マイルスは飽きっぽい? カインド・オブ・ブルーの《ソー・ホワット》と《オール・ブルース》

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高松貞治さんからのコメント。

マイルスの作った「マイルストーンズ」はビル・エヴァンスたちも演奏し、カバーしてますよね。マイルスは次々と新しいことをやるので、過去を顧みないというか、飽きっぽいところがありますよね!
こちらの動画

このコメントにアンサーする形の動画をアップしました。

飽きっぽいといえば飽きっぽいのかもしれないし、興味や仮設が検証されたり「わかった」段階で、見切りをつけて「次へ行こう」と前進する気質であったのかもしれません。

コメント

2019 enchanさんからのコメント。

動画配信ありがとうございます。私が初めてKind of Blueを聴いてから37年が経ってしまいました。聴き出した頃は繰り返し良く聞いたもんです。え?So What と All Blues はMiles的には納得できずだったんですか?あの名演が?(自叙伝は読みましたが忘れちゃいました。)確かに後年にライブで両曲ともよくやってましたね。でも、両曲ともあのキレイでスリリングなイントロとか、スタジオ録音ならでは。最初にレコードで聴いておりました関係上、それぞれA面1曲目・B面1曲目であったことも印象強くて、両曲ともわたくし的にはKind of Blueのバージョンが完成形です。Blue in GreenはEvans的な『切なさ』も漂っていて心を揺さぶられます~

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私も、《ソー・ホワット》と《オール・ブルース》は、『カインド・オブ・ブルー』の看板曲と感じていたので、マイルスの自伝で「失敗作」と書かれてあったのを読んだ時は驚いたものです。

長谷川孝二さんからのコメント。

想像ですが。
ソーホワットのレコーディングの経験から、コルトレーンは己に起こる何かを感じてその後コルトレーンならではのモードジャズが始まったような気がします。

私も、長谷川さんの説に賛成です。
特に《ソー・ホワット》には、ぶっきらぼうながらも彼なりの確信めいた音の強さを感じさせるフレーズがあるんですよね。

エデルまさおさんからのコメント。

高野さんこんにちは。先日ファラオサンダースの訃報が届きました。最近タイムレスレコードのアフリカというアルバムを買って熱心に聴いていたのでショックです。おすすめのアルバムにlive!という僕のアイコンにもなっているアルバムがあるのでぜひぜひ紹介してほしいです。
曲はなんといってもユーヴ・ゴット・ハブ・フリーダムです。

Jさんからのコメント。

マイルスクインテットの60年 欧州ツアーでは so what 8回のパフォーマンスが 残されており どれも好演で  世界のジャズ 台風の目の中にいるようで  それにしてもトレーンどれも長尺..
                    J

杉田一雄さんからのコメント。

こんばんは、
オリジナルkind of blueも、高速kind of blueも、おっしゃるようにどちらも素晴らしいですよね?
本当にどちらも大好きです。オリジナルのポール・チェンバースのテーマから続くワンコーラス32小節×三人のソロがたまりません。

永井勉さんからのコメント。

カインド・オブ・ブルーの《ソー・ホワット》と《オール・ブルース》
なになに・・・最高です
楽器をやっているものからしたら 神曲です・・・m(__)m
例えばソー・ホワットはモードを学ぶ最初の入口です。
でももっと凄いのはオール・ブルースです・・・
冒頭の2分間の世界観はもってかれました。
エバンス・・・・・恐るべし
天才と天才がぶつかるとこうなります・・・です!!
めちゃくちゃカッコイイ曲です・・・m(__)m
で 思いました・・・モンクは不思議なリフの後に
普通にブルースピアノを弾いていたんですが・・
マイルスも同じ事をやっている感じがしました・・・m(__)m
マイルスはパーカーとモンクとガレスビーの影を一生をかけて
ただ追いかけていただけの少年だったって事じゃないですか・・・
泥酔永井の勝手な考察です・・・・・?????
😅

>冒頭の2分間の世界観はもってかれました。
別世界に誘われる音空間ですよね。
あの出だしあってこその《オール・ブルース》だと思っています。

後年の『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』などのライヴで演している《オール・ブルース》は、まったくの別物だと思っています。

杉田一雄さんからのコメント。

すみません、三人のソロにつくビル・エバンスのバッキングが好きだとコメントする前に投稿してしまいました、

高速kind of blueなんですが、3~4年前でしたか、マイルスの映画で『マイルス、空白の五年間』なる映画を観とき、
マスターテープを追いかけて入りこんだ闇カジノ、闇賭けボクシング場のシーンでリングの上のファイトシーンが、クインテットが演奏するシーンに入れ替わるところ、、わかってるなぁ~~と観いってしまいました。
あれはたしかに『フォアモア』の『so what』でした、、まぁ好き勝手なコメントをつらつらと失礼しました。

Tetsuo Nambaさんからのコメント。

Joe Zawinul のインタビューから …
朝3時に Miles から電話があった。ドイツから模型のレーシング・カーのセットが届いたんだが、ドイツ語の取説が読めないから今すぐ来いと言うんだ。それは無理だと言って翌朝彼の所に行ったら、部屋の中にサーキットが作ってあって、彼は有頂天だった。でも、1週間もしないうちにキレイに片付けられていたよ。

🤣

龍 大阪さんからのコメント。

マイルスさんは、ライブ向きかそうでないか、というのをよくわかってたんじゃないでしょうか。例えば、ブルーイングリーンは、あれは、あのスタジオでの一発どりにすべてが集約されていて、あれ以上の完成度はないわけで。
Youtubeでブルーイングリーンのリハーサルみたいなのがあって、それ聞いたことがあるんですが、コルトレーンとかは、「だいたいこんな感じかな」というふうに、適当に流して吹いている。それは、本番に集中するために。それは他の演奏者でもそうで。
60年代マイルスでいえば、ESPという曲をライブで演奏してるのを聞いたことがない。しかし、同アルバムのアジテーションは、ライブの一発目で演奏してるのをYoutubeでよく見ます。
モードの曲ということでいえば、1970年以降のマイルスの演奏はすべてモード寄りといってもいいのでは。
テーマとしてはコード進行的なものはあっても、アドリブは1コードか2コードでモード的に演奏する。特にサックス奏者はコルトレーンがモードでの演奏方法を開示してるので、激しくブローする。そもそもビッチェズ・ブリューという曲は、ベースラインが至上の愛のパート1に似ている。エレクトリックでコルトレーンの至上の愛を演奏すると、こうなるよ、みたいな。
みんなビッチェズ・ブリューと言ってるが、本当はビッチズ・ブリューでしょ。「メスブタの醸造法」もしくは「尻軽女がなんか変な液体作ってるよ」みたいな意味。
1981年あたりに復活したマイルスの「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」。
そこでの「バック・シート・ベティ」は、Fのコードが基本になっている。モード的だ。マーカス・ミラーのインタビューを雑誌で読んだことがあるが、マイルスに呼ばれて「Fのコードでなんか弾いてみろ」と言われたらしい。たぶん、バックシートベティの構想がマイルスの頭にあったのだろう。
ちなみに、ベティとは、たぶん、ベティ・メイブリーのこと。結婚してベティ・デイビスとなった。昔、アメリカのポップスで「ベティ・デイビスの瞳」というのがあったけど、そのことにマイルスがインタビューで言及してた。
カムバックしてからのマイルスの音楽の目標としては、ジェームス・ブラウン的な粘るファンクサウンドのなかで各ソロイスト達がモード的にアドリブを展開するというのが、ひとつはあったと思う。ジェームズ・ブラウンとかブーツィーコリンズとか、最初は面白いんだけど、だんだんワンパターンで飽きてくる。「オレだったら、そこに、ワンアクセント付け加えれるぜ」と言ったところか。
1983年ぐらいにヤマハのDX7が登場して、ライブ演奏で簡単にシンセサイザーを使えるようになったことと、マーカスが新しいアイデアを提示したことによって、マイルスのファンク路線は若干の広がりを見せるが、ドラムのリッキー・ウエルマンやギター(本人はリードベースと言うがw)のフォーリーを最後まで手放さなかったところを見ても、マイルスはファンク路線を続けたかったように思う。