明瞭アルトサックス!チャーリー・パーカーの説得力ある音

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動画「チャーリー・パーカー〜ジャズファン、それぞれの感想、思い入れ」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。

コメント

Jさんからのコメント。

パーカ─といえば 万年筆も有名だったなあ~

はて 昭和任侠伝ならぬ 昭和残光伝など

LPプレーヤ─ ペン  ウォッチ 
共通点は?

みな新しいテクノにやられ居場所を追いやられつつ最後の威光を放ち又は放ちつつあるもの
感慨深いし ちょっぴり寂しいものですな~😢

       J

御駄賃取郎さん⇒Jさん

同じく、私がびっくりしたのは「セシルマクビー」というブランドがあるということを知った時でした。。

「パーカー嫌い」の御駄賃です。^^;
実はパーカーに対する私の偏屈・偏見?は以前高野さんが見抜かれたように、「完全なる偏見・ヘイト」から来ています。笑

初めて買ったパーカーのレコードは「バードシンボルズ」ですが、(すげえ!・・んが、好きじゃねえな・・)と思いました。そこで意地になってレコード、CDを買い漁り?毎年、会社が夏休みになるたび
集中して聴きまくったものです。笑 でもどうしても(・・・自宅ではあまり聴きたくないな・・と思ってきました。そのコテコテパーカー節?が好きになれませんでした。。

しかし、それでも集めることをやめなかったのは、まあ、世界文学名作全集を買い集めるような気持ちからでした。

これは私にとっては、あの、ジミ・ヘンドリクスに抱いた感情と似ています。「すごいけど。。」と、あとは好みかどうか?の問題のように感じています。

しかし現在では、「ジャズに興味をもった人」には「まずはチャーリー・パーカーのコンピ盤を聴け。それが気にいったら次はウイントン・マルサリスをすすめるよ。」とアドバイスしていますが、何故か
その後だれも、ウンともスンとも言ってこないのです。。。(^^ゞ(_ _;)

Jさん⇒御駄賃取郎さん

あ~ そうですか~
ま~でも いつか好きになるときが突然くるかも~😌
パ一カ一 私は好きになるに何十年かかりました~
しかしもっと時間かかったのは なんとリーモーガンでした😱
ほんとにごく最近すごいな~ と

御駄賃取郎さん⇒Jさん

Jさん ありがとうございます。^^  こうした姿勢はすばらしいと思います。尊敬いたします。・・私はどうやらパーカーを理解できないままで終わりそうな予感が自分にあります。。

しかし、だからこそ「パーカーのここが好き」というご意見にはとても興味があるのです。
そしていつも「こうして好みは人それぞれだからこそ、わしのよな醜男でも縁がむすべたのかあ・・・と納得することしきり!」でございました;;;。

Kawai Andyさんからのコメント。

コメント返し、有難うございます!
さすが!雲さんの実体験に基づく「音価」についての分析メッチャ鋭いですね、目から鱗です!
私のコメントの「球質の重さ」については確かに、村上春樹の本の記憶がどこかに残っていたんでしょうね。

また、パーカーの音楽を聴いていると眩いほどの輝きを「感じる」のですが、演奏するキーのせいでしょうか?録音のせいでしょうか?楽器を上手く響かせる事なのでしょうか?
音楽は「聴く」ものですが、広く云えば芸術などは何かを「感じるもの」と常々思っているのですが、全く不思議です!私はこの輝きに「歓び」を感じ、魅了されてしまいます。他に似た感じでは、クリフォード・ブラウンにも似た感覚を覚えます。マイルスはその逆で闇の、漆黒の美しさを感じますね。

ともあれ、ヤク漬けのアル中の人間がこのような輝かしい音楽を紡げられる不思議をどう理解したら良いのでしょうか?
偉大なものは「モナリザの微笑みのような謎」に包まれているんでしょうね。

いつもコメントありがとうございます!

その人のコンディションが好不調と関係なく、「やっぱりこの音は彼の音だなぁ」と思わせる音の存在感のようなものって、そう感じさせる要因はたくさんあると思います。
楽器、キー、音色、録音、響き、フレーズ、色々な要因となっていると思いますが、個人的には「音価」が最も個性を決定づける要因だと思っています。

音の伸ばし方や出すタイミング、そして粒立ちといった微妙な要素ですが、それが音色やフレーズよりも先に聞き手に伝わる「気配」、つまり「演奏者の個性の気配」を生み出しているのではないかと感じています。

先日、縁あって「ビリギャル」を育てた坪田塾の坪田先生のオンライン講義を受けてみたのですが、坪田先生いいこと言ってましたよ。
「(教育者の)励ましなどの声がけは“音速”だけど、笑顔は“光速”だ」
と。

あ、なるほど!と腑に落ちましたね。
声がけって言葉なので、耳で聞いて意味を解釈して納得、腑に落ちるまで少し時間がかかる。でも、笑顔って見た瞬間ですから、一瞬なんですよね。

これを強引にジャズ(というか音楽)に置き換えると、声がけの言葉ってフレーズなんですよ。音の連なりを捉えて脳内で情報処理するのには時間がかかるんですよね。それに比べれば、音の気配だったり、音色は一瞬で伝わる。

そうか!
フレーズは「音速」で、
音色や音価は「光速」なんだ!
と全く関係ないところで感心していましたw

そして音色以上に、やっぱり音価だよなぁと。
その演奏者の個性を決定づけるのって。

例えばピアノを例に出すとわかりやすいと思いますが、ピアニストってサックス奏者やトランペッターやギタリストのように「マイ楽器」を持ち歩けませんよね。重いからw
だから、スタジオやライブ会場など、その場のピアノを使うしかない状況がほとんどですよね。
で、同じピアノといえども、会場によってコンディション(鍵盤の重さ)や音色は違うわけで、それなのに演奏状況が異なっても、音色やタッチでその人だっていうことが分かってしまう(個性が強い人であればあるほど)。

バド・パウエルが弾けば「ああ、バドだ!」と一発でわかりますもんね。
ルディ・ヴァン・ゲルダースタジオで録音したピアノの音であろうが、フランシス・パウドラがプライベートに録音した音の悪い録音であっても、
ファンが聞けば「ああ、バドだ!」。

これは音価がもたらす「気配」が同一だからなんだと思います。

これはピアノに限らず、他の楽器にも当てはまることだと思います。

私もバンド活動をしていた頃、スタジオやライブハウスなど場所によってベースやアンプが違っても、録音を聴き返せば瞬間的に「ああ、やっぱりオレの音だなぁ、イヤだなぁ😂」と一瞬で感じたものです。
私特有の弦をピッキングするタイミングや音の伸ばし方、つなぎ方、音が複数羅列した際のイントネーション(訛りみたいなもの?)が、ほんと、自分でも嫌になるくらい自分なんですもん。

だから、私はその人を決定づけるものって、音色やフレーズ以上に、「音価」は演奏者固有のものなのだと改めて思います。

天才ピアニストゆうこりんの動画を見てると、彼のピアノの音かって独特ですもんね。
あの変顔とは裏腹に(?)、とてもタッチがキビキビしていて、歯切れがよく気持ちが良いです。

多分、自宅のピアノじゃなくても、ライブ会場のピアノでもあのようなタッチで弾くのでしょうし、違うピアノを弾いても、そして仮に調子が仮に悪くても、やっぱり、ゆうこりんのピアノは、誰が聞いても、やっぱり「あっ、ゆうこりんのピアノだ!」となるんでしょうね。

そうだとすれば、ヘンに奇を衒ったことをやらなくても、人と違うアプローチで差別化を無理してはかろうとしなくても、その人が楽器を鳴らせば、その人の音の気配って出てしまうものなのでしょう。

あとはそれが際立っているのか、凡庸なのかだけの違いだと思います。

これはお喋りにも通じることだと思います。
ご立派なことを言っていても退屈で眠くなる校長先生のお話なんか良い例ですよねw
その一方で、小泉進次郎氏の喋りなんかは、薄〜い内容でも本人は真剣なので(ほんの一瞬ですが)なんだか大層なことを言ってるように錯覚させてしまう効力があったりもするw

以上のことから、パーカーの「輝き」についてですが、彼の音価が放つ特有のタイミングや粒立ちが、その輝きを大きく支えているのではないでしょうか。

彼の音楽にはスリリングな速さやエネルギーがある一方で、その中に絶妙な余韻や間がある。それがまるで光の粒が空中で踊っているような感覚を生むのだと思います。録音の質やキーも影響している可能性がありますが、やはりパーカー自身の音価がものすごく特徴的な気持ちよさを持っているからだと思います。

もっともパーカーの音価に特徴的な気持ち良さを感じるのは個人差はあると思いますし、お駄賃さんのように「ワシは嫌いじゃ!」という人も中にはいることでしょう。

しかし、私は気持ち良い。

これに慣れちゃうと、というより、これが基準になってしまうと、ソニー・スティットのパーカー・ナンバーの演奏が気持ち悪く感じる。いや気持ち悪いというのは言い過ぎかもしれませんが、アザといよなぁと感じられてなんだかすきになれません。
それなのに、同じソニーでも、そして似たようなパーカー派でありながらも、ソニー・クリスは気持ち良いんですよねw
その差はなんなんだろう?って昔からよく考えているんですが、やっぱり音色と発音のタイミング(つまり音価)なんだろうなぁという結論に今のところ落ち着いています。

また、クリフォード・ブラウンやマイルスに関するご指摘も非常に面白いです。
ブラウンの「輝き」とマイルスの「漆黒の美しさ」、どちらも彼らの音価や音の扱い方が反映されたものでしょうね。ブラウンは音符のひとつひとつが丸みを帯びて、大袈裟にいえばまるで黄金の粒のように聞こえます。金の粒というと納豆のようですが(苦笑)、そうではなくて、そのまんまの意味の金の粒です(当たり前)。
一方でマイルスは空間を使い、静寂や間を漆黒のキャンバスとして音を描いている。これらの違いが演奏者独自の「気配」としてリスナーに響くのだと思います。

そして、パーカーの生い立ちや生活環境とその音楽の輝きのギャップについてですが、確かにこれも謎めいていますよね。まさに「モナリザの微笑み」のような不思議さ。まあ俗な喩えになっちゃいますが、エッチが巧いヤクザ?🤣
これらのギャップには、人間の持つ複雑さや矛盾、そしてアウトプットすることを通じてそれを昇華する力が見え隠れしているように思えます。この謎こそが、私たちを彼らの音楽に引きつけてやまない理由の一つかもしれませんし、人を気持ち良くさせたり人を惹きつける魅力、能力って性格や生い立ちとは無関係なんだと言えるかもしれないですねw

またぜひ、Kawai Andyさんの視点をお聞かせください。
いつも興味深いコメント、ありがとうございます!

2024年8月7日