ジョン・コルトレーンの問題作(?)の『アセンション』について

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世評ではジョン・コルトレーンの「問題作」とされているアルバム、『アセンション』について語った動画をアップしています。

コメント

坪内満さんからのコメント。

若い衆は散開ご飲み足りなかったんでしょうね~!? 閑話休題、巨人の星、あしたのジョー等、当時のアルバムは「神棚」の奥に…老体に引っ張り出す気力か… 故に、雲様の語りで楽しませていただいております。感謝です❢

誤字!「散会後」でした。失礼いたしました。

ありがとうございます!

TAKESI0506さんからのコメント。

「アセンション(神の園)」が日本で発売された66年、スイングジャーナルのディスクレビューは中村とうようさんが担当してました。さすがの中村とうようさんも、かなり混乱しているようで、評価は遠慮したいと弱音を吐いてます

『昨年11月号の本誌に「コルトレーンをどう思うか」というアンケートが出た。それにぼくは、トレーンがインパルスにいつもレギュラー・クワルテットのレコードしか吹込まず、そのスタイルがあまりにも安定してしまっていることに、ちょっぴり不満をもらした。
 今日のジャズ界が何となくツマラなくなっているとすれば、デヴィス、モンク、トレーンなど大物がいずれもまるでブルーベックの真似でもしているかのごとく、レギュラー・コンボでのレコーディングしか行なわないという点にあるのではないか。ひところプレスティッジによく入っていたような、他流試合的なジャム・セッションがヴェテランたちによってほとんど行なわれていないのである。その結果「ああまたか」と思うようなレコードしか出ない。顔ぶれを見ただけでゾクッときてレコードに針を落すのももどかしいような、スリリングなセッションが皆無に近いのである。
 そのような気持を前々から抱いていたぼくにとって、このレコードは、まず顔ぶれを見ただけで興味津々。久しぶりにレコードに針をおろすスリルを味わった。
 最初はちょっとチャーリー・ミンガス風なアンサンブルである。やがて、オーネットの「フリー・ジャズ」を強く連想させ始める。一見無秩序に聞こえるほど、各人が自由気ままに吹いている。しかし、実は、全員が目に見えない、もっと高次元の秩序に従っているのだ。それは、例えていうなら、午前9時15分前ごろの東京駅のような状態だ。中央線や山手線をおりたサラリーマンたちが、足早にホームから階段を下り、改札口から外へ出る。この通勤者の群は、もちろん整然たる隊伍をなしてはいないし、服装も年格好も千差万別だ。しかるに、なお観察者は、この人の群にある統一感を覚えるだろう。とにかく同じ日本の経済法則にしばられた貧しいサラリーマンたちが、遅刻しまいと同じような急ぎ足で電車から町へと流れて行くのだから。
 最初のアンサンブルの部分は、一種のカノンのような形になっている。同じようなパターンをテナーやトランペットやアルトがそれぞれに吹奏する。しかしパターンの繰返される間隔が不規則であるため、それらの積み重ねは、ヴァーティカルに極めて雑然とした不協和音にならざるを得ない。従来のコードの観念は当然あてはめるべきではない。むしろ個々のホーンのホリゾンタルな線が、繩のようにからみあいながら進行していくのをそのまま聞いていればいいのだろう。こういう調子だから、ホーンとリズム・セレクションとの関係は、普通のリズムへの乗り方とは余程違ったものになってしまう。
 そうしているうちにやがてコルトレーンのソロ、つづいてハバード、サンダース、ジョンソン、シェップ……といった具合いにソロをとる。このサンダースのソロなどは、アルバート・アイラーにかなり似ている。ぼくはアイラーというのは今迄いつも何がしかの異和感なしには聞けなかったのだが、ここでのサンダースが「アイラーそっくりだな」と思いつつも異和感を覚えさせないのは全体との調和がよく取れているからに違いない。
 こうして、無秩序の秩序がくりひろげられて行くのだが、聞いているぼくをとらえているのが、音楽を味わっている喜びとはちょっと違うような気がしてならない。むしろそれは、生理的に不愉決な不協和音にジッと耐えている自虐の快感ではないのか。勿論、それも音楽から受ける喜びのひとつには違いない。やたらに音を大きくしてジャズを聞きたがる人たちの多くが、無意識のうちにそのようなマゾヒズムの楽しみを味わっているのだから、そのこと自体はかまわない。ただ、ぼくがこれまでコルトレーンに期待していたものがこれだったのか――と思うと、やはり割り切れないのだ。ぼくの前衛ジャズへの理解の不足のせいかもしれないが、シェップの「フォー・フォー・トレーン」がもっていたような「美しい音楽」を、ぼくはやはりトレーンの今後に期待したいのだ。「フリー・ジャズ」のような真似をすることが果たしてコルトレーンにとって「アッセンション」(上昇)なのか。問題が多すぎてぼくには評価できないので採点は遠慮させて頂いた』

「午前9時15分前ごろの東京駅のような状態」とは秀逸な喩えですねw
採点は遠慮されつつも、ヘンに宗教や政治や自己の思想に我田引水することなく、「音楽(出来事)そのもの」を的確な分析をされていると感じ、さすが中村とうよう氏!だと思いました。

大 深堀さんからのコメント。

アセションを買いました。カオス状態中でフレディハバードの🎉🎉🎉😂😂😂❤️❤️❤️トランペットが安らぎです。大深堀でした。🎉

オカハセちゃんねるさんからのコメント。

アセンションの中のフレディハバードのソロは確かにいいですよね。彼の即興を聴くとフリーインプロビゼイションこそセンスが問われるなと感じます。センスの無いフリーは、それこそ「聴いてる側よりやってる側が楽しい」というものだけ(多少ならいいけど【だけ】になるのはね…)になりますね。

>フリーインプロビゼイションこそセンスが問われる
おっしゃる通りだと思います。

情報(材料)が少ない中で旋律を創造していくわけですからね。

あらかじめ部品が用意されたプラモデルを組み立てるのと、木を削って形を作っていくソリッドモデルを作るくらいの違いがあるのかもしれません(?!)。