メタ化の学校

投稿者:

動画「最近の日本のジャズばかり聴いています。」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントに対してのアンサー動画をアップしました。

コメント

カトウシュンさんからのコメント。

今だとパソコン、スマホがあれば娯楽はなんとかなりますからね。
連休明け仕事なのでU2…間違えたました…憂鬱なのでニートさんの話を聞くと羨ましく思います😊

U2、憂鬱。
おお、声に出してみるとなんか似てるぞ新発見。
U2は、わりと好きで、おそらくCDはほぼ買ってるんですよね(ディスクユニオンで中古でw)。
初期ばっかり聴いていて、そういえば最近のものは持っているだけの満足感であまり積極的に聴いていないのですが、iTunesが時折シャッフル再生してくれた曲が流れてくると、おっ、いいじゃん、あっU2だっ!ということが多いです。

そうなんですよ、今はネットにさえつながっていれば結構楽しめますからね。
彼は、とうの昔に携帯電話は解約してしまっていましたが、LINEはやってましたからね。
電話もLINE電話がありますし(場所によっては音質悪いけど)。
なんとも便利な時代になったものです。
ニートの彼、コロコロと太って、ニコニコしていました。

kamaichi2002さんからのコメント。

これ、文字起しして、「例の陰謀」に加えましょう。メタ化はいいキラーワードです。僕の世代はあんまり使用しないコトバですし。

御駄賃取郎さん⇒kamaichi2002さん

かまいちさんにはげしく同感です!「メタ化」で読み解くウィントン・マルサリス・・・う~む、大納得です!!「目からウロコがボトリ!」?と削げ落ちたくらい納得がいきました。

正直いいますと私はメッセンジャーズ時代までのウィントンは好きでしたが、あまりにも当時のSJ誌のキャンペーンがえげつなく?感じましたのでその反動もあったことはたしかです。スタイル云々よりも
(この若造(ウィントン)メが、調子にのって巨匠ヅラしてんじゃねえぞ!)という、完全なる偏見からはじまりました。そしてまた、SJが調子にのって?延々とバカのように押しまくる姿勢に嫌悪感いっぱいでもありました。(当時は中山氏が編集長でした)事実、当時のバンド仲間の全員が自分とおなじような感じ方をしていました。

しかし高野マスターのこの彗眼には実に大納得しまくりました!
やはり高野マスターこそ新時代のジャズメッセンジャーだ!と、改めて感じ入りました。

あとはただ、人気と売上が伴ってこそのTOPミュージシャンだと願うばかりであります・・。

kamaichi2002さん⇒御駄賃取郎さん

80年代のSJのはしゃぎぶりは眉を顰めさせるものでしたね。
中山康樹さんも「仕事」だから、なにかヒットを打ち出したかのかなあ?

SJ誌を離れた後の氏は、歯に衣着せぬ本音トーク(例:『ジャズを聴くバカ、聴かぬバカ』)で大好きなのですが、「新伝承派」という「流派」を発案した責任はやはり問われますねえ。
時代はどんどん「メタ化」が進行します。思想も相対化され、ジャズも器楽演奏の基礎ができれば誰でも出来るようになりました。ヤマハ・ミュージックスクールしかり、それの基礎となったバークリー・メソッドしかり。
コード進行とスケールの関係を徹底的にメタ化するシステムです。

そして、バブル経済。1985年の「プラザ合意」が引き金でした。

カネが市場にじゃぶじゃぶ流れ、ついにはTV-CMにまでジャズが流れるようになりました。とくにJTはすごかった。

高原でのサマージャズフェスティバルが数え切れぬほど催される。そのころのVTRを数本持ってますが(うちはVHSもカセットも再生可能なんですよ!)、まあ観客の皆さんは、リゾート感覚で、ビール飲んで騒ぎたいという層でしたねえ。「クール・ストラッティン」や「モーニン」などが奏されると大歓声…。

また、六本木や赤坂のおしゃれな店では、有線で昔のハードバップが低い音量でBGMとなる、音大ピアノ科をでたであろうきれいな女性が「ワルツ・フォー・デビー」をエヴァンスのコピー譜通りに弾く…。
ぼくは「これは、もうダメだな」と思いました。
情念としてのジャズの死を感じました。メタ化の極北です。

本日もそんな体験をしたのです。以下記します。
所用あり、鎌倉市役所に行ったのです。江ノ電で鎌倉で降り、朝食をとっていないことに気づき、構内の「立ち喰いそば屋」に入ったのです。JR系のそば屋で、本当の立ち喰いではないですが、選択の余地がないので入りました。
天玉そばをすすっているとBGMにスムースなテナーソロが流れていたのです。「ふーむ、モブレイかぁ、まあもういいや」とそばをすすっていると、「あれぇ、このコード進行、覚えがあるぞ!「コンファメイション」じゃないか! モブレイはこの曲やっていたっけ」、と思っていると、いきなりモロのパーカーフレーズ。「れれれのれ」と箸を止めて聴きこんでしまいました。すると次はロリンズの例の「ブ、ブブー」というフレーズ。
アタマのなかは「????」。ソロが終わるとピアノソロ。典型的なケニー・ドリューです。ところが3コーラス目からはウィントン・ケリー節!
「なんじゃこりゃー」と思っているとテーマが出ました。やはり「コンファメイション」でした! 間違っても「ストライヴァーズ・ロウ」ではありませんでした。
「きっと最近の演奏家なんだろう。技術は完璧だが、なんなんだよこれは!一度も「アウト」してねえじゃん。」と怒りの念が湧き上がってきました。
そばを味わう(所詮立ち喰いですが)気分にもなれず、店を後にしました。
これが本日の「メタ化されたジャズ体験」でございます。
おそまつさまでした(笑)。

御駄賃取郎さん⇒kamaichi2002さん

かまいちさん マスターのブログでのご返信、ありがとうございました。まっく同感でございます。
この「メタ化」の高野説にえらく感銘をうけた私は、先日からPCに取り込み済みのウィントンのアルバムを日夜?聞きまくっておりました。

確かに上手い!と改めて実感しました。が、しかし!BUT!(?)・・私は好きになれません。。
持論である「うまい!すげえ!」と「好きだ!」は完璧に別モノだと思っています。

私が好きな言葉に「記憶に残る演技でありたい」というスケートの荒川静香さんの名言があります。
ウィントンのリーダー作でもライブ盤などにはすこし興味がありますが、数年に1度くらい聴けばいいや、程度です。

やはりジャズは「感性の音楽」だと思います。その意味ではモード・ジャズはあくまでも「ミュージシャン都合の逃げ」?だと思っています。モードであろうが、歌心を感じさせない音にはあきあきとヘイト感を持っています。。。

あくまでも個人的には「銭を出すから完璧なサキコロのコピーをやってくれ!」とアマチュアのグループに頼んだことがありますが、「そんなモン、ジャズじゃあありませんよ」と。ことわられたことがあります。しかしくだらねえ屁の垂れ流しのごとき学生バンドのジャズなんざ、銭をもらってもごめんだね、というのがアホな私の考えでもありますです。。

また