吉祥寺ジャズ喫茶事情 1976年

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今から40年以上前は、吉祥寺には11店ものジャズ喫茶が密集していたんですね。

『jazz』誌・1976年1月号の特集「吉祥寺のジャズ喫茶」を動画で紹介してみました。

コメント

カトウシュンさんからのコメント。

正面から見たカウント・ベイシーの表紙インパクトありますね(笑)

味わいのある顔ですね~。

Jさんからのコメント。

モダンガール いいですね~     A&F 当時でも 抜群に音もよかったのだ !
                J

その当時も「モダンガール(通称:モガ)」と言ってたんですか?!

Jさんからの返信。

いや~  よくわかりませ~ん    昭和みなモダンガールで よか~

ギャルは?
あ、ギャルはもう平成でしたか。

ちなみに、うちのバーちゃんは「アプレガール」だったそうです。
「アプレ娘」とも当時はいわれていたとのこと。
フランス語のアプレゲールに引っ掛けた言葉でしょうね。

まあ、いわゆる不良娘?

早春さんからのコメント。

ジャズ喫茶紹介の“シャレた”と“粋な”の登場頻度に時代を感じました(笑)。

ナウいですよね(笑)。
あ、「ナウい」は80年代にはいってからだったかな?

Jさんからのコメント。

オーでお 都市伝説 !

長く聴いても 聴き疲れしないよな~ → 広域カットすればみなそう
ふくよかでシルキーな音色 → ぼかせばよいだけ
Aのアンプの音が嫌い → きっと生の音も苦手
LPレコードは CDと違い 倍音とか厚みが違うんだよ → そもそもLPは 大体が14,000hz くらいでカットされ 倍音どころか その倍音の元となる音自体が入ってない  ずんぐりむっくりは 当然厚みの音
                    J

だそうです。

Tetsuo Nambaさんからのコメント。

おっしゃる通り!

博 橋本さんからのコメント。

『SOMETIME』は健在です。
開店当時はオーナーの野口伊織さん(Funky その他も経営:西洋乞食・OUTOBAK・赤毛とソバカス等)がアルトサックスを吹いたりしてライブも有りました。

>『SOMETIME』は健在です。
そうでしたか!

『SOMETIME』さん、すいません!
今度行きます!

kamaichi2002さんからのコメント。

いろいろご紹介いただいて感謝感激です。雲さんに雑誌類送って本当によかった。
僕は、吉祥寺はファンキーしかいったことがりません。家が遠かったから…。

ありがとうございます!
まだまだ紹介したい記事や広告やビジュアルがたくさん眠っていて、ほんと「お宝」いただいちゃったって感じです。

ワーデル(ウォーデル)・グレイの謎(?)も解けました(笑)。

今後もじゃんじゃん(個人的に)そそられる内容を紹介していきたいと思います。
(とはいえ、先ほど「村上春樹のモンク本読め令」がきてしまいましたが……)

博 橋本さんからのコメント。

いえいえ、予定の業務を優先して下さい^ ^

報告遅れましたが、少し前に読み終わりました。

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pvicさんからのコメント。

吉祥寺は90年代の初めの頃よく行っていました。既にジャズ喫茶らしいのは、メグとA&Fだったと思います。メグによく行っていたのですが、お客は少ないし薄暗くて、まわりはバブルの頃でしたが取り残された昭和の雰囲気でした。でもジャズだけは勢いよく鳴っていて、ネットのない時代にいろいろなジャズを聴くことができてやっぱり自分にとっては貴重でした。

たしかに暗かったですね。
「メグ」しか行ったことないですが……。
(「メグ」にはしょっちゅう90年代は行ってました)

「メグ」に行くには、あの細い裏道が怪しいし、さらにあの雑居ビルも怪しいし、店の入り口が「べつに無理して中に入らなくてもイイだよ」という雰囲気だしと、いくつかのハードルをクリアせねばならないので、初めて訪れる客にとっては、かえって「よーし、これからジャズ喫茶だ!」という期待感が高まったのではないかと思います。
私がそうでした。

pvicさんからの返信。

雲さんも90年代にメグにいっていたのですね。確かにメグは吉祥寺では珍しい、如何わしいエリアにありますね。あの雑居ビルの昭和的なコンクリートの階段を上がるとメグの入り口がありました。ドアが重たくて濃い青色のガラス製だったと思うのですが中がよく見えず、何とか開けると昼でも暗い店内とともに大音量のジャズが鳴っていて、外とは別世界と感じました。
行った回数は少ないですがA&Fの店内は明るかったと思います。A&FではコルトレーンのクレッセントとアイラーのMy name is~を聴いた記憶があります。メグではコルトレーンもアイラーも聴いたことなかったと思います。マイルスもかかったことがあるか思い出せないです。最初にメグに行ったときはdon friedmanのcircle waltzがかかっていたと思います。トイレに行ったら、でかでかとエリックドルフィー~と落書きがあるし(有名?)、それからロリンズのビレッジバンガードがかかったと記憶しているのですが、音が強烈でハードでジャケットも相まってロリンズは怖い人と思ってしまいました。
メグは最初は魔窟のように思えました。何回か通っているうちに払しょくされましたけど。

たしかに魔窟でした(笑)。
そして、最初のうちは、そこに行く「背徳感」みたいなものも、お子ちゃまマインドの学生にとっては良い刺激となりました。

そして、しばらく後に、後輩がそこでバイトを始めたのです。

店にマスターがいないことを良いことに、私はしょっちゅう遊びに行き、カウンターの中に身をひそめて、ハードバップばっかりかけて勝手に選曲係をやっていました。後輩に「ジャズを勉強したいならこういうの聴きなさい」なんて言いながらw(もう時効ですよね?)

夜になると、よく「売り」のオバチャンが店にやってきて、客を引っかけていたこともありましたね。
その時のエピソードは、下記記事に書きましたけど、

ラッシュ・ライフ/ジョー・ヘンダーソン

このオバチャンは、いつも「ジョーヘンかけてちょうだい、ジョーヘンならなんでもいいの」と後輩によくリクエストしてました。

怪しげな通りにある古いビルの中のジャズ喫茶。ガラガラの店内にやってくる怪しいオバチャン。
その怪しいオバチャンがジョーヘンを嬉しそうに聴いている。

私は、それまであまりジョー・ヘンダーソンというテナーサックス奏者には関心がなかったのですが、このオバチャンの存在のお陰で少しずつジョーヘンの魅力に開眼していきました。

「メグ」とオバチャンのお陰ですw

pvicさんからの返信。

確かにジャズ喫茶に行くと背徳感ありましたね。何か行けないところに来たような。ただコーヒー飲んでまじめにジャズ聴いているだけなんですけどね。
それとオバチャン確かに何度も見ました。ジャズ喫茶で女性はほとんど見ないので覚えています。よく黒い服を着て落ち着かなく店内歩いたりしてジャケット見たりしていました。売りの人だったのですね。他の客に声をかけていたのを見たことあります。同じ頃に二人とも店を出て行ったような記憶が。どちらかがナンパしたのかなと思いました。
私は声掛けられることなかったですね。
当時学生でお金持っていなさそうだったと思います。でも一度じっと見つめられたことありますね。無視していましたけど。

おお、pvicさんも遭遇されていたんですか!

>よく黒い服を着て落ち着かなく店内歩いたりしてジャケット見たり
まさに、まさにです!

私はサラリーマン風の中年男性に声をかけているところを見ましたが、たぶんお金を持っていそうだったからでしょう。
でも、学生でお金持ってなさそうなのに、「じーっ」と見つめられた。
怖っ!
貴重な体験でしたね(冷汗)。

尚樹 安藤からのコメント。

楽しいお話でした。ありがとうございます。THE HISTORIC MOCANBO SESSION’54 vol.4 持っていたので久々かけてみました。秋吉敏子さんがベースで遊んでるうちに録音されたイッツオンリーアペイパームーンで守安祥太郎さんがピアノを、、秋吉さんが、(誰かいないのー? アタシ弾けたー)とか言ってるような、、感じ?も録音されてたりして、、ほんと歴史を感じます。ライナーノーツで油井正一さんが、この曲を これは大珍品!と。

The Hardboppersさんからのコメント。

わぉ 面白い特集ですね!僕は入社した会社がMegのすぐそばだったんで87年から92年まで平日はほぼ毎日のようにMegに入り浸っておりました。でもその間、一度も寺島さんとはお目にかかれず、先日のMeg最後の日に駆け付けた時に初めてお逢いできました。本を一冊頂きました。
Outback、A&F、Funky、なども行きましたね。懐かしいなぁ。Funkyは今もあるみたいだけどJAZZのお店じゃなくなっちゃったのかな?伊織さん亡くなっちゃったからなぁ。
Sometimeは今では日本最高のLIVEHOUSEの一つだと思います。80年代からずっと出演ミュージシャンは日本のトップミュージシャンばかりですよね。客席がステージをぐるっと取り囲んでて、大好きです。
吉祥寺は僕にJAZZを叩き込んでくれた街です。寺島さんや伊織さんが青春を捧げた吉祥寺のおかげで、今僕はハードバッパーやってます。

The Hardboppersさんのルーツは吉祥寺にあり!でしたか。

でも、そうそう、やっぱり「メグ」に寺島さんいませんでしたよねぇ。ほとんどいませんよねぇ。私もイベント以外で「メグ」で寺島さんにお会いしたことってあったっけなぁ?
それぐらい、お店にはいらっしゃらなかったと思います。

>本を一冊頂きました。
いやぁ、いい人ですね。
私も、最初にお会いするときは、本の内容のイメージがとても強く、「ガンコおやじだったらやだな」と身構えていたものですが、とても気さくな方なので、ビックリした記憶があります。

で、間をおかず、数日後に吉祥寺のサンロードでばったり出会ったときなんか、寺島さんのほうから大きく手を振って「よぉ!これからどこ行くんだい?」と聞かれ、「腹減ったんでラーメンでも食おうかと思ってました」と答えたら、「ジャズだねぇ~!」。
なぜ、ラーメンがジャズなのか。そこに意味はないんです。
寺島さん流の気遣いだったんだと思います、きっと。
だって、ジャズファンで、自分の行動に「ジャズだねぇ~!」と言われて喜ばない人はいないと思うんですよね。
そのあたりのツボを分かってらっしゃる。
人たらしですね(笑)。

The Hardboppersさんからの返信。

寺島さんは優しいおじさまでしたよ。
吉祥寺で働いていたころの僕のルーティンは12:00に休み時間になったら、「ホープ軒」でラーメンを食って、12:30から13:00まで「分家」という貸しスタジオでドラムの練習をして、13:00から13:30まで「Meg」でハードバップを聴く!って感じでした。休み時間が1時間半あったんですよ、うちの会社。だから吉祥寺はJAZZとラーメンの街で正解です!
また吉祥寺に通いたいなぁ

そうそう、吉祥寺といえば、やっぱり「ホープ軒」ですよね!
しょっちゅう行ってました。

いつも並ぶんですけど、そんなに待たないし。
並んでいる人にもオーダーとるんですよね。
並びながら「麺硬め・辛め・チャーシュー乗せ」なんて言って頼んでました。

懐かしいなぁ。
その前後に「ブックス・ルーエ」か「パルコ・ブックセンター」か丸井の中の「紀伊國屋」に行くという、もっぱら私の場合は本屋さん中心でした(あとディスクユニオン)。

井の頭公園のいつも煙がもうもうと出ている焼き鳥屋さんにもたまに行きました。
あと、商店街の肉屋さんは、コロッケかメンチかで、いつも行列でしたね。

なんだか吉祥寺というと、思い出すのはジャズか食べ物だ~(笑)。

Hiromi Hasegawaさんからのコメント。

>はじめて守安祥太郎を聴いてぶっとんだ。
首がもげるくらい激しく肯首します。(笑) 評伝には数々の守安伝説がありますが、「1回レコードを聴いただけでパーカーのアドリブを完璧に採譜した」が極めつけかもしれません。

ほんとに首がモゲてたらスイマセン(笑)。
でも、あのインパクトはたまらなかったですよ、本当に。
フレーズがパウエルに似ているという表面的なことだけではなく、絶頂期のパウエル特有の狂気じみた疾走感までもがウリ二つ、いや、もしかしたらそれ以上のものを感じました。

しかも、パーカーを初回聴きで完璧採譜?
て、天才だ!!!!

Ken Konishiさんからのコメント。

地元中野にはクレッセント、ビアズレーがありました。ビアズレーではJBLパラゴンがおたけびをあげておりました^^

中野の「ビアズレー」。
名前だけは知っていました。行ったことはないけれど。

学生時代にアルバイトをしていたジャズ喫茶にはお客さんが自由に記入・閲覧できる大学ノートがありまして、そのノートがインターネットの無い時代は、ある種「掲示板」でのやり取りのような役割を果たしていました。

つまり、自由に思ったことを書いても良し。あるいはマスターに質問がある場合はそこに文章を書いておけば、店主が目を通し、回答を書くということもありました。
なので、「ノート上」で議論が白熱することも(笑)。

その何冊かのノートのひとつに、「ビアズレーでは、フュージョンのレコードがたくさんあるのに、なぜこの店にはないのですか?」というお客さんからの質問が書かれていた記憶があります。
それと枚数の違いに関しても(ビアズレーのほうが、アルバム枚数がたくさんあったらしい)。

マスターはなんてどのように返していたのか、詳細な内容は忘れてしまいましたが、覚えている概要だけをまとめると「あちら(ビアズレー)は、酸いも甘いもなんでもかんでも店のラインナップとしてそろえている。お客のリクエストにできるだけ応じられるような方針なのだろう。それに対してうちは、厳選したアルバムのみを店のストックにしている。だから、店のテイストに合わないアルバムは店のラインナップにはしていない」というような内容だったと思います。

その後数度のやり取りがありましたが、結局そのお客さんは「じゃあ自分は根城を中野に移します」というような内容の書き込みが最後だったと思います。
で、マスターのほうからは、向こうに飽きたらまたこちらに戻ってきてください、というようなコメントで締めくくっていました。

なにしろ、行ったことのないお店なので、ビアズレーにまつわるエピソードはこれくらいしか披露できませんで、すいません。

JBLパラゴンがおたけびをあげていだんですね。
バイトの先輩の話からは、フュージョンのかかる頻度の高いジャズ喫茶ということをたびたび聴いていたので、正直、もう少し軟派なお店だと勝手な先入観を抱いていました(汗)。

永井勉さんからのコメント。

モンクだけの永井です・・・m(__)m
なんとかマイルスの凄さがわかり始めました・・・m(__)m
しかし新たな問題が発生しました・・・m(__)m
フリージャズと呼ばれる音源が理解出来ません・・・m(__)m
私にオーネット・コールマンとかセシル・テーラーの
聴き方をを教えて下さい・・・m(__)m
教えてマスター・・・m(__)m

ダンシング・イン・ユア・ヘッド!!

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wakatom minolleさんからのコメント。

レコードの時代にファンキーの地下一階で聴いたパラゴン、マッキントッシュの音が懐かしい。

御駄賃取郎さんからのコメント。

いやはや・・・涙がでるほどなつかしい。・・・。1976年といえば今思えば「日本のジャズ黄金時代
真っ只中」とさえ思えますね。

その主な理由として思うのは
◯ジャズ廉価版ブームで、ロックフアンの多くがジャズに興味を持ち始めた。
◯オーディオブームがおこった
◯「中央線文化」?はフォークのみならず、ジャズにも押し寄せた。「四畳半フォーク」とは、地方からのアパートで一人暮らし生活を送る若者達の心をつかんだ。ジャズでも吉祥寺や高円寺など、中央線沿線が「メッカ」だった。
・・などが思いつくところだ。

そして私が当時の中央線文化の空気?を一番よく描き出した漫画家のひとりに、永島慎二氏がいると思う。なかでも「若者たち」「漫画家残酷物語」「青春裁判」などなどは今でもわが青春のバイブルとして大切にしている。

なかでもとりわけ「ク・クル・クク・パロマ」という氏の短編作が好きなのだが、私はこれらを読み返すたび、なぜか勝手に寺島靖国氏を思う。おそらく氏は「ある恋の物語」「ラ・クンパルシータ」などの昔のラテンもお好きに違いない!と「一人・妄想独断!」している。

・・・そんな妄想を勝手に抱かせるくらい、寺島靖国氏の好みには深い共感を覚える。。