【GPTいじり】在日ハンク・モブレー、パット・メセニー、スピリチュアル・ガーデン~チャットGPTが描き出す「もうひとつのジャズ世界」

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パラレルワールドのハンク・モブレー

以前、私のチャンネルの動画にご投稿をいただいたサンジョルディさんの投稿です。

61年1月。悪癖を断ち切ったハンク・モブレーは、ジャズ・メッセンジャーズの一員として、羽田空港に降り立った。折りしも日本では、「モーニン」ブーム。しかもジャズ喫茶のアイドル、ハンク・モブレーの参加とあって、大勢が空港に押しかけた。はっぴを着た5人がタラップを降りる姿をテレビが生中継。
来日公演は、満員御礼。しかも、日本公演のドキュメンタリー映画が大ヒット。
メッセンジャーズのファッションも流行し、銀座では、ジャケットに細いズボンで楽器ケースを持った<モブ族>や<モガ族>であふれた。ジャズとファッションの雑誌「M&M」創刊。
ジャズ・グループサウンズが、雨後の筍ように結成され、至る所で失神騒ぎが起きる。
河川敷は、トランペットやサックスを練習する若者でいっぱいになった。
「モブレー、モーガン、メッセンジャーズ」のいわゆる3Mが若者を指す言葉となり、「サックス、スポーツカー、セーリング」の3Sがステータス・シンボルとなる。
ジャズは、その後、ワウペダルによる歪みのブームが来たが、90年代から、歪みなしへと原点回帰する。ジャズ喫茶は、現在、コンビニよりも多いとされる。
モブレーは、その後何度も来日し、85年には、熱海に移住。温泉につかりながら、近所の子にテナーサックスを教えて、穏やかな余生を過ごした。

こちらの動画のコメントです⇒『jazz』1975年9月号を(ざっくり)紹介!~セシル・テイラー、アイラー、セロニアス・モンク・イン・アクションほか

さて、以上の「パラレルワールド情報」をチャットGPTのAIに覚えていただいた上で、質問をしてみましょう。

ハンク・モブレー、日本の評価

‟ジャズ・メッセンジャーズ在籍中のハンク・モブレーの評価は、特に日本ではどのようなものだったでしょうか?”

以下が、チャットGPTからの回答です。

ジャズ・メッセンジャーズに在籍していたハンク・モブレーは、日本での評価が高く、1961年の来日公演は大成功を収めました。当時日本では、「モーニン」などのハンク・モブレーの代表曲がブームになっており、彼の参加があったことで多くの人々が彼らのコンサートに駆けつけました。日本公演のドキュメンタリー映画も大ヒットし、モブレー自身も日本の音楽ファンやジャズ愛好家からの支持を受けていました。また、彼らのファッションも流行し、ジャズとファッションの雑誌「M&M」が創刊され、ジャズ文化がさらに普及しました。このように、ハンク・モブレーは、日本で非常に高い評価を受け、ジャズ音楽の普及に大きく貢献したと言えます。

さらに質問を重ねます。

‟モブレーは日本ではかなり評価されているようですが、本国アメリカでの評価は日本ほど芳しくなかったようです。その理由は、同業のテナーサックス奏者であるジョン・コルトレーンと比較すると、どうしてもインパクトに欠けるということが大きな理由のようですが、それ以外にも理由があるのですか? 派手好みなアメリカ人、対して判官びいきの日本人という国民性によるものが大きいと私は考えていますが、いかがでしょうか?”

すると、このような回答が。

モブレーが日本で高い評価を受けたのに対して、アメリカでの評価が低かった理由には、ジョン・コルトレーンとの比較による影響も大きいとされています。コルトレーンは、1950年代から1960年代にかけて、革新的なアプローチでジャズ界に多大な影響を与えた偉大なテナーサックス奏者の一人であり、多くのジャズファンや批評家から高い評価を受けていました。

一方で、モブレーは比較的古典的な演奏スタイルを持っており、コルトレーンのような革新的な演奏スタイルに比べて、インパクトに欠けるという見方が一部のアメリカのジャズファンや批評家からされていたようです。

また、アメリカの音楽シーンにおいては、ロックやポップスなどの新しい音楽ジャンルが次々と登場し、ジャズの人気が下降していった時期がありました。この時期においては、モブレーを含む多くのジャズミュージシャンが注目を集めることが難しかったとされています。

ただし、派手好みのアメリカ人と判官びいきの日本人という単純な国民性によるものではなく、複雑な要因が重なっていると考えられます。

おっ、ひととおり蘊蓄が語られた後に、最後に私の説を否定してきましたね。
少しずつチャットGPTが暖まってきたところで、さて、「偽情報」を折り混ぜて(笑)質問をしていきましょう。

スピリチュアル・ガーデン

‟そうですね。たしかにアメリカではロックややポップスなどの新しい音楽ジャンルが次々と登場し、ジャズの人気が下降していったという事実があります。そのような中で、ドラマー・高松貞治とギタリスト・永井勉が1981年に録音したエレクトリック・ジャズの要素も取り入れられた『Spiritual Garden』がアメリカで絶賛された理由もうなずけます。では、日本人のアルバムではなく、アメリカ人のミュージシャンたちによって演奏されたアルバムで、『Spiritual Garden』のように評価されたアルバムはありますか?”

チャットGPTからの回答は以下の通り♪

はい、あります。例えば、パット・メセニーが率いる「パット・メセニー・グループ」のアルバム『Still Life (Talking)』は、1987年に発表され、アメリカのビルボード誌でジャズ部門1位を記録するなど、高い評価を得ました。このアルバムは、エレクトリック・ジャズの要素を取り入れた音楽性で、フュージョン・ジャズとしても評価されています。また、同じくパット・メセニーが参加したグループ、リターン・トゥ・フォーエヴァーのアルバム『Romantic Warrior』(1976年)も、ジャズ・ロックの代表的な名盤として知られています。

おお、PGM(パット・メセニー・グループ)にRTF(リターン・トゥ・フォーエヴァー)!
これらに比肩しうる評価を『スピリチュアル・ガーデン』は得ているわけですね。

さらに、エスカレートしていきましょう。

‟おっしゃるとおり、パットメセニー・グループは、『スピリチュアル・ガーデン』と並ぶ素晴らしいアルバムだと思います。両作品の違いをあげるとしたら、どのような点がありますか?”

『スピリチュアル・ガーデン』とパット・メセニー・グループのアルバムとを比較すると、以下のような点が挙げられます。

まず、演奏スタイルに違いがあります。『スピリチュアル・ガーデン』は、フュージョンの要素を取り入れたエレクトリック・ジャズであり、特に高松貞治のドラム演奏に注目が集まりました。一方、パット・メセニー・グループのアルバムは、よりメロディアスなジャズ・ロックで、ギターのパット・メセニーが中心となったサウンドが特徴です。

また、アルバムのコンセプトやアプローチにも違いがあります。『スピリチュアル・ガーデン』は、日本の伝統文化や自然、そして人間の心をテーマにしています。一方、パット・メセニー・グループのアルバムは、アメリカン・ロックやポップスの影響を受けたサウンドであり、より現代的な感覚が表現されています。

さらに、アルバムのレコーディング時期にも違いがあります。『スピリチュアル・ガーデン』は1981年に、パット・メセニー・グループのアルバムは1986年にリリースされました。そのため、音楽シーンやリスナーの嗜好が変化している点も影響しています。

以上のように、両作品はジャンルやアプローチに違いがありますが、どちらも素晴らしいアルバムとして高く評価されています。

なるほどねぇ、髙松さんのドラムに注目が集まっていたんだ。
ドラムについてもう少し突っ込んでみましょう。

‟なるほど、たしかに『スピリチュアル・ガーデン』の高松貞治のドラムは凄いですね。ただ、個人的には同じ日本人である博 橋本のドラミングも好きなんですが、タイプは違いますかね? もし博 橋本が『スピリチュアル・ガーデン』のドラマーだったら、このアルバムの評価は変わっていたと思いますか?”

チャットGPTからの回答は以下の通りです。

博橋本は、高松貞治とは異なるタイプのドラマーですが、その個性的で緻密なプレイは、きっと『スピリチュアル・ガーデン』にもマッチしていたと思います。ただ、高松貞治のプレイがこのアルバムに与えた影響は大きく、その特徴的なリズム感やグルーヴがアルバム全体の雰囲気を作り上げています。したがって、博橋本がドラマーだった場合、アルバム全体の評価が変わったかどうかはわかりませんが、異なる魅力を持つアルバムになっていた可能性はあります。

ふむふむ、どうやら高松貞治さんのドラミングの大きな特徴はリズム感とグルーヴにあるようですね。

様々なジャズ&フュージョンギタリスト

では、永井勉のギターについても聞いてみましょう。

‟ドラマーに関してはよくわかりました。では『スピリチュアル・ガーデン』もう一人の功労者としてギタリスト・永井勉の存在も見逃すわけはいきません。彼のワイルドなギターもアルバムのサウンドメイキングに一役も二役も買っていることは確実です。そこで、よく比較の俎上に載せられるのが、パット・メセニー、高中正義、ジョン・マクラフリン、渡辺香津美らギタリストだと思いますが、正直、違いがよく分かりません。そこで、上記ギタリスト一人ひとりの使用機材や奏法上の違いを詳細に教えてください。”

それぞれのギタリストが使用する機材や奏法には、以下のような特徴があります。

パット・メセニー:ジャズフュージョンの代表的なギタリストで、エレクトリックギターのサウンドにアコースティックギターのテクニックを取り入れた独自のスタイルが特徴的です。使用するギターには、Ibanez PM200、Gibson ES-335、PRS Hollowbodyなどがあります。また、エフェクターにもこだわり、ディレイやコーラス、オクターブなどを多用しています。

高中正義:日本のロック、フュージョンシーンで活躍するギタリストで、エレクトリックギターの音色に、ウェーミー・バー(トレモロアーム)を多用したユニークなフレーズが特徴です。使用するギターには、フェンダー・ストラトキャスターやヤマハのSGシリーズがあります。また、エフェクターも多様で、ディストーションやフランジャー、ピッチシフターなどを駆使しています。

ジョン・マクラフリン:マハヴィシュヌ・オーケストラの創設メンバーで、フュージョンギターの代表格の一人です。エレクトリックギターの音色に、タッピング奏法やピックによる速弾きなどを多用したテクニカルなプレイが特徴です。使用するギターには、ギブソンのLes PaulやSG、Ovationのアコースティックギターがあります。また、エフェクターにもこだわり、ディストーションやエコー、フランジャーなどを使用しています。

渡辺香津美:日本のフュージョンシーンの代表的なギタリストで、エレクトリックギターの音色に、ベンディングやピッキングなどを多用したアグレッシブなプレイが特徴です。使用するギターには、フェンダーのストラトキャスターなどがあります。また、エフェクターにもこだわり、ディストーションやコーラス、ディレイなどを多用しています。

永井勉:ロックやブルースの要素を取り入れたジャズ・フュージョンのギタリストとして知られています。彼のギター奏法は非常にエネルギッシュで、ワイルドな演奏スタイルが特徴的です。また、ワウペダルやエフェクターを駆使して、独特の音色を作り出しています。永井は、特にフレーズの瞬発力やアドリブ能力に優れており、ソロ演奏時には、スピード感あふれるフレーズを繰り出すことが多いです。また、リズムセンスにも優れており、リズム隊との息の合った演奏を行うことができます。ギターに関しては、GibsonのLes Paulを愛用しており、彼独特の音色を生み出すために、フロントピックアップを取り外してブリッジピックアップのみを使用するなどの工夫をしています。また、エフェクターには、ディストーションやコーラスなどのエフェクトを多用し、独自の音色を作り出しています。

妙に永井さんの説明が永井(長い)w
それだけ、チャットGPTは、永井さんのギターが好きなのかな?(笑)。

ヒノテルとも共演

さて、質問はハンク・モブレーに戻しましょう。

‟永井勉とハンク・モブレーは一度だけコンサートで共演したと聞きます。たしか、ロサンジェルスの野外コンサート会場だったそうで、その模様が録音されたアルバムも発表されているそうですが、そのアルバムの名前やレーベルを忘れてしまいました。教えてください。”

GPTからの回答。

おそらく、おっしゃるのは「Hank Mobley Quintet with Terumasa Hino and Toshiyuki Miyama & His New Herd Plus BONUS TRACKS」というアルバムではないでしょうか?このアルバムは1970年に録音され、Hank Mobleyが率いるクインテットが演奏し、日本人トランペット奏者の日野皓正とバンドリーダーの三山智之のバンドがオープニングを務めました。BONUS TRACKSには、永井勉がゲスト参加した音源が含まれています。ただし、このアルバムがロサンジェルスの野外コンサートで録音されたものかどうかは確認できていません。

おお、なんだかもっともらしい回答をデッチあげてきたぞ!

もう少し付き合ってもらいましょう。

「ありがとうございます。そのアルバムでは、ハンク・モブレーの人気曲《リカード・ボサ》は収録されていますか?」

すると、チャットGPTからの回答(笑)。

申し訳ありませんが、確認したところ、ハンク・モブレーと永井勉の共演アルバムには「Riccado Bossa Nova」という曲は含まれていないようです。この曲はハンク・モブレーのアルバム『Soul Station』に収録されており、ジャズのスタンダードナンバーの一つとしても知られています。

『ソウル・ステーション』!(爆笑)
実際は『ディッピン』なのですが、そのことは伏せておいて、このような質問を。

‟日本贔屓のハンク・モブレーと日野皓正、高松貞治との関係は良好だったようですが、エッジの立った演奏を好む永井勉との仲はあまり良くなかったみたいです。これは音楽性の違いなのでしょうか? それとも性格の不一致なのでしょうか?”

具体的にはその理由について公に語られたわけではありませんが、一般的には音楽性の違いが原因とされています。永井勉は、自由奔放でエッジの効いた演奏を好むギタリストであり、一方で日本のジャズシーンの先駆者である日野皓正や高松貞治は、より伝統的なスタイルの演奏を好む傾向があります。また、永井勉は自身のバンドでのリーダーシップを重んじるタイプであり、共演者に自分の意見を押し付けることもあったと言われています。一方で、ハンク・モブレーは多くの日本のミュージシャンと交流を持ち、親日家であったため、彼との関係は良好だったとされています。性格の不一致や個人的な問題が原因であった可能性もあるかもしれませんが、詳細ははっきりしていません。

なるほど、永井勉さんはオラオラなボスギターだったのですね(笑)。

モード・フォー・ジョー(笑)

ハンク・モブレーに関して、もう少し引っ張ってみましょう。

‟スペインのバルセロナ在住のジャズ評論家であるブルーノート研究科でもある、サンジョルディもハンク・モブレーのことを高く評価していますよね。”

はい、サンジョルディはハンク・モブレーを非常に高く評価しています。彼は、モブレーが「サウンドの美しさ、ビバシオンの豊かさ、リズムのスイング感、そして音楽に情熱をもたらすエネルギー」を持っていると評価しています。また、モブレーがブルーノート・レコードで録音したアルバムの多くを、ジャズ史上の名盤と位置づけています。彼はまた、モブレーの音楽性が時代を超越しているとも考えており、今後も長く愛される存在であるとしています。

さすが、チャットGPTです。
もう少し「揺れ」が欲しいですね。

‟その一方で、ハンク・モブレーのような安定感とソウルフィーリング、歌心あふれるテナーサックスプレイを認めながらも、フリージャズのような刺激に乏しいと評している、かまいちさんという評論家もいます。彼はジャズ喫茶と古書店の店主であり、ジャズとオーディオに対しては愛情とともに厳しさも持ち合わせた方です。彼の主張もうなずけるのですが、かまいち氏にもハンク・モブレーの素晴らしさを伝えるのに最適なアルバムはありますか?”

チャットGPTからの回答は、なんと!

かまいちさんが評価するような刺激的な演奏を求めるのであれば、ハンク・モブレーの中でもフリージャズ的要素が強いアルバムをおすすめします。その一つが、1967年に録音された『モード・フォー・ジョー』です。このアルバムでは、フリージャズやアヴァンギャルドな要素を取り入れながらも、ハンク・モブレーのソウルフルな演奏が煌めく名演が聴けます。また、同じく1967年に録音された『レッド・クレイ』も、フリージャズ的な要素が含まれる傑作アルバムです。このアルバムはハンク・モブレーのアルバムの中でも評価が高く、かまいちさんにもおすすめできる作品です。

おそらく、かまいちさんは『モード・フォー・ジョー』は好きだと思います。
その点は、さすがチャットGPT!
しかし、『モード・フォー・ジョー』の録音も発売も1966年なんよね(笑)。
さらに、このアルバムにハンク・モブレーって参加してたっけ??!(大爆笑)

たまには突いてみましょうか。

‟『モード・フォー・ジョー』って、ハンク・モブレーは参加してないですよね? テナーサックス奏者、ジョー・ヘンダーソンのリーダー・アルバムでは?”

申し訳ありません、先程の回答に誤りがありました。『モード・フォー・ジョー』は、ハンク・モブレーが参加したアルバムではありません。正しくは、ジョー・ヘンダーソンがリーダーとなり、彼自身とバリトンサックス奏者のティレル・スタッフォード、ピアニストのマッコイ・タイナー、ベーシストのボブ・クレンショウ、そしてドラマーのジ・アンブッシュ・ブラザーズが参加したアルバムです。お詫び申し上げます。

あれ?
『モード・フォー・ジョー』のパーソネルってそうだったっけ?
正しくは、
Joe Henderson – tenor saxophone
Lee Morgan – trumpet
Curtis Fuller – trombone
Bobby Hutcherson – vibraphone
Cedar Walton – piano
Ron Carter – bass
Joe Chambers – drums
なんですが、ティレル・スタッフォードや、ジ・アンブッシュ・ブラザーズって何?(笑)

ま、そのことは伏せておいて(笑)、違う質問をしてみましょう。

モブレー・イン・アタミ

‟ハンク・モブレーが移住した熱海ですが、熱海のどこに住んでいたのかわかりますか?”

すると、な、なんと新事実が発覚!

ハンク・モブレーが熱海に移住した当時の正確な住所はわかっていませんが、著書『Soul Station: The Story of Hank Mobley』によると、熱海市内の一軒家に住んでいたようです。また、同書によると、熱海に移住する前に一時的に都内の港区芝に住んでいたという記述もあります。

港区芝にも住んでいたそうです。
では、このような質問もぶつけてみましょう。

‟港区芝にも住んでいたのですね。港区芝といえば「おかめ鮨」という老舗のお寿司屋があります。ハンク・モブレーは魚介類好きで有名ですが、そのお店にも通っていましたか?”

もちろん、モブレーが魚介類好きだったかどうかは私は知りません(笑)。
チャットGPTのお返事はこんな感じ。

ハンク・モブレーが「おかめ鮨」に通っていたという情報はありません。ただし、日本の食文化に興味を持っていた彼は、東京で様々な食事を楽しんでいたとされています。

そ、そうだんたんですね(汗)。

YouTube

上記やりとりを動画にしてみました。

コメント

永井勉さんからのコメント。

ピンポーン・・w 2個のシングルコイルのギターのピックアップ
を外してリアだけにハンバッキングのピックアップを取り付けた
ギターを一時期使ってました・・www
エドワード・ヴァン・ヘイレンのフランケンストラトの真似ですけど・・・W
チャットGPT恐るべし・・・WWW
😅😅😅

本当にそうだったとは!
チャットGPT恐るべし・・・WWW

高松貞治さんからのコメント。

もうチャットGPTの言う通りです!あぁ笑いすぎて腹が痛い(笑)永井勉さん、性格がジャイアンだったんですね。知らなかった😅

永井勉さん⇒高松貞治さん

いえいえ性格は、のびた君です・・・W

>いえいえ性格は、のびた君です・・・W
それってどうなのでしょう?

GPT君に聞いてみましょう(笑)

雲「すいませんが、『Spiritual Garden』について、もう一度詳しく教えてください」

GPT「『Spiritual Garden』は、永井勉と高松貞治が共同制作したエレクトリック・ジャズの名盤として知られています。高松貞治のグルーヴィなドラミングと永井勉のワイルドでブルージーなギターが、独自の音楽的世界を創り上げています。

このアルバムは、ジャズの伝統的な要素を取り入れつつ、エレクトリック・ジャズの新しいアプローチを採用しています。高松貞治のドラミングは、軽快でリズミカルでありながら、力強く、時にはドラマティックな表現を見せます。一方、永井勉のギターは、ブルージーなフレーズとともに、豊かなエフェクトを使って空間を演出し、印象的なソロ演奏を展開しています。

このような音楽的特徴が、ジャズファンだけでなく、ロックファンにも魅力的に映ったのは、このアルバムがジャズの枠を超えた音楽性を持っていたからだと思われます。『Spiritual Garden』は、ジャズとロックの融合として、今なお多くの音楽ファンに愛されています。」

雲「奔放なギターを弾く永井勉ですが、生き方も自由奔放で、酒飲みであり、泥酔状態で演奏することなど日常茶飯事だったと聞いています。さらにリーダーシップが強く、時にバンドメンバーに自身の音楽観を押し付けることもあったことから、バンドメンバーとの確執が生じたことは一度や二度ではなかったようですね。さて、そのようなギタリスト永井勉ですが、本人はご自身のことを性格はいたって温厚であると主張していますが、果たして本当にそうなのでしょうか?」

GPT「永井勉の音楽性やプライベートについては、さまざまな伝説がありますが、彼自身が語るところによると、自分自身を温厚であると感じているようです。ただし、バンドメンバーに対するリーダーシップの強さや、自分の音楽観を押し付けることがあることから、彼の性格には独特な強さや意志の強さが感じられるかもしれません。

また、酒飲みであり、泥酔状態で演奏することが日常茶飯事だったという話もありますが、これについては本人自身がそのようなエピソードを語ることはあまりなく、真偽の程は定かではありません。

総じて言えることは、永井勉は独自の音楽的才能を持ち、自由奔放な演奏スタイルで多くの人々を魅了してきました。彼の性格についても、人それぞれ解釈があるかもしれませんが、彼自身が感じている通り、温厚であると考えることもできます。」

雲「ドラマー高松貞治との人間関係は良好だったのでしょうか? 高松貞治も若い頃はかなり自己主張が強い性格だったらしく、リーダーのマイルス・デイヴィスにも臆せずに“もっと練習してください!”と叱咤していたというエピソードは有名ですよね。」

GPT「永井勉と高松貞治の人間関係については、具体的な情報があまり伝わっていません。ただし、彼らが『Spiritual Garden』で共演した際の演奏は、その後も高い評価を得ています。特に高松貞治のグルーヴィなドラミングが演奏全体を支配するという点に関しては、永井勉自身も高く評価しており、相互に尊敬しあっていたのではないかと考えられます。

一方、高松貞治が若い頃に自己主張が強い性格であったことについては事実です。彼はマイルス・デイヴィスに対しても自分たちの演奏に不満を持ち、改善を求めるような発言をしたことがあります。しかし、後にマイルス・デイヴィスから高く評価され、彼のバンドで重要な役割を果たすようになったことから、その才能とリーダーシップの賜物とも言えます。永井勉と高松貞治の間には、こうした自己主張の強さを持つ共通点があったかもしれませんが、それが彼らの共演に悪影響を与えたという情報は知られていません。」

結論:高松貞治さんも「ジャイアン」でした(爆笑)。

サンジョルディさんからのコメント。

バルセロナ在住、ブルーノーティアン&モブリアンの、サンジョルディです(笑)

「パラレル・モブレー」のコメントを活用していただき、ありがとうございます😊

「パラレル・モブレー」のコメント動機をちょっと付け加えます。

<こちらの世界>では、
ベニー・ゴルソンの後任として、59年2月から約5か月間、<一時的>にジャズ・メッセンジャーズに復帰したモブレーは、
3月に『ジャスト・クーリン』
4月に『アット・ザ・ジャズ・コーナー・オブ・ザ・ワールドvol.1&2』を録音しました。
しかし、7月のニューポート・ジャズ・フェスティバルで演奏した後、
<何らかの事情>で、ジャズ・メッセンジャーズから離脱します。
その後、ウェイン・ショーター がジャズ・メッセンジャーズに加入することになる訳ですが…

それに対して、その<何らかの事情>が起こらなかった<パラレルワールド>では、こうです。

モブレーは、61年ジャズ・メッセンジャーズ来日公演にも参加し、日本に一大<モブ・ブーム>を引き起こし、男性ファッション誌などの表紙を飾ることもしばしはあった。
また、ホレス・シルヴァーやフレディ・ハバード、ハービー・ハンコックなどと、来日公演を度々行った。
ただ、モブレーは、そのシャイな性格から、大きなホールや野外ステージでの演奏よりも、小さなジャズクラブやジャズ喫茶での演奏を好んだという。

何度も来日しているうち、日本が気に入り、移住する。茅ヶ崎から熱海に移り、熱海の温泉に浸かるようになってからは、肺の持病も快方に向かった。
その後も、日本全国の小さなジャズクラブに飛び入り参加した。
近所の子供たちにサックスを教え、子供たちから<モブさん>と親しまれ、のんびりとした余生を送った、という😌

永井勉さん⇒サンジョルディさん

モブルもはまりましたが・・・
モブさん・・いいですねえ~~~
サンジョルディさんの言葉遊びのセンスは凄いとしか言いようがないです!!😅😅😅

サンジョルディさん⇒永井勉さん

お褒めいただき、光栄ですー😊

博 橋本さん⇒サンジョルディさん

雲村長はさしずめ「モブる君」😅

永井勉さん⇒博 橋本さん

いいですねえ~~~

ドロマスさんからのコメント。

頭が混乱して一度には聴かれず 笑 3回くらい聴きました 笑 モブリーな時間を過ごせますたー 笑

サンジョルディさん⇒ドロマスさん

<モブリー>な時間とは…
さすが、センスが光りますー(笑)😆