【コメント返し】せいごー

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動画「1966年7月15日のジョン・コルトレーン」(こちら)に視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしています。

コメント

龍 大阪さんからのコメント。

書き譜の話は、ジャズにおける即興の位置付け、ということだと思いますが、考えさせられますね。音楽だけでなく、自己の仕事や日常生活のアプローチという面においても。
それで、参考動画。
教えて!スティーヴ・ガッド師匠|Ajaのフィルを詳解【ドラムQ&A Part1/関西弁吹替】

スティーブガッドがスティーリーダンのAjaでの録音を語ったものです。さすがプロ中のプロ。自分が何をやっているのか完全に把握している。ショーターが後から被せることを知らなかったのも驚きです。
そのショーターは、マイルスクインテットにいた時代から全員のパートを書いた譜面を作ってきたとマイルスの自伝に書いてあります。つまり、あまり即興演奏を信じてないと。ダニーロペレスとかが参加していた最後期のカルテットではみんな束になった譜面を持ち込んで演奏してる映像がいくつもありますが、うわさによると、アドリブっぽく聞こえる部分は、実は、譜面に書いてあって、アドリブパートは逆だったりするらしい(笑)
いっぽうのマイルスですが、「即興の要素が無くなると自分の音楽は死ぬ」と思っていたところがあるんじゃないかと。
チックコリアの話も出てましたが、彼がマイルスバンドで初めて演奏するときは、譜面やコード進行とかの説明なしに、「とりあえず感じたままに弾け」と言われたそうだ。「考えるな、感じろ」ってブルースリーかよ(笑)
特にカムバック後のコンサートは、リハーサルが無かったと多くの共演ミュージシャンが語っている。サウンドチェックぐらいはしたとは思いますが。
やっぱ、天才は天才なんだな、というのが結論(笑)

動画見ました(2回)。
いやぁ、めっちゃ面白い!www

ガッドと大阪弁がこんなにしっくりくるとは!
いいなぁ。
後半のドラムの実演のところで、シンバルが入った瞬間、うーん、スティーヴ・ガッドだなぁって感じました。

ところで、「即興」と「即興性」のお話。

「仕込み(書き譜など)」と「その場(即興)」の配分って、ミュージシャンによって違うのだと思います。

ただし、マイルスにしろチックにしろショーターにしろ、「10:0」や「0:10」のような両極端はないと思います。

仕込み9:その場1とか、
あるいは、
仕込み3:その場7とか。

準備多めタイプか、その場多めタイプの配分が意識的か、無意識的かはわかりませんけど、人前に立って演奏することが生業の人のバランス感覚や美意識、見せ方などは様々だと思っています。

入念に準備していたのに、あえてハシゴを外すということもあるかもしれないしw

そのハプニングを楽しむ、あるいは観察する(?)ことで、若手を鍛えたり、新人の力量を測ったりということもあるかもしれません。あるいは、あえて予定調和を壊して、そこから生じる緊迫空気で生々しさを出そうとしたりと、まあ色々なんでしょうね。

ちなみに、「音楽」ではなく「喋り」の方ですが、私も「ハシゴ」外され、その場の対応力を「観察」された(?)、あるいは「洗礼」を受けた(?)ことがあります。

以前、寺島靖国氏のPCMジャズ喫茶にゲスト出演をした際のこと。
ガチガチに構成を決めて収録に臨むわけではないのですが、ある程度の番組の流れを打ち合わせた上で収録が始まるわけです。で、最初の前振りトークは「主」である寺島さんがいろいろ喋ってくれるので、私はボケ〜っとしていたんですよね。何か質問されたら話そうと思って、その日にかかる予定のアルバムのことなどを何とはなしに考えていたんですよ。

そしたら突然、私の紹介のところで、いきなり私のかつての勤務先の話がふられた(驚)。
えっ?! となりましたね。
できれば、勤めていた会社の名前は公には伏せておきたかったんですが、突然、「あそこを辞めたんですよね?」みたいな話を番組冒頭にふってきたんですよ。

ま、氏の本も出版していたところだったので、ご自分と、よーわからんゲスト(私)との「つながり」的なことを視聴者に伝えようという意図だったのかもしれませんが、予想外の角度から想定外の話題がふられたので、私はリアクションに数秒遅れてシドロモドロ。心の中では、「そういう紹介の仕方をするって聞いてないぞ〜! 私の前職を紹介するなら、打ち合わせの時に言ってよ〜!」なんて思っていましたけど、時すでに遅し。もう収録は始まっている。ま、リアルタイムのオンエアではなく録音なので、「今の質問なしなし、やめて!もう一回最初から録音させてくださいよ〜!」とテーブルをひっくり返すこともできたんですが、さすがに流れを止めるだけの勇気もなく(肩が触れ合う左隣には、岩浪洋三大先生がいらっしゃいますし)、なんとか、平静を装って「フツーっぽい」受け答えをした記憶があります。

そしたら、今度は「あなたは評論家ですか、評論家じゃありませんか?」という、これまたあんまり考えたことのない質問が突然降ってくるし。
いやぁ、本当に冷や汗ものでした。

マイルスのように、ステージ上での即興性(ハプニング?)も大切にするミュージシャンは、このように「突然の無茶ぶり」をすることで、相手のリアクションを楽しんでいる、見定めている、アクシデント・リカバーの空気をも演出の一要素として音楽化しているんだろうなぁと思いました。

>「とりあえず感じたままに弾け」と言われたそうだ。「考えるな、感じろ」ってブルースリーかよ(笑)
チック・コリアのようなセンスと実力がある人前提の「マイルス・クオリティ」な指示なんでしょうね。

龍 大阪さんからの返信。

返信、ありがとうございます。さて、三宅香帆さんという人が「考察する若者たち」という本を出しているらしいですね。まだ読んでません(笑)。でも、オタキングこと岡田斗司夫さんとのyoutubeの動画があってそれを見たのですが、「考察と評論は違う」という話でした。考察というのは映画や小説において作者の意図を探ることだと。つまり、答え合わせだと。しかし、評論は作者の意図を考える必要はない、みたいな。ああ、なるほど、と。よく、宮崎アニメで「ここには、こういう意図が隠されている」とか、それこそ岡田斗司夫氏が説明していたりするのですが、それはそれとして、受けてがどう感じようが、こっちの勝手、という部分も確かにあるなと。レコードを聴いてる我々は演奏者の意図というものを必ずしも斟酌する必要がないというか。もちろん、時代背景やそのミュージシャンが演奏をする過程で、どのような生活をしてどのような研鑽をしたかは、その演奏を聴くにあたって、とても参考にはなるだろうけれど。私も少し演奏者の意図というのを考えすぎていたなと反省しきりです。芸術家は芸術作品を世に出した時点で人物と作品は分離するのだと。
ですから、寺島さんに「評論家なんですか?」と聞かれたときに「そうです、私が変なおじさん、いや、評論家です」と宣言すればよかったのに(笑)(笑)
あと、ガラスのタマネギTV、おもろいでしょ。なんか、おすすめ動画でジミヘンが関西弁でしゃべってるの見て、そんで登録しました。チュートリアルの徳井氏のような声質でなごむんですよね。ジミヘンはイギリス出身なんで、アメリカ人からしたら、もしかしたら京言葉みたいに聞こえてたかも、みたいな妄想してます。

あの動画チャンネル、そういえばクラプトンとジミヘンの吹き替えバージョンを見た記憶があります。大阪弁にすると、スッと入ってきますよね。最近だとエヴァンゲリオンの大阪弁や京都弁バージョンの動画とかもアップされているので見ましたが、標準語じゃなくなるとニュアンスがえらく変わるので面白いです。

>「そうです、私が変なおじさん、いや、評論家です」と宣言すればよかったのに(笑)
いやぁ、本当はなんかトンチの効いた返しをしたかったんですが、あまりに突然だったので、やっぱり予想外からの攻撃の瞬間反応は不可能でした。

そのだいぶ後ですが、氏のエッセイの「私は初めて対談する人には必ず評論家ですかと聞くことにしている」を読んで、そうかぁ、これあらかじめ知ってれば対応も変わってただろうなぁと思いました。
やっぱりある程度の予備知識、準備(ストック)があって臨むのと、丸腰で臨んで予想外の出来事に出来るだけパニくらずに対処するのとでは全然違いますね。

演奏中の突然の転調とかも(素人なので、そのような洗礼は今のところ受けていませんが、プロは先輩からそういうことされたりした人もいるようです)やっぱり戸惑うし、瞬間的になんとかしようと焦るんでしょうけど、その焦りの緊迫感も演奏のスパイスにしちゃおうという魂胆のリーダーもいるんでしょうね。

これも、たとえば知識として「ビル・エヴァンスは《酒バラ》をFからA♭に転調する」ということをあらかじめ知っておけば、ビックリはしても少し遅れて対処は可能ですが、そんなこと知らずに丸腰で臨むと恥をかいちゃう。ま、ここを耳と技術でリカバリーできるのがプロなんでしょうけど。
楽器やってる人がスケール練習を黙々とするのって、そういう時のための備えもあるのかなぁなんて最近は思ってます。(スケール練習⇒キーごとの指のパターン⇒あ、移動したらこの形で対処ね、みたいな身体対応が頭脳解析の遅れをサポートする)