マイルス・デイヴィスとヴォーカルとブルーノートの話

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「A面、B面、どちらも素晴らしい!『バグズ・グルーヴ』」というタイトルの動画(⇒こちら)にいただいたコメントを紹介する動画をアップしました。

コメント

サンジョルディさんからのコメント。

<ライオニック・ブルーノータル・ハードバッピアン>のサンジョルディです(笑)
コメント返し、ありがとうございました😄

ライオネルではなく、ライオニックですか😁

サンジョルディさんからの返信。

<アルフレッド・ライオニック>ですー(笑)

龍 大阪さんからのコメント。

マイルスは自伝のなかで、「フランク・シナトラの歌い方を参考にした」と言ってますが、ぜんぜんピンとこなかった。しかし、Youtubeでシナトラの歌とか聞いていると、ある共通点を見つけました。
それは、バラードにおけるビブラートのかけかたです。
マイルスとかコルトレーンは、「ノンビブラート」の奏者として位置づけられてます。クールファイブの前川清さんのようにワォワォとはやらないという意味では、そうなのでしょう。
しかし、曲の節となるロングトーンで、フェイドアウトしていくところで、軽く細かいビブラートをかけているのです。シナトラも同じような歌い方をしているので、このへんを参考にしたのかな?と思ってます。
コルトレーンも初期は、マイルスのように音数が少ないなかで印象的なフレーズを吹くようなスタイルを目指していた、とのうわさもあります。結果的に逆を行ったのですが(笑)。
それでも、バラード演奏に関しては、マイルスのやり方をすごく参考にしたのではないかと。プレスティッジの「ラッシュ・ライフ」の演奏なんかは、すごくよくわかると思います。
サックスはマウスピースやリードにたいするアンブシュアーでビブラートをコントロールできますが、トランペットは腹圧だけでコントロールしなくちゃいけないので、たいへんだったと思います。

たいへん興味深い考察、ありがとうございます。

私、シナトラのCDは何枚か持っているんですけど、それほど熱心に聴いていたわけではないので(ほとんど聞き流し)、改めて聴きなおし、両者を比較してみようかと思いました。

サンジョルディさんからのコメント。

【<パラレルワールド江戸>思いつきでしゃべる熊さんと、知らないとは言えないご隠居の会話、あるある】

【熊さん】
ご隠居、<70年代フュージョンの落とし穴>について、話してえと思いやしてね。

【ご隠居】
相変わらず<藪から棒>じゃのう。しかも、<70年代フュージョンの落とし穴>とは、<お江戸フュージョン協会>から、にらまれそうな話題じゃ。まあ、言ってみなされ。

【熊さん】
一般にフュージョンはベティ・デイヴィスの影響で、マイルス・デイヴィスが電化やファンク化したことに始まると言われやすね。

【ご隠居】
ジミ・ヘンドリックスやスライ&ザ・ファミリー・ストーンの影響が強いと言われておる。

【熊さん】
そこで、あっしは、大きく<ロック系フュージョン>と<ファンク系フュージョン>の2つに分けて考えて行きやす。

【ご隠居】
まあ、フュージョンは、ラテン音楽やクラシックに接近したものも出てくるが、ロック系とファンク系に絞るのじゃな。

【熊さん】
へえ。
まず、<ロック系フュージョン>は、それまでのジャズとは、楽器が大きく変わりやしたね。

【ご隠居】
エレクトリックギターとエレクトリックベース、エレクトリックピアノなどじゃのう。

【熊さん】
ジョン・マクラフリンやビリー・コブハム、ヤン・ハマーのマハヴィシュヌ・オーケストラなどがありやした。

【ご隠居】
おお、マクラフリンのギターには、しびれたわい。

【熊さん】
しかし、<ロック系フュージョン>は、ロックから<大切なもの>を取り入れなかったんでさあ。

【ご隠居】
むむっ、それは、最近のお前さんの話に出てくる<ヴォーカル>じゃな。
しかし、<ヴォーカル>がいないと、どう違うのじゃの?

【熊さん】
これは、あくまであっしの感想でやすがね。
<マイク・ヴォーカル>に対抗するために、たくさんの人々が、<エレキギター>や<エレキベース>を<大音量>にし、<ひずませた>んでさあ。そして、ざっくり言うと、ジミヘンにより、エレキギターは、伴奏という<脇役>から<主役>になりやした。
しかし、その<対抗する相手役>の<ヴォーカル>がいねえと、エレキ楽器は、ひずんで大音量で、変に<悪目立ち>するんでさあ。

【ご隠居】
分かったような、分からないような説明じゃのう。

【熊さん】
たとえば、レッド・ツェッペリンで、ロバート・プラントのヴォーカルがなくなったら、
ディープ・パープルで、イアン・ギランのヴォーカルがなくなったら、と想像すると分かりやすいと思いやす。

【ご隠居】
ほう。何となくイメージ出来たわい。確かに、魅力が半減するのう。

【熊さん】
2つ目の<ファンク系フュージョン>でやすが、ファンクからエレキベースに代表される<リズムグルーヴ>を手に入れやした。つまり、ハードバップのような各楽器のアドリブソロ中心から、全体的な<リズムグルーヴ>中心になりやした。
ですが、これまた<ヴォーカル>を取り入れなかったんでさあ。

【ご隠居】
<ファンク系フュージョン>に<ヴォーカル>を取り入れないと、何がいかんのかの?

【熊さん】
<ヴォーカル>には、歌詞がありやす。つまり、<区切り>というか、<終わり>があるんでさあ。ところが、<歌詞>のない<ファンク系フュージョン>には、ただ永遠に繰り返される<リズムグルーヴ>だけが残っちまいやす。

【ご隠居】
確かにスライ&ザ・ファミリー・ストーンの『フレッシュ』などを聴くと、時折<ドスの効いた>スライのヴォーカルによって、<グルーヴ>に、<メリハリ>や<区切り>をつけておるのう。
<ヴォーカル>がないと、<無限グルーヴ沼>にはまるということじゃの。
確かに、一部の<ファンク系フュージョン>は、<金太郎飴的>に聴こえる面もあるのう。
しかし、もし<ロック系フュージョン>や<ファンク系フュージョン>が、ヴォーカルを取り入れたならば、元々の<ロック>や<ファンク>と、どう区別されるのじゃな?

【熊さん】
文字通り、<フュージョン>になりやすねえ(笑)

「無限グルーヴ沼の快楽」、しかもヴォーカル入りとなると、どうしても私はジェームス・ブラウンを思い出し、しかもJBの同じキーとグルーヴを延々と繰り返しているナンバーのほうが、初期のメロディアスな歌モノよりも好きなんですが、中には、この繰り返しが単調で面白くないという人も世の中にはいるようなので、人の好みって本当にわからないものだな~と思っています。

Kawai Andyさんからのコメント。

私も、ヴォーカル説は乗っかりたいです!でも「寺島思想」に絡め取られないように気をつけないと。
この辺が、ジャズの付き合い方の難しいところですね。

唄う事の「言葉の表現」に対して「音の表現」というべきなのか、サッチモのアイデア( トランペットのフレーズを声で表現する事 )の「スキャットの思想」とは、楽器で「 唄う事 」を感覚的、即興的に結びつける事であり、ジャズと云う音楽の独自性の一要素を代表する事になったんじゃないかと、個人的には思っています。

ビ・バップ以降のジャズの多くは器楽演奏の技術がより高度になり、人の声では表現不可能なメロディやリズム、アーティキュレーションが「人という楽器」にそぐわないものに変化して行ったのですが、「スキャット的な気分」は残されたままに今日まで続いて来た様に思います。

簡単にまとめて云うと「ジャズは何処までもシャバドゥビ!気分」です。日本では「ハナモゲラ語~!」(笑)

おっしゃること、すべてその通りだと思います!(特にハナモゲラ語に関してはw)
そして、絡め取られないように気をつけないといけませんね(笑)。