先日アップした動画「【コメント返し】ブルース重力とウェイン・ショーターと新主流派の浮遊感」(こちら)にいただいた視聴者様からのコメントを紹介した動画をアップしました。
コメント
高松貞治さんからのコメント。
ブルックナーの浮遊感もよく分かりませんが、片山杜秀が、ドヴォルザークは19世紀の、マイルス・デイヴィスだ!と言っていたので、ヨッシャー!と、思って、クラシックの本を引っ張り出したり、少し聞いてみたりしたんですが、鉄道好きということだけが分かっただけで、いったいどこが、19世紀のマイルス?と疑問だけ残って、全くわかりませんでした😂
私もなぜ? よーわかりませんです。単に勉強不足なだけなのかもしれませんが😂
ドヴォルザークは私が子どもの頃、家にクラシック全集のレコードがあって、その中の数枚のLPを好きでよくかけていたのですが、記憶の中の音のイメージからは、あまりマイルス特有の緊張感のようなものとの共通性はあまり感じられないんです。単に勉強不足なだけなのかもしれませんが😂
もしかしたら、「19世紀の、マイルス・デイヴィスだ!」というのは、その生き方とか、世の中に与えたインパクトとか、そっち方面のことなのかもしれませんね。勉強不足でよくわからないのですが😂
とはいえ、このまま分からないままにしておくのも残念なので、せっかくの興味深い評論(ドヴォルザークは19世紀の、マイルス・デイヴィスだ!)についてチャットGPTに質問してみました。
質問内容は以下のとおりです。
Q.
クラシックの作曲家にドヴォルザークっていますよね?
片山杜秀という政治学者、音楽評論家が、「ドヴォルザークは19世紀の、マイルス・デイヴィスだ!」と言っていたそうですが、どうしてもドヴォルザークの音楽と、マイルス・デイヴィスの音楽の共通点がわかりません。
もしかして音楽そのものの共通点というよりは、生き方だったり、生い立ちだったり、革新的だったり、音楽を創造する上での思考パターンとか、そういうところに共通点があるのでしょうか?
マイルス・デイヴィスというトランペッターと、ドヴォルザークという作曲家の人生や経歴、実績、歩みなどから比較して共通点があったら教えて。
また、片山杜秀という政治学者、音楽評論家の実績、評論スタイルから、なぜ彼は「ドヴォルザークは19世紀の、マイルス・デイヴィスだ!」と言ったのか、推測できる思考パターンからも推理してみて。
そして、AI(ChatGPT)からは以下のような回答がきました。
A.
片山杜秀が「ドヴォルザークは19世紀の、マイルス・デイヴィスだ!」と言った理由は、音楽そのものよりも、二人の人生やキャリア、革新的な姿勢に共通点があると考えられます。
ドヴォルザークとマイルス・デイヴィスの共通点
1.革新性とスタイルの融合:
ドヴォルザークは、自身のチェコの民族音楽をクラシック音楽に取り入れることで知られています。特に「新世界より」では、ネイティブ・アメリカンやアフリカン・アメリカンの音楽要素を組み込んでおり、異なる音楽伝統を融合させた革新的なアプローチが特徴です。
マイルス・デイヴィスは、ビバップ、クール・ジャズ、モード・ジャズ、フュージョンなど、ジャズの複数のムーブメントを開拓しました。特に「カインド・オブ・ブルー」や「ビッチェズ・ブリュー」などのアルバムでは、彼の革新性が顕著に表れています。
2.異文化や新しい音楽要素への探求心:
ドヴォルザークは、アメリカ滞在中にアフリカ系アメリカ人やネイティブ・アメリカンの音楽に強い関心を持ち、それを自分の作品に取り入れました。
マイルス・デイヴィスもまた、ジャズに新たな要素を取り入れることで、常に音楽を進化させてきました。ロックや電子音楽など、従来のジャズとは異なる要素を大胆に取り入れ、独自の音楽を作り上げました。
3.時代に影響を与えた音楽家:
ドヴォルザークは、チェコ音楽を国際的に認知させる一方で、アメリカの音楽シーンにも大きな影響を与えました。
マイルス・デイヴィスは、ジャズの歴史を何度も塗り替え、その影響はジャズにとどまらず、ポピュラー音楽全体に広がりました。
片山杜秀の思考パターン
片山杜秀は、政治学者であり音楽評論家としても知られ、彼の評論スタイルは深い歴史的・文化的な背景を考慮し、音楽家や作品の社会的文脈を重視することで知られています。
彼が「ドヴォルザークは19世紀の、マイルス・デイヴィスだ!」と言った理由は、単に音楽のスタイルや技術だけでなく、両者がそれぞれの時代において音楽を革新し、社会に大きな影響を与えた点にあると推測されます。彼は、ドヴォルザークがヨーロッパとアメリカの音楽を結びつけたように、マイルス・デイヴィスもまたジャズと他の音楽スタイルを融合させ、新たな音楽の地平を切り開いたことに注目しているのかもしれません。
以上が、AIの分析です。
どうやら、「新たな音楽の地平を切り開いた」というところに共通点があるようですw
Jさんからのコメント。
ドヴォルヂャ一クは ダラーブランドのほうが近いのでは
ブルックナ一は シンフォニ一しか聴いたことないですが 浮遊感というよりみな広大な森の中をどんどん突き進んでいくような感じかな~
J
今まで、ドヴォル「ザ」ークと書いたり言ったりしてましたけど、正確には「ヂャーク」の方が「より」正確な音、表記なんですか?(クラシック疎いので…)
なので、Jさん表記ルールに従ってドヴォルヂャークで書きます。
>ドヴォルヂャークは ダラーブランドのほうが近いのでは
たしかに「アメリカ」って言われると反射的にブルックナーじゃなくてドヴォルザークの『新世界より』が浮かぶし、その“新世界的感覚”って、むしろアフロルーツや民謡成分を内包してる分、ダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)のアフリカ大地感覚とどこか通じてますよね。
あの“地に足がついてるけど、どこか遠くを見てる”感覚。
しかもダラー・ブランドも反復の名手でありつつ、その反復は決して機械的じゃなく、呼吸してるような、風の中の儀式のような、それって、ドヴォルザークの「田舎風メロディー」の使い方とどこか共鳴してる気がしてきましたw
すごい視点ですね。
>ブルックナーは浮遊感というより森を突き進んでいく感じ
これも納得です。
ブルックナーって「空中浮遊」じゃなくて「神殿を建てながら山を踏破していく大建築家」って感じですよね。
しかも、その“森”がゴシック建築ばりに荘厳で、時に鬱蒼としすぎて光が見えない、でも、なぜか心は晴れ晴れとしてくる。
それにしてもJさんのコメントって、どこ“暗号(ポエム?)のようでありながら、読むと不思議に広がる感じがあって、興味深いですね。脳内解凍できるよう、言葉を圧縮冷凍しているというか。
サンジョルディさんからのコメント。
コメント返し、ありがとうございましたー😊
自分の<心の声>に従い、絞り込んでいくと、
今のところは、
スタジオ録音で、
ホーン・ピアノ・ベース・ドラム入りの、
ハードバップ&新主流派のブルーノート盤が<ど真ん中>なのですー😝正直言って、
ライヴ録音や
ホーン無しのピアノトリオや
ホーン入りでもピアノレスや
アヴァンギャルドジャズ&フリージャズは
たとえ、<ライオンプロデュースのブルーノート盤>であっても、
自分にとっては、
愛聴盤とは<別フィールド>なのですー😵ジャズ好きは、
それぞれ自分の
<ジャズATフィールド>を持っていると思いますー🤓<シン・ブルーノーティアン>のサンジョルディより😎
シン・ブルーノーティアンって…🤣
おかわり自由のブルーノート、
湯気の立つハードバップ、
おふくろの味としての『ソウル・ステーション』、
三つ星中華としての《アポイントメント・イン・ガーナ》、
餃子としての「サブー入りのシルヴァーアルバム」
夜食のラーメンとしての『フライト・トゥ・ジョーダン』。
今現在の「胃袋の声」に聞いてみました♪
サンジョルディさんからの返信。
さすが、今日も高野さんの<胃袋の状態>は、良いですね(笑)
<スタジオ録音派ブルーノーティアン>のサンジョルディより😎
ありがとうございます。
胃袋の調子、良いですよ!
でも、だんだん神保町にあるカレー屋「エチオピア」の辛さ50倍の野菜カレーに値する(?)ドン・チェリーの『即興演奏家のためのシンフォニー』が聴きたくなってきたぞぉ〜😆