ベニー・ゴルソン、女性が聴くジャズと蘊蓄ジャズオヤジ

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『ジャズランド』1975年9月号の読者投稿コーナーに「4ビートは私のビート」と題された女性からの投稿があり、それを紹介した動画を先日アップしました。

そして、この動画にいただいたコメントを紹介した動画が、以下の動画です。

70年代、「女がジャズを聴くなんて」という時代の空気、風潮があったんでしょうかね?
それとも、どの時代にもいる一部の男性が持つ女性への偏見?

コメント

丹治永

女性にジャズがわかるのか?そういった御人に言いたいことがあります。茶道という言葉がありますよね。千利休等が、完成させた抹茶を立てる作法や飲み方を言う言葉であります。日常であれば、お目にかかることのことのできないお殿様と、一介の町人が同席して、一つの部屋でお茶を飲む。これは、お茶を飲むということを介して、身分の別け隔てなく、人生など様々なことを語り合うことが本来の目的なのでしょう。作法は確かに洗練されていて一切の無駄な動きはない。それは見事なまでに完成されている。ここで考えたいのは、その目的は何か?ということである。招かれた客が無作法であったとしても、あ〜〜美味しい!こんな美味しいお茶を生まれて初めて頂きました!と感想を述べたとします。さて、その時に招いた亭主は、なんと思うでしょう?無作法に呆れるでしょうか?あ〜〜この人を茶席に招いてよかった!本望である!と感じるでしょうか?お花をいけるには、池之坊の免許が必要でしょうか?お茶にしてもお花にしても、その動きは洗練されていて出来栄えは万人を感嘆させるものでしょう。しかし、そこには自己流のアドリブが入り込む余地はないのでしょうか?世の人のほとんどの人は、その道に関して素人であります。一人の玄人を喜ばせるものと、ほとんどの素人を喜ばせるものとを比較して、軍配をあげることの愚かさがおわかりになることでしょう。登竜門となるコンテストで一位にならなくてはいけないのか?演奏をコンテストで優劣をつけるということに、愚かさを感じるのは、私だけではないでありましょう。ジャズという文化を取り入れて生活を送っていく。ジャズという音楽をお茶のようにたてていただいて、それを美味しくいただきながら人生観などを語り合う。ジャズは、お茶でありお花です。それ自体が日常に取り入れられます。決して茶道や花道を語ることが目的ではなく、より豊かな人生を送るために生まれてきたものなのです。ジャズ道なるものを語ることの愚かさを、我々はそろそろ気づかなくてはなりません。全ては、その人となりから生まれるアドリブに、舌鼓を打つことから始まるのでしょう。女性がジャズ?素晴らしい日々を、素晴らしい人生をおくられてますよね〜〜!ベニー・ゴルソン?リー・モーガンやウイントン・ケリーの演奏したウイスパーノット!この女性の方ならきっと、あ〜〜〜美味しかった!と仰られていたことでしょうね。年寄りの戯言と笑い飛ばして下さい。たけど、少しくらいは雲さんの代弁がてきましたでしょうか?私の名前は永と書きます。雲さんから付けていただいた「えい」という名前が気に入ってる私です。

TAKESI0506さんからのコメント。

スイングジャーナル72年10月号に鍵谷さんの「ジャズ喫茶漫遊記」という文章が載っていて、その中に、
 吉祥寺のメグに行ったらマスターの寺島さんが“女にはジャズはわからないと”言った
 という箇所があります。同年の12月号には、武蔵野市の23歳の女性から早速反論の投稿がありました。

ジャズっていったい何なのだろうか?
メグのマスターは「女にジャズはわからない」と私の彼にも言ったし、10月号のスイング・ジャーナルのなかでも言っている。私はその一言に非常に反感を抱いている。私は女だし、ジャズもほんとうにはよくわからない。でも好きだから聴きに行く。聴きに行くようになってからもう5年も6年もたつ。偶然かかった1枚のLPに心魅かれ、もう一度聴いてみたいと思う。旅に出た帰り道どんなに疲れていても、心なごませてくれるジャズを聴きたいと、そう思って重いカバンをさげ、黒い椅子に身を沈め熱いコーヒーをすすり、我家に帰ってきたという実感とともにホッとする。ジャズが心の底まで響いてくる。
 ジャズがわかるってことはいったいどんなことなのだろうか? 音楽はすべて理屈ではわからないものだと私は思っている。理論的に理解する前に身体で感じとるものなのではないだろうか。なにもわからなくてもジャズが1人の人の心を揺さぶり、自然に身体でスイングしたくなってくる。それだけでもジャズはステキなものと言えるではないか! 何にも知らないで聴いた1枚のLPに感じ、プレイヤーはだれなんだろう。このすばらしい音はどうして生まれたのだろう。そうしていくうちに1枚1枚と心に果てしなく広がっていくジャズの世界。そこに男女の区別はないはずなのに。
 音を楽しみ、雰囲気を楽しみ、そして今度もまた聴きに行きたいと思い、心に広がっていくジャズを好きになっていく。理屈なんていらない。女にジャズはわからないと言われても、やっぱり私は聴きにいくだろう。心豊かにしてくれるジャズの世界を求めて。

 なにしろ50年前の投稿ですから、この女性は現在73歳になっておられるはずですが、今でもジャズを聴いておられるでしょうか😁

「ジャズ批評」誌の創業者は、松坂比呂さんという女性の方のようですが、スイングジャーナル85年4月号に、久保田るり子さんという人が、松坂さんについて書いてます。

日本の美きものを楚々と着こなしている比呂さんの口から「アバンギャルドがギンギン」などというカゲキな言葉が飛び出してくるのだから、のけぞってしまいそうになる。女学生の頃、福島の学校で、「狸御搬」の芝居を見ていたら突然、床が抜けた。座布団に座ったままの格好で比呂さんは階下に落ちた。おかげで脊髄があちこちズレ、今だにタオルを背にあてがわずに眠れない。「キモノは姿勢がシャンとして楽なんですよ」。フツー。床が抜けるほどの大事故なら動転して手足バラバラのあられもない姿になりそうだが、座ったまんまの姿というのがいかにも比呂さん。夢中になったら一心不乱の人なのである。少女時代は白樺派の小説を愛したという。志賀直哉、有島武郎、武者小路実篤。ロマンと、ロジックの世界。油絵をよく描き、個展を開いたこともある。「暗い風景画。一枚だけ残ってますよ。神経賢でヤーな絵(笑)」。「ジャズ批評」の母胎となった喫茶店『オレオ』を開店する以前のことだが、銀座のクラブに稼ぎに出たこともある。「税務所の人にきいたら女がカネ儲けるには水商売がいいと。でもダメ。私、福島訛でしょう。着物借りて出ましたけど、まるで小学校の先生だってフフフ」フツー税務所に相談します!? なんていうのかなあそのへんが乙女的な人だ。「ジャズ批評」を創刊して18年になる。次号は50号だ。そも「批評」というタイトルにも60年代マイナー精神を今に至るまで頑固に貫いてきた比呂編集長の心意気が伝わってくる。少女時代ラジオで聴いたエリントンに震えたという。結婚、出産、離婚をかいくぐり、生きていくためにもなにかジャズの仕事をしたくて「オレオ」を開いた。1965年である。常連、植草甚一さんからインパルスの「ニュー・ウェイブ・イン・ジャズ」を教えられた。フリー・ジャズに「シビれた」。店を訪れるもの書きを中心に同人誌的に始まったのが「ジャズ批評」だった。「打倒! スイングジャーナルとはいいませんけれど、私のところは私たち独自の特集でやってきました。」14号~28号はフリー中心。70年代後半はフュ-ジョン抬頭で苦慮したことも。近年は人物、楽器別の特集の労作が多く特筆すべきは昨年3月の別冊「全ブルーノート・ブック」であろう。「創刊号は48頁。それが今は10倍の厚さ。昔は何十冊も抱えて配本したものだけれど、もう重くって」
 暇を見つけてはコンサートに楚々と出没。企画、原稿依頼、編集と飛び歩く。やはり“ジャズにギンギン”でなければできない技。「ジャズって美容と健康にいいんです」凛々しい人。

素晴らしい投稿の投稿、ありがとうございます♪

博 橋本さんからの再投稿。

確かにゴルソンはいきなり振り返って、すげえ訛りで捲し立てて来たりします。早口になったかと思うと躓いてグダグダ始まります。
それに引き換えオープニングはいつも期待通りかそれ以上の、所謂「ゴルソン・ハーモニー」で大概の曲は始まります。ゴルソンの頭の中では自分のソロになった時点でもゴルソン・ハーモニーは終わっておらず、三人分くらいの音を一人で表現したくなってる様な気がします😁
サン・ジェルマンでのジャズ・メッセンジャーズの公演は1958年です。
この時ゴルソンは29歳、ティモンズ23歳、モーガン20歳です。今聴いてもこれぞライヴ、且つ名曲の熱演です。
決してジャズはオヤジの音楽ではなく若者たちの音楽でした。その演奏にパリで一番熱狂していたのは女流ピアニストのヘイゼル・スコットであり、雑誌『ジャズ批評』を創刊・刊行し続けたのは松坂妃呂子さん、女性です。
ジャズにはオヤジの蘊蓄も妙なヒエラルキーの様なものも全く必要ありません。

R Kさん⇒博 橋本さん

お疲れ様です。
ベニー・ゴルソンというと、しつこい様ですがカーティス・フラーがサヴォイレーベルでレコーディングした名アルバム〝ブルース・エット〟の中でA面の一曲目に入っている〝ファイブ・スポット・アフター・ダーク〟に作曲のクレジットがありますね。

日本では薬品メーカーのCFに使われたりした名曲ですね。どことなくセンチメンタルで印象的なテーマはマイナーのブルースの名作といってもいいと思います。

フラーの、あえて抑えたフレージングのソロの後、まさに〝ゴルソン節〟とでもいう様なブローのソロが好対象だと私は思います。

〝あのテーマで、あのソロ〟という二面性というか、それがベニー・ゴルソンの面白いところだと思います。

私が高校の頃、ブラスバンドの部員は約6割が〝女子〟でした。クラリネットやサックス、フルート、打楽器などの担当だった様に思います。当時は金管楽器はほとんど〝男子〟でした。

のちのジャズ研でのフルバンドでは、女性はピアノの人だけでした。当時はそういう時代でした。

今はかなり違いますね。中、高のブラスバンドの時から女子生徒の方が真面目に練習するからでしょうか。楽器を問わず、女性の比率が増えている様に思います。そのまま大学のジャズ研などでもトランペットやトロンボーンに女性が増えていますね。それはプロのミュージシャンの方々も同様です。

楽器をやって、音楽としてのジャズを見ると判ると思うのですが、ジャズには〝アドリブ〟を中心とした〝システム〟があります。これをきちんと勉強、習得する事には男も女もないのです。ましてや余計な〝ウンチク〟はどうしても必要なものではない様に思います。〝ウンチク〟ではジャズは演奏出来ないと思います。

追伸です。
〝テーマがあって、それを自分の言葉で表現する〟と考えると、これはきわめて〝語学〟に近いと私は思っています。

同じ事を話すのに、人によって話し方が違ったり、場合によっては〝方言〟が個性的だったりするとか、似ていると思いませんか。

博 橋本さん⇒R Kさん

失礼します。
BLUES ette B面 2 曲目の”Love Your Spell Is Everywhere” もこのアルバムのもう一つの名演だと思っています。
まろやかなハーモニーが順調に進み、ゴルソン節も意外に流暢に終わり、フラーは穏やかに受けて続き、トミー・フラナガンが最高のとどめを刺してくれます。
ゴルソン訛りが好きです😊

はい勝寿さんからのコメント。

基本的にjazzが廃れた理由って排他主義を追求した結果だと思っているアラフォーです。
重要なのは、それも一部が押し進めた運動であって、jazzの全てが差別主義や排外主義ではないってことを繰り返し繰り返しおすすめしていく事だと思っています。
各地のジャズフェスティバルは若い女性たくさんいますし三半規管に男女の性別優劣ありませんからね。
蘊蓄男性ってこれから老衰していくだけなので、断捨離LPを無言で若い女性に譲渡していくのが一番ではないでしょうか。

>三半規管に男女の性別優劣ありませんからね。
名言です!

>断捨離LPを無言で若い女性に譲渡していくのが一番ではないでしょうか。
良策です!

TM MTさんからのコメント。

昔の事ですが、大阪のある新地(ちょんの間)のお姉さんにスタンゲッツのルーストのコンピのCDあげたことあります。アレサ・フランクリン好きで黒人音楽全般好きらしいので・・「ディア・オールド・ストックホルム」が良いと言ってましたw
本人スラッとした美人ですが、更にいい女になったなあ・・とw
今どうしてるかな・・

R Kさんからのコメント。

お疲れ様です。
ベニー・ゴルソンというと、しつこい様ですがカーティス・フラーがサヴォイレーベルでレコーディングした名アルバム〝ブルース・エット〟の中でA面の一曲目に入っている〝ファイブ・スポット・アフター・ダーク〟に作曲のクレジットがありますね。

日本では薬品メーカーのCFに使われたりした名曲ですね。どことなくセンチメンタルで印象的なテーマはマイナーのブルースの名作といってもいいと思います。

フラーの、あえて抑えたフレージングのソロの後、まさに〝ゴルソン節〟とでもいう様なブローのソロが好対象だと私は思います。

〝あのテーマで、あのソロ〟という二面性というか、それがベニー・ゴルソンの面白いところだと思います。

私が高校の頃、ブラスバンドの部員は約6割が〝女子〟でした。クラリネットやサックス、フルート、打楽器などの担当だった様に思います。当時は金管楽器はほとんど〝男子〟でした。

のちのジャズ研でのフルバンドでは、女性はピアノの人だけでした。当時はそういう時代でした。

今はかなり違いますね。中、高のブラスバンドの時から女子生徒の方が真面目に練習するからでしょうか。楽器を問わず、女性の比率が増えている様に思います。そのまま大学のジャズ研などでもトランペットやトロンボーンに女性が増えていますね。それはプロのミュージシャンの方々も同様です。

楽器をやって、音楽としてのジャズを見ると判ると思うのですが、ジャズには〝アドリブ〟を中心とした〝システム〟があります。これをきちんと勉強、習得する事には男も女もないのです。ましてや余計な〝ウンチク〟はどうしても必要なものではない様に思います。〝ウンチク〟ではジャズは演奏出来ないと思います。

追伸です。
〝テーマがあって、それを自分の言葉で表現する〟と考えると、これはきわめて〝語学〟に近いと私は思っています。

同じ事を話すのに、人によって話し方が違ったり、場合によっては〝方言〟が個性的だったりするとか、似ていると思いませんか。

博 橋本さん⇒R Kさん
失礼します。
BLUES ette B面 2 曲目の”Love Your Spell Is Everywhere” もこのアルバムのもう一つの名演だと思っています。
まろやかなハーモニーが順調に進み、ゴルソン節も意外に流暢に終わり、フラーは穏やかに受けて続き、トミー・フラナガンが最高のとどめを刺してくれます。
ゴルソン訛りが好きです😊

長谷川孝二さんからのコメント。

僕もベニーゴルソンはちょっと苦手ですね(笑)。ヒットラーの演説を思い起こさせるあのフレーズの語尾が…(笑)。
でも実はサックスを始める前(23歳以前)は結構好きだったんですけどね。自分の受け持ち楽器って、どうしてもストライクゾーンが狭くなってしまう…
それは、どうしても影響されてしまう気がするからです。