟(ts)でした。

〝ゲッツ&J・J〟というアルバムで、ふたりの熱戦を聞く事が出来ます。

あと、マルチサックスプレーヤーですが、〝グローバーワシントンjr.〟は、ソプラノからバリトンまで、どれを吹いてもメインの楽器の様に良く歌っていますね。アルバム〝ワインライト〟は、私の愛聴版です。

コメントどうもありがとうございました。
下記URLの動画で紹介させていただきました♪

ゲッツとJ.J.のかけ合いは、今聞くとなかなかスリリングですね!

masayuki mukaiさんからのコメント。

ジョーヘン演奏のbeatriceが気に入って、そのつながりで昔買ったアルバムです。久しぶりに聴いて気づいたのですが、タイトル曲はnight and dayがベースになっているように聞こえますね。N&Dと思って聴くと、ちょっとエリックドルフィー寄りのハードバップに聞こえてきました(笑)

動画にコメントいただきありがとうございました。

▼こちらの動画に

お返事をしていますので、よろしければお聞きになってください(長い動画で申し訳ありませんが…)

Tetsuo Nambaさんからのコメント。

Shorter, Henderson, Rivers に共通しているのは、彼らがハードラバー製のマウスピースを愛用している事です。一方、Coltrain, Rollins, Dexter Gordon らはメタル(真鍮、ステンレスなど)を使用しています。ハードラバーは柔らかいので音のキレが多少悪くなりますが、味のある音色が出せます。僕はShorterの個性的な音色と言い回しが大好きで、フガフガだとは全く思いません。むしろRollins のアーティキュレーション(言い回し)の方が大フガフガで、決して好きになれません。抜けの良い音が好みなので、僕は自分ではメタルのマウスピースを使用しています。ただ、吹奏楽の演奏時はハードラバーに付け替えてます。

野中太喜さんからのコメント。

古希爺さん
キャバレー
マイルスのコレクターズアイテムズ!
プレステージ、ブルーノート?
So what,as you like it
when you hear the music
ショーターの音楽、賛否両論!
ショーター、マイルス
最高!
ジャズは、マイルス学校!

古希爺さん
良い音、良い音楽、良い響き!
その他は、騒音!
ベートーヴェン、バッハ、弦楽四重奏!
絵画的音楽、ゴッホ、北斎、
ショーターの音楽が素晴らしい!
コンサートホールでクラック音楽を聴く!
映画も!

ねこ大好きさんからのコメント。

ジョー・ヘンダーソンはふがふがしてて好きだけど、ウェイン・ショーターはそんなふがふがしてないし好きでもないし興味もないなあ。マイルス嫌いだし。
ホーン楽器の「ふがふが感」ってジャズで大好きな要素の一つなんだけど、 高野さんとは「ふがふが感」の認識が全く違うと思う。
私のテナー・サックスの基本はレスター・ヤングなんだけど、絶妙の「漂うようなふがふが感」があると思うし、高野さんの認識とは真逆にロリンズも結構「ふがふが」してると思う。パーカーやコルトレーンはフガフガしてないけどね。楽器が違うんだけどコルトレーンとよくやってたドレイパーのチューバジャズもフガフガしてて好き。
ホーキンスもウェブスターもズート・シムズも「ふがふが」して好き。
高野さんから見ると、ジョニー・グリフィンとかエディ・ロックジョー・デビスあたりはふがふがしてるんだろうか?

してないですね。

ねこ大好きさんからの返信。

お返事ありがとうございます。私の場合、ある種の温かい低音のびびりの事を言っていて、もともと、クラシックでテナー・サックスが守備しないバリトンとか低域の音を一本だけでソロ楽器として独立して聞かせるために無理に音を出していったのがジャズの発達史の中で重要な役割を果たしてるような気がするみたいなことが念頭にあったんですが、高野さんの言われるのは各音の粒立ちの境界線がはっきりしてないように感じるという話なのかなと感じました。
そうすると振動体のブレの問題になってくるので、ケーン製のリードか、当時出てきた新素材の樹脂製リードかとかティップの分厚さ、形状とかに繋がる話なのかな「ふがふが系」というのは非常に魅力的なパワーワードと思うんですが、音感って人それぞれのとこもあるので定義が難しいですね。

>各音の粒立ちの境界線がはっきりしてない
言われてみれば、まさにその通りですね。
それにプラスして、フレーズが抽象的、というのも大きいと思います。口ずさみにくいフレーズというか……。
ただ、その口ずさみにくいフレーズと粒立ちの境界線がハッキリしていない音色って似合うし魅力的なんですよね。そう感じるまでには時間がかかりましたけれど。

ねこ大好きさんからの返信。

ああ、それは演奏と評論が出来る日本人にありがちな話じゃないですかね。西洋音楽の限界の話にもかかわるような気がします。日本人にとってジャズは西洋音楽「だけではない」のに、西洋音楽の一つとして学ぶしかなくて、西洋音楽の演奏者(クラシック)のセオリーで分析的にアプローチするので逆にジャズの非西洋音楽的な本質に違和感を感じるようになってしまう。私、ジャズロックが4ビートとか8ビートとかウダウダ評論する日本人の評論って虫酸が走るので敬遠してしまってた偏屈な人間なんですが、一方で、日本人が演奏学ぶときには日本古来の三味線とかの土着のスケールと区別して、そういう基礎から組み立てていく以外ないわけです。このあたり、高野さんがおっしゃってた「演奏できないとジャズについて語るな」論にも関わるんですが。
必ずしも悪い話でもないんですが、演奏できると本質を説明できなくても分析は色々できる、「音楽的に少なくとも間違っていないことを長く文章にできて説明できて権威主義で生真面目な日本文化だと少なくとも素人と差別化できて商売になる」んですね。これは油井正一氏あたりからの日本のジャズ評論の特徴じゃないかと。
ジャズは御存知の通り、西洋音楽とアフリカン・ミュージックの混合です。で黒人さんのルーツであるアフリカ音楽では、西洋音楽のスケール法では割り切れない音が出てくる。それが、ブルースの基盤となる第3音、第5音、第7音を半音下げた音であるブルー・ノートだったり、モンクの不協和音を同時に合わせての演奏や沈黙だったり、パーカーのゴースト・サウンドだったりする。コルトレーンとかコールマンのフリージャズはその当たりのブラック・ミュージックのルーツ探究をアフリカン・ミュージック突き抜けてブラック・モスリム経由でイスラム音楽とくっつけてしまった感さえある。ワールド・ミュージック。
ええと、「口ずさみにくい(メロディアスでない)フレーズと西洋音楽的には気持ち悪い音色(もごもご、ふがふが感)」は西洋音楽の間尺に合わないクロンボさんの民族音楽起源の部分で、むしろジャズとしては懐かしい要素なんじゃないかと。クロンボさんの体の中には先に音楽が流れてて、それを外に出すだけなんだけど、西洋音楽の音符に出来ない割り切れない部分が最初からあってそれがとごるというか澱のように蓄積される。自然現象みたいなもの。
でも演奏のため4ビートとか8ビートとかでリズムをとってスイング時代のベイシーとか青本とかのハードバップの整理された曲構成の譜面に訓練された、つまり、ジャズを弾こうとして西洋音楽流に生真面目に自分をしつけてきた邦人ジャズ・プレーヤーは逆に「なんやこれ?」と違和感を感じて、その澱の魅力に馴染むまでに時間がかかってしまうんじゃないかなと感じました。長文失礼。

>逆にジャズの非西洋音楽的な本質に違和感を感じるようになってしまう。
まさに、その通りで、その違和感が快感に変わるまでには(私の場合だけかもしれませんが)、だいぶ時間がかかってしまったように思います。

その間、カントリーブルースに遡って、しばらくハマっていた時期があるんですが、そこから再びモダンジャズに戻ると、なんとなく体感的に染みてくるような感覚を覚えました。

西洋音楽の教育は、じつに合理的で伝達方式には便利なルールや表記がたくさんあるのですが、ニュアンスまでもはなかなか伝えられないし、伝わらないことも多い。まあこれは油井さんも書かれていることではあるのですが、これが頭の知識ではなく、肚の底から、実感(体感)できるまでには、やはりかなりの時間がかかりましたね。

演奏できるといっても、しょせん相手は(というと失礼ですが)向こうの人ではなく日本人ばかりなので、演奏からだけではブラックネスの根っこにあるニュアンスのほうにまでは身体が届かない。頭の中を占めるのは、相手と自分のアプローチ(コード、スケールなど)のことばかりなので、やっぱり机上の学習成果の反復でしかないわけで(それこそ、西洋音楽流に生真面目に自分をしつけてきた成果)、「ふがふが」なテイストの違和感が快感に変わってゆく(澱の魅力に馴染む)過程は、「演奏」ではなく、むしろジャズ以外のブラックミュージックを聴くことで培われた感覚によるものだと思いました。