オリジナリティ〜フレーズやハーモニーや音色以外の「何か」

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動画「赤坂や六本木のおしゃれなクラブ等で演奏されている、美人女性の弾くピアノははたして「JAZZ」なのか?」(こちら)にいただいた視聴者のコメントを紹介した動画をアップしました。

※訂正:『諦める力』の著者が、末續ではなく、為末大でした。

コメント

御駄賃取郎さんからのコメント。

この動画タイトルの「~ハーモニーや音色以外の「何か」・・でありますが・・・。実は・・・「パーカーわからんジャズファン代表?」のごたる?わしの、概念がひっくりかえされるような??一発!をくらったようなドラマに驚いています。それはNHKの夜の「家族だから愛したんじゃない~」?たらゆー、ドラマを、みるともなしにみていた時でした。特にジャズとか音楽のことは全くでてこないのですが、このドラマ・・・これまで自分がみてきた「大阪モノ」のドラマからは感じなかった(大阪・・いいじゃないか。)というなつかしさのような感覚でした。

私のパーカー苦手意識?はつまるところ「コテコテの大阪弁が苦手?(嫌い)」とでも言うべき偏見であり、
昔はじめて本場で吉本喜劇を生観戦?したおり、「お約束」がわからず、独り、置いてけぼり?にされたようなイメージとパーカーのイメージがダブルからでした。爾来およそ半世紀・・必死に追いつこう!とばかりレコード・CDも集めて「特訓視聴?」をくりかえすも、ついぞ「好き」になることはありませんでした。

ががが!しかし!!このドラマでの主演の若い女優(すごい!)や美保純のばあちゃん役、などなどをみていて、不覚にも「涙」してしまいました。。「大阪便の人情・あたたかさ」のさりげなさにふれる思いがしました。。
この歳になってはじめて感じた思いでした。そして、大坂人には極めてふつーの「ボケとツッコミ」の「お約束」はどうして生まれたのか?

・・私にとってパーカーは「完全独り芝居=ひとり・ボケ~ツッコミ」の名人というイメージでした。

しかしこうした「トラウマ偏見?」がこのドラマで「・・いいかも?」と思うようになったことで、改めて「パーカー再視聴」にトライしてみようと思っています。

これも自分にとっては大きな「何か」なんでしょうね?

追記・そういえば「寄席」などにゼニを払ってくる客は当然ながら「お笑い」をもとめてくる。ゆえにストリップ小屋での幕間の客を笑わすことは容易ではないという。ならばライブハウスにジャズを求めて来る人はどうなんだろ?という疑問は、自分は長年疑問におもってきました。つまり自分は、それほどジャズがすきではないのだな?

お駄賃さんのコメントに登場する「完全独り芝居」、「ストリップ小屋」、「寄席」というキーワードでハタと思いついたんですが(テキトーですが)、
「ライブハウスにジャズを求めて来る人はどうなんだろ?という疑問」。

そう、自分は何を求めてたんだ?
と、考えてみると、私の場合は、大会場でのコンサートとかは別ですが、狭いライブハウス、たとえば客が限りなくゼロに近い昔の「ピットイン」の昼の部などに足を踏み入れる感覚は、観劇しに行く感覚に近いのかな?と思いました。

もちろん「劇団四季」のような大ホールのような立派な場所で行われるような演劇ではなく、学生や無名な役者たちの劇団が、狭い劇場でやるような劇を見に行く感覚。
なんだか「いけないもの、ドキドキするものを覗きに行く感覚」、それに近いんじゃないかと思いました。

少なくとも、「芸術を鑑賞しに行く」とか「文化を味わいに行く」というような高尚なモチベーションではない。むしろ心のどこかで「破綻」とか「ハプニング」を望んでいるところがあったりする(性格悪いですねw)。

もちろん、そんなことは滅多にないのですが、「もしこちらの予想を上回る」あるいは「こちらの期待を裏切る」ハプニングが起きたらどうしよう、面白いかな? 頭くるかな? 失望するかな? ゲラゲラ大爆笑かな? なんて予期せぬ「出来事」とその空気を共有したいというような願望があるのかもしれません。

素人演劇って、なんか青臭いというか、どこか恥ずかしいというか(失礼!)、こう言っちゃ申し訳ないんですが、青臭さゆえの「イタさ」みたいなものもあったりするじゃないですか。

何というか、もやもやした感覚。成熟しきっていない未完成さ。
もちろん稽古はたくさんしている上での公演でしょうけど、もしかしたらプロじゃないゆえの彼らとて予想だにしないハプニングが起きるかもしれない。そして、その「現場」に立ち会いたい。なんかそういうゲスな野次馬根性が自分の中にはあるみたい。性格悪いですね。

で、ジャズの場合も、もちろん演奏者やグループによっても、ぜんぜん違うんですが、至近距離で繰り広げられる創造行為って、それがベテランのプロであったとしても、何かが起きそうな期待感や、真剣な演奏であればあるほど、その真剣な息遣いがこちらに緊張感としてビリビリと伝わってくることもある。
そういう空気を味わいたいというのもありますね。
観客としての「覗き見」感覚を味わい、願わくば演奏者との「共犯関係」をも築きたいというか。

もちろんメインのお目当ては演奏なんですが、上手い演奏なだけだったら家でCD聴いたりYouTubeかければ十分楽しますよね。しかし、それだけではなく、それに付随するヒリヒリとかハラハラといった空気も同時に味わいたいという欲求もあるんですよね。

しかも、寄席やお笑いの場合は、必ず最後は笑いに落ちるという約束された安定感がありますが、前衛っぽい演劇だったり、客の人数がヘタしたらステージの上の演奏者よりも少ないようなジャズのライブって、必ずしも「最終的には満足できる」という保証は全くない。

「あーあ、なんかさっきのは消化不良だったなぁ」なんてボヤきながら、帰り道にビールを飲みながら餃子を突くのもそれはそれで悪くない。そういうガッカリすることもあるかもしれないという予測も含めて、「約束もされていない、保証もされていない出来事と空気」を味わえる、味わいに行くという点においては、演劇を見に行くのも、ジャズを「見に」行くのも、自分の中では同じような行為、一言でいうと「スリルを味わいに行く」という点においてはなんだなぁと思いました。

スリルといえば、パーカーの演奏はスリル満点ですよw

2024年9月19日 18:05