動画「【コメント返し】チャーリー・パーカーといえば「サヴォイ」が大好きなんです」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。
コメント
Kawai Andyさんからのコメント。
オムニブック、そういう物があるんですね、なんだか答え合わせみたいです。(笑)ww😄😄でもわかる気がします。なぞることで凄さが納得できそうですものね。私は親が教育に対して無関心で家も貧しかったので、男の子に音楽教育は必要と思わなかったのでしょう。ただ、子供の頃から音楽を聴くのが好きだったのですが。演奏したい衝動のようなものは無く、聴く快感のようなものだけで満足して来ました。ですから楽理のことは簡単な事しか解りませんが、聴音を子供の頃に受けてたら良かったと思いますね。階名がスラスラ分かる雲さんが羨ましいです!
>階名がスラスラ分かる雲さんが羨ましいです!
あ、でも絶対音感ではなく相対音感ですし、
あまり速すぎたり、曖昧な音色だとまったくわかりません。
むしろ、その方が(階名が歌えない方が)、頭が疲れないので心地良かったりします。
たとえば、クラシックの曲に例えると、
ベートーベンの運命の出だしの「ジャジャジャジャーン!」が聞こえるたびに「ソソソミ♭ー」とつい自動翻訳して脳味噌が疲れるよりは、
人によっては難解?と思われているドビュッシーのピアノ曲の方が心地よいですw
これらの多くの曲は、パラパラパラパラパラ……と音符の数が多いですよね? あそこまで音符を細分化して散りばめられると、それが一つの塊というか色のような感じでスッと頭の中に入ってくるので、むしろ疲れないんですよね。
《運命》の「ソソソミ♭ー」は音符が4つだから疲労度?を「4」だとすると、
ドビュッシーの「パラパラパラ…」はそのユニットを1つの情報と解釈するので「1」なんですw
だから、新主流派と呼ばれる人たちのジャズ(ショーター時代のマイルス含む)や「謎のスピリチュアル・ユニティ」などを私が好きなのは、フレーズを階名に置き換えることを(無意識に)放棄しているから心地良いのかもしれません。
ただ「感じる」だけで済むから。
昔、台湾行った時に、大量に現地の書籍を買って帰ってきたのですが、中国語が読めない私だからこそ、パラパラとこれらの本をめくるのが楽しいんですよね。
装丁とか紙質とかレイアウトとか活版印刷の手触りとか、本来の「内容」とは無関係なところで楽しんでいるのですが、「理解できない」からこそ、無責任かつ勝手に遊べる楽しさっていうのもあると思うんですよ。
「学問」とか「読書」とか、そういう括りから離れて。
ところが、これが日本語で書かれた本だとそうは行きません。
読めるから、意味が入ってきちゃうから、絵とかデザインとか画像として認識せずに、意味のある文字として認識してしまう。
「理解しようというモード」に自動的にスイッチが切り替わっちゃう。
そして、うっすらとなんだか義務感めいたものが乗っかってくる。
で、疲れる(涙)。
やっぱり疲れないのが一番ですw
わからないものはわからないものとして放置しておき、自己流に楽しむことも、趣味の醍醐味の一つだと思います。
もちろんゲームや筋トレや楽器演奏など、成長、向上を目的にしないと面白くない趣味もたくさんあります。
しかし、ヘンに頑張ると逆効果なこともあるという経験もしています。
たとえば、私は昔からプラモが好きなので、戦闘機や戦車をピンクや紫や赤など好き勝手な色で塗って楽しんでいましたが、好きな飛行機や戦車の解説を読めば読むほど、そしてそれらが開発された経緯や歴史的背景を知れば知るほど、金とかオレンジといったメチャクチャな塗装が出来なくなってしまいました。
タミヤからタイガーやパンサーの「後期型」のプラモが出ているのですが、それを作っていざ塗ろうとすると「1943年中期~1945年の大戦後期のドイツ戦車の塗装はダークイエローか、3色迷彩にしないといけない」というような知識が邪魔をして、「本当はダークグレイで塗ってもカッコいいのになぁ」という気持ちを抑えて史実通りの塗装をしてしまう。
もちろん、説明書通りに作れたという満足感はあります。
でもこれって、日本全国のプラモデラーがタミヤの言われた通りに作った同じような戦車模型が一つ増えただけという気がしなくもなく、果たしてこれが、本当に楽しいことなのかな?なんて思えてきたりもして。
中途半端に知識を仕入れた結果、かえって感性の自由度が束縛されてしまった例といえましょう。
別にタミヤはあくまで「塗装例」としてこの時代の戦車はこういうふうに塗られてましたよと説明書に書いているだけで、田宮模型さんはまったく悪くないんですがw、なんか知識に縛られ自由な発想を奪われてしまっているように感じる自分がもどかしくもあり、ははぁ、なるほど、これってコード進行やパーカーフレーズの呪縛に縛られ、そのように演奏することが良しとされている中、それでいいのだろうか?という気分のジャズマンももしかしたら同様のことを考えていたのかもしれないな、なんて思ったりしてw
で、新たな価値(モード、フリー)などを持ち込んで、もっと「自分自身が自分らしく自由に」演奏するための枠組みを作っていったのかな?なんても思ったりもしました。
で、開き直った私は一昨年くらい前かな? パンサー戦車を紫っぽいピンクに塗って「ピンクパンサーじゃ!」とヤフオクに出品したり、
旧日本軍の戦車をメタリックレッドに塗って「飯富や真田や井伊の赤備えじゃ!」とヤフオクに出品したりしました。
そしたら、予想以上に高値がついたという(笑)。
知識や無意識に感じる慣習、通念に従うことも大事ですが、自覚的にそれを破る楽しみっていうのもあるんですね。
…なんだかつらつらと駄文を連ねてしまい申しわけありませんでした。
大 深堀さんからのコメント。
バードザサヴォイマスターテイクスを買いました。パーカーのアルトがカッコイイですねー。愛聴ばんになるようです。いきよくはみじかいですけど。ウレシーサイコー大深堀でした😂😂😂🎉🎉🎉
このマスターテイクスの「超」素晴らしさを感じていただき、とっても嬉しいです。
これはですね、良いのです。
いやぁ〜本当に良いものなのですw
2024年8月13日