1974年スタン・ケントン楽団来日(瀬川昌久氏によるレポート)

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先日アップした動画、「昭和49年『ジャズ批評 18』~日本のジャズに欠けるもの/瀬川昌久」(こちら)にいただいたコメントを紹介する動画をアップしました。

TAKESI0506さんよりいただいた瀬川昌久さんのスタン・ケントン楽団来日に関しての記事です。

コメント

高松貞治さんからのコメント。

2冊目の市岡仁の「チャーリー・パーカーの音楽」が届いたんですが、表紙に、正誤表が貼ってあるのが1冊目と違いますね。久しぶりに読んでみると、平岡正明はジャズは何もわかってないとか、ハンク・モブレーは二流だとか、オーネット・コールマン達あらゆるミュージシャンがチャーリー・パーカーからとか盗作しているとか、やっぱり何回読んでも面白いですね🤣

TAKESI0506さんからのコメント。

そうですね、ケントン楽団に代表される、ビッグバンド・ジャズというのは、どうもファンからは敬遠されがちなようで、ジャズ喫茶バリレラのマスターも、ビッグバンド・ジャズはあまり好みではないようでした。
 ここのところを大和明さんが、岡崎正通さんとの共著「モダンジャズ決定盤」の中で、明快に表現しています。

 我か国ではビッグ・バンド・ジャズがなかなか理解されないようだ。とりわけスタン・ケントンというと、まず大概は聞く前から敬遠してしまう。
 ある男がケントンぐらい聞いておかなければ恥になるとばかりに、レコード屋に出かけていった。常々彼はケントンの音楽は難解だと聞いていたので、それならよく知っているスタンダード・ナンバーを多く演奏しているアルバムが良いだろうと考え、「コンテンポラリー・コンセプツ」というアルバムを買ってきた。ところでそいつは聞いてびっくり、あわてて顔見知りのレコード屋に取り換えに引き返したというのだ。彼曰く「〈ホワッツ・ニュー〉にしろ〈アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン〉にしろ、俺の大好きな曲なんだけど、このケントンが演奏しているのはどうも俺の知っているスタンダードの曲じゃなかったんだ」
 彼にとってはビル・ホールマンが腕によりをかけた現代的なコンセプションによる思いきった編曲なんかに関心はなかったのである。唯々ケントン楽団の豪華なスター・ソロイストが彼の知っているメロディを吹いてくれ、ビッグ・バンドの豪奢なサウンドがバックを飾ってくれればそれで満足だったのである。
 いわばこれは日本のジャズ・ファンのごく平均的なところといってよいだろう。それゆえにこれからもケントンが皆に好まれる可能性ということになると、悲観的にならざるを得ないのである。第一、ジャズ喫茶に行ってスタン・ケントンのレコードがかかっていた試しがありますか。僕は20数年間を通じて、一度としてそうした経験はないのである。もうそろそろ日本のファンもケントンの音楽を理解してもいいころなのだが。

79年のスイングジャーナル、ケントンの追悼文は岩浪洋三さんが書いてます。

追悼企画スタン・ケントン逝く!!
ケントンの死を悼む/岩浪洋三
最もプログレッシブなビッグ・バンドのリーダー、ピアニスト/作曲家として知られるスタン・ケントンが去る8月25日ハリウッドの病院で脳卒中のため逝去、熱心なファンに大きなショックを与えた。
 ここでは、スタン・ケントンの67年にわたる偉大な生涯とその業績を辿る。

 2年前脳卒中で倒れて一度再起、のちハリウッドの病院で療養中だったスタン・ケントンが8月25日に死去した。ケントン楽団は40年代から50年代にかけて、ウディ・ハーマン楽団とともに進歩的なビッグバンド・ジャズ、プログレッシブ・ジャズを推進し、ビッグ・バンドの世界で大きな成果をあげてきただけに、近年昔ほどの熱気と創造意欲には欠けるものがあったとはいえ、白人ビック・バンド界におけるデューク・エリントン的存在を失ったことには変りなく、その死は惜しまれる。
 ケントンは1912年2月19日カンザス州のウィチタに生れたが、20代から音楽の仕事にたずさわり、最初はローカル・バンドやハリウッドのスタジオ・ミュージシャンとして演奏したあと、1941年に自楽団を結成し,「バルボア・ボール・ルーム」に出演した。最初はダンス・バンドで、41年9月には自楽団でデッカにラテン音楽などを録音した。彼は自楽団でピアノを弾き、指揮をし、編曲もした。
 43年秋にはキャピトルと契約し、〈イーガー・ビーバー〉やバンド・テーマの〈アーティストリー・イン・リズム〉などを録音して、モダンなハーモニーと強烈なリズムをもつモダンなビッグ・バンドとして注目され、アニタ・オデイが専属歌手として歌った。
 しかし、ケントン楽団がプログレッシブなビッグ・バンドとして本格化するのは1945年になってからで、この年、作編曲のピート・ルゴロが参画したからである。ルゴロはケントン、ジーン・ローランドとともにケントン楽団のレパートリーを進歩的なオープン・ハーモニーとサウンドで彩った。ケントン楽団はなによりも白人らしいサウンドを作ったところに特色があり、そのシャープでメカニックなサウンドは高層ビルの林立するアメリカの近代都市にフィットする現代的な音であった。
 また、ケントンは仕事の鬼で、全盛期には1ヵ月間1日の休みもなく、この間カナダの4大部市とアメリカの21州を巡演したことがあった。あんまりつらいので退団を申し出たメンバーもいたほどだ。73年に「ケントン物語」を書いたキャロル・イーストンは本のタイトルを「ストレイト・アヘッド」とした。ケントンは自分がこうと思うと絶対に妥協せず直進したからである。そのため芸術的には成功したが、しばしばボール・ルーム側と衝突し、経済的に行きづまって解散した。
 ケントンは48年末にバンドを一度解散し、自分の音楽にひとつの区切りをつけた。ケントンは自分たちの演奏をプログレッシブ・ジャズと呼び、意識して芸術性を主張した。
 49年の後半にはストリングスを加えて10人もの大編成オーケストラを結成し、“イノベイション・イン・モダン・ミュージック”(近代音楽の革命)と名付けて、より前衞的な演奏を打ち出した。録音は50年3月に開始されたが、〈コンフリクト〉〈アマゾニア〉〈ブルース・インF〉(ルゴロ)〈キューバン・エピソード〉(オファリル)〈ジョリー・ロジャース〉(ショーティ・ロジャース)といった作品が生れ、ケントンとしても最高の成果をあげた。ただボブ・グレティンガーの〈シティ・オブ・グラス〉といった作品は前衛的な現代音楽を思わせるが、血の通わぬ冷たさもあって賛否両論がたたかわされた。ケントンは彼を天才と信じて疑わなかったが、彼は眠りをけいべつする大変な変人で、メンバーは誰も口をきかなかったという。52年はケントンにとってもっとも忙しい、また栄光の年となった。絃をはずしたイノベイション・ジャズで全米とカナダを廻って成果をあげた。ケントン楽団が相当前衛的な演奏を行なっても大衆に支持され人気が高かったのは、スマートな指揮ぶりと魅力的な話術によるところも多かったともいえよう。その話術が買われて、1954年の第1回ニューポート・ジャズ祭の司会はケントンがつとめたのである。
 52年のアルバムでは「ニュー・コンセプツ」が快作で、ビル・ルッソ、ビル・ホルマン、マリガン、ジョニー・リチャーズらの作品が収められている。ケントンとハーマン楽団はウェスト・コースト・ジャズの温床となった点でも見逃せない。著名な西海岸派ジャズメンの6割は両バンドの出身者である。
 ケントンには不思議な人間的魅力があり、カリスマ的存在といえた。だから多くのミュージシャンが彼のために作編曲し、演奏したのだと思う。ビル・フリッツは『スタンはキリストのようだった』といい、バデイ・チルダースは「スタンはラマンチャの男だ』ともいっている。
 チャーリー・バーネットは「スタンはダンス・バンド・ビシネスの息の根を止めた男」といっているが、これら真実をついた言葉だ。彼の演奏はざっと50枚のLPとして残されている。その中には「マイルス・トーンズ」「ケントン・クラシックス」など、ビッグ・バンドの発展に大きく寄与した演奏も少なくないのである。

カトウシュンさんからのコメント。

スタン・ケントンは初めて聞いた名前なのでYouTubeにupされていた曲聞いてみたのですがクセになりそうでイイデスネd=(^o^)=b

この曲を音量MAXのヘッドホンで聞いたのですが最初のトランペット?の音にビックリしました(^o^;)

冒頭からいきなりトランペットが、ピーッ!ときてビックリしますね♪

博 橋本さんからのコメント。

’73年の秋に起きた第一次オイルショックの影響で原料に石油の拘るものを皮切りに、製紙業絡みで各種用紙の値も高騰したため書籍、雑誌も値上げが続いた。
軒並み値上げが始まりました。
音楽関係ではレコードは2000円の物が2400円〜2800円くらいに値上がりしました。
日本人ミュージシャンの国内公演は1,000円くらいで妥当な金額だったと思いますが。
来日ミュージシャンの公演はこれを機に結構値段が上がりました。
ケントンは大所帯だったでしょうから余計に料金に影響したかもしれませんね。
それまでは例えばMJQとキース・ジャレットは中野のサンプラザで観ましたが、最後列で時間と曜日を選ばなければ当日券が買えました。どちらも1,500円だったと思います。
その後、’78年のディランの初来日の公演がS席4,500円、それ以外も全席指定で3,500円だったと思います。これが当時としては強気の高値で話題となりましたが、以降来日ミュージシャンの講演料は年々上がり続けました。
昼間集まって話が決まって、ワイワイ出かけた最後列でのキースもMJQも掛け替えの無い楽しい出来事した♫

ジャズメンに比べると、ディラン、高かったんですね!

永井勉さんからのコメント。

ビックバンドは、ほぼエリントンしか知らないので
グレンミラー・ベニーグッドマン・カウントベーシーとあわせて
スタンケントンもしばらく聴いてみますね・・・m(__)m
エリントンは飛びぬけていて、いいのですが他の4者は
数を聴いてないせいか、違いがよく解りません・・・涙
2.3曲だけ聴いた感じだとスタンケントンは
曲調にバリエーションあって単調な印象を受けませんでした・・・😥😥

ベイシーやエリントンは、どの曲にも、一聴して「その人だ」と分かる強烈な個性があるのですが、ケントンやギル・エヴァンスの場合は、時代やメンバーによってサウンドキャラクターがガラリと変わるので、なかなか掴みづらいところがありますね。

ただ、掘れば掘るほど面白くなっていくので、マニアにとってはたまらない世界なのであろうと思います(私はマニアになるまでは至ってません……)。