ツボ人それぞれ〜マイルス、モンク、ラウンド・ミッドナイト

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動画「【コメント返し】まるでジャズ評論家のようだ」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしています。

コメント

TAKESI0506 さんからのコメント。

ソニー・スティットについては粟村さんの「モダンジャズの歴史」に記述があり、以前にも書き込みましたが、もう一度……😢

『アルトを手にした時のスティットのプレイが、一聴パーカーのそれに極めて近く、しかもパーカーほどの創造力を欠いていたという観察には、充分な客観性の裏付けがあった。
 スティットとパーカーのプレイを隔てていた最大の要素は、彼ら二人のリズムに対する冒険的な姿勢の差であった。スティットは、情緒的には、きわめてパーカーに近い線にあったと思えるのだが、彼の創り出すフレーズには、パーカーのそれに聞かれるような錯綜したリズム感というものがなく、傾聴しているうちに、自然と先の見えてくるような、一種の物足りなさが常につきまとっていた』

スティットは82年7月22日に皮膚癌のために亡くなりましたが、その10日前の12日から北海道ツアーが挙行されました。ただ、既に末期癌の症状に陥っていて車椅子に座ってアゴに大きな絆創膏を貼ったような姿で、とてもまともな演奏ができるような状態ではなかったようです。
 スイングジャーナル読者投稿欄には、これについて青森の男性から痛烈な批判の投稿がありました。

『スティットの死に対する反論
ソニー・スティットの死について岩見沢、ネムロのジャズ・クラブ、そして9月号には井上氏の一文が載せられている。共通しているのは、最後の彼に直接ふれたという点である。ここで感ずるのは、すでに死と隣り合わせていた彼をこの人達は一体どんな気持で見ていたのだろうという点だ。
 来日した時、彼はもはや演奏に耐え得ない程衰弱していたという。そういう彼を北海道まで引きずり出し車椅子に乗せてまで舞台に上げた「呼び屋」の商売本位には猛烈に腹が立つが、同時にそういう舞台に拍手を送った人達の無神経さに寒い思いがするのである。私にはその拍手が彼の死を早める執行人の役割しか果たさなかったとしか思えない。なぜ、演奏をやめさせようとしなかったか。岩見沢ジャズ・クラブの文によると「人道的でない」との声もあがったという。つまり、見るに耐え得ない状態であったわけだ。にもかかわらず、花束贈呈の儀式までやってのけている。
 死の淵にある彼の演奏が、まともである筈がない。舞台の上で死ぬのが本望というのは、日本人が勝手に作り上げた幻想(あるいは願望)にすぎない。それがどんなにつらかったかを、まず考えるべきではないか。スティットの死に触れて、死の演奏を黙過(もっか)した責任とその痛みを、第一に感ずべきではないか。「ありがとう」と言う前に「申しわけありませんでした」と言うべきではなかったか。わが愛するジャズ・ファンが、こんな感覚で舞台を見ていたとするとまことに恐いという感じがするのである』

諸々知りませんでした😮

御駄賃取郎さんからのコメント。

マイルス・バンドにソニー・ステットが加わったバンドは、実に摩訶不思議?なサウンドですよね?
おそらくツアーにエキストラでステットが参加したものと思うのですが、驚くべきことに、ステットが吹き始めると、全く「マイルスのバンドなのだ」という匂いが消えさり?完全に「ステット・バンド」にきこえてしまいます。笑 「さっすが!巨匠・ステット!(マイルスに従う気など微塵もなし)」とうれしくなっちまいました。笑

そして今日の雲さんの至言。「なにからきいたらいいの?」「そうさね・・チャーリー・パーカーだあね。」「なぜ?どこが?」「そいわね、いいからだあよ!」笑 今後、これ、使わしてもらいますぅ!!ヽ(^o^)丿

そしてもう一つ。雲さんが語る「美術のセンセ評」に全く同感ス!これは自分の実体験と完全にダブります。
子供の絵や、音楽の才能の評価なんか、ガッコのセンセもかなりいい加減?で、「キミは実技の評価がねえ・・・」との言葉をもらい、(グレてやる!)と思った経験がありますだ。。^^;

そうですねぇ、まさにおっしゃる通りで、マイルスバンドにスティットが参加している音源を聞くと、スティットのソロパートの箇所は完全にスティットバンドになっちゃってますね。

ま、それはそれで良いんですけど、マイルスとしては、自分の名を冠したグループの意味があんまり無いんじゃないの?と思たでしょうね。
ま、いっか。良い奴が見つかるまでの穴埋め要因だから仕方ないか、と思っていたかもしれませんが。

美術の教師についてなんですが、先ほど暇だったので文科省が中学校(中学の美術教師)に求める美術教育の目標や教育指針関してなどをネットで調べていたところ、昔と今とでは随分と違うようです。

いま流行りの(?)「多角的な視点」というやつですか??wwww

従来の美術教育は、主に生徒の表現力に重きを置いていたのですが、最近は、美術を通して、他者と意見交換をしたり「協働」して作品を作り上げる能力を養うということも必須なようですね。
つまり、協調性が無い私のような人は、評価低くなる😂

そして、やっぱり「授業態度や取り組み姿勢も評価の対象」とのことなので、仮に絵や彫刻が下手でも、一生懸命やっている生徒(一生懸命やってるふりをしている生徒も?)の評価が高くなるようですね。

美術教師は、生徒の表現力だけでなく、

与えられた課題に対して積極的に取り組んでいるか、
授業中に積極的に発言したり、質問したりしているか、
グループワークなど、友達と協力して課題に取り組めるか、
作品を完成させるために、最後まで粘り強く取り組んでいるか、
自分の作品に対して、客観的に評価し、改善点を見つけることができるか。

……などなどの要素も観察して総合的に評価するようです。
大変なのネ😵

なんでこうなったのかというと、その理由はなんだかもっともらしいというか、他の教科(技術や家庭科や情報など)にもそっくりそのまま当てはまりそうですが、「現代社会においては、情報化が進み、表現方法も多様化しているため、多角的な視点から捉えるように指導する必要性がある」からなのだそうです。
あら、そうなのネ😵

で、美術を通して人間性を育んだり、将来社会で生きていく上で大切な資質を育んだりするそうです。
へぇ、そうなのネ😵

そして、美術教師は「生徒が安心して自己表現できるような雰囲気作り」もしなければならない模様。
そうですか、大変なのネ😵

これらをきちんと呑み込んで、教育現場でしっかり実現しようと粉骨砕身努力されている美術の先生はどれくらいいらっしゃるのかは分かりませんが、
いずれにしても、
大変なんですネ😵