ジャズ喫茶で「キッス」part1
マイルス『キリマンジャロの娘』が流れるジャズ喫茶で「キッス」でそのあと《ソーラー》!
『jazz』1975年3月号の読者投稿欄を紹介する動画をアップしました。
コメント
高松貞治さんからのコメント。
テレビで政治評論家として活躍している田崎史郎さん、昔、週刊誌で言っていたのを読んだんですが、田崎史郎さんは中央大学在学の時に、学生運動で警察に捕まって、いざ就職しようとしてもどこも就職先がなく、仕方なく、新聞社系の時事通信社に入るしか、他に就職先がなかったそうです。当時の学生運動で警察などに、捕まったりした学生たちはみんな同じように、新聞社系に就職するしかなかったと語っていました。今回の動画の雑誌の投稿の人と同じようなもんですね。温厚そうな田崎史郎さんも昔はやんちゃして棒を振り回していたんですね!ちなみに雑誌で1番好きな本は埴谷雄高の「幻視のなかの政治」だそうです。これまたアナーキーな匂いのする本ですね!
>当時の学生運動で警察などに、捕まったりした学生たちはみんな同じように、新聞社系に就職するしかなかった
マスコミ系とか、音楽業界(レコード会社)とか、そういったところに「そこしかないから」就職した学生が多かったんでしょうね。金融系とか一部上場の大企業とか、そういう「お堅い」ところではなく。
私も新卒ではマスコミ系に就職しましたが、というか就職前からアルバイトをしていましたが、自由で風通し良く、社内の雰囲気は、社員が一致団結の一枚岩というような体育会系な雰囲気ではなく、社員一人ひとりが自由な発想を持ち、その自由な発想を元に各自が自由に(ただし責任を持って)仕事をしているという雰囲気でした。このような学校や軍隊のように規律、縦社会とは対極な軽やかな空気と、社員それぞれが皆ひとくせもふたくせもありすな人ばかりな職場環境が好きで、そのまま就職してしまったようなものです。
で、いま思えば、その出版社の社長も、学生運動の某派のけっこう上の人だったという(笑)。
埴谷雄高といえば、吉本隆明との論争を思い出しますが、その吉本隆明の担当編集者に私はなぜか気に入られて、よくイジられて(可愛がられて?)いました。
今思えば、私があまりに無邪気でアホだったからなのだと思います(苦笑)。
60年代、70年代の学生運動をやっていた人たちのようなストイックさや生真面目さは皆無で、80年代の能天気な消費文化のぬるま湯に浸かった青春を送った骨のないノータリンに見えたのでしょうね(笑)。
今回の『jazz』誌の読者投稿欄に寄稿した方の文面からは、「仕方なく」通信社系の会社に就職したある種の諦観というか、「しょせんこんなオイラにはこんな所がお似合いなのさ」といった自虐感が漂っていますが、私の場合はマスコミ系に就職した時は、大好きな本を作っているところだ、嬉しいなったら嬉しいな(中山康樹氏風に)と無邪気なものでしたから、世代によって価値観がけっこう違うもんなんですね。
御駄賃取郎さん⇒高松貞治さん
私は田崎さんの歴史はしりませんでしたが、納得できますね。
他にも著名人の評論家の中にも「昔左翼で転向して今は右翼」という人も何人かいますが、彼らのいう左翼批判もなかなかおもしろいとおもっています。思うに学生運動に走った多くの若者の多くはマスコミにながれた結果、今ではマスコミ自体が「第4の権力」?として足元からくさりはじめたと思えます。
御駄賃取郎さんからのコメント。
学生運動に励んだ学生達はなぜマスコミ志向だったのか?・・・・思いだしました。つまり、当時のマスコミでは募集要項に「成績は問いません!」というコピーがあり、学生運動に励んだ学生はこれに一番惹かれたのだという記憶があるなあ。。また「反権力!」が謳い文句(モンク?・・)だった当時の学生はマスコミなら汗水たらさず自由に働ける?などと夢みていたあほが多かったように思いだしました。
頭のいいお人はちゃんとお硬い大企業をめざし、落ちこぼれ、あぶれた人達がマスコミを多く志望したことにより「権力を批判できない者はマスコミ人の資格なし」まではいいとして、そのマスコミ自体の権力を批判するパワーとしてインターネットができたような・・・。
「昔赤旗、今◯日」・・・これが共産党員だった父の(最後の)遺言?でした。・・・つまり、(ふれてはいけない)ということか?
関係各位には、深くお詫びをしつつ m(_ _)m・・・。
御駄賃さんに会っていろいろお話を聞いてみたいなぁ~。
kamaichi2002さんからのコメント。
この男性のプロフィール大体わかります。大学は早稲田。党派は革マル。陰惨な事件とは1972年11月8日の「川口君事件(⇒wiki)」でしょう。
mineo.sさんからのコメント。
40数年前池袋駅挟んで方や「ベッド」、片や「キッス」ジャズ喫茶ありました ネ。
都内ジャズ喫茶全盛期、彼方此方潜り込んでおりました。黒い音追い求め行き着いた先はベース横田。
なんか、かっこいいです😀
ジャズ喫茶で「キッス」part2
そして、その読者投稿は次号の『jazz』1975年4月号にも続くのであった。
もっとも、突然いいところで終わっちゃうんですけどね……。
コメント
kamaichi2002さんからのコメント。
労組は「ろうそ」と読むんですよ!
学びました。
ありがとうございます。
青嵐さんからのコメント。
私たちは格好をつけて労組を「ろうくみ」と言っていた。また所属大学のことを「単産」(たんさん)と言った。例えば「単産はどこですか」(大学はどこですか)のように。「単産」は本来、労働運動用語で、自治労とか私鉄総連など産業別に編成された企業組合の連合体を指す言葉。大学を各学部自治会の連合体とみなして、単産と呼んだのだろう。それからマルクスの著作『ドイツイデオロギー』を『ドイイデ』、『経済学哲学草稿』を『経哲』、レーニンの『何をなすべきか』を『何になす』と呼ぶのが普通だった。ここまで書けばこの人物の党派がわかる人もいるだろう。当時ジャズ喫茶、純喫茶、居酒屋に居てこうした左翼用語が聞こえてきたら警戒し、敵対党派の可能性があれば河岸を代えていた。こうしたことから30代になるまで新宿・高田馬場のジャズ喫茶に行った記憶がない。金がなくてジャズ喫茶など学生の頃は滅多に行けなかったが、神保町の響と渋谷百軒店入口左側のジャズ喫茶(名前を失念)に行った記憶がある。ここでは安心してジャズが聴けた。私の大学は東京西部地区の大学の一つ。同じ西部に属する女子大の活動家と仲良くなり、一緒に渋谷百軒店のジャズ喫茶に行った。残念ながら百軒店の地の利を生かすことは出来なかった。団塊世代の端くれに人生を振り返る機会を与えていただき有り難うございます。
>残念ながら百軒店の地の利を生かすことは出来なかった。
それは残念でしたね😅
それにしても、「たんさん」。
これも初耳言葉でした。
「何なす」でも「何をなす」でもなく「何になす」なんですね。
このコメント欄は「林先生の初耳学」かってくらい、珍しい言葉が飛び交っていて新鮮です。
御駄賃取郎さんからのコメント。
もう十分にジジイになったので、あの頃を振り返えるとなにかと左も右も「過激」でしたねえ。w
私は身内がカブキモノ?カブレ者??ぞろいでしたので、その反動がかなりありました。特に嫌いな言葉だったのが「理論武装」なんぞという、左のお方のお常套用語?を徹底的にきらっておりました。自然体の思考であれば理論武装なんぞ必要とはしないはずだ、と考えていました。
やれ「ニーチェいわく」とか「マルクス云々」と抜かすお人には、徹底的にさからい、反論しておりましたが、ジャズでも「パーカーはなあ・・・」が常識でしたので、まあ、流行なんだからしかたねえか?と割り切って考えていました。その当時、池袋東口駅前の古びたビルの4階に「KISS」という、ほとんどフリー・ジャズばかり流す小さなジャズ喫茶がありました。丸の内線をおりてアパートまでの帰途によく立ち寄っていたものでした。日頃フリージャズはもっぱらこの店で聴いていました。
ミンガスのレコードにドルフィーとの「対話?」で有名な「ソー・ロング・エリック」という曲がありますが、ミンガスとドルフィーが「もうやめさせてくれ・・」「いやだめだ!考え直せ!ドルフィー!」という楽器による「対話」が聞こえるというエピソードを持つという伝説で有名でした。
私は昔から酒もおクスリ?も全くダメでしたが、ある時疲れ果ててその店にながれた大音量の
この曲を「ぼけーー」と聴いている時、突然この「会話」が言葉となって聞こえました。??英語も喋れない自分でしたが、突然「テレパシー」?のようにその会話が理解できるように聞こえました。
もちろんただの錯覚だと思いますが、あとにもさきにも(ああ、これがトリップするってことなのか?)と思った唯一の不思議な経験です。そしてこれがジャズ喫茶の魅力でもあると思います。頭を空っぽにして、大音量に身をゆだねていれば、大抵のレコードは「忘れがたき印象盤」となりえます。
こうした私のような人間までもが錯覚・錯乱?をおこすような「熱気!」があの時代には間違いなくありましたね。
ジャズを一番聴いているのは間違いなくジャズ喫茶で現場に立つ方々だと思います。
「自分が好きなことを仕事にする」ということはうらやましい反面「苦痛だろうになあ・・」とも思います。でもジャズ喫茶は間違いなく「文化」をつくってきたと思います。最近よく思うのです。「誰が風を見ただろう?(「♪ WHO HAS SEEN THE WIND?]」と。
「ジャズの10月革命」なんて、一体何人が目撃したのだろう?伝えたメディアがあったからこそ伝説となってのこっているのだな。。追伸:あまりにデキすぎた「読者投稿欄」は編集者の自作自演・乙?だと昔から思ってきたわし・・。
うわぁ、もっと御駄賃さんの当時の話聴きてぇ!と思いました。
>こうした私のような人間までもが錯覚・錯乱?をおこすような「熱気!」があの時代には間違いなくありましたね。
そういうお店があったんですね!
うぉ~行ってみてぇ!
でももうないんでしょうね。
>池袋東口駅前の古びたビルの4階に「KISS」という、ほとんどフリー・ジャズばかり流す小さなジャズ喫茶がありました。
同感です。
>うらやましい反面「苦痛だろうになあ・・」とも思います。
私の今の心境は、「将来やりたいかもしれないけど、やりたくないかもしれない」ですから🥴🤔
ちなみに、これにも激しく同感。
>自然体の思考であれば理論武装なんぞ必要とはしないはずだ、と考えていました。
やっぱりそうなんですかねぇ……。
>デキすぎた「読者投稿欄」は編集者の自作自演
今回紹介した投稿も、前号では読者投稿っぽい感じではありましたが、次の号では、いつのまにか「連載」をしていたかのごとくの前提で「休載」という表記でしたからね。ついうっかりボロが出ちゃったとか?😂
ところで、会話のレコードは『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』だったり?!