以前アップした動画「7月11日のジャズ/ライヴ・イン・ジャパン(ジョン・コルトレーン)」(こちら)にいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。
コメント
高松貞治さんからのコメント。
ジャズと関係ないんですが、大河ドラマ、「光る君へ」吉高由里子目当てに見てるんですが、いきなり、柄本明の息子、道長と濃厚なキスをしたり、また、道長が放送の回が進むにつれてかっこよく見えるのは自分だけ?不思議だ!とにかく、前の大河ドラマが悪すぎた、だから今回は次も見てやろうという気が湧いてきます!
>前の大河ドラマが悪すぎた、
たしかに!
御駄賃取郎さんからのコメント。
大変申しわけないのですが、私はこの件には真逆?の感想です。なんといっても吉高嬢のブリブリぶりっ子感(に思える)が苦手で、ドラマ自体を見る気が全くおこらないのです。(_ _)
こればかりは完全に個人の好みの問題なのでどーでもよいことなのでありますが、これが私にいわせれば(女房自慢する奴は◯◯!)思考なのであります。たしかにいぜんの大河、「新選組」は学芸会ごっこ感いっぱい?でみませんでしたが、「どうする家康」は主演の某よりは、合戦シーンの描き方、脇を固めた役者陣のみごとさが楽しめました。しかし、これもあくまで私個人の好みなのであります。
ジャズもトレーンのイン・ジャパンの「あたいの好きなもの」のギャリスンの「長いうめき?」があればこそという聞き方は私も同感です。これはあの「ドナウシンゲンのアーチー・シェップ」でのカタルシスから一転してながれる「いそしぎ」のメロディー・・へと至る恍惚感とにているような・・・。
しかし数十年前に初めてLPを買った時は「・・銭返せ!・・・」と思いました。以来やっと60才を過ぎたあたりから気持ちよく感じてきました。単なる「慣れ」だと思います。
ジャズはあくまでも個人の愛聴盤・自分だけの愛聴盤がみつかるという意味でも欲が、もとい、奥が深いのが良いですね。v
人力飛行機さんからのコメント。
お疲れ様です。またUP後早めに耳にして、まだどなたもコメントはしてないときに一番乗り(笑)。お邪魔します。実は私はこの盤。John Coltrane live in Japanについて取り上げてる動画のコメントにコメント返しした動画に(ややっこしい)コメントしたばかりで、それは2024/04/07にUPの「ジャズな話 【コメント返し】コルトレーン、もしかして?!」のコメント欄ですね。そこに私なりにあの盤を聴いた感想を入れたんですが。それが今回この動画でコメント返しされているコメントとウェイトかなり違う。興味ある方いらっしゃったら読んでみてはと思います。→こちら
私は別に何等かの先入観で聴いてたのじゃなくて感じたそのままを書いただけなんですけど。あとそのコメントに、矢沢永吉さんがキャロル解散後にソロで回った、たしか佐世保のコンサートが空席が目立って、それでスタッフがあわてて駅前で只券を配った。それを知った矢沢さんは屈辱を感じた。その日、コンサートのなかで空席の目立つ観客席に向かって彼は「今俺は屈辱を感じている。こんな素晴らしい矢沢がこんな屈辱的な思いをなんでしなきゃいけないのか。でも今日は少ない観客の前でも僕は精一杯やります。楽しんでください」と言葉を投げた。
片や空席の目立つ客席をみて屈辱的。片や同じ状況でも熱演して伝説的な名盤を。まあ二人とも思いは同じものはあった多少の差はあれあったかもしれない。ただコルトレーンのほうはそのツアーの演奏が伝説になる。少ない観客の前で残した演奏が。なので「少ない観客視てチキショー」は矢沢さんの方じゃなかったのかな(笑)。矢沢さんなら発言やイメージと合ってるので。彼はとにかく売れなきゃいけない勝たなきゃいけない。勝てば官軍負ければ賊軍。それは彼自身がスタッフの前でそう言ってる場面を前にTVで視たことがあったし間違いはない。そういう考え。
で上記の2024/04/07動画のコメント欄にも書きましたが、あのlive in Japanしょっぱな冒頭。アナログなら1枚目A面1曲目Afro-Blue聴いて気が付いたんですね。たしかに昔にも聴いたはずなんだけど気づかなかった。そこに、どうしようもない悲惨を目撃したり体験している人間の、胸かきむしる、残酷な、悲鳴や号泣を自分は視た。1966年の日本社会の風景が。水俣湾でとれた、工場排水である有機水銀に染まった貝や魚を知らずに食べて、痙攣が止まらなくなり徐々に動けなくなり死んでいく、廃人になるそんな家族を目にして泣くしかできない。アジアの戦争で巻き込まれていく現地人。日本の基地からアジアの戦場に戦闘機が飛んで行く。水銀を垂れ流した企業の社員はそんなことしたらなにが起こるのかただじゃ済まないと予期しながら何もできなかった。それを防ぐには工場に高額な装置をつける必要があったために。その工場の何もできない技術員の姿。時代の風景。疎外されて圧し潰れていく現代人の。あと、聴いてて怒っているように聞こえる場面もあった。あたかもデモ隊の先頭で激しくやり合ってるみたいな。激しくまくしたててる。口論してるみたいな。そういうのも感じました。で、2024年に、特にコルトレーン信者でもないのが聴いても感じるくらいだから、リアルタイムで聴いてた日本人は、もっと切実だったんだろう。
こういうことは、アレの新しい?ジャケットで、浮世絵で、日本の富士山や鳥や海や日章旗が描かれてるのがある。そこであの演奏から、日本ということを透かすようになった。それはあるかもしれない。あの浮世絵はいつからか知らないけど、日本社会ということが一層音から迫ってくる。
私は今回のコメント返しされてた方みたいなコルトレーン熱ってない人間なんですね。あんまり知らないし正直。しかしあの盤を聴いてるとそういう風景を、喚起されてしまって、ああ、コルトレーンが当時の日本人に残したものってコレか。となんとなく合点して、考え込まされた。そういう経験をしました。これはしかしいったん経験すると、いつまでも残るまさしくコルトレーン体験みたいなものはあるなと。しかしその音からどこにウェイトを感じるかはまさにリスナーの自由なので。それもまた音楽のもつ広さであり深さであり、不思議でもあるという。今日の動画みてて、それもまた感じました。どこかの酔っぱらいがクダを巻いてるかのような表情もありますね。あと、ベース・ソロで三味線や琴みたいな響きを出してるテイクまである。そのへんの表現は多彩で面白い。
昔、あのアルバム買ったはいいが良さが分からずdisc unionかBOOK-OFFに売り飛ばした(笑)。それを思い出して、あの盤に、とんでもない時間が実はあったことに初めて気づいたという。
永井勉さんからのコメント。
John Coltrane – 1966 Live In Japan My Favorite Thingsの
イントロの話ですよね・・・WWW
お酒を呑んでいなかったら無視して飛ばして聴くかも・・・
しかしお酒を呑んで聴いているとこれはこれでいいんですよね・・・WWW
しらふの時は何か、表面的な音の構造しか聞こえて見えてこないんですが
お酒が入ると表面的ではなく内面的な音の構造が見えてくるんです・・・
意外とお酒が入った方が拘りがない分、曲全体がすっと入ってきます・・!!
私だけでしょうか・・・???・・・WWW
永井さんだけです(笑)。
……嘘です、私もです。
「各論聴き」が「総論聴き」になるというか。