先日アップした動画「100枚聴くまで好き嫌いは言うな〜後藤雅洋・著『ジャズ・オブ・パラダイス』より」(⇒こちら)に、TAKESI0506さんからいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。
コメント
高松貞治さんからのコメント。
それにしてもいつも思うんですが、TAKESI0506さんは、こういう重要な文章なり雑誌をいったいどこから発見、発掘するんでしょうか?すごいですよね!いつもありがとうございます!敬服します😊
TAKESI0506さん⇒高松貞治さん
ありがとうございます。
以前にも書き込んだかもわかりませんが、スイングジャーナルの記事などを電子化するとことをライフワークにしていて、文章はすべて一太郎で管理しています。このソフトには“全ファイル検索”という機能があって、例えば“チャーリー・パーカー”で検索すれば、すべての文章から検索して表示してくれます。
もちろん、スキャンしてOCRソフトにかけて間違いを手直しするということが必要にはなりますが、あまり苦にならないのは、このような作業が好きなのでしょう😅
2019 enchanさんからのコメント。
動画配信ありがとうございます。(メンバー限定だ!やった〜!)エレクトリックマイルスがどうとか、確かにのどかな時代でしたよね〜。『違う違う』とい言い合いも、今でいう『マウント取り』のような・・・
TAKESI0506さんからのコメント。
スイングジャーナルの論争シリーズというと😁、70年の、粟村、岩浪、中村とうようの論争有用、74年の岩浪、鍵谷のセシル・テイラーの評価についての公開質問状、それに今回のフュージョン論争などが思い出されますけど、すべてに岩浪さんが絡んでいるというのは、論争好きの岩浪さんの面目躍如というところでしょうか😉
あと、そういう、いわゆる「お祭り」騒ぎみたいなのも好きな気質、のような気もするんですよね。
それと、なんといっても「いい人」なので(笑)、編集部も頼みやすかったというのもあるかもしれませんね。依頼された趣旨を飲み込んで、きちんと役割を演じてくれるという意味でも。
TAKESI0506さんからのコメント。
スイングジャーナル84年10月号のディスクレビュー欄に「ハービー・ハンコック/サウンド・システム」が取り上げられて、児山紀芳さんが3星を付けて評文を出しています。
これに対して野口伊織さんが読者投稿欄に批判文を出しましたが、それに対して編集長の中山康樹さんが批判しています。岩浪、寺島さんのフュージョン論争と直接は無関係ですが、三人の考え方、批評というもののあり方などが垣間見えて、興味深いので載せておきます。児山紀芳
ハービー・ハンコック/サウンド・システム
前作にもまして、鮮烈な電化音の洪水である。リズムも攻撃的である。その間を縫ってナチュラルな楽器の響きが綾なす。マテリアルとハンコックは、ハイテクとハイタッチをコラージュさせ、種々の音楽要素をフュージョンさせて再びジャンルを超える音楽を創造するのに成功したかにみえる。③はハンコックとショーターの語り合いがさすがに重量級の迫力を持つし、④のメロディーはズバ抜けて魅力的である。しかし、である。この音楽に私自身の心はときめかない。むしろ、私の感性はムサ・スソのコラの独奏を聴いてみたいとの衝動を呼び、ショーターとハンコックのたった2人だけの対決を望んでいる。そして、一方で〝スクラッチ”はもうたくさんとネをあげており、新しさなどクソくらえと言っている。そして、同じ聴くなら、一連の「VSOP」か「処女航海」か「ザ・カルテット」がイイ――と言っている。「サウンド・システム」を作りあげた彼らの創意や機知や努力や勇気を否定するわけではないが、その結果としてのこの作品が私自身の感性になじむかどうかは別問題。無理してまで好きになろうという気は毛頭ない。作り手に創造の自由があれば、聴き手にも当然選ぶ自由がある。〝ジャズ”を離れたハービーは私の興味の対象とはならないし、これが最近の私の〝愛聴盤〟などとは恥ずかししくて言えない。児山紀芳氏に「サウンドシステム」の真意を問う/野口伊織
本誌10月号の「サウンドシステ/ハービー・ハンコック」の評では、上田氏と児山氏の見解が大きく別れたが、児山氏の評価内容には驚いた。今まで僕が抱いていた児山像と大きくかけはなれたコンセプトを打ち出していたからである。かくいう僕も毎号本誌のレコード評の片隅に拙文を掲載しているが、無知や不勉強で中村とうよう氏らから、きついおしかりを頂戴したことがある。しかし今回のハンコックの評文は、人の言葉じりをとらえたり、重箱の隅をつつくとかいった些細なことではなく、〝音楽に対する評価のあり方”という重大な問題をかかえているのである。『一連の「VSOP」や「処女航海」「ザ・カルテット」がベストだ』『電化の音はもう、うんざりだ』『新しいものなどクソくらえ』といった過激な言葉が浴びせられている。では今までの児山氏の感性や主張はどこに行ってしまったのだろう。もともと僕は氏のジャズに対する前向きな態度に少なからず共感を抱いていた1人である。本誌の編集長をやっておられた頃のバイタリティー、新しい音楽に対する解釈やアプローチには、大いに勉強させてもらったのである。牧芳雄氏のように「私は古いタイプのジャズしか知りません。それ以外は聴きませんよ」というのもいいだろう。また最近「読者のページ」で話題になっている〝4ビート・ジャズの亡者”寺島靖国氏のガンコぶりにも呆れはてるが、それはそれで人の趣味であり、主義主張であり、終始一貫しているのではないか。読者も評者の個性を十分承知の上で、その文章にアプローチできればそれでいいのである。今回のような児山氏の豹変ぶりでは読者もとまどい、うろたえてしまうに違いない。それでは氏は、マイルスの「イン・ザ・スカイ」をどう思われているのか、「デコイ」はどうか、ウェザーリポートを本当は好きではないのか。ハンコックでも「ヘッド・ハンターズ」や〈カメレオン〉は愚作なのだろうか。僕は知性は皆無で、まったくのゲストである。しかし自分のポリシーを偽ってまで、レコードの評点をつけたり評文を書いたことは決してない。ゲスのかんぐりついでに言わせてもらうが、他にいくらでも評者の方々の本音を偽っているような不自然な態度や文章に出くわす。それぞれ高度な政治的判断や立場はあるだろう。しかし読者の立場という一番大切なことを忘れてはならないはずだ。タテマエばかりで本音を偽れば、当然読者をも欺くことになる。たとえその評が見当違いだろうが、ミスがあろうが、本音を偽る行為に比べればずっと罪は軽い。世の中に絶対不変の真理なんてものは存在しないからである。とにかく児山氏のこれまでのコンセプトを信頼してきただけに、今回のレコード評には身内の大先輩にいきなり背後から撃たれた思いがする。ぜひその真意をうかがいたいものだ。
荒れとりますなぁ……
面白いので(?)いつか取り上げます!
TAKESI0506さんからの追伸。
児山紀芳さんの反論文が載りました
11月号、野口伊織氏のお手紙にお答えします。
本誌11月号、本機であなたのレターを拝見しました。あなたは私の「サウンドシステム」評文から、これまでとは「大きくかけ離れたコンセプトを打ち出した」との印象をいだかれました。根拠として『一連の「VSOP」や「処女航海」や「ザ・カルテット」がベストだ』『電化の音はもう、うんざりだ』『新しいものなどクソ食らえだ』と私が評文で言っている(一部正確ではありません。「電化の音……云々」とも書いていませんが)と引用されました。そしてこの意見は、これまでの私の感性や主張とは裏腹ではないかとおっしゃっています。だからあなたは私が豹変したと受け取り、これまで私が言ってきたことは、実は本音ではなかったのか、と疑問を投げかけられました。あなたが私に問われたいくつかの問いで、最も大切なのは、「音楽の評価のあり方」を左右する主義主張を豹変させたのではないか――という一点にあると私は判断しました。つまり、あなたは、私が「電化の音はもう、ウンザリだ」と電化の音を全面的に否定し、「新しいものなどクソ食らえ」といって、新しい試みをもすべて過激に否定しているが、それではこれまでの私の主張や感性はどうだったんだとおっしゃっているんだと私は判断しました。言うまでもなく私の「サウンド・システム」評は、あくまでもこのレコードに対して向けられたものです。そして私は、ハンコックという音楽家の創作活動に、ジャズとは別の領域があるということも示唆しました。「サウンドシステム」を聴いて、このレコードが発する「鮮烈な電化音の洪水」に正直、私が自分の耳を手で塞いだのは事実です。「〝スクラッチ”はもうたくさん」と悲鳴もあげました。これが〝新しい”というのであれば、クソ食らえだと反発を感じました。そして、同じハンコックのレコードを聴くのなら、彼の〝ジャズ・アーチスト”としての優れた作品を読者に知らせるべき、と感じたのです。私は、今やハンコックは、2つの顔を使い分けていると見ています。1つは秀でたジャズ・アーチストとしてのそれであり、1つは大衆音楽家としてのそれです。そして私は「サウンド・システム」を、彼のジャズとは別の領域における活動と、切り離して捉えるべきだと判断したのです。確かにこの世にハンコックは1人しかいません。が、あり余る才能ゆえに、彼はジャズとは別の領域にも飛び出すことができるのです。でも混同してにはならない。ジャズとこれとは〝別物〟だと、私はいいたかったのです。そう判断したのは、私の感性であり主張です。ですから、「サウンド・システム」とウェザー・リポートの諸作を同一線上で論じたつもりは毛頭ありません。「へッド・ハンターズ」は、100%ハンコックの当時の自由で自然な気持ちの発露であり、表現だったと私は判断しています。ですが、「サウンド・シストテム」に、私は、マテリアルに牛耳られ、妥協してまで「フューチャー・ショック」の夢よもう1度と、この作品を作ったと、ハンコックの別の顔を見たのです。彼のジャズ・アーチストとしての本来の姿に比して、これは平凡との評価を下したのです。もちろん異論があってかまいません。ともあれ、「サウンドシステム」では、私は他のアーチストやグループの音を否定したり、新しい試みを否定するつもりはなかったのですが、真意を伝えることができなかったのは、私の力不足だったと反省しています。ところで、肝心の〝主張〟とか〝音楽に対する評価のあり方”ということについてですが、私自身は〝主張”や〝評価”が必ずしも不変でなければならないとは考えていません。ジャズ体験の浅い時代の主張や評価の方が、絶対的などと私自身には自信を持っていえません。むしろ私は、歳月を経てまたジャズの動静について学ぶうちに、主張や評価が変わることがあったとしても不自然ではないと柔軟に考えます。その際、むしろ、最も大切なのはジャズを愛し、ジャズとともに歩み続け、理解しようと務め、広めようと務める心だと考えています。その深い思い入れに従って、その時代、その時代を体験しながら、感じたままを素直に率直にいい続ける――それが私のこれまででした。今後も変わることはないでしょう。中山康樹
さまざまな〝議論”が出ている今だからこそ、ルールを守った投稿を!!
ちょうど1年前の「新春」以来、本誌上では寺島靖国氏を中心にさまざまな議論がくり広げられてきた。雑誌をつくる立場にありながら、大いに楽しませていただき、また考えさせられもした。しかし、11月号の「読者通信」に寄せられた野口伊織氏の投害に対しては少なからず思うところがあったので、児山紀芳氏の返答(12月号)を待った上で、ここに筆をとった次第である。野口氏の投書は児山氏に宛てられたものであり、その論旨は主に氏のレコード評(「サウンド・システム/ハービー・ハンコック」)に対するものだった。ここでハンコック論をむし返す気は毛頭ない。筆者のハンコック観は両氏とも大きくくいちがうが、それはそれで当然のことと受けとめている。間題の個所は、野口氏の投書の後半部分である。具体的に言えば、『ゲスのかんぐりついでに言わせてもらうが……』以下の文章である。氏は、それまで児山氏個人に疑問符を投げかけていたにもかかわらず、ここでほこ先をレコード評担当の〝全執筆者〟へとかわしはじめた。そして、『本音を偽っているような不自然な態度や文章に出くわす』『タテマエばかりで本音を偽れば、当然読者をも欺くことになる』という発言が飛びだす。どういうことなのか。「読者通信」の頁とはいえ、その発言の主野口氏は、〝全執筆者”の1人である。本来なら、勇気ある〝内部告発”と歓迎されるところだろうが、少なくとも筆者には〝一方的な言いがかり”と映った。ここで明確にしておきたいが、レコード評は〝署名原稿〟であり、採点は、あくまでもその当筆者の〝見識”である。そこで野口氏に問いただしたい。それが〝署名原稿”である以上、疑問や不信感を抱いたならば、誰が書いた原稿なのか、またその箇所を具体的に指摘すべきではないだろうか。『不自然な態度を文章に出くわす』経験があったなら、誰が書いたどの〝レコード評〟と一例を挙げて糾弾すべきではないだろうか、それとも、氏は〝全執筆者”が『不自然な態度』で『本音を偽り』ながら『読者を欺く』という〝暴挙”に出ているとでも言いたいのだろうか。そんな評者は1人もいないことをここで断言しておく。たしかに、採点が「甘すぎる」とか「厳しすぎる」という印象を与えることは多々あるだろう。しかし、それは文を書く側と受けとる側との〝見識”の違いであり、また〝ジャズ観”の差異にほかならない。もっとも、筆者がここで言いたいのはそんなことではない。野口氏や本誌に限らず、反論もしくは疑問を呈する場合は、具体的に相手の名前なり問題にすべき個所を挙げるのが〝ルール〟ではないかということである。でなければ、その議論が展開していく土俵はつくることができない。本誌上でさまざまな議論が噴出している今だからこそ、その〝基本的ルール”を遵守していただきたいと願わずにはいられないのだ。
百家争鳴……といいたいところですが、
うーん、なんか紛糾しとりますなぁ。
面白いので(?)いつか取り上げます!
ありがごうとざいます!
江戸の町だったら、喧嘩だ喧嘩だ喧嘩でいっ!って感じですかね(笑)。
TAKESI0506さんからの返信。
あれっ、高野雲さんの文も荒れてますが、もうかなり出来上がってますね😅
読んでて興奮しておりりんました😅
ドロマスさんからのコメント。
ジャズの剣客話、論争話、面白いですよねー🤓
ブラインドフォールドテストも、やり方によっては楽しいですよね✨
剣客も最近お見かけしませんねぇ。。久々に会いたいなぁー笑
と、懐かしさで思いますが、実際に、面と向かったらやっぱイヤかも~笑
いずれ動画で話すかもしれませんが、ストイックかつ面倒くさく一途で真摯な「剣客」と短い間ですが、仕事を通してお付き合いしていたことがあります。
あれ?もう話したかもしれませんが、いわゆる「ジャズ喫茶やぶり」の人です。
いやぁ、面白かったけど、今思い返せば、「メンドくさ」かった(笑)。
とにかく、一人ひとり、「敵」か「非敵」かと峻別してお付き合いしてるんですよね。私は「非敵」で良かった……。