デクスター・ゴードン来日公演終了後の銀座ヤマハホールでおきた出来事とは?!

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御駄賃取郎さんからのコメント。

あれはたしかもう50年近く昔のこと、銀座のヤマハホールという所でデクスターのコンサートをみたときのことだ。デクスターはあきらかに「酩酊」状態か?(ヤク注か?・・)ふらふらで、曲が終わるたびに両手でテナーを頭上高くもちあげては深々と頭をさげた。。そしていつもの引用フレーズテンコ盛り?で演奏自体にはまあまあ満足した。

そして終演後、会場の出口に向かう階段の列で前に並ぶおっさん二人連れのいかにも「ジャズのワケ知りヅラ」をしたあほが、大声できこえよがしに「さすがデックスだよなあ。あれがデックスの真髄だよなあ。」「う~む、全くだな。」とのアホ会話が聞こえた私は急に「屁」がしたくなり、「すいません!」といいながらそのあほのおっさん連れを追い越しざまに思いっきりクッセー、「音無屁」をひってやった。\(^o^)/ざまあみれ!・・・これこそ文字とうりの「ブーイング」だな、と自慢に思い、誇りに思った。

あの頃はこうした臭うような?かぐわしき??ジャズ勘違い・特権意識オヤジがまだまだ多かった。。
こうした光景はほかにも中古レコード屋のエサ箱漁りに何故か並んで大声で「あれはよ~」とか「これはなんたらこーたら」とか聞こえよがしのアホオヤジが多かったなあ。。m(_ _)m

・・・あれからもう数十年・・・今の自分がその「臭うが如きあほジジイ」になりはてているような気がする。。
だから他人に「パーカーをきけ!」とか「マイルスを聞け」などと自分の好みをいうことには自信がない。。m(_ _)m

こちら

このコメントを紹介した動画をアップしました。

しかし、よくもまあタイミングよく「放屁」できたなぁ。
御駄賃取郎さんって、イタチ科の人?

コメント

御駄賃取郎さんからのコメント。

コメントおとりあげくださってありがとうございます。(ぽっ(*´ω`*))m(_ _)mv

マスターの「臨場感あふれる!」投稿読みを拝聴しておりますと、今更ながら(このアホジジイめっ!)と、我が身を恥じるばかりです。(笑)m(_ )mm( _)m。。。

あの頃(1970年代)はハード・バップ・リバイバル・ブーム?とオーディオ・ブームとがかさなり、なおかつTVのCMに油井センセが登場してクリちゃんマックスのレコード!の宣伝!が流れていたり!今では考えられないようなジャズ・ブーム?があったように思います。したがってコンサートにも私のような(にわかフアン)?も多く、互いにミエの張り合い?も多かったのでした。。

また、そんな状況下、私がかよった中古の店(銀座ハンター)などでは特に「訳知り顔」のアホおやぢが多く
私が今買おうとしている隣で「あれはよぉ;よくなかったよなあ。」とか聞こえよがしにコキやがるので頭にくることが多かったのでした。そこへいきますと本物の?マニアが集まる?D・ユニオンでは皆さんがおっしゃるように、とても静かで他人のことなどかまってられない?ような「殺気」がありましたよね。(笑)

また、CDの初期には、その値段が高かったこともあり、某バーゲンでの殺気?たるや「オイルショック下のトイレット・ペーパーの奪い合いもかくや?」と思わせるほどのすごさでした。今ではまったく想像もできないほどの熱気がありましたねえ。。私と世代が近いお方なら納得いただけるのではないでせうか?

かえりみれば、田舎でジャズにあこがれ、上京して「東京モン」にコンプレックスを抱きつつ、ひたすらアパートで独りジャズにしがみついてた自分・・・がなつかしいです。。寺島靖国さんに共感するのもこのあたりなのかもしれません。「ジャズフアン=田舎者」説をジャズランドで読み、深く共感して、そのまま現在に至っております。。m(_ _)m

追伸、全然関係ありませんが先日連れ合いが「そういえばついこないだねえ、テレビで俳優のアベサダオさんが自分で、私の芸名の由来は「ちょん切り」で有名な~~です、といってたわよ」とのことでした。(笑)

ラズウェル細木さんの『ときめジャズタイム』でも、レコード屋のバーゲンがはじまるやいなや店内にドドドドド~っとなだれ混むジャズマニアの様子が描かれていましたが、マンガ的な誇張表現なのだとばかり思っていました。
>某バーゲンでの殺気?たるや「オイルショック下のトイレット・ペーパーの奪い合いもかくや?」と思わせるほどのすごさでした。

動画では、オナラかけられた人、可哀そうというようなことを話しましたが、実際、昔の私でも、エラそうなウンチクたれながしゃーがいたら、カチンときていたかもしれません。
タイミングよくオナラを放てる自信はないので、おそらくイラっときてそのままで終わるんでしょうけど。今は、そういう人が仮にいたとしても、達観して生暖かく見守ることがたぶん出来るようになっているとは思いますけど。

ディスク・ウニヨン(ときめきジャズタイム風・笑)は、目利きっぽいプロな佇まいな高齢者の方も少なくないので、油断なりません(笑)。
昔は、フュージョンコーナーなどを物色していると、「こいつ分かってねーな」というような視線が送られるんじゃないかと少々ビクビクしていたものです。自意識過剰ですね。
しかし、現在は堂々と、大西順子や山中千尋をわしづかみにしてカウンターに持っていけるようになりました(笑)。

カトウシュンさんからのコメント。

御駄賃さんの「音無屁」は相当クサかっでしょうね~。文章だけでも臭いが伝わってきます(;^_^A

私にも伝わってきました(汗)。

高松貞治さんからのコメント。

横浜の「ディービーズ」と言うところがあり、おそらく日本一高い廃盤店として、君臨しています。その店には平気で何十万もするジャズのレコードが所狭しと並んでいます。いってみればわかると思いますが、少しでもレコードの扱いが悪かったら、店員から怒られます!ある人など25万位のジャズのレコードを平気で買っていきます。恐ろしいところです!

ふむふむ、こういう恐ろしいところで、日夜、高松さんは高額レコードを買っているわけですな(笑)。羨ましい……。
高額商品をゾンザイに扱う客がいたら、そりゃまあ怒りますわな。

高松貞治さんからの返信。

今主流はサブスクですが、本当のジャズファンは、レコードのオリジナル版が欲しくてたまらないです。ソニー・ロリンズの「サキ・コロ」なんか、平気で50万位しますから!ここは日本中から猛者どもが集まってきます!恐ろしいところです😭

ブルー猛者。
ぜんぜん関係なかったですね(汗)、失礼しました。

高松貞治さんからの返信。

最近になって、レトロなレコードがまた復活し、 また、レコードのオリジナル版が人気があり、金を持った富裕層、マニアたちがレコードを買い漁るようになったと思います。

TAKESI0506さん⇒高松貞治さん

そうですね、オリジナル盤人気がまた復活しているというのは、なにが原因なのでしょうか。オリジナル盤のほうが音が格段に良いというのは聞いたことがありますが、まあブームなどというものの原因は、よくわからないものなのでしょう。

御駄賃取郎さん⇒高松貞治さん

私の友人にもアナログオリジナル盤のマニアがおりますが、サキコロ・オリジナル盤は、30年位昔に10万円くらいだったといってました。今では50万ですか?!・・・すごい値上がりですね。

たしかにその友人の家できかせてもらったオリジナル盤のサキコロをモノラル専用カートリッジで再生した音は明らかに「なにかが違う」音だと思いました。・・こうした趣味に対するこだわりはとてもうらやましく、大切に思います。

まあ若い人には少し無理がある値段ですが、私はこれもある種の「自分の女房自慢」?のような気もします。つまり「自分が満足すればそれを他人がどう評価しようが関係ない世界」なのかなあ?と思ったりもします。

どこまでも自分のこだわりにはこだわり続ける・・・これこそジャズ文化の育ててきた偉大さだとつくづく思うこの頃であります。m(_ _)m

カトウシュンさんからのコメント。

私も20代の頃に行ったU2のライブでもワケ知り顔で、でかい声の人はいましたね。
その人は見た目お金持ってそうな格好をしており、綺麗な女性連れでしたね。
私はその人達に「音無屁」をかます勇気はありませんでしたが、「ケッ!チャラつきやがって」という気持ちで見ていました。
今思うとただの嫉妬なんですけどね(;^_^A

で、その「スネ夫」は、きっと、コンサートの帰りはフェラーリかランボルギーニに乗ってホテルにでも行ったのでしょう。
そして、バレーサービスのスタッフ(駐車と出庫の代行をする人)に、車のキーを投げ渡して、「よろしくな、車に傷つけるなよな!」なんて言ってたんだろうなぁ(妄想)。

ちなみに、電気グルーヴの石野卓球は、全盛期の小室哲哉にフェラーリ(かランボルギーニ)を自慢された時に、ズボンとパンツを下してチ●コを車のボディにくっつけて、「ここから腐る」と言い放ったそうです(笑)。
御駄賃取郎さんなら、やりかねませんな(笑)。

Ken Konishiさんからのコメント。

えさ箱漁りでうるさい人はいなかったですね。まさに黙々と、えさを漁っていましたね。でも自分もジャズ・バカ阿保オヤジになっているのかも。。皆等しく年を取りますから。久々にユニオン行ってみるかな。

ユニオンはだいたい水を打ったように静かです。
店内にかかっているジャズが、かえってその静けさを際立たせているようです。
皆、黙々と、黙々と、獲物を狙っています。
私は、そのような皆さんにぶつからないよう、目の前のCDよりも、前後左右に注意を払いながら立ち位置を常に確認しながらCD漁りをするのでした。

TAKESI0506さんからのコメント。

寺島さんの著書に「寺島流JAZZの聴き方」というのがあって、その中に、寺島さんの若き日の苦闘とゴードンの苦悩をオーバーラップさせて描いた章があります。
 なかなか感動的な文になってます。

 デクスター・ゴードンの『ジ・アザー・サイド・オブ・ラウンド・ミッドナイト』をよく聴く。
 それにしてもジャケットのデクスターは、なんとすがすがしい顔をしているのだろう。ほとんど死神に魅せられた表情だが、おのれの人生をふり返り、結局しあわせだったと確信すると人間はこういう穏やかな顔つきになるのだろうか。しかし、デクスターの人生は決して順風満帆ではなかった。むしろイバラの道といったほうが当たっているだろう。
 ぼくは、自分のめぐまれなかった20代の後半を想い出した。ぼくの父親は小さな割烹料理屋を経営していて、ぼくは下働きのようなことをしていた。父親は出身がクリスチャンで元々飲食店を営むようなタイプの人間ではない。すべてに几帳面な人でルーズなぼくはなにかにつけて父と対立した。
 デクスターが真に活躍すべきだった1950年代、彼は麻薬に蝕まれていた。荒んだ生活を送っていた。家族は離散し、浮浪者の仲間入りまでしたという。時々、思い出したように演奏した。
 ドゥートゥーン盤『デクスター・ブロウズ・ザ・ホット・アンド・クール』とベツレヘム盤の『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』が50年代にデクスターが残したたった二枚のLPである。
 しかしデクスターは60年代に再起した。そしてちょうど10年遅れて1970年のぼくは念願のジャズ喫茶を開店することができた。ぼくの妹が親父の店でテンプラをあげている時だった。友人から電話がかかり、しばらくして戻ると調理場は火の海だった。店を失って急に弱気になった親父はどうしたものかと相談をもちかけてきた。ぼくはテナントビルを建てることを提案し、ぼくの意見を受け入れた父は保険金をつぎ込んで安手のビルを作ると「アイディア料」としてぼくに二階の奥の一店舗を提供した。そこに「メグ」を作った。ぼくの最も華やかな時期である。
 1962年、初のヨーロッパ・ツアーに出たデクスターはフランスで『アワーマン・イン・パリ』を録音、一躍スターダムにのし上がり、余勢をかって『ゴー』『ドウ・イン・オール・ライト』などの傑作をブルーノートに吹込む。デクスターの最も得意な時期。1975年、彼は来日した。店を作ったものの鳴かずとばずの売上げに悩んでいたぼくは彼のコンサートに出かけてみた。ブルーノートの力演を期待したぼくはあっ気にとられた。メロメロのプレイだった。デクスターはピアノの上にウイスキーを置きラッパ飲みをしながらステージの上を歩きまわった。ケニー・ドリューのソロに合わせてテナー・サックスを振りまわしたりもした。デクスターの苦しみをぼくはわかった。ジャズの暗黒時代だった。ニュー・ジャズやフュージョンが全盛で、批評家たちは争うようにしてフュージョンをジャズの後継者として宣伝していた。フュージョン・ミュージックの新取性を強調するために従来のジャズが古いものとしてなかば否定されたりした。デクスターの音楽は過去の音楽として受けとられ、人気は低下するいっぽうだった。
 フュージョン時代のわがジャズ喫茶もデクスターの演奏のように生彩がなかった。ぼくは愚かにもデクスターらハードバップ・ミュージシャンのレコードをかける時代は終ったと思い、それらのレコードを片づけ、フュージョンのレコードを百枚ほど買ってくるとお客の顔をうかがいながらかけてみた。お客より先に長年ハードバップのレコードを鳴らし続けたスピーカーが拒否反応を示した。1950年~60年代のレコード用に作られたJBLのオリンパスは新しい吹込方式をとり入れたフュージョンを嫌い、実に気嫌の悪い音を出した。
 1983年、デクスターは健康を害し、第一線を退いた。そのままデクスターは消えてゆくかに思われた。しかし人生どこに幸運がころがっているかわからない。デクスターに映画出演の依頼が舞い込んだのだ。それが「ラウンド・ミッドナイト」だった。デクスターは奮起し、まるで長年ハリウッドで鳴らしたスターのようにしゃべり、歩き、そしてテナーを吹いた。ロング・トール・デクスターはスクリーンで見事に映えた。「ラウンド・ミッドナイト」はアカデミー最優秀映画音楽賞に輝やき、デクスター自身も最優秀主演男優賞にノミネートされた。
 デクスターの幸運から2年遅れ、ジャズ本執筆の依頼が某出版社からぼくのところに来た。こういう言い方はおこがましく、汗の出る思いだが、ほとんど一気呵成に書き上げた。
 へたっていたぼくの気持が若やいでゆくのを感じた。それとともに、また一段とジャズが好きになり、本が世に出たことでそれまで赤字続きで潮垂れていたジャズ喫茶が少しづつ持ち直していった。デクスターも恐らく「ラウンド・ミッドナイト」出演で捲土重来を計ったにちがいない。しかし、そのとたん神に召されてしまった。ぼくはいまレコードの「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を聴いている。そして「時の過ぎゆくまま」という言葉をかみしめている。

はいはいはい、読みました、読みました。
「愉しみ方に誰の遠慮がいるもんか」ですよね?(笑)
よく覚えています。

特に、
ジャケットの「ほとんど死神に魅せられた表情だが」のところと、
「お客より先に長年ハードバップのレコードを鳴らし続けたスピーカーが拒否反応を示した」のところが印象的で、読み返してみて懐かしい気分になっています。

この本は『辛口ジャズノート』のおよそ10年後に出版された本だと思いますが、これを当時読んだ私は、単なるワガママ「おこっちゃま君」から、少しずつ「ジャズ文(「評論」じゃなくて「文」ね)」を読ませる「芸」が確立されてきているなぁ、なんて感慨に耽ったものです。その時の私は、まだ20代でしたが、生意気でしたね(苦笑)。

TM MTさん⇒TAKESI0506さん

お父さんクリスチャンだったんですね・・
息子に「靖国」て名前付けるぐらいだから、小池百合子のお父さんみたいなのと思いました