JAZZの「歌心」とは?

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ジャズの「歌心」とは?

その考察を動画にしてみました。

ま、楽器をやっている人視点の歌心なので、ヴォーカル好きな人や、歌詞の意味に重点を置く人とはちょっと違う考えかもしれません。

40分とわりと長々と語ってしまいました。

コメント

永井勉さんからのコメント。

歌心・・いいテーマですね!!
私の場合はCharさんの逆光線とかジョージ・ベンソンのマスカレード
の曲のようにアドリブを弾く時 同時に歌う練習はよくやってました・・・W
歌っているように弾いてみたい! プレーヤーにとっては永遠のテーマですよね・・・W

おっ、それはいいですねぇ。
ギタリストって、それをやらない人って(私の周りだけかもしれませんが)結構多いような気がするんですよね。タブ譜の練習から入って、「場所」で覚えちゃったりする人が多いから。
やっぱり、ギターの第一人者は、「歌っている」人が多いですね。あの「メカニカル」と言われているパット・マルティーノだって、歌ってますよね?
どうも、「歌心」が云々とうるさい「ジャズおっさん」たちは、「自分が歌える」ものを歌心があると賞賛し、理解不能だったり、マルティーノのように高速かつ複雑なフレーズを弾くプレイヤーのことを「歌ってない」なんてトンチンカンなことを言う人が多いんですよね。
それって違うんじゃね?
それが伝わってくれると嬉しいんですが……。

奥野眞琴さんからのコメント。

器用貧乏の奥野です。

「歌心」に対する長尺の熱い語り、雲さん流の濁音を使った表現例を交え
良かったです。勉強になりました。

寺島流のもの、それも雲さんの「歌心」の一部に過ぎない。

昔「辛口!JAZZノート」を読んだ後、
この人は米英のロック、ソウル系の黒人音楽を聴いたことがないのかな
と思っていました。

ザックリした云い方ですが、40年代から50年代初期の白人系の女性歌手が
歌うポップ=ジャズ・ボーカルでメロディアスものをジャズと位置付けしたのかなと・・・・
プラスそのテイストを器楽曲に置換したものを寺島さんなりのジャズとした。

個人的には、ジャズ以外のジャンルを聴いていて良かった感を覚える
内容でもありました。

閑話休題:雲さんは幼少期から音楽(教育)を受け(習い事)、音楽に親しんでいたんですね。納得、ジャズ評論家です。

私は寺島さんの好みの根底にあるものは、「ラテン」だと思います。言い方悪いけど、「ジャズの衣をかぶったムード歌謡おっさん」(笑)。
ラテンのマイナー、哀感なムードは日本人の琴線をくすぐる上に、ムードがある。そしてメロディアス。この好み、テイストを無意識にジャズの演奏に重ね合わせているんじゃないかと思います。プラス、おっしゃるようにポップスでしょうね。
ラテンとかポップスの文脈でジャズを趣味で聞くぶんには構わないし、そういう「ムード歌謡おっさん」が、実は日本のジャズ人口には多いと思うので、まあそれはそれでそういう文化の受容がなされてきたのねぇ〜と思うしかありませんが、自分の好みの料理の味を(例えばたこ焼き好きならソース味)、異なるジャンルの料理(例えば懐石料理)に求める姿勢はいかがなものかなとは思います。もちろん、ソース味の懐石料理もあるのかもしれませんが、あったとしても、懐石料理というくくりの中では極めて狭い特殊なエリアでしかありません。その狭いエリアに拘り、「料理はソース味!」「ソース味こそ歌心!」と主張する姿は、最初は新鮮で珍しかったので受けたのかもしれませんが(辛口ジャズノート)、お笑いのフェイク芸人よろしく、知名度は残りましたが、主張内容に関しては、一部の熱狂的「オーディオマニア」を除けば、次第に飽きられ、じっくり時間をかけて失速気味であるというのが現状なんじゃないかと思います。反対に、小学館のジャズ100年シリーズで、数年間も健筆をふるわれ、かなりの文字量の原稿を書き、今やジャズ評論家の定番というか、中心的存在になりつつある後藤さんとは対照的な流れを歩んでいるように思えます。

奥野眞琴さんからの返信。

長文のお返事ありがとうございます。

「ジャズの衣をかぶったムード歌謡」
成程。アート・ペッパーの「ベサメムーチョ」のような感じですかね(笑)
確かに、寺島さんのお薦めに「モンク」や「新主流派なアルバム」は、ありませんね。
またしても、納得にフレイズです。

ところで、同じ小学館発行の「ジャズの巨人」シリーズ、後藤雅洋さんの解説だけを雑誌「サライ」のHPで、時々読んで、温故知新的にジャズをお浚いしています。
楽器弾けないジャズ愛聴家にも理解し易い文章です。

ところで、後藤さんは何か楽器されていたんですかね?

楽器演奏はしていないようです。その代わり、武道の達人(?!)です。高校、大学は柔道、そのあとは、総合格闘技の道場に通われていました(今でも通っているのかな?)。
いっけん、ジャズにおいての格闘技(あるいは武道)と楽器演奏は違うと思うかもしれませんが、心身合一という面においては、結構共通して語れることもあると思います。まさにちょうど今、偶然にも身体感覚についての話を録音し終えたところなので、数日以内に編集してアップする予定です。

奥野眞琴さんからの返信。

ありがとうございます。
興味深い内容、楽しみにしてます。

成程、私も含め友達でジャズが好きな連中は、確かにバリバリの体育系ですね。帰宅組はいません。
(あくまで、私だけの周辺では)

tomita Theloniousさんからのコメント。

昔、SJで「後藤さんVS寺島さん」の対談がありましたね。その中で寺島さんの「ボクは自分のためにジャズを
聴いている。他人のためじゃない。だから好きなのを聴く。それの何が悪い?」って発言が印象に残っています。きっと寺島さんの
ジャズ人生も後藤さんのジャズ人生も、同様に幸せだったのだろうと思います。ただひとつ疑問に思うのは長い間ジャズを聴いている
と、分からなかったもの嫌いだったものが好きになる瞬間が、誰にでもあろうと思います。それがジャズ喫茶の店主でもあった寺島さんに
まったく無かったのかな?って。

ああ、それはよくあるみたいですよ。寺島さんのエッセイを読んでいると。特に、バド・パウエルのシーン・チェンジズに関しては、ぐるりぐるりと10周まわって良くなったり、10周半まわって、ダメだししたりと忙しいように感じました(笑)。具体的にはどの本にどう書いてあったかまでは忘れてしまいましたが。
私が寺島さんの番組にゲスト出演した時は、比較的好意的だったことを覚えています。おそらくは俎上に乗った日本人ピアニストを褒めるための意図もあったのだとは思いますが。あと、オーネット嫌いが、ポール・ブレイとゲイリー・ピーコックの《ラテン・ジェネティクス》をきっかけに、だんだん好きになってきているようです。
後藤さんの場合は、昔はアルトが好きだったけど(さすがパーカー派!)、年を取ってからはテナーのゆったりとした味わいも好きになったと、随分前ですがおっしゃっていました。

tomita Theloniousさんからの返信。

どうも。ボクは基本的には後藤さんの「先人は正しい名盤を残してくれた」の意見に賛成です。
でなければ「バドパウエルの芸術が」生涯の愛聴盤には成りえなかった。ですがある程度年齢を重ねてゆくと、おのずと
自分が好みのモノしか聴かなくなるのです(当たり前ですが)。昔、後藤さんが熱烈に推薦していたコニッツの「モー
ション」は2、3度聴いてずっと棚の奥にしまったまんまです。今度はいつ聴くのかなぁ?
寺島さんはビリー・ホリディやモンクが大嫌いだったと言ってたけど、今もそうなのかなぁ?

御駄賃取郎さんからのコメント。

いつもながら雲さんのお考えは実に明快ですね。
うたごころをかんじるかどうかは、その演奏をもう1度 聴きたい、もっと聞いてみたいと思うかどうかとシンプルに考えています。あとはなんとなく相性?みたいなものですかね?
卑近なたとえで申し訳ありませんが、私は何度かメグにはたちいれましたが、イーグルはいまだ1度もはいれません。(笑)後藤さんがいる店というだけで足がすくんでしまいます。単なるアホだと自分でも想います。^^;これぞ偏見そのもの・うたごころってそんな感じがします。

>後藤さんがいる店というだけで足がすくんでしまいます。
え、そんなですか?!
だとしたら、ねらい目は昼。
アルバイトの人が一人で切り盛りしている率が高いです。

御駄賃取郎さんからのお返事。

ありがとうございます。こんど目出し帽にサングラスしていってみます。(笑)あ?防御用にヘルメットもいるかな?(爆)v”

あははは、ヘルメット。
べつに防具は必要ないですって。

ただしゲバ棒は必要。
攻撃は最大の防御なり!(`•︵•´) キリッ!

……って、嘘です冗談ですw

なんなら今度私がエスコートしましょうか?

近所の焼き鳥屋なんかで飲んで、適度に酔ってはいれば大丈夫!

かまいちさんやJさんとも、そういったパターンでした♪

川端繁之さんからのコメント。

ジョニー・ハートマンとの共演以外のコルトレーンには歌心がないという人は、そもそも音楽聴く耳ないんじゃないかと思う。そんな人間がいること自体信じられん。好みは人それぞれとはいうけれど限度あるだろう。どんな多様性でも認めろというのは暴論だよ。

コメントいただきありがとうございました。
お返事は、下記動画にしています。
こちら
今後もよろしくお願いいたします。

長谷川孝二さんからのコメント。

まあ、寺島さんはそういう人ですからね(笑)。
自分の好き嫌いは自由ですが、公言して欲しくないのは同じ意見です。しかも原稿料を貰って自分の偏った偏見を書ける神経って、賢い人とはとても思えないですね。
【自分の理解出来ないものをギャラを貰って酷評出来る神経ってとても傲慢】だと思いますよね。
でも寺島さんはおそらくこういう意見は一切受けつないでしょうね。

ほんと、ごもっともだと思いますが、
>自分の理解出来ないものをギャラを貰って酷評出来る神経ってとても傲慢
その酷評の表現内容にムカついたり(ビリー・ホリデイ⇒ゲロ吐き女、のような)、何それ?と苦笑したり(メセニーやウェスのギターの音色に関しての記述)と、結局は寺島さんペースに振り回されている歴、かれこれ30年くらいな私……(涙)

野中太喜さんからのコメント。

歌心の無いジャズは!
演奏する時、心が温まる時?
バイエルを大学卒業式まで引かされた!
コルトレーノのBahia

コルトレーノ?!

中村耕太郎さんからのコメント。

こんにちは。宜しくお願いします。初めて寺島さんの事を知ったのは、スイング・ジャーナルの放談で、「60年代のジャズしか認めない」と言う意味の事を言っていたので、「狭い人だな〜」と思いましたが、その後の発言で、「魅力的なメロディーがなくちゃいけない」 さらにトロンボーンを始めたと知って、「ああ、いい所あるな」と思い、著書は買いませんが、暴論を読んでも、「ああ、親戚のおじさん、また言ってる」(実際には親戚でも何でもありませんがww)みたいに、微笑ましく思っています。「よく歌う」と言うのは重要で、ライブハウスで音大出とかピアノ講師が弾く、「ジャズ理論のオンパレード」みたいなピアノは、何の琴線にも触れませんね。

>「ああ、親戚のおじさん、また言ってる」
ああ、その気持ち、なんだか分かります!

R Kさんからのコメント。

〝歌心〟は人によって取り方が違うかもしれないですが、〝歌い方〟の違いは良く解ります。

私もヘタクソですが長い間楽器をやっていましたので、ミュージシャンによって様々な〝歌い方〟があるのは楽しいですよね。

たとえば、
各楽器の名プレイヤーの〝歌い方〟の〝呪縛に嵌まる〟事がありますよね。有名なプレイヤーの演奏ほど、後から出て来たミュージシャンは良くも悪くも〝影響〟を受ける可能性が高いですね、

トランペットのクリフォード・ブラウン、トロンボーンのJ.J・ジョンソン、アルトサックスでは、チャーリー・パーカー、テナーサックスではソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーンなど、管楽器ではこの方々の影響は特に大きいと思います。

チャーリー・パーカーの演奏に〝似ている〟と散々言われたソニー・スティットが、一時期アルトを封印してテナーばかり吹いていた事もあるそうですね。

みんな自分自身の〝歌い方〟を確立する為に努力しているのですね。個性の違いを楽しんで聴きたいと思います。

ありがとうございます!

>個性の違いを楽しんで聴きたいと思います。
まさにそれがジャズを鑑賞する大きな楽しみですからね。

naoto kadowakiさんからのコメント。

私も楽器(ドラム)をやっているので、頭の中で流れている音を肉体を通して演奏するのが「歌うこと」というのは判ります。
あと寺島さんの本は若い頃結構読みましたが、まあ結局はディレッタント(好事家)だったのだと思います。ニィアンスは解るが真髄までは行かない様な(笑)

Yamada Kevinさんからのコメント。

貴方の寺島さんへのバッシングも主観的ですね。気づかないですよね。貴方も同じ

光栄です。
>貴方も同じ

XO XOさんからのコメント。

高野さん、こんにちは👋😃私は歌心?何ですかと思います。私はボーカルよりも、楽器だけの演奏の方がストレスを感じませんね。だからジャズ、フュージョン系が好きですね。歌はイメージにあってないと嫌になりますね。何度も聞くと飽きて来ます。メロディ大切ですね。

>私はボーカルよりも、楽器だけの演奏の方がストレスを感じませんね。
私にもその傾向があります。

アレンジや歌詞の内容次第だったりもしますが、歌詞の内容次第だと、どうしても言葉の鑑賞のほうに意識の比重が向いてしまうこともあるので。

それはそれで一つの楽しみではあるのですが、あまりにメッセージの強い歌詞だったりすると(昔のフォークソングとか)、時おり音楽を聴いているのかメッセージを聞いているのか分からなくなってしまうこともあります。

野中太喜さんからのコメント。

古希爺さんです!
ハンコックとシヨターの1+1、、舟歌も
音楽は、いい意味で
絵画、料理、、、、
人間が保つ豊かさでは?
芸術?、、ジャズも黒人音楽、、、落語と
唄、歌心、、音楽の最終課題かも?
ジョパン、バッハ、ベートンベン、、
 陶芸もおもしろい🤣
済みませでした!

ベートンベン(^_^)/

飛田野正人さんからのコメント。

リズムについてはどうでしょう?
私つい先日、「バックビート親父」と
いう人にボコボコにされました(笑)

彼曰く、「日本人はバックビートが
全く出来てない!歌謡曲もシティポップも
全然駄目!」

私曰く
「言ってる事は正しいんでしょうが、
それは『仏作って魂入れず』をやる、
つまりは夏目漱石の頃からの
『上滑り文化』の強制と同じでは?」

そんで、
「お前バックビート出来ん癖に
偉そうに言うな!」だそうです。

私、彼の前で演奏した事ないの
ですが。。。

まあ、出来んです。出来なくていい
です。罵倒して炎上気味にして、
儲けたいんだかは知りませんが、
そんなもんウチの親父だって出来ない。
多分彼のお母様も出来ない。
そういう人の苦楽や人生に対して
アカンベーをするようなやり方は
言っている事は正しくとも、
まがいものだと思います。

言っている事は分かるんですよ。
例えばアメリカ以外のポップス、
シルビー・バルタンの
「あなたのとりこ」とか、
「ジン、ジン、ジンギスカーン」とか、
明らかにアメリカ的なビートじゃない。
特に後者は当時日本のディスコで
かかっていましたよ。みんな混ぜこぜの
音楽で踊ってましたよ。

だけど、彼の「これが正しい演奏」は
私にはつまらなかった。。。

また、
バックビートとそうでないのが、
考えないと分からない感じがして、
前述2例の時に感じた違和感の事を
言っているのかよく分からんのです。

まあ、こんな愚痴はともかく、
ビートについての考察は如何ですか?

長文失礼しました。申し訳ありません。

面白そうですね。検討してみますよ。

個人的な感想を申し上げると、その方の「リズム心」も分かるし正論なんでしょうが、その価値基準は一面的であり、「目黒のサンマ」チックでもあり、さらに「錦の御旗」にし過ぎな感もあります。

考え方そのもの以前の問題として、その姿勢が、なんだか日本の中学や高校に転校してきた帰国子女が「アメリカではこうなのに、なんで日本は……」と、いちいちマウントを取ってくる鬱陶しさに近いものを感じました(笑)。

江川克彦さんからのコメント。

jazzの歌心にも興味がありますが、私は最近はjazzと演歌の共通点なんかも興味がありますね。

丹治永さんからのコメント。

高野雲さんお元気でしょうか?すごく久しぶりにコメントいたします。歌心ですね!声の大きい者が会議を牛耳るように、寺島某が呪文のように言い続けた歌心という言葉が何十年たっても亡霊のように一人歩きしているようです。クラシックやロック・ポップスのように譜面という肉体を持っているものと違い、ジャズは肉体を持たない魂のようなものです。姿も見えない、絵にもかけない。いやいやレコードがあるじゃないか!・・・いいえあれはジャズの残像のようなものです。もっと言えば、その種類その枚数を自慢する虚栄心の象徴にしている人もいます。ドルフィーの言葉のように、空中に消えていってしまったものの残骸です。ジャズと魂をつなごうとする者には、ジャズの肉体は見えずとも目に見えない何かを感じる瞬間が訪れます。私たちはレコードで巨人たちの記録を聴くことができます。確かに感動も覚えますし、その何かを感じ取る瞬間があるやもしれません。でも彼らの生音の息遣いは想像することしかできません。生で聴くことができていたら、その時には彼らの演奏したジャズを、魂レベルで感じることができたかもしれません。抽象的な表現で申し訳ありませんが、抽象的という言葉ほどジャズを現す言葉にふさわしい物はないでしょう。すなわち歌心というものも、クラシックやポップスのように肉体を持ったものではなく、抽象的でありますが魂レベルの感覚であり、それは歌心などという陳腐な言葉で代表されるような感覚ではないということです。そして、演奏する側、聴く側のそれぞれが覚える感覚の表現も、歌心などという一つの言葉で表せるはずもないのです。寺島某はリアリティの世界(欲得の世界)に生きるあまり富と名声を望み(怒るかな?笑笑)、肉体を持たないジャズに歌心という衣装を着けて世の中に送り出したのです。我々は寺島某の着けた衣装に目を奪われて、赤い衣装もあるぞ!いや黄色い衣装もいい!青い衣装こそ本物だ!という愚にもつかない論争の場にジャズを置いてしまいました。ジャズの懐はとても広くて大きいです。傷ついた心で飲む酒には優しく寄り添い、疲れた頭でもたれかかるものには明日の活力を与えてくれます。衣装の見事さを讃えるものには日毎夜毎に違う衣装を披露し、内面に踏み込もうとする者にはさえぎることなくドアを開いてくれます。我々も、寺島某のいう歌心などという陳腐な言葉に惑わされず、自分の魂が受け取るいろんな感覚を楽しみ、ジャズに接していこうではありませんか。私もそういう演奏をする一人になりたいものです。寺島某に深い恨みがあるわけではありませんが、この男の歌心という言葉に長い年月を無駄に費やしたような気がするのです。今は昔の感がありますが。これからも、雲さんの天空を飛ぶような自由な魂に接していきたいと思います。

ありがとうございます。
沁みました…。