動画「1969年のマイルス・デイヴィスのライヴと上原ひろみの新譜にハマっている人の話」(こちら)にいただいた、視聴者様のコメントを紹介した動画をアップしました。
コメント
オカハセちゃんねるさんからのコメント。
僕は、大西順子さんも上原ひろみさんも好きです。
ただ、大西順子さんは【ジャズピアニスト】として聴いて心地よく、上原ひろみさんの場合はジャズをはみ出てるぶっ飛んだ【サイデリックピアニスト】として聴いてキマる感じです。
私もまったく同じような感想です。
キース・エマーソンとかプログレキーボーディストとか、そっちの方のイメージの方が強いです。
ピアニストというよりかは鍵盤弾きというイメージの方が強いですね。
博 橋本さんからのコメント。
ひろみ?
テレビの特集番組などで取り上げられた、リュックを背負って一人で世界へ飛び出して行く姿には惹かれますが、私にとっての上原ひろみの音楽は、例えば恩返しをしている鶴の潜む部屋の襖を、うっかり開けてしまった様な「何か見てはいけない物を見てしまった」という想いが真っ先に飛び込んできてしまいます。
御免なさいと言って急いで襖を閉じます😊順子?
ピアノを処分して引退するという宣言を聞いた時は、久々に本気で聴いていた日本人、且つ女性のピアニストだった為に酷く寂しい気持ちと成りました。その後のカム・バックは大歓迎。
Prospect Park West 最高です。
「早朝の音楽室のドアを開けた時、同級生の女の子が弾いていたピアノの音」を連想させてくれます♫
いつまでも聴いていたい😊
>Prospect Park West 最高です。
嬉しいです。
あと、『楽興の時』の《ハット・アンド・ベアード》も最高です♪
なるほど、なるほど。・・今おもえば、いーぐるのGさんの見方も、納得できるような気がしますね。。
しかしこのあたりが?いーぐるのGさんの「こわひ」ところですよね。。この御方は現存する評論家?では最高レベルの論客であられると思うのですが、自分には????な気持ちが残りますねえ。。m(_ _)m
つまり「明快に分析すること」では自分はジャズの本を求めてこなかった気がしています。あくまでも個人の意見ですが・・・。だから自分は「◯◯を聞け」とか「◯◯は百回はきけ」などと言う編集者のつける?タイトルこそ「あほちゃうか?」と思い、また「パーカーのわからんやつは」云々にたいしては「俺の好みを、なんで他人が指図するのだ!?」と口にしては「村八分?」にあってきましたが、後年パーカーのレコードの売上枚数の悲惨さ?を知るにつけ「あれは一体何だったのだ?」と思いもしました。
もう何年も前になりますが、「街頭ピアノ演奏」に興味があって、あちこちさがして聴きにいってました。
そこではクラシックの演奏よりも歌謡曲などのPOPS演奏のほうが拍手が多かったです。(ま当然かな?)私が上原さんのピアノを聴いて最初に頭にうかんだのは(・・家ではラヴエルの超絶技巧の難曲なども弾いているんだろうなあ・・・)と言う印象で、ジャズはあまり感じませんでした。
また、大西順子の最初の引退のころある雜誌かネットか?で「地方巡業で同じミュージシャン仲間からひどくいびられた?」との記事を目にして「さもありなん・・・」と思ったこともあります。
やはり自分は「高野説」が一番自然体に感じ、素直にうけいれやすいのだなあ、と思います。
ありがとうございます。
でも、私の言説なんて所詮受け売りなので、ジュース入りのカクテルのようなものだという認識でお楽しみいただければ😁
TAKESI0506さんからのコメント。
大西順子さんは、94年の小川隆夫さんの「I Love Jazz Test」に出て、モンクについて語ってます。
『〈スイングしなければ意味ないね〉モンク・プレイズ・デューク・エリントン
これ、モンクじゃない? わたし好きなんだよね、モンクって。これはモンクがエリントンの曲をやってるレコードでしょ。
〔何故このアルバムを持ってきたかって言うと、大西さんの最初のアルバムの1曲目を聴いたときに、すぐ頭に浮かんだのがモンクとエリントンだったのね。エリントンのジャングル・ムードっていう感じがした。それと同時にモンク的なタッチというか、モンクに通じるムードもあの演奏からは聴こえてきた。それでこのアルバムを用意してみたんだけど〕。
実は今度のアルバムで〈キャラバン〉をやっているのだけど、あれってこの演奏からヒントを得ているのね。ベース・ラインなんか大分参考にさせてもらっちゃった。それからケニー・クラークのドラムスがちょっとルンバっぽいんだけど、ビリー・ヒギンスも似たような感じでやってくれたし。これ聴いていると、アー幸せになれるって感じよね。
〔ということは、フェイバリット・アルバムなのかな、これは?〕。
そういうことですね、相当聴いているから。このアルバムだと、この曲と〈ブラック・アンド・タン・ファンタジー〉が好きなの。とくに〈ブラック~〉の方は、デュークのやっているのとまったく感じが違うでしょ。デュークだとジャングル・サウンドでやっているけど、モンクはもっと別のサウンド――クールな感じでやってるのね。もちろんデュークの演奏も素晴らしいんだけど、このモンクは本当にカッコいい。別の曲をやってるみたい。
〔モンクのタッチについてはどう?〕。
この人はやはり不思議なサウンドを出すでしょ。タッチが軽いのか重いのかわからないのね。ビデオで観ていたら、普通高音部の和音っていうのは右手がトップで左手を下にしてガチャッてやるんだけど、彼は腕をクロスさせて左手をトップに持ってきたりするのね。あれがいまだに謎なんですよね。何でああやるんだろうってズッと思っているんだけど、いまだにわからない(笑)。でもモンクって常にやっていることには理由があるから、あれもきっと彼なりにちゃんとした理由があるんだと思う。でもわからないの。
〔モンクで一番凄いなって思うのはどこかな?〕。
それは間じゃないかしら。彼は音の数が少ないでしょ。しかも間の取り方が凄いのね。あれですべてを語るっていうか、耳をそば立ててしまうわね。一番凄いのはソロ・ピアノのときね。普通はソロだとハーモニーをゴージャスにしたりするんだけど、彼は逆なの。シンプルでしかも音の数が少ない。それでいて最高に聴かせてくれるのよ』
TAKESI0506さんからのコメント(続投)。
大西順子については、94年のスイングジャーナル読者投稿欄で、“順子命”を自称するジャズライター兼フォトグラファーの藤本史昭さんと、年齢は不明ですが、中野区の女性の方の間でちょっとした論争がありました😢
他愛のない論争とも言えないようなものですが、ご笑読ください😅『一人ぐらい大西順子を大嫌いな奴がいてもいい!!
とにかく、どのジャズ雑誌を見ても大西順子、大西順子って……だからそれがいったいなんだっていうの?
ニューヨークに行かないとミュージシャンになれないわけ? バークリー出ないとスイングジャーナルには載せてもらえないわけね?
今までなんか日本のミュージシャンの事なんてロクに取り上げてもくれなかったのに、全く頭にきちゃうし、呆れてしまう。その上「……もはや“順子命”状態となっているので冷静な判断ができないのだが……」などとおっしゃっているあなたに、冷静すぎる私が教えてあげる。
①ピアノ弾くのに、あのながったらしい髪は目障り
②人を小馬鹿にしたようなあの目付き
③私ほどの天才は、日本にはいないという、あのふてぶてしさと、言ってもわかってはくれないでしょうけれど……。
おかげで大好きだった向井さんのライブにも行く気がしなくなってしまった。
とにかく、私は大西順子が大嫌い! おねがい……日本のミュージシャンの中にもっともっと頑張ってる人がいると思う。そういう人を取り上げて!大西順子嫌いのあなたへ/藤本史昭
「もはや“順子命”状態となっている」大西順子擁護派の代表として書かせていただきます。まずお聞きしたいのですが、あなたは大西順子の音楽について、どうお考えなのですか? 彼女の演奏するジャズも嫌いなのか、もしそうであればどこがどう嫌いなのか、拝見したお手紙からは残念ながらそのあたりを判断することができません。ジャズに限らず、なにかを創造していく作業においては作品(アルバムということではありません)が第一であり、それを鑑賞する側の人間もまずその作品について語るべきだとぼくは考えています。大西順子についても、彼女の弾くピアノに惚れ込んだからこそ、ぼくは「順子命状態」となっているわけで、なにも彼女の経歴や容姿や態度に心を動かされたわけではありません。
あなたが、順子のピアノのここが嫌い! とはっきり指摘してくだされば「なるほどそうかもしれない」「いやそうじゃない」という議論も成り立つのですが、長い髪が目障りとか目付きが嫌いという理由ではねえ……。もちろんあなたがどういう価値基準で音楽を聴こうと、ぼくの知ったことではないのですが、大西以外の“頑張っているミュージシャンたち”もやはり自分の音を評価してもらいたいのではないかと思うのですが。ただ、あなたが③のようにお感じになっているのであれば、彼女のジャズに対する思いが誤って伝わってしまっているようなので、スイングジャーナル誌上で、大西順子の記事の多くを書いてきた立場として、彼女自身と読者の方にお詫びします。彼女の名誉のためにも言っておきますが、大西順子は自分のことを天才だなどとは露ほどにも思っていません。人よりも少しでもうまくなりたい、いい音楽を作りたいという思いが強いため、時としてまわりにも過剰な要求をしてしまい(もちろん音楽的なことでですよ)、それがふてぶてしい態度と映るのかもしれません。そのあたりをうまく伝えられなかったとすれば、自分の筆力のなさを反省いたします。大西順子命のあなたへ
こんなくだらないことで、手紙など書きたくなかったのですが……たかが一人の読者のたわごとに、そんなにムキになることはないでしょう。大西順子命のあなたが、彼女のピアノに夢中になろうと、どうなろうと、それこそ、私の知ったことではありません。
まして、大西順子大嫌いの私が、彼女のピアノのどこが嫌なのかなどとあなたに言う必要もありません。ただ大西順子が大嫌いなだけであなたに、とやかく言われる筋合いは全くありません。世の中に嫌いな人が何人か居たって当たり前で、嫌いな人を嫌いと言って何がいけないのでしょうか。あなたは、あなたで、順子命ならず~っとそうやっていらっしゃればいいじゃないですか。10年後も20年後も順子命でいられる自信は、おありなのでしょうか? いっその事『順子命』という本でも出版されたらいかがでしょう。それなら文句を言われることもないでしょう。
とにかく、ご自分の感情だけでミュージシャンの事を、とやかく書いてほしくありません。私は、ただの読者にすぎません。あなたは、ライターのくせに感情移入がすぎます。
あなたの大切な大切な命、順子様の悪口を書いてしまって、大変申し訳ございませんでした。これからも、私のような鬼の読者から、かよわいかよわい順子お嬢様を守ってさしあげて下さいませ。不毛な“大西論争”はこれでやめにしよう
あなたの反論を読んでまず驚いたのは、すでにそこには大西順子のことについてはほとんど語られていないことだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。しまいにゃ袈裟だけ憎くなる」というすりかえで反論されては、もはやこちらは何も言うことができない。何か言えばそれは自己弁護およびさらなる罵詈雑言にしかなり得ないからだ。しかたがないので、もう一度自分の大西に対するスタンスを表明することによって、このケンカ、ジ・エンドとすることにしよう(編集部が終わらせてくれればの話だが……)。
だからー、オレは大西の音楽に惚れたと言ってるでしょうがー。顔や態度はどうでもいいの。彼女が弾くピアノから出てくる音、さらにもう一歩つっこんで言えば、彼女の音楽に対する姿勢、それに惚れてるの。それはハービーやキースやエルビンに対してだっておんなじなの。ハイ、オシマイ。
御駄賃取郎さん⇒TAKESI0506さん
この記事よ~く、おぼえています。日本人のジャズがこれほど話題になったことはほとんど例がなかったので、反大西派のおっしゃること、お気持ちも十分理解できます。私論ですが、彼女はその後地方をまわりりながらこうした無名の実力ミュージシャンたち?から辛い思いを受け、いやけがさして何度か引退もして、途中芸能人の高島某との関係などでもさわがれ?しつつも結局日本のジャズ界に「愛想つかし」「嫌気がさして」?ジャズを引退することを決意したと見ています。
しかし当時のSJの編集長だった村田氏(故人)が当時周囲に漏らした話によりますと「大西順子を押すことには大きな反対もあった。」とか。。その意味でも村田氏こそ「最後のミスター・スイングジャーナル」であったと思っています。
TAKESI0506さん⇒御駄賃取郎さん
村田氏がスイングジャーナル編集長に就任したのは93年のようですけど、この年から翌年にかけてのスイングジャーナルのフィーバーぶりは、
◎彼女のデビューアルバム「WOW」がスイングジャーナルゴールドディスクに選定され岩浪洋三さんが3ページに渡って紹介文を掲載
◎名古屋で開かれた日本でのファーストコンサートをグラビア4ページで取り上げ、内田修氏が絶賛、
◎ニューヨークのビレッジバンガード出演をカラーページで取り上げ、村田氏が紹介文を執筆、この時の実況盤が再度スイングジャーナルゴールドディスクに選定される
◎寺島靖国さんが「シンデレラの実像/大西順子物語」と銘打って、2ヶ月に渡って連載
◎スイングジャーナル、日本ジャズメン読者人気投票で〈ジャズマン・オブ・ジ・イヤー〉〈アルバム・オブ・ジ・イヤー〉〈ピアノ〉の3部門を制覇する快挙を成し遂げる
等々、目白押しですが、「大西順子を押すことには大きな反対もあった」というのは意外ですね😅
興味深い、というか「おもろ」な投稿ありがとうございます!
人力飛行機さんからのコメント。
今回はコメント欄のほうがどっちかというと面白かったですねー。とくにTAKESI0506さんが掲載の、“大西順子推し”と“アンチ大西順子”の論争が`94年『Swing Journal』読者投稿欄に掲載された記録。“アンチ”の人が色々書いてるんだけど、嫌いな理由が全部大西順子の音楽のことじゃなくて「長い髪が演奏の邪魔っぽい」「目つきが小馬鹿にしてる」「私ほどの天才はいないというふてぶてしさ」とか、で、“推し”の人が「音楽のこと書いてくれませんか?」て一回入れる。に対して「私が大西順子のピアノのどこが嫌いかなどあなたに言う必要はありません」「勝手に大西順子命やってればいいじゃありませんか」あげくに「あなたはライターのくせに大西順子への思いが強すぎます」とか逆にまた指弾する。結局大西順子の音楽がどこが厭なのか分からずじまいで。ただ“大西順子嫌い”だけが激しく伝わる。嫌いって音楽もですか?もっと具体的に大西順子の音楽のどこがでしょうか?と訊いてくる人間さえ嫌い。みてて“推し”の人が気の毒になる嫌いようで、大西順子の周辺全部嫌いだって分かる。いわば“大西順子現象”が嫌いな人だったんだろうと思うんですね。そこまでたぶん大西順子の人気が凄くてまた評価も高く、非の打ちどころもない無敵ぶりがあった・・・。
それで“アンチ”の人。この人が女性であった、てところがミソな気もする。女性が、大西順子の音楽はそっちのけで嫌ってる。それで“推し”が大西順子の音楽のこと書いてくださいと書いたがまたけんもほろろに返してる。結局、何が言いたいかと言えば「大西順子なぞちょっとばかし容姿がまあまあなだけ。男性にウケてるだけ。結局音楽がウケてるんじゃない。“女”がウケてるんだろう。それが証拠に大西順子の音楽を高評価する女性がどこにいるのか。高評価するのは男ばっか。気に食わない。頑張ってるジャズマンなら一杯いるのになんで大西順子ごときがちょいと男ウケする容姿のおかげで持て囃され、高評価までされ、何がジャズだよ。ふざけんな!出て来い!」くらいな嫌い方(笑)これは面白いですねーこういう記録はホント面白い。ジャズみたいな一見高尚な、難解な音楽業界に突如現れた美女が音楽的にも良いとなって男たちが大騒ぎ。その現象をみた女性ジャズファンが怒り心頭。「ふざけんな!ちょいと可愛いだけだろうが!てめえは死ぬまで“順子命”言ってろ!音楽なんかどうでもいいわ。大西順子が気に食わんのじゃ!その周辺の現象全部が気に食わんのじゃ!」がもう全開!(笑)この人は凄い。
しかし、このいわば大西順子現象とアンチ大西順子現象の関数というか正比例というか、があったのがよくわかり、肝心の大西順子がちょっと気の毒というか。音楽というより大西順子現象となると、もう本人は関係ないところで悪意やら飛び交うし。AKB48の前田敦子がアンチからの攻撃がすごくてAKB48まで非難されるのを嫌がって卒業したとか思い出します。「私のことは嫌いでもAKB48のことは嫌いにならないでください!」大西順子ならさしずめ「私のことは嫌いでもジャズのことは嫌いにならないでください!」みたいな(笑)
いやあ面白かったです!
とかげさんからのコメント。
Gさん⁉️