中山康樹 ・著『JAZZ名盤名勝負』が面白い!

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昔よく読んだ面白い本を紹介しが動画をアップしています。
中山康樹 ・著『JAZZ名盤名勝負』(廣済堂出版)です。

コメント

龍 大阪さんからのコメント。

内容と関係ないけど、デビッドサンボーン、亡くなっちゃったんだ。あと、10年ぐらいは生きていそうだと思ったんだけど。マーカスのバンドにもいた、ディーンブラウンも今年の1月ぐらいに亡くなったみたい。みんなタヒんじゃう。悲しい。

御駄賃取郎さんからのコメント。

こうした「ホンネでは何が好き?」とか「評論家にレコード会社がつくらせたジャズのレコード」などをみると、実に興味深いものがありますね。正直いって(なるほどねえ?本音では、やはりそうだよね。)と思うばかりです。

しかし評論家ともなるとそうばかりもいっておれないのでしょうが、時がたつと(やはりなあ・・。)としか思えません。マンハッタン・ジャズ・クインテットの処女作は中山氏の企画でヒットしましたが、じつに自然な出来のようでしたが、コアなフアンからは突っ込まれまくっていましたよね。笑

ジャズは様々な新スタイルが登場しては楽しませてくれていますが、そうでなければ1970年前後には「ジャズは終わった」というのが定説?となっていたのかもしれません。

マイルスはマーケット・リサーチャー(商売のセンス)の視点からみれば実に「機をみるに敏」であったと思います。ロックが大ブームのときには「おれがやれば最高のロックを作ってみせる」といって電化マイルスがはじまり、「真のフュージョン・スタイル(融合)とはこうやるのだ」といって「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」ができたようにおもっていますが、時代のテムポは次第に早く進むようになり、さすが、のマイルスもその変化のテンポにはおいついていけなかった感が強い気がしています。

だから私は勝手に、今のジャズは「新伝書鳩派」(先祖がえり)と思っていますが、ウィントンが真の意味でそのヒーローとなる日が果たして来るのでありましょうか???

できることなら「ウィントン大好き!!」という方々の具体的な「好きどころ」を改めて色々お聞きできればなあとおもっておりますです。

「砂場の山理論」と勝手に言ってるのですが、まあ一言で言えば「三歩進んで二歩下がる」ですw

幼い頃、公園や幼稚園の砂場で高い山を作っていた時、年上の小学生のお兄さんなんかが混ざってきて、我々が積み上げた小山を手の平やスコップで一旦平(たいら)に均すんですよ。せっかく高く重ねたのに、なぜ元に戻す(低くする)んだよ〜!と思いましたが、これ、積み上がった砂を一旦上から押しつぶして低くすることによって面積を増やし、強固な土台を造っているんですよね。

私は技術や表現の進化や発展も、わりとそれに近いものがあると考えています。

突出した人材が現れて、エッジの立った表現をする。
砂場で言えば、ドバーッと上から大量の砂をかぶせる。

だけど、それを受けれる土台がまだしっかりしていない。
だから危うかったり脆かったりすることもあるし、そもそもリスナーだったり社会の環境が、それを受け入れるだけの基盤が整っていない。

その後、一旦は高く盛られた砂の山も、土台作りのために、高さが低くなる。
一進一退というか、一高一低ですな。

砂山の高さに関しては、いったん、元に戻ったように見えますが、その分、しっかりとした土台が形成されているので、その後に盛られる受け皿がしっかりと整っている。

だから、後進たちの表現は、先駆者のそれよりも安定感がある(ように感じられる)し、受け入れる側にもある程度の耐性が出来ているので、それほど尖ったものとは感じられない。

その繰り返しがなん度もなん度も繰り返されてきた現在は、非常に良い時代だと思っています。

ビバップも、ハードバップも、ラテンも、モードも、フリーも、フュージョンも、ファンクも、ヒップホップも、電気楽器の使用や、アンビエントも、これらの「砂」がなん度も盛られ、なん度も均され、積み上げられては揺り戻しがあり、気がつくと、非常に広くて強固な木の切り株のような地盤が出来上がっていますし、さまざまな要素の融合が違和感なく楽しめる上に、先祖返りのような「あえて昔のスタイル」のものも、現代のスピード感が加味されているものが多いので、単純に古いもの焼き直しには感じられない。

あとは、目の前に広がる無数にある美味しそうな音源をチョイスし、つまみ食いをしまくって、「おっ、これはいける!」と思ったものを深掘り&たらふく味わえるという「選択肢天国」な状況です。
なんて恵まれた時代に生きているんだろう、オイラ幸せだなぁと能天気に日々暮らす我であったw

だから、オピニオンリーダーのような存在はいらんし、シーンを引っ張ってるかのような時代のアイコン的存在もいらんのです。
依存もしないし、期待もしない。そもそも最初から寄りかかるもの、しがみつくものが無いので裏切られたとも思わないし、過剰な期待や思い入れもない。
それでも、たまたま探り当てた素晴らしい音源には大興奮。
なんて恵まれた時代に生きているんだろう、オイラ幸せだなぁと能天気に日々楽しむ我であったw

TAKESI0506さんからのコメント。

昔のスイングジャーナルには「話題の新譜四つの意見」という欄がありました。1974年7月号のこの欄にはマイルスの「ビッグ・ファン」が取り上げられて、中山康樹さんが“マイルス・ファン/大阪”として書いてます。中山さんのスイングジャーナルに載ったマイルスに関する文章としては、初めてのものではないでしょうか。

『●変化することがマイルスにとってジャズの愛情の証
 トータルなものとしてこのアルバムを聴いたとき、ぼくはマイルスの歩みをテーマにした1篇の映画のある部分を見たような気がした。なぜなら4面全4曲のなかにはマイルスのスピーディな変貌が生々しく切り取られ、4曲それぞれがスタイルの異なるサウンドでありながらもマイルスのジャズに寄せる深い愛によって支えられているために全く違和感のない一つの流れを成し、実にドラマティックな世界を構築しているからである。ドラマ、といってもここにあるのは「ビッチェズ・ブリュー」に代表されるような虚構のものとしてのそれではない。あくまでも一人の人間としてマイルスの日常を捉えたノン・フィクションなのである。ゆえにこのアルバムはファンにとって最も身近に感じられる作品として愛されることと思う。しかしぼくがこのアルバムに針を落とすことは今後滅多にないだろうという気がする。ここには自己に忠実に演奏することで自ずとサウンドに変化をもたらしていた頃のあのマイルスはいない。痛感することは変化のために変化し続けなければならなくなったマイルスの孤立感である。それは音楽的優劣をさしているのではない。好むと好まざるとにかかわらず、いつの日にか華やかなジャズ・ライフに別れを告げなければならないという宿命的なものである。しかしぼくが今もなお「オン・ザ・コーナー」や「イン・コンサート」そしてこのアルバムなどに深い感銘を受け、時に胸熱くなるものを禁じえないのは、自己がどのような状態にあっても、変化させることによってしか演奏を続けられないということをマイルス自身が熟知しているからにほかならず、変化することがマイルスにとってのジャズへの愛情の証となっているからである。情熱ある若きミュージシャン達とファッショナブルな女性に囲まれ、常に話題の渦中に「スター」として君臨していたマイルス。しかし彼の心中はその存在とは裏腹にいつも風吹きぬける荒野ではなかったのだろうか』

74年5月号の売買交換室「求む」欄に中山さんが以下のような文を載せてます

『求む。「4Chゴールデン・ステージ」で放送されたM・デヴィス東京公演をカセットにコピーして下さい。お礼させていただきます。大阪府堺市上野芝 ✕✕✕✕✕✕ 中山康樹』

この時代は、ネットは一般的ではなかったので、いろんな雑誌にこのような売買欄がありました。中山さんの住所には番地や電話番号も載っていて、個人情報保護の現在とは隔世の感がありますね。

1974年ということは、中山さんは当時22歳くらいですね。
後の「はっちゃけ文体」とは違った生硬さが感じられますが、根っこにある基本的なマイルス観のベースのようなものは、もうすでにカッチリと確立されていたことがわかります。
もっとも「マジメ文体」の中山さんの文体もすでにこの頃から確立されていたこともわかりますね。
でも読んでいてとても新鮮な気分になりました。
いやぁ、貴重なテキスト、いつもいつもありがとうございます。