視聴者様よりいただいたコメントに対してのアンサー動画です♪
◎コメントをいただいた動画
▼ヘンリー・レッド・アレン(tp)~粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より
2019 enchanさんからのコメント。
動画配信ありがとうございます。菅原文太-田中邦衛は『仁義なき戦い第一作』から敵役で共演していましたもんね〜。岩浪さんは大江さんと同じ高校ということでしたら大江さんの同級生の伊丹十三さんもご存じだったんでしょうね。伊丹監督も映画にJAZZ(本多俊之)起用してましたっけ。昨年たまたま大江さんの何作品か読んでいたので先月の訃報には驚きました。パウエル評やJAZZ小説は読んでないので探してみます。
伊丹監督も同じ高校だったんですか!!
恐るべし松山東高校!
正岡子規や秋山好古もこの高校出身でしたよね。
2019 enchanさんからの返信。
早速ありがとうございます。大江さんは、イジメが原因で他校から松山東高に転校されたとのことです。大江さんの奥さんが伊丹監督の妹さんです。
そうだたったんですね。
情報ありがとうございます!
2019 enchanさんからの返信。
あ〜、露口茂…その露口茂が俳優座で田中邦衛と同期だったという・・・まさにエンドレス・・・
そうだったんですね!
まさにエンドレス!!
TAKESI0506さんからのコメント。
私の書き込みを取り上げていただきありがとうございます。
この岩浪さんの連載には、ホレス・シルバーの『ザ・トーキョー・ブルース』のジャケットで、左端に写っている着物姿の女性のことも語られてます。
『出光真子(いでみつ・まこ)、といわれてすぐに誰かわからなくても、あのホレス・シルバーの『ザ・トーキョー・ブルース』のジャケットで、キモノを着て写っている女性(左端)といえば、ジャズ・ファンならすぐに思い出すはずだ。
彼女は、出光石油の先代の社長のお嬢さんだった。大のジャズ・ファンで、早稲田大学の3年生のときに世界一周旅行へ出かけ、ニューヨークには20日間も滞在してジャズを聴きまくり、ホレス・シルバーとも仲良くなったのだった。
ぼくが彼女とはじめて出会ったのは、1960年の春頃のこと。彼女は、よく深夜に一人でオペルを運転して、新宿の“キーヨ”などでジャズを聴いていた。当時、本誌の編集長だったぼくは、彼女をなんとか本誌の対談に引っ張り出そうとしたが、「ジャズを聴いているのが親にバレたら、勘当されるからイヤだ」と逃げ回っていた。その後、なんとかお願いして久保田二郎氏との対談「お嬢さん 鳥の国へ行く」に出てもらうのに一か月もかかった。
それからも友人として付き合い、広い家の中の離れた彼女の部屋で、両親にバレないようにしながら新着のジャズ・レコードを聴かせてもらったこともあった。その後、彼女はニューヨークの大学に留学し、クラブで何度もジョン・コルトレーンのライブを聴いたという。一時、著名な画家サム・フランシスと結婚していたこともあるが、別れて帰国してからは、ビデオ作家の先駆者として活躍。そのユニークな作品は、海外でも高い評価を得ており、内外のいくつかの美術館に所蔵されている。
時々武満徹のパーティや彼女の作品上映会で会ったりしていたが、一昨年には、友人を交えて銀座のジャズ・クラブに出かけたこともあった。また、先日ホレスの新作のライナーノーツを書くときに彼女の感想も聞いたが、鋭い指摘もあり、感心した。久々にホレスのCDを聴いて、またジャズへの情熱が戻ってきたと言っていた。
そのうち、ゆっくり60年代前半のニューヨーク・ジャズ・シーンの面白い話を、お酒でも飲みながら聞かせてもらいたいと思っている』菅原文太については、スイングジャーナル91年の増刊に「ジャズレコード・マニア」というのがあって、“ジャズレコード・マニアの実態”というタイトルで、ディスクユニオンや石丸電気、六本木のWAVEなどの店員さんが対談するという記事があります。この中でWAVEの店員さんがこのように言ってます。
『――ところで話題をガラッとかえて,有名人でマニアックな方などお客さんでたくさん来るんじゃないですか。どうですかね。
WAVE―菅原文太さん。娘さんと来て教えていました。けっこうジャズに詳しいですよ。鈴木保奈美ちゃんも来ますね』鈴木保奈美がジャズファンだ、というのも全く知りませんでした😁
補足……今月5日に、青春18切符で北海道へ向かう途中、一ノ関駅で降りて、駅前の観光案内所で「ジャズ喫茶ベイシー」について聞いてみたのですが、「ベイシーはまだ再開してません」という返事でした😥😢
博 橋本さん⇒TAKESI0506さん
いつも有り難う御座います😊😊😊
高松貞治さんからのコメント。
大江健三郎は、終戦間近の沖縄では、守備隊長が国民に集団自決を強制したという嘘を『沖縄ノート』で、書きました。大江健三郎はそう書いてために、平成17年に名誉棄損で訴えられました。もっとマスコミ各社はノーベル賞作家に遠慮してか、この裁判を詳しく報道しませんでした。こうした記述に対して、守備隊長本人と亡くなった守備隊長の遺族が大江健三郎と岩波書店に対して訴えました。大健三郎は当時2人の守備隊長に一斉取材することなく勝手に決めつけて『沖縄ノート』を書いてしまいました。けれど裁判では大江健三郎が勝っています。私は裁判所の判定がどうしても、納得できません!裁判所は一体何を見ているんでしょうか?この、世の中には、司馬遼太郎よりも大江健三郎の方が、上だと思い込んでいる人が多くいます。しかし、普通の人でも2人を読んでみれば一体どちらが上かわかると思います。司馬遼太郎は大衆文学なので文壇では下と思われ、大江健三郎は純文学だから上だと思われています。おかしいと思います!
サ抜きうどんさんからのコメント。
掌上じゃないですかね?(しょうじょう)
ありがとうございます。
調べてみたら、ご指摘のとおり『掌上』でした。
ドロマスさんからのコメント。
菅原文太さん
まさかのジャズおやじだったんですねー
雲さん
文太さんと言えば、大河ドラマ「獅子の時代」で主演❗️なんと会津藩士役をやったんですよー
観てましたかー🤓
そうだったんですよ、JAZZオヤジだったんですね。
『獅子の時代』は残念ながら観たことありません。
児玉清や志村喬も出てるんですね~。
あと、伊藤博文役が根津甚八。
(ちょこっと調べてみました)
文太オヤジが会津藩の志士。
渋カッコよさそうですね!