休刊、いまだ復刊せず
老舗ジャズ&オーディオ専門誌の『スイングジャーナル』が休刊した時はショックでしたね。
とはいえ、もうずいぶん前の話ですけれど。
月日は流れ、軽く10年以上経過。
歳月が経つのは早い!
光陰矢の如し。
テンパス・フュージット!(それはバド・パウエル)
休刊を告げてきた編集部の方のお話では、「復刊に向けて鋭意努力する」とのことですが、結局「2010年7月号」、ジョン・コルトレーンが表紙の号が今のところ最後の号で、今のところ復刊のメドはたっていません。
というか『Jazz Japan』が、実質的に第2の『スウィング・ジャーナル』のようなものなのかもしれませんが。
ですので、今後は『Swing Journal』というタイトルの雑誌が書店の店頭に並ぶ可能性は残念ながら限りなく低いといわざるを得ません。
それにはもう一つ理由があって、それは写真の問題もあるようです。
あくまで噂なので、真偽のほどは不明なのですが、誌面で使用されていた、膨大な写真とネガのストックが、休刊前後にそれぞれのカメラマンに返却されてしまったのだそうです。
ある意味、ジャズの歴史のアーカイブともいえるべき貴重な資料でもあるネガが返却されてしまうと、再度、それぞれの持ち主にあたって再び借りるためには膨大な労力と時間がかかります。
貴重な記録を封じ込めた写真がなければ、以前のようなクオリティの誌面を作るのはなかなか難しいとのことで、この話が本当であれば、かつてのような誌面がよみがえることは難しいのかもしれません。
にしても、最後の幕を閉じる号の表紙がジョン・コルトレーンとはねぇ。
相応しいような気もするし、そうでないような気もするし。
ベタなような気もするし、もう一ひねり出来なかったものだろうかという気もするし。
いや、案外、この写真こそが多くの日本人ジャズファンの「気分」を代弁しているんじゃないかという気もするし、まあなんというか複雑な心境ではあります。
SJ誌に書いて一人前
『スイングジャーナル』誌(SJ誌)は、昭和22年に創刊されたジャズ雑誌です。
歴史も、ブランド力もあったジャズの情報誌でしたし、私自身、ジャズに入門した頃から、本紙や別冊にはお世話様になっていたので(とはいえ毎号購入していたわけではない)、休刊の報道を知ったときは、耳を疑いました。
私は、休刊する少し前からたまにですが執筆依頼を受けるようになり、何本かの記事を書かせていただいています。
それ以前にも、他の雑誌やムック、書籍にジャズの原稿を書いているにもかかわらず『スイングジャーナル』に記事が掲載された際は、何人ものジャズ関係者から「おめでとう、ようやくこれで一人前だね」と言われたので、やはりこの雑誌のブランド力は凄いなと痛感したものです。
ある意味オヤジ誌
私にとっての『スイングジャーナル』は、いわばオヤジのようなものでした。
もちろん、特集内容や紙面構成に関しての不満は多々ありましたが、その不満も含めて、私にとっては、オヤジのような存在。
だから、今現在は、一家の家長を亡くした息子のような心境です(もっとも本物の親父は、元気にピンピンと生きていますが・笑)。
だから休刊を知ってからというものの、心の中にぽっかりと穴が開いてしまいました。
見本誌が届いたときも、数日はページをめくるのが怖くて放置していたほどです。
軽い虚脱状態とでもいうか。
最終号のライブレポート
ちなみに、この最後の号で、私はロン・カーターのライブレポートを書き、掲載させていただいています。
青山の「ブルーノート東京」で行われた、来日したロン・カーターの演奏をレポートした内容でした。
そのライブの内容はというと?
まあここだけの話、そのライヴ演奏に関しては可もなく不可もなくでしたね。
もちろん演奏技術はあるのは当然のことながら、こちらの心をバシンと叩いてくれるような刺激は皆無でした。
もっとも、ブルーノート東京なので、ワインを飲んで肉喰いながら聴くにはふさわしいステージだったのかもしれませんが。
とはいえ、シゴトなわけですから、グチグチ愚痴めいたことは書けるわけもなく、まあなんというか無難なレポートを書いて入稿したことを覚えています。
このロン・カーターの取材の依頼をいただいたときは、休刊のことを知らなかったので、結構、軽い気分で書いたものですが、こういうことなら、もうちょっとラストを飾るにふさわしい文章を書いておけばよかった…… と言っても後の祭り。
『スイングジャーナル』という、ジャズを届ける媒体がなくなって幾歳月が経過してしまいましたが、だからといってジャズがなくなったわけではありません。
名盤は聴き継がれ、日々、フレッシュな演奏も生まれ続けています(多分)。
私の場合はどうするのかというと、今後はYouTubeやブログなどをとおして、イキのいいジャズを紹介し続けするしかないかなと思っています。