クールの誕生(マイルス・デイヴィス)のライナーノーツ

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コメント

kamaichi2002さんからのコメント。

うーん、なぜかぼくも「クールの誕生」はどうもよくわからないんですよね。そして、あのプロジェクトが西海岸白人ジャズの隆盛を後押ししたという「証拠」もないでしょ。
西海岸ジャズ隆盛のバックには、ハリウッドを背景にした膨大な「映画音楽」需要があったでしょう。あんまりそれに触れる人はいないなあ。

時代の空気を読むのに敏感なマイルスが、ある時、「いっちょ、(おれのできない)熱狂的バップにひや水をかけてやるか!」と思ったのかなあ…。

>あのプロジェクトが西海岸白人ジャズの隆盛を後押ししたという「証拠」もないでしょ。

もちろん『クールの誕生』のプロジェクト単体「だけ」が、ウェストコーストジャズの攻勢を「後押し」したわけではありません。

ウェストコーストジャズといっても、想像以上に多面的な実相があり、アート・ペッパーやチェット・ベイカーのようなアドリブ一発派もいれば、チコ・ハミルトンや、アルバムによってはシェリー・マンのようなタイプの人はかなり前衛的なアプローチを試みています。とはいえ、我々が一般的にイメージするのは、ジェリー・マリガン、デイヴ・ペル、ボブ・クーパー、マーティ・ペイチらのアンサンブル重視派でしょうね。そして、彼らアンサンブル重視派を大きく「後押し」する「キッカケの一つ」になったとも私は考えています。

長くなるので動画では語っていませんが、西海岸特有の「背景」、そしてそれにより醸成された「土壌」も無視できません。

アメリカの西海岸エリアには、第二次大戦前後よりカリフォルニアの大学には、ヨーロッパからやってきた(逃れてきた)ウィーン出身のアーノルド・シェーンベルクがいました。
また、オークランド・ミルズ・カレッジにはユダヤ系フランス人のダリウス・ミヨー(ブルーベックの師匠)や、エルンスト・クルシェネクが教鞭をとっていました。

彼らに教えを受けた楽器奏者の中にはジャズマンになった人もいましたし、そのような連中は当然のことながら、高度な編曲、アンサンブルの教育も受けているわけです。
西海岸のジャズマンの多くが譜面を読めるのは当然のこととして、編曲、アンサンブルへの関心が高かったことは容易に推察できます。

このような下地が形成されているところに登場したのが『クールの誕生』でした。

だから、『クールの誕生』が出たから、白人が皆、こぞって影響を受けて真似をしはじめた、というわけではありません。受け入れる下地が形成されていたところに、アンサンブルに凝った(比較的)少人数編成な「具体的な音」が発表されたわけです。

もちろん彼らは、マイルス以外のミュージシャン、たとえば、クロード・ソーンヒルやスタン・ケントン楽団や、レニー・トリスターノらの音楽も彼らは聴いていたことでしょう。

しかし、実際に比較的少人数編成(ノネット)で結実した音としての作品を耳にした彼らは、おそらく「ああ、この手もあるんだ」「こういうのもアリなのね」という気持ちの後押しになった可能性は十分に考えられます。なにしろ、従来のソロ交換に止まらず、緻密で斬新なサウンドを作り出すということを実際に証明している音源が登場したのですから。

もちろん、具体的な証拠は挙げられ術もなく、ウェストコースト系のジャズマンたちのインタビューや、発表された作品の「肌触り」から類推するしかありませんが。

たとえば、ジャズ批評別冊の『ウエストコースト・ジャズ』には、ショーティ・ロジャース、コンテ・カンドリらのインタビューが掲載されています。

ショーティ・ロジャースは「ギル・エヴァンス(クールの誕生のアレンジに参加)にも影響を受けた」ことを語っています。

コンテ・カンドリは、ガレスピー、ドーハムの他、マイルスからの影響も語っているほか、マイルスとの交流についても語っているので、なにがしかの影響は受けている可能性大です。

兵役除隊後の若き日のクロード・ウィリアムソンは、西海岸にやってきたマイルスから「You’re Okay!」と褒められて舞い上がるほど嬉しかった旨を語っています。

このように、有形無形の形で、西海岸の多くのミュージシャンにとってマイルスの存在は直接的にせよ間接的にせよ意識せざるを得ない存在であったことは確かだと思います。
もちろん、だからといって、それが『クールの誕生』が西海岸ジャズの隆盛を後押ししたという単純なものではないですが、『クールの誕生』を発表した頃のマイルスという存在は、西海岸のミュージシャンにとっては予想以上に大きなものだったことがうかがえます。

このあたりのインタビュー、資料は、『ウェスト・コースト・ジャズ』に詳しく書かれておりますので、よろしければご一読を。ち
なみに私も執筆に参加していますので(笑)。

さて、

>西海岸ジャズ隆盛のバックには、ハリウッドを背景にした膨大な「映画音楽」需要があったでしょう。あんまりそれに触れる人はいないなあ。

赤狩りのマッカーシー旋風ね。
これがキッカケで、マリガン、ケントンやハーマン楽団のメンバーがハリウッドに定住するようになったので、このことも、先述したウェストコーストの「土壌」形成の一つにはなっていると思います。

ただ、多くのジャズマンは、ウェスト・コースト・ジャズ衰退後に生活の糧を得るために映画音楽関係の職を得ています。

このことに関しては、前掲『ウェスト・コースト・ジャズ』中のクロード・ウィリアムソンのインタビューに詳しいです。

「(ウェストコーストジャズが衰退して)その後多くの白人ミュージシャン達は、私を含めてスタジオ・ミュージシャンになってしまった。レニー・ニーハウスは、映画音楽、ラス・フリーマンはテレビの仕事等々、それぞれゆとりのある生活をしている。ジャズだけで家のローンを支払って生活のゆとりのある、要するにメシの食えるミュージシャンってのは、ほんのひとにぎりだけなんだ。アメリカが生んだジャズを演奏する人達がこういうまともな生活が出来ないというのは、おかしいと思うが、それに対して政府はなにもしないし…おかしなことだと思うよ。本当に。」

高松貞治さんからのコメント。

寺島靖国さんの『辛口JAZZノート』でクールの誕生を「問題作」と書いています。中山康樹さんも動画で言っているように、やらかしたアルバムと2人ともこのアルバムを貶しています!私も最初この2人の影響でとんでもないアルバムだと思い込んで、一切聞きませんでした。しばらくジャズを聴いて後、もうそろそろ良いのではないかと思い聞いていましたが、私のこのアルバムの印象はただつまらない、平凡なものでした。それ以後全く聞いてません!また油井正一氏は「ジャズ10年周期説」なるものを唱えていて、40年代末期に「クールの誕生」、50年代に、マイルスのモード、60年代初頭にオーネット・コールマンがコードを破壊し、60年代末期にマイルスが「ビッチェス・ブリュー」が現れジャズを沸かせたと、4回にわたっての「ジャズ大事件」が油井正一氏が説く「ジャズ10年周期説」でしたが、これに粟村政昭が、80年1月号のスイングジャーナル、ウィントン・マルサリス評で『「ビッチェス・ブリュー」でモダンジャズは終わった』言って論争になりました!寺島靖国さんは油井正一氏は間違ってると書いてありますが、この点に関しは私も珍しく賛成です!経済にも景気循環論って言うものがあり、経済学者の、シュンペーターが何年周期で経済の波が来るか本を書いていますが、そんなものは普通わかりっこありません。ライバルだったケインズは頭が良かったので、そこの分野には立ち入りませんでした!これは経済の話ですが、ジャズにも共通して、油井正一氏の「ジャズ10年周期説」なるものは存在しないと私は確信しています!

ま、どこをどう切り取るかによって事物の見え方や法則性は変わってきますからね。
司馬史観があるように、油井史観もある。
眉唾を唱える人も少なくないですが、私は肯定も否定もしません。
そういう考えモアリなんねぇ、と面白く受け取っている派です(無節操マン♪)

TAKESI0506さんからのコメント。

司馬史観といえば、三島由紀夫がインタビューで、「司馬遼太郎をどう思うか?」と聞かれて、次のように答えてました。

「人物描写はうまいと思うけれど、あの人の史観が好きじゃない。ボク坂本竜馬って好きじゃないんですよ」。
なぜ?
「未来を夢みる人間ってボク大きらい。じぶんがいちばん最後だと思ってる人間にしかボク興味感じない」。
未来を夢みないで?
「拒否することですよ。オマエまちがっているといいつづけることです。その拒否の形式がポクの場合変ってる。ヘンなチンドン屋みたいな服を着たりしてね」。
誤解されても?
「ぜーんぜんかまわない。誤解をおそれるのは女性的ですよ」
あなた自身のための形容詞は。
「ごった煮ですね。まったくのごった煮」

坂本龍馬のことを持ち出しているのは、インタビューの年の大河ドラマが「竜馬がゆく」であったためだと思われます。
 全然ジャズと関係のない話で失礼しました😥

いえいえ、大変興味深く読ませていただきました。

三島由紀夫が司馬史観が好きじゃないのは、なんとなく分かるような気がします。

ただ、一連の発言からは、本質的に女性的な繊細さを持ち合わせる彼ならではの「強がり」と「自分に対しての言い聞かせ」も感じられるのですが、そこがきっと「三島」なのでしょうね。

博 橋本さん⇒TAKESI0506さん

データ作成、整理・保管・管理。いつまでも宜しくお願いいたします。

永井勉さんからのコメント。

ジャズ歴の浅い私がBirth Of The Cool
を聴いて思ったのは浅い・・・です!!!
とても1959 – Kind of Blue
1958 – Milestones
1965 – E.S.P
1968 – Bitches Brewを創った本人だと思えません・・・
弱いんです・・・確信的じゃない感じがしました・・・m(__)m
怒りますよね・・・雲さん・・・ごめんなさい・・・😈😈😈😈😈

いや、べつに怒りませんよ♪
肝心なプレイヤーとしての説得力が、まだこの時期には結実していなかったということは、さすがにアホな私にも分かります。

ただ、私特有の判官贔屓(?)的な感性を、なんだかくすぐるんですよ。
どうやら私は、弱者なら弱者なりの、貧者なら貧者なりの創意工夫を感じられると、なんだか愛おしさを感じてしまう性質のようです。

あんまり おいしくないかもしれないけど、女の子が一生懸命作ったバレンタインのチョコレートや一生懸命ラッピングした包装なんかに「キュン!」とくるような感じ(笑)? …ちょっと違うかもしれませんが。

えーと、喩えを変えますと、少数の兵にもかかわらず、大群を翻弄した楠木正成や真田昌幸のエピソードに胸高鳴るというか。
あと、『のぼうの城』の成田長親とか。

圧倒的資源と戦力で正々堂々と正攻法で戦うよりも、ゲリラ戦が好きなのかもしれませんね。

少ない資源をどう活かすか。
そして、無いなら無いなりに知恵を絞って挑む姿に私は惹かれてしまうのかもしれません。
それが、時に稚拙であろうとも。

だから、サヴォイのパーカーの《ビリーズ・バウンス》や《ナウズ・ザ・タイム》のマイルスのラッパも私好きですよ(笑)。
いや、好きというより、愛おしいというのかな?
現時点で持てる力量やセンスの最大限をなんとか押し出そうとする姿に心打たれちゃうんですよね。これはもう技術や音楽性抜きにして。
(ただ、不必要に自分を大きく見せようとイキがる人種には嫌悪感を覚えますが)

サヴォイのマイルスのラッパといえば、先日のオフ会で鎌倉殿は、ボロクソに言ってましたけど(苦笑)、私は心優しき愛の戦士なので(は?)、どうしてもマイルスのあのトランペットが愛おしくてたまらんのです。

永井勉さんからの返信。

・・・という雲さんの言葉が返って来るのは予想していました・・・
多分私が思うジャズの最強のアルバムは1959 – Kind of Blue
しか思い浮かばないんです・・・
何かプログレシブロック的なエッセンスを放ちながらギリギリ
ジャズなんです・・・m(__)m
1968 Bitches Brewもアガパンとか1966 Miles Smiles
とかみんなギリギリジャズなんです・・・m(__)m
どんなに包装紙を変えてもマイルスはギリギリジャズだと思ってます!!

うーむ、読まれてましたか。
私が愛の戦士であるということを(謎)。

ギリギリジャズ、なるほど納得な指摘ですね。

TM MTさんからのコメント。

このアルバム僕も元々好きじゃなかったんですが、アート・ペッパー+イレブンというアルバムが好きになり、これを散々聴き倒した後に、これを聴くとアラ不思議「良いやん」となりました

そういえば、アート・ペッパーの『プラス・イレヴン』のバックの管楽器のアンサンブルって、なんとなく『クールの誕生』に似ているような……。
ビッグバンドのアレンジに関してはド素人な耳による主観ではありますが……。
しかし、主役がペッパーに変わるだけで、軽やか・あっさり・パリっ!としてますね。

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博 橋本さんからのコメント。

毎度賛否がはっきりと分かれる作品ですね😅
私は何故か好きな作品です。
個人的にはこのレコードも、ジャズを聴き始めた頃に目の前にあったという理由で、嫌も応もなく飛び付いて聴いていた物です。
「へーぇ、これがコニッツね。こっちがマリガンかぁ」と言った具合に聴いていました。
同時に拙い知識の内ながら、発表当時のジャズ・シーン(バップ)に対して、マイルスの挑戦めいた物を含んだ活動を感じ、クールというよりはむしろホットを感じていました。
また現在は、己がこの年齢になって尚、当時の20代の若者達が確実に何かを始めていた事にホットな物を感じています。
雲村長の感じたところの、当時のマイルスの ”姿勢” に私も一票です😊

嬉しいコメント、ありがとうございます!

博 橋本さんからの返信。

ジャズもロックも「それは何か?」と問われたら、それは先ず ”姿勢” や ”スタンス” にも価値を置いちゃうかも😎

ですよね~。

tmjさんからのコメント。

私もこのアルバム大好き派です。曲がいい、アレンジが面白い、書き譜じゃないのと疑われるほど整ったマイルスのアドリブが心地よい、コニッツがいい(まさに「涼やか」)……。なので、このアルバムを酷評した寺島氏の文章を読んで、私は彼を軽蔑するに至りました(笑)

コニッツ涼やかでいいですよね~。
このアルバムに夢中になる突破口の一つになる音色だと思うのですが(難しいことはさておいて)。