先日アップした動画「クリフォード・ブラウンとファッツ・ナヴァロ~粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より」(こちら)に視聴者の方からいただいたコメントへのアンサー動画をアップしてみました。
TAKESI0506さんからのコメント。
85年の小川隆夫さんのI LOVE JAZZ TESTにウィントン・マルサリスが出演して、ブラウン・ウィズ・ストリングスの中の「煙が目にしみる」を取り上げてます。
煙が目にしみる/クリフォード・ブラウン
クリフォードだよ。このレコードを初めて聴いた時、僕が感心したのは彼のトーンについてだった。僕はトーンに関する練習っていうのはあまり好きじゃないんだけど、このレコードを聴くといつも家に帰って一生懸命練習しなきゃいけないなっていう気になるんだよね。彼はナイス・トーンの持ち主だよ。ビッグでオープンなのね。彼はどんなに低い音でも高い音でもすべて同じ強さ、同じ音色で吹くことが出来たトランペッターだったんだ。こんなことは彼以外いまだに出来る人がいないと思うな。少なくとも僕は知らないよ、こんな美しい音で低音から高音までまったく同じに吹ける人なんか。
〔ウィントンは出来ると思うけどな〕。
とんでもない。僕なんかまったくダメだよ。低音部になるとどうしても音が弱くなってしまうんだ。それに高音を吹く音が固くなってしまうしね。
〔でも君のクラシック・アルバムを聴くと相当いいところまでいっていると思うけどな〕
いや、まだまだだよ。とにかく強さは別としても、音色すら統一することができないんだから。
〔クリフォードみたいに吹くにはどういう練習法が必要なんだろう〕。
まず呼吸法。それと唇の固さ。肺活量の問題、唇とマウスピースのアダプテーション、運指、挙げていけばキリがないよ。結局すべての基本を完全にマスターしてはじめて可能になるんだけど、すべての基本をマスターするのにどれだけ時間がかかることか。僕なんてまだトランペットにほんの片足を突っ込んだだけにすぎないもの。とにかくブラウニーのようにトランペットを吹けるようになること。今の僕にとってはそれが大きな目標の一つなんだ。
〔ところで、ウィントンがウィズ・ストリングス・アルバム(「スターダスト」)を吹込んだのにはどんな理由があるのかな?〕。
正直言ってこのレコードのことが頭の片スミにはあったよね。いつか僕もブラウニーみたいなストリングス入りのアルバムを作りたいっていう気持ちがね。ただ、まだちょっと早すぎる気がしたことも事実だね。もっといろいろな経験を積んでからでも遅くはないなとは思ったけれど、まあチャレンジという気持ちもあって吹込んだわけだよ。でも自分としては現時点でのベストが出せたと思うし、反響もいいんでとてもうれしいね。寺島靖国さんの「ジャズリクエストノート」には、ウィズ・ストリングス物に関する考えが書かれてます。
「ヒモ付き」とはよくぞ言いたり! ウィズ・ストリングスはジャズ・メンの余興である
今のジャズ評論家は正しいことは言うけれど、面白いことは言わない。
昔の評論家は、ファンを唸らせるような面白いことを言った。
「ヒモ付き演奏」だの「婦人科専門」などという、とっぴょうしもないフレーズをまぜてレコード解説や評論をした。
今そんなことを言ったらおそらくいっぺんで馬鹿にされるだろうが、当時のジャズ・ファンは「粋人」が多く、そんなフレーズが早く出ないかと待っていたものだ。
すでにおわかりのように「ヒモ付き」とはストリング・オーケストラの加わった演奏のことであり、女性ピアニストを専門に伴奏したドラマー、ロイ・ヘインズやエド・シグペンらのことを「婦人科専門」と称したのである。そんなことを考えながら聴く秋吉敏子のトリオや、ユタ・ヒップの『アット・ヒッコリー・ハウス』は実に楽しい。
さて「ヒモ付き」のほうだが。どう考えてもこの言葉には悪意がありそうである。
ぼくも昔、メグを「ジャズ道場」と称して意気がっていた頃、「ウィズ・ストリングス」物を軟弱ジャズといって思いきり馬鹿にしていた。
『クリフォードーブラウン・ウィズ・ストリングス』や『パーカー・ウィズ・ストリングス』など、もちろん最初から置いてなかったが、お客が知らずにリクエストすると、機嫌の悪い時は、あんな女々しいジャズのどこがいいのかと言わずもがなを言って、よくいさかいを起こしたものだ。
30代前半の頃で、こっちも今とちがい勢いのいい頃だった。
このあいだ久しぶりに『パーカー・ウィズ・ストリングス』をライブラリーの隅からとり出して聴いた。
さすがに十数年の歳月は重い。あんなに馬鹿にしていた「ヒモ付き」が今ようやく鮮やかに本来の素晴らしさをぼくの前に表わしたかというと、そんなことは全くない。相変らずレイジーな気分になる。
『ウィズ・ストリングス』とはちょっと違うが、昔からジャズとクラシックが共演したレコードがぼくは嫌いだ。ポール・ホワイトマンのシンフォニック・ジャズにはじまって、ジョン・ルイスの『サード・ストリーム・ミュージック』『バッハ物』など、結局ジャズ・ファン、クラシック・ファン双方からうさん臭く見られている。こんな妙ちくりんな音楽のどこがいいのだろう。
クラシック奏者とジャズ奏者は、男と女のようなもので両者がわかり合うことなど永久にないのだ。
ぼくはパーカーやブラウンを聴きながら彼らが「ヒモ」をバックにどんな気持でプレイしているのか、考えこんでしまう。いかにもリラックスしているようだが、リラックスの質が違う。ピンと張りつめたジャズ特有のくつろぎではなく、いわばイージーなくつろぎだ。女に働かせて遊んでいる男の身辺に漂う「怠惰」そのものである。
『ウィズ・ストリングス』はジャズメンの余興である。これを「ヒモ付き」とはよくぞ言ったものだ』ジャズレコードブックが書かれた頃は粟村さんも30代前半の若さでしたから、寺島さんと同じく、こんな軟弱ジャズなどけしからん、という思いが強かったのかもわかりませんね😊
「ヒモ付き」(笑)。
ああ、その文章読んだ記憶があります。
おそらくTAKESI0506さんの推察どおり、『ジャズ・レコード・ブック』を執筆していた時の粟村さんの心情は、寺島さんと同種のものだったのかもしれませんね。
MrNOBUchanさんからのコメント。
パーカーもブラウンも、実はウィズ・ストリングスによるコマーシャルなレコーディング企画を嫌っていたのだ、彼らは商売第一の怪しからん?プロデューサー(ヴァーヴのノーマン・グランツやエマーシーのボブ・シャッド)に強引に押し切られ、いやいやながらスタジオに入りこれらを録音した・・・というような記録は、一度も読んだことがありません。実際に音を聴いてみても、(もちろん私の独断ですが)実に楽しそうに、嬉しそうに、伸び伸び吹いているように聴こえます。
編曲(パーカー盤はジミー・キャロル、ジョー・リップマン、ブラウン盤はニール・ヘフティ)がイモだから聴くに堪えない・・・的な評論も昔、SJ誌上等でいろいろ読みましたが、私は当時も今も聴いていて、大いに楽しんでいます。
ストリングスとの共演は、普段はスモールコンボで演奏している管楽器奏者がやってみたい贅沢なことの一つだったのではないかな?と思います。
私だって、日々ノートPCに向かって喋るだけではなく、たまには大会場で話してみたいと思いますもん(違うか)。
ちなみにウィズ・ストリングスものといえば、私は、デヴィッド・サンボーンの『パールズ』も嫌いではありません。
永井勉さんからのコメント。
紹介してもらい、ありがとうございます・・・
最初コード進行を拾い並べてみたのですが
なんじゃこりゃ~でした・・笑
ディミニッシュ・5・9・11・13???
とてもメロディーが乗るようなコード進行じゃないんです。
そこにあのメロディーです。
本当にモンクマジックなんです!!😅😅😅
やっぱりモンクは変態です(もちろん誉め言葉です)。
Kawai Andyさんからのコメント。
Jackie Gleason With Bobby Hackett は「紐付きのムード音楽」でジャズでは無いけれど大甘なボビー・ハケットのラッパがどうしようもなく好きです。聴きすぎると少し吐き気がしますが・・(笑)
ストリングス物ではアート・ペッパーやウエス・モンゴメリー、宮沢昭、アートファーマー、チェット・ベイカーもありましたが、どれも素晴らしいと思いますね。そう云った美的感覚で良いんじゃないかと思います。
「軟弱」と云うのは違うじゃないでしょうか?そう云えば思い出したのですが、コニッツの「An Image」の様な硬派なものもありましたね。「Underground」など60年代中期から後期の頃の円熟期のモンクは、この頃に吹き込まれた「Solo Monk」など安定的に聴きやすいアルバムが多く、この頃のカルテットの演奏やアレンジも簡潔で、ラウズの演奏も素晴らしいものが多いです。と共に加えて録音もよく、取っ付きにくいと言われる人のモンク入門には良いんじゃないかなぁと思います。
それにしても、永井さんまたしても「渋い」イイとこ突いてきますね〜!(笑)
永井勉さん⇒Kawai Andyさん
コピーといっても演奏出来るレベルは低いので
あくまでもオマージュ作品という事で許して下さい・・・
でもパノニカとアグリビューティーをコピーしてみて
星くずのステラと同等の綺麗なメロディーを持っている事に
気づいてしまいました・・・モンク恐るべし・・!!😅😅😅
Kawai Andyさん⇒永井勉さん
私もモンクの演奏するバラード曲はどれも美しいなァと耽溺する質(タチ)です〜!正に天才です!
永井勉さん⇒Kawai Andyさん
ですよね!!😅😅😅
イヤダローさんからのコメント。
ストリングスが入るから、ラグジュアリーな感じがして、リッチな音に聴こえるんで、ストリングス入りのアルバム好きですよ。パーカーの、エープリル・イン・パリなんか、今でも聴いていますよ。昭和20年代のアルバムなんですよね。まだまだ、聴けます。
はい、まだまだ聴けます!
ハッピータンさんからのコメント。
ストリングスを入れるとコマーシャルと言う考えもあるんでしょうが、純粋にもしクリフォードがこのプレイをピアノ・トリオとしていたと想像したら‥ それはきっと素晴らしいものであったでしょう。
『in concert』の『I can’t get started』と遜色全く無いと思います。
博 橋本さんからのコメント。
パーカーはストリングスを巻き込んで合間を縫って、隙間を全て自分の音で埋めている。
ブラウニーはストリングスと向き合って自分の音の全てを出している。
そんなふうに聞こえます。
初めて聴いた時からその想いはずっと変わらない。大好きです🤠
なるほど!
>パーカーは巻き込んで~、ブラウニーは向き合って~