Swing Journal 2005年5月臨時増刊号『JAZZ知らなきゃ損する雑学大事典』の「ソニー・ロリンズ伝説の雲隠れ事件とは?」(執筆:岩浪洋三)記事を読んだ動画をアップしました。
コメント
御駄賃取郎さんからのコメント。
私は長い間「ボディコン」とは「ボディ・コンプレックス」の略称だ、と本気で信じていた。つまり「体型補正下着?」のことだ、と信じていた。だが、「ロリコン」だけはちゃんと正確にその意味は理解していた。
・・・(それがなんなんだ?)と思われそうだが、このアホ伝?でいうなら、自分こそ「ロリ・コン」?そのものだなあ?と思っている。つまり「ロリンズ・コンシャス」?の略でロリコンであるのだ。爆
そんな自分がロリンズの何が好きか?といえば、サンジョルディさんが仰るように、毎日サキソフォン・コロッサスは必ず聴く。また雲さんに同じく「ヴィレッジヴァンガード・ライブ」も大好きだ。また、このレコードのウィルバー・ウェアのベースにやみつきになった。 現在ユーチューブでは彼のリーダー作もきけるが、その独特なベースゾロ・スタイルはなにか「哲学的べース・ソロ」と呼ばれたこともわかるなあ。。
そしてエルビンは、昔新宿の地下のジャズ喫茶で、相席(4人がけ席に相対)の長髪のアンチャンが「朝日のように爽やかに」がはじまると、いきなりブラシ!と取り出して「アウッ!アーアー!アウッ!」と奇声をあげながら目の前でテーブルをなではじめたことには度肝をぬかれた!!そしてあろうことか、目の前の缶ピー(わしの私物)から1本勝手にとりだしてプカプカとはじめた!・・・。
閑話休題(それはともかく)。ロリンズのブリッジはそれに次ぐ愛聴盤だ。特に「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」こそおそらくホーン楽器では最高の名演だと思う。ジム・ホールのこれに密かに寄り添うが如きギターも絶品だ。
>ボディコン」とは「ボディ・コンプレックス」の略称だ、と本気で信じていた。
私もでした(笑)。
体に劣等感がある人が、あえて身体のラインを強調した装いをすることで、逆に身体の劣等感を払拭するためのファッション療法だと勝手に解釈していました、22の夏くらいまでは(アホですね)。
哲学的かどうかはわかりませんが(むしろ原始的な初期衝動的と感じてはいますが)、ウィルバーのベースは私も大好きです。
んで、《ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド》なんですが、そうですか。
《ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド》耳の穴かっぽじって聴きなおしてみます🫡
永井勉さんからのコメント。
1962 – The Bridge・・・聴きました・・
多分、弱気なロリンズでしかないですね・・・
ロリンズと言ったら音の張りだと思うんです・・・
ダイナミックな音の強弱とメロディアスなアドリブなんです・・
The Bridge・・気持は入っているのになんでそんなに弱く吹くんですか??
私は強気なロリンズが大好きです!!!
ですよね〜。
私も永井さんの考えに同感です。
中山康樹氏の『JAZZ名盤名勝負』という本があるのですが、そこにはロリンズについて、こう書かれているんですね。
▼一部引用します
『サキソフォン・コロッサス』が物足りないのは、関西出身のロリンズが上京して、無理して標準語を喋ろうとしているからである。いや、ロリンズが「もうかりまっか」と声をかけても、東京人であるトミー・フラナガン(ピアノ)もマックス・ローチ(ドラムス)もその意味がわからず、「……さあ」とか「……じゃん」とか言って、まったく取り合わないのである。特にマックス・ローチは、関西弁を「品がない」とバカにしているフシがあり、ロリンズに向かって、「キミ、東京じゃこう言うのだよ」などと口やかましく言ったに違いないのだ。クリフォード・ブラウン&マックス・ローチ時代のロリンズが、なぜか凡演の連続なのも、ローチがロリンズの口調をいちいち訂正した結果、いつもの“ノリ”が発揮できなかったからなのである。
しかし東京に住む以上、ローチに忠告されるまでもなく、ロリンズは早く標準語を身につけようと苦心したはずである。事実、このことで大いに悩んだロリンズは引退までしたのである。そして橋の下で標準語の練習に明け暮れていたのである。その結果、意味不明の擬音を発する癖は直らなかったものの、プレスティッジ→ブルーノート時代の諸作は関西弁から標準語へと移行しようとするロリンズの姿を伝えるものとなったのである。そしてボクにも経験があることだが、あせるあまり、「昨日さあ、原宿行ってさあ、服を買(こ)うてんじゃん」などと口走ったりするのだが、まあ、それと似たような中途半端なことが、この時期のロリンズの作品のいくつかにも言えるのである。
▲引用ここまで
私は『サキコロ』に関しては、まったく「物足りない」と感じたことはありませんが(むしろ、その大満足!)、それ以外の記述に関しては、「うん、うん、なるほど、そっか!」と笑いながら膝を叩いた記憶があります。
大阪のノリを抑え込んで、無理やり東京人になろうとした結果。
……その代表例が私は『橋』だと思うんですよ。
色々と試行錯誤を重ねていた時期だったんだと思います。
でも、悩み多きRCA時代を経て、その後インパルスに移籍したあたりから、徐々に吹っ切れたのか、開き直ったのか、再び「ブリブリ・ブロブロ」と吹くロリンズに戻っているので、いささか単純明快・クドさが増したとはいえ、やっぱり、考え込んだり無理して慣れないことにトライするよりも、シンプルにドバーッと強気で前に出てくるロリンズが、やっぱり私は好きですね。
永井勉さんからの返信。
ロリンズは技巧に走らなく、歌心のあるプレーヤーだと思います!!!
アニメ、ブルージャイアントの作者はダイとロリンズを重ねて描いています!!
とにかくロリンズはカッコイイんです・・・!!!
日本一のジャズクラブ「So Blue」の平さんも「全力で前に出ようとする強さがあるし、音も独特、面白い」と仰ってました(笑)。
Kawai Andyさんからのコメント。
The Bridgeは「抑制の美学」に痺れます。豪放磊落な人が知的な側面を見せてくれて、とても渋いです。
ホールの思慮のある繊細なタッチは、端正で均整のとれたフレッシュな演奏をロリンズから引き出し、
いい意味で力の抜けたある種の達観した悟りのようなものを感じさせます。
抑制の美学、言われてみれば、確かにその言葉ピッタリきますね。
で、そうだよなぁ、そうなんだろうなぁと頭では理解できるのですが、いまいち、身体が、というよりは、感覚が? まだ追いついていけない…。こればっかりは仕方ないですね。
でも、気を取り直して聞き直してみます!
キーワードいただきありがとうございました!
人力飛行機さんからのコメント。
面白いですねー激しい演奏と物静かな演奏。激しい演奏が好きなリスナーもいるし。本人はでも一回やったことはもうやる気が起きない。これは私みたいなHPやYouTube発信する人間でも言えるんですね。基本、まだ世に出てないはずなこと、誰も言ってないだろう自分でも発見があったこと。がやっぱり張り切るんですよね。自分が一回言ったことはウケたからといってもう言いたくない。
そのソニー・ロリンズさんて方でも、自分のことを今までと違った風に表現して世に問いたい気はあっただろうから、それは表現者である以上強いはずだから。昔ウケたからといって繰り返したくない気はあるはずですから。
歌謡曲では売れてる歌手がそれまでと違う路線で出してくる。ムチムチHな唄で売れてた榊原郁恵がだんだん大人路線に路線変更。するとムチムチHが好きだったファンが離れて行く。ここがああいう歌手の難しいところなんですね。同じ路線でやってれば少なくともムチムチHな唄が好きだったファンー私みたいなーは離れないのになぜか違う路線を開拓しだして。そこでも良い曲はあるんだけど、かつてのムチムチHが好きだったファンは戻らない。これは難しいですね。ああいうのってご本人がそもそもムチムチHが嫌気がさして、というのもあり、レコード会社はどうなんでしょうね。レコード会社は売れてくれたら良いわけだから、路線は変えてくれないほうがレコード会社は安心すると思うんだけど。
そういえばジミ・ヘンドリクスも初めのexperienceから路線を変更しようとしたらレコード会社から反対された経緯はあったみたいですね。でも変更してあのWoodstockでドラムのミッチ・ミッチェル以外初見のメンバーを4人出してきた。それがThe gypsy sun&rainbow=The band of gypsy。でもそこからまた3人脱退。ベースのビリー・コックスだけ残留。そういうのはつきものみたいで。
榊原郁恵とソニー・ロリンズさんといい。いや難しいですねえ❤️
MrNOBUchanさんからのコメント。
雲隠れ中のロリンズは、ビル管理会社に就職し朝から夕方まで、テナーサックスからモップに持ち替え契約したビル内の清掃に汗を流し、仕事明けにウィリアムズバーグ橋に出向き、ひたすらテナーの練習に没頭していた・・・らしいです。我が国ではかつて、ロリンズが雲隠れを終えRCAと契約した後の優れた未発表録音を集めた「アフター・ザ・ブリッジ」というLP二枚組アルバムが発売されましたので、私も求めて聴きロリンズ節健在を再認識したことがあります(後年CD化されましたのでこちらも求めました)。ジャズアニメ「Blue Giant」の作者氏も、このエピソードをよくご存じなのだろうなあと思いつつ、「Blue Giant」を拝見しました。
確かに、主人公は土手や橋(の下)で練習してましたからねぇ。
練習といえば、個人的には主人公の友達のドラマーの練習への熱量、集中力、急成長が良かったです。