熱すぎる読者投稿~熱狂?!エレクトリック・マイルス愛

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トランペット奏者、マイルス・デイヴィスが亡くなったのは1991年9月のことですが、その後、各ジャズ雑誌は追悼大特集を組んでいました。

今回動画で紹介したのは、『Jazz Live』誌の読者コーナーに寄せられたお手紙の内容です。

圧倒的なボリュームを誇る長文も凄いのですが、とにかく、エレクトリックマイルスへの熱愛(偏愛?)がものすごいのです。

残念ながら、ジャズライフ本体は大昔に処分してしまったのですが、その投稿が掲載された読者のページだけは捨てられずに、破いて保存していました。

今回は、その内容を紹介してみました。

エレクトリック時代のマイルスが苦手な人や、『ビッチェズ・ブリュー』に関して何やかんや言っている人にこそ聞いてほしい内容ですね。

コメント

2019 enchanさんからのコメント。

動画配信ありがとうございます。 30年来 Spanish Key 中毒のマイルスファンです。休日のボーッとした頭にいきなりガツンとくる題材、お休みの日でもマイルスと聞いて熱くなるのは私だけではないはず。伝統的な様式美を芸術に求める保守的な音楽ファンは電化マイルスに戸惑ったんでしょうが『そんなもん腹括って聴くしかないじゃん、マイルスなんだから』とばかり見事なコメントですよね!かつてビッチェズ以降は聴かないなんて狭量なファンもいましたが、Kind of Blue もOn the Cornerも素直にありのまま楽しめばいいんですよね〜。とは言え、最近は 泉のマイルス〜マラソンセッション〜Roudabout と旧レギュラーQ作を通しで繰り返し聴くのが楽しいです(『だからそれがダメじゃん〜』と言われそう)

サンジョルディさん的な分類法によると、enchanさんは「ジャズファン」というよりは、「マイルスファン」、つまり「マイルスの作品だったら、何でも大好物」というタイプのファンかもしれませんね。

私もけっこうその気がありまして、マイルスの音源であれば、パーカーとやってるヘロヘロな《ナウズ・ザ・タイム》から、意外と不評な『オーラ』のマイルスまで、なんでもござれって感じです♪

坂本龍一だって、シンセの教授、YMOの教授、アコースティックピアノの教授、オーケストラの教授、映画音楽の教授と、様々に音楽の表現形態を変えていますが、「いちミュージシャン」として多くの人が認めているから、いちいち「シンセからアコースティックに走った!」みたいなこと言われてませんもんね。

それと同じように、マイルスだって、ビバップやろうがヒップホップやろうが、「いちミュージシャン」としてとらえれば、「マイルスだったらなんでもいい」となるはずなんですよ。

でも、「マイルスだったらなんでもいい」なんて言うと、硬派な(頑迷な?)ジャズマニアからは、「節操がない」「信念がない」などと言われてしまいそうなんですよね。

やっぱり「ジャンル」にこだわる人って、「こうであれねばならない」というような、なんだか「ジャンル信仰」みたいなものがあるような気が。

だから、そういうタイプの人は、ボブ・ディランがエレキに持ち替えたら、ブーイング・ブーブーだった。

「ボブ・ディランはフォークであり、アコースティックであれねばならない」という、その人が勝手に作ったイメージがあったからこそ、ブーブーだったわけですよね。

マイルスも同様で、エレクトリックに走ったマイルスに対して拒絶反応を示した人って、「マイルスはアコースティック4ビートでなければならない」という思い込みがあったからこそ、なんでしょうね。

そういえば、私が中学生の時だったかな? 佐野元春がニューヨークから1年ぶりに帰国して発表したヒップホップやファンクの要素が強い『VISITORS』も、私はすごく刺激的に感じて飛びついたのですが、周囲の多くは「《サムデイ》のようなメロディアスな元春じゃなきゃ元春じゃない」といってファンをやめてしまいましたね。

その人たちの心の中にも「サムデイやアンジェリーナじゃなきゃ元春じゃない」という思いがあったんでしょう。

ファンって、勝手に心の中に虚像を作り上げて崇拝し、虚像と違うものと出会うと排他的になっちゃうんかな?と思ったものです。

そういえば、私が高校時代から好きなグループに、サロンミュージックという男女二人組のバンドがあるのですが、この人たちなんて、考えてみたら、すごい変化しまくってますよ。

最初はピュアでユニークなアコースティックな響きのサウンドが新鮮だと思っていたら、ピンクフロイドカバーするし、ドイツのハンマービートを取り入れるし、沖縄風旋律取り入れるし、UKエレポップをカバーするし、グランジやるし、ハードな打ち込みサウンド作るし、ミニマルサウンド追求するしと、アルバムごとに「アプローチ」は、てんでバラバラ。
それなのに、明確に「やっぱりサロン・ミュージックだよなぁ」と、各作品ごとにニヤリとさせる部分が必ずあるんですよね。

そういう人たちの音楽を楽しみ、その後に、私はジャズにのめりこんでいったので、目まぐるしくアプローチを変えていく人には何の抵抗感もないし、むしろそれが普通だと思ってしまうところがあります。

人間なんだから、ましてやアーティストなんだから、我々のような聴くだけの凡人よりも感度は鋭くて当たり前。だからスタイル変えるのだって当たり前。
……じゃないですか?

だから我々、聴くだけの凡人は、だまって自分たちよりも圧倒的にスケールの大きな感性を持つアーティストが作り出す音楽をありがたく楽しんだり、驚いたりできれば、それで幸せなんだよ、って思ってしまう今日この頃。
いや、昔から今日に至っていますw

2019 enchanさんからの返信。

丁寧なリプライいただきありがとうございます。中山康樹さんが『マイルス・デイヴィスというのは人の名前ではなく、1つの音楽のジャンル名だ』とおっしゃっていました。その心構えで聴いてみようかと思います。♪ Oh アンジェリーナ〜、君はバレリーナ〜(失礼)

そうそう、まさに「1つの音楽ジャンル名」!

「たまたま、最初にエントリーした音楽がジャズだったんだ」

そう考えれば、スッキリしますよね。

Hiromi Hasegawaさんからのコメント。

”Bitches Brew”論争については寺島氏の本で事後的に知った程度ですが、油井正一氏が当初絶賛した評価を後で撤回したのが興味深かったです。油井さんの論理は「ジャズはディキシー→スイング→バップと常に進化する音楽、Bitches Brewはその進化形態」だと思いますが、「Jazzというのは走りに走って倒れたら死ぬのか」という嫌な気分になりました。またそういう「jazz進歩史観」だと突然変異種はスポイルされてします。例えばチャーリー・クリスチャンはスイングかバップかとか、そもそもジャンゴ・ラインハルトはどのJazzか、なんて話はどうでもいいわけです。私事ですがエルモ・ホープのチュニジアの夜を聴いたときには「モンクやセシル・テイラーより凄いんじゃないか(小声)」とぶっ飛びました。
パーカーの様にその引力から巨大な星座を作る惑星もあれば、エルモ・ホープの様に一瞬の光芒を残して消える彗星もある。蓮見重彦センセの「表層批評宣言」をリフレインすれば「高みも深みも嘘、Jazzは表層、しかし何所まで行っても果てが無い、だから凄いんだ」、長文陳謝。

私は「進化」よりも「変化」という言葉を使ったほうがスッキリすると考えています。

アイラーや、最近ではカマシ・ワシントンのスピリチュアル・ジャズのように、ある種「先祖返り」な表現もあるわけですから。

もちろん、新しい表現手法を模索することは大切なことだと思いますし、気質的に求道的な表現者は(マイルスやコルトレーンのように)、新しい表現形態を追求すればよいと思います。

しかし、「jazz進歩史観」を前提に、すべからくジャズマンは前進、進化すべしというような強迫神経症的な思い込みは、送り手、聞き手が持つ必要はないと思います。お互い疲れるし、お互い面白くないw(多分)

そして、マジメな人が「ジャズは進化じゃ!」という思い込みを抱いてしまうと、聴き手不在の「理論のための理論」「テクニックのためのテクニック」に堕してしまう可能性だってあります。

そんなんだったら、己の持ち味を「深化」させた演奏のほうが聴きたいですよね。

IT業界でいえば、ビル・ゲイツやスティーヴ・ジョブズのようなイノベイターはごくごく一握りで、残りはエンジニアがほとんどなわけでして。

同様に、モンクやマイルスのようなイノベイターも、ごくごく一握りで、あとは、優秀な、それこそ《チュニジアの夜》を演奏したエルモ・ホープのような表現者が遍在(偏在かも?)するのがジャズの世界なんじゃないかと私は思っています。

そのような人たちは、昨日の演奏よりも今日の演奏をよりよく「変化」させることに心砕いたり、楽器の音色に深みを持たせる「深化」させることを追求してくれたほうが良いですし、そういう表現者たちの演奏をふだんは聴いていたいですね。

やっぱり、マイルスは「特殊ちゃん」だったんですよ。

特殊な人間の偉業を、一般化することは、やっぱり苦しいものがありますよね。

そして、Hiromi Hasegawaさんからの返信。

丁寧なリプライをいただき感謝します。無数の表現者が、そして時代を画するイノベーターが時には大きくJazzの表現領域を拡張してきた、当然皆が同じ方向を向いているわけではないので変化は不連続で領域の形は不整形なのでしょう。そこがJazzの強みであり面白いところなのかもしれません。最後に(正確な引用か自信がありませんが)「君たちの言う新しいJazzなら40年代にやり尽くしたよ」ーデューク・エリントン

さすがです!

>(ジャズの)変化は不連続で領域の形は不整形なのでしょう

まさに、この一言に集約されるといっても過言ではありませんね。

それを暗黙には分かっていながらも、群盲象をなでるかのごとき喧々諤々な議論を積み重ねてきたのが、日本におけるジャズの受容史であり、ジャズ評論史なのかもしれませんね(*´Д`)

くまが集う喫茶店さんからのコメント。

僕は一曲目のファラオズダンス
が好きです。

噂によればテオ・マセロが
直接テープを切り貼りした
録音はアナログまでで(?!)

CDからは継ぎ接ぎ部分の
劣化が目立ち始めたので
同じ様にデジタル作業で
編集したモノらしいです。

なので『ビッチェズ〜』の 
アナログ盤はそう言う意味では 
貴重だと思います。
(・ิω・ิ)

そうだったんですか!️
知りませんでした😵

>CDからは継ぎ接ぎ部分の
>劣化が目立ち始めたので
>同じ様にデジタル作業で
>編集したモノらしいです。

くまが集う喫茶店さんからの返信。

この話はジャズ批評か
中山康樹さんor菊池成孔さん
関連だったかな?

何かで読んだので
間違いないと思います。

あんまり書くと
アナログ盤が値上がり
するので(笑)コッソリと
(^o^;

出典が中山康樹さんだったとすると、私はだいたい中山さんの本は読んでいるので、単に忘れてしまっていた~、ですなw

テープ編集、私の予想よりもはるかにたくさんツギハギされていたという話は、中山さんの著作か記事で読んだ記憶があります(これもまたおぼろげ・汗)。

永井勉さんからのコメント。

私が思うのはパーカーの背中をずっとマイルスは追っかけていたんじゃないのかなと思います・・・m(__)m
死ぬまで・・・m(__)m

自伝の冒頭で、パーカーとディジーの演奏に衝撃を受けたことが書かれていますね。

その衝撃をマイルスは必死に自分なりに(別な方法で)再現しようと試みる歴史だったようです。

あともう少しで「あの感じ」にまでは到達できそうだけれども、なかなか今一歩の段階で「そこ」にまでは到達できないんだ……的なことが書かれていましたけれども、やっぱり、若い頃のマイルスに与えたパーカーショックは、それはそれは物凄いものだったのでしょう。

私ももし生でパーカーの演奏を聴いていたら、人生変わっていた(狂っていた?!)かもしれません。

永井勉さんからのコメント。

個人的にビッチェスブリュー以降の音源に全く興味を感じません・・・m(__)m
単純に雑です・・・涙
マイルスっていう人はもっと繊細な人なんです!!!

う~む、ノーコメント。

ただ、私がいいたいことは、2019 enchanさんへのコメント返しの中に書かれていますので、そちらのほうを読んでいただければ♪

diracさんからのコメント。

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