懐かしいゲスト
すいぶん昔ですが、私がパーソナリティをつとめていた番組「快楽ジャズ通信ン」のゲストにあるピアニストにゲスト出演してもらいました。
ピアニスト、水岡のぶゆき。
テーマは「ケニー・ドリュー特集」。
なつかしかったなぁ。
じつは私、彼とは30年ほど前にバンドを組んでいたのです。
私が渋谷の楽器店でベースを買った後、楽器屋さんの掲示板にメンバー募集の張り紙を出したのです。
まだ、ベースの弾き方すらも知らない状態だったにもかかわらず、メンバー募集するとは恐ろしい神経をしてますよね、今考えると(笑)。
すでに凄いピアニスト
メンバー募集を貼りだした直後に「あの~募集の張り紙見ました。」と電話をかけてきたのが水岡君だったのです。
早速会って、音合わせをしましょうということになり、渋谷のスタジオで深夜に練習することになりました。
恐ろしいことに、私がベースを買って1週間後の出来ごとです(笑)。
私はギター&ヴォーカルの友達を連れて渋谷に向かい、水岡君と落ち合いました。
どこかで飯でも食いながら話しましょうということになり、スタジオの時間になるまで居酒屋で打ち合わせ(笑)。
ビールを飲みまくって、すっかり出来あがった状態でスタジオにイン!私はそうとう酔っぱらっていたと思うんですが、水岡君のキーボードを聴いてビックリしましたね。
とても音が、タッチが、綺麗なんですよ。水岡君が持参したオリジナル曲も、とても美しいラブソングで2度ビックリ。
友達が作った曲も、水岡君は綺麗なピアノで彩ってくれて、そのセンスの良さに我々は脱帽! メンバーとして迎え入れることにしました。
次の週は、ドラマーも見つかり、なんとかバンドらしい体裁になりました。
バンドの形も決まり、レパートリーも決まり、月に2~3回の割合で、週末の渋谷の夜、深夜パックで練習を繰り返していました。
水岡君のピアノは日に日に冴えわたり、バンドとしての形もだんだんと整ってきたのですが、ある日突然、水岡君が辞めてしまい、バンドは空中分解してしまいました。きっと、私のヘタクソなベースに嫌気がさしたのだと思います。
このバンドで、コンテストのオーディションを受けたことがあるのですが、審査員からは、こう言われたのです。
「ベースの君! 弾き方が乱暴だよ。ピアノの彼が、せっかく綺麗に弾いているのに、ベースの音がすべてをぶち壊しているよ。もっと丁寧に弾いたほうがいいよ」
心はパンクロッカーだった私は褒め言葉と受け取りましたが、水岡君はそうとうショックだったみたい。このオーディションの直後でしたからね、水岡君が辞めたいと言い出したのは。
何度か引きとめたのですが、彼の決意が固いことを知ったので、我々はそれ以上引きとめませんでした。これがキッカケで、バンドは自然解散。
その後、水岡君には1度だけ大学で会い、ジャズのセッションをしましたが、それ以降は音信不通状態でした。
再会
しかし、先日、渋谷の「JZ Brat Sound of Tokyo」に行ったときに“ピアニスト:水岡のぶゆき”というライブ案内を見て、初めて水岡君がピアニストになっているということを知りました。風の噂では、電力系の会社に就職したらしいと聞いていたのですが、いつの間にか、サラリーマンを辞めてピアニストになっていた水岡君。
自分と同い年のかつての仲間がプロのジャズマンになっているだなんて、嬉しいじゃないですか。早速、彼に連絡をして、番組に出てもらうことになったのです。
そして、先日。それこそ20年ぶりに水岡君と再会をはたしたのです。
バンドをやっていたときの思い出話を水岡君にふったんだけど、どうも水岡君は、私とバンドをやっていたときの記憶が頭の中からそっくり消去されているようなのです。
「ほら、酔っぱらった翌朝、記憶が飛んでいることってあるじゃない? 自分はどうやって家に帰ったんだ? みたいなことってあるでしょ? あれと同じだよね。全然覚えてないんだよ」
うーん、そんなに私とバンドを組んでいたことは、消し去ってしまいたいほどイヤな思い出だったのか……?!
「いや、そういうわけじゃなくてさ、眠かったのよ、オレ(笑)」
そう、水岡君と練習するときは、いつも午前0時から朝の6時まででしたからね。ひどいときには、6時に練習が終わったら、1時間だけ休憩して、水岡君と私と、ほかの女性ヴォーカルのバンドに参加して練習もしていたこともあるぐらいだから、水岡君はよっぽど眠かったんでしょうね(笑)。だから、夢うつつの状態で鍵盤を弾いていたから、自分が何をやっていたのかが、綺麗さっぱり記憶から抜け落ちちゃったんだそうです。
ひどいな~(笑)。
でも、私のことを覚えてくれて、番組にも出てくれたからいいや。
互いにオッサン
特集テーマのケニー・ドリューは、水岡君からのリクエスト。
番組では、ドリューの音源だけではなく、水岡君のアルバムからの曲もかけましたし、アフターアワーズは、水岡君と20年ぶりのセッションもお届けしました。
20年経てば、私のベースも少しは乱暴じゃなくなりましたし、水岡君のプレイは、タッチの端正さと歌心には、当時とは比べ物にもならないぐらい磨きがかかっていました。当り前だけど。
ディレクター嬢に撮ってもらった写真を見ると、先生と生徒ぐらいのギャップがありますね。これでもボクら、同い年よ(笑)。
「もうボクらはさ、現役で精いっぱい頑張っても、せいぜい30年しかないわけよ。だから1日1日を大切に生きなきゃいけない。無駄な時間を過ごすのが勿体ないと最近つくづく思うよ」
そんなことを腕を組みながら話す水岡君は、まるで私の遠縁の親戚のおじさんにそっくりです。そのおじさん、中学校の校長先生だったんですが、そういえば、水岡君の喋り方は、すでに校長先生のような貫禄と風格ありました。
単にオッサンくさくなった、ともいえますが(笑)。
で、水岡君にとってみれば「黒歴史」かもしれませんが、ベースはじめたての私と組んでくれた時のバンドの音源を紹介した動画です。
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