2023年2月14日。
世間ではバレンタインデーだったので、まったくそれとは関係ないのですが、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」と題したゲリラライブ配信を行いました。
コメント
サンジョルディさんからのコメント。
ライヴ配信、楽しかったです。ありがとうございました😊
サンジョルデイは、夜10時に思念体の本体部分に吸い込まれましたー。お話が盛り上がっている最中でしたので、<ドロン>しました😷今アーカイブで見ています。
途中話題になったティナ・ブルックスですが、ケニー・バレルの『アット・ザ・ファィヴ・スポット・カフェ』が素晴らしかったです。ティナ・ブルックスは、リーダー作も良いですが、サイドマンとしても光ります🤠created by Rinker¥940 (2024/12/04 11:37:51時点 Amazon調べ-詳細)高野さんのお話にあった、ジャッキー・マクリーンの『4,5&6』の「コンファメーション」を改めて聴きました。
おっしゃる通り、モブレーは、テーマに寄り添った気持ちの良いソロを吹いていますね。
ドン(ドナルド)・バードは、ちょっと大人しめです😞
マクリーンは、フレーズの最初が、<天然>でつまっているのか、当時プレスティッジに酷使されて<疲れていたのか>分からないソロですねー(笑)😝
最後、3人で、つつき合うところが、「やっぱりハードバップはいいなあ」と思ってしまいます🤤
コメントありがとうございます。
さっそく、こちらの動画でお返事しています!
『シゴロク』はいいよ!
『モブレイズ・メッセージ』と同じ文脈で😝
2019 enchanさんからのコメント。
ライブ配信ありがとうございました。漫画の話で言い忘れました。かの手塚治虫先生もマイルスやブレイキーの画を描いているんですよ。『人間昆虫記』という作品にございます(これもちょっと怖い作品ですが)。
『人間昆虫記』という作品は知りませんでした。
手塚先生は、ほんと多作ですね~。
永井勉さんからのコメント。
モンクのいなかったパラレルワールドを想像するだけでと少し怖いです・・・m(__)m
元々ジャズは聞かず嫌いで、無視していたのですがモンクの音楽は
環境音楽・前衛的・和声・など何処をとっても他にはない圧倒的な世界観があります・・・!!!
モンクと雲さんに出会ってなければ一生ジャズを聴くことはなかったと思います・・・m(__)m
なにしろソロモンクの後にカインドブルーを知った私ですから・・・・・・W
セロニアス・モンクがいなかったら、ジャズの世界はかなり違うものになっていたと思います。
なにしろ、有形無形の形で様々なジャズマンや、ジャズマン以外のミュージシャンたちにも影響を与えていましたから。
中でも、やっぱりマイルス・デイヴィス。
マイルスがジャズシーンのトップを走る存在になりえたのは、モンクがいたからこそです。
なぜかというと、モンクがいなければ《ラウンド・ミッドナイト》という曲は存在しないから。
で、この曲がないとマイルスはニューポート・ジャズ・フェスティヴァルで脚光を浴びなかったから。
脚光を浴びないということは大手レコード会社の目にもとまらず、大手とマイルスは契約をすることもなかった。
販売力のある大手と契約したからこそ、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』『マイルストーンズ』『カインド・オブ・ブルー』のような作品が広くに知れ渡ったのだということも無視できません(もちろん作品そのものも素晴らしいのですが、流通力・広報力も無視できないと思います)。
さらに、エレクトリック時代のマイルスは、スタジオをいつでも使えるという贅沢な身分になれたこともあり、数々の音楽実験を繰り返すことが可能となりました。
さらに、その実験音源を素晴らしい「作品」に仕上げてくれる敏腕プロデューサー(テオ・マセロ)が、その会社の社員だったということも大きいです。
つまり、モンクがいなければ、《ラウンド・ミッドナイト》が生まれず、
《ラウンド・ミッドナイト》がなければ、マイルスは大手の目に留まることもなく、音楽的な一大躍進を遂げることは難しかった。
そして、毀誉褒貶はあるかもしれませんが、やはりマイルスが試みた数々の「実験音楽」も、モンク同様、有形無形の形でジャンルを超えて多くのミュージシャンに影響を及ぼしていますから、マイルスが『ビッチェズ・ブリュー』や『オン・ザ・コーナー』などの「問題作」を出していなければ、現在の音楽風景はかなり違ったものになっていることでしょう。
もちろん、大手レーベルに所属する前のマイルス、それもセントルイスからニューヨークにやってきたばかりの頃のマイルスは、けっこうモンクの家に入り浸っていた時期があります(ロリンズと一緒にw)。
そしてマイルスは「モンクの教えがあったからこそ、速いスピードで自分の音楽を進化させることが出来た」と述懐していることからも、アコースティック時代のマイルスの音楽にもモンクは多大な影響を及ぼしていると考えられます。
これは村上春樹の『セロニアス・モンクのいた風景』に書かれていたことですが、世間的な「ビ・バップ・ピアノ」のイメージは、チャーリー・パーカーのようにピアノを弾くバド・パウエルであったことに対し、ビ・バップを演奏している当事者たちからは、モンクのほうがビ・バップの中心的存在としてリスペクトされていたのだそうです。
モンクのピアノのスタイルは、パーカー、ガレスピー、パウエルのように流麗で音数多いスタイルではないですが(むしろその逆)、表面的な演奏スタイルや音符の並びではなく、ビ・バッパーたちの精神の根底に流れる「今度こそ白人に搾取されない音楽(簡単にコピーされない音楽)を俺たちの手で作ろうぜ!」という意気込みと目標を具現化してくれている精神的支柱ともいえる存在だったようです。
そんなモンクがいなかったら?!
想像するだけで想像できません(ん?!)
永井勉さんからの返信。
またまた長~い返信ありがとうございます・・・W
モンクを熱く語る会、会員No23の永井です・・・・・・W
別にモンクが存在してなくてもエリントンやミンガスがいればいいじゃんと思うのですが・・・
違うんです 1曲、1曲の印象が物凄く強いんです・・・m(__)m
特に Evidence・・・この不思議な曲は Just You, Just Meを素材にしているなんて最初は
全然わかりませんでした。不思議なリフをJust You, Just Meと重ね合わせる事で
モンクにしか出来ない世界観が生まれてます。
ルビー・マイ・ディアも凄いです。
メロディーラインはそんなに複雑ではないのにコード進行が凄くて
ツー・ファイブの連発・複合技・・・???
何か、パーカーのコンファメイションのコード進行をはるかに進化させた
印象を受けました・・・m(__)m
モンクは不思議な曲が多いのですが、裏側は凄く計算されています・・・m(__)m
楽器を少しでもかじったり、アレンジに興味がある人だったら
唯一無二の天才的な作曲家だと解るはずです・・・m(__)m
博 橋本さんからのコメント。
せっかくの丁寧な解説なので便乗させて下さい。拝見しています。
モンク有りきのマイルスの位置に納得。
マイルスについては常に自身のスタンスを自分自身に示していた様に感じています。
エリントンの70歳の誕生パーティの際にマイルスは「全てのミュージシャンは年に一度、エリントンを囲んでひざまづくべきだ」と言ったという様な記事が当時(69年4月頃)のスイングジャーナルにあったと記憶しています。
それを踏まえるとマイルスのモンクへの思慕をより強く感じてしまいます。
モンクはずっと聴きます。最近は『Monk In Tokyo』が気に入っています。
ゲリラライブ配信、お疲れ様でした。
ありがとうございます!
動画でいただいたコメントを紹介させていただきました。
⇒こちら
Hiromi Hasegawaさんからのコメント。
お題拝借コメントですいません。私は無神論ですが「何かが降りてくる」としか言いようのない事象があるのは認めざるを得ません。
後が大変だろうな、とウォルター・ビショップJrの”Speak Low”を思い出しました。
「後が大変」といえば、ジャコ・パストリアスも「すんごいドナ・リー」を最初に録音しちゃったがために、後が大変だったということを、松坂慶子の元旦那(ギタリスト)に語っていたことがあるそうですw
動画のほうは、歌そのものよりも、歌の後の周囲のアッメェリッカァ~ン!な反応のほうが面白かったですw
Hiromi Hasegawaさんからの返信。
ブンガクの世界の方が非情というか処女作や二作目で文学賞を受賞してその後サッパリ書けなくなるという屍累々ですね。宇能鴻一郎や五味康祐の様に芥川賞受賞した後エロ小説やチャンバラ小説に転身というのも潔いのかもしれません。
修行時代、あるいは「習作」がどれくらいあったかでも、その後の活動が左右されるかもしれませんね。
以前、バンドブームの時、「イカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)」で、「イカ天キング」に輝いたバンドはたくさんあるのですが、その後の活動はサッパリ……というバンドのほうが多かったような気がします。
あくまで私の記憶の範囲ですが、「イカ天」が終わっても長く活動が続き、ファンも増えていったバンドって、ブランキー・ジェット・シティとたまぐらいなもので、この2つのバンドは、テレビ出演前から、すでにライブハウスでの演奏活動を続けていたという実績があります。
だから世に出る前に、どれだけ作品のストックを持っていて、なおかつ実戦で鍛えられていたか(小説家の場合はどれだけ編集者との交流があったか等)が大きいような気がするんですね。
北方謙三は、メジャーになる前は、かなり長い間不遇の時代が続いたそうですが、その間書いた原稿用紙の量は、押し入れの下の段がすべて埋まるほどだったそうです(ちなみに北方謙三も、純文学からチャンバラではありませんが、ハードボイルド小説に転身していますね)。
さらに、赤川次郎も無名時代の原稿用紙を積み重ねると天井に達するほどだったそうです。
パッと出て脚光を浴びることはラッキーなことではありますが、それを持続させる努力は必要なのでしょうね。
村上春樹がある日突然1日2箱吸っていたタバコの箱を握りつぶし、ランニングをすることで体力作りをするようになったのも、「小説家として生きていく」という覚悟の現れだったのでしょう(彼は習作がありませんでしたから、なおさら切実だったのだろうと思います)。
Hiromi Hasegawaさんからの返信。
どんどん、あらぬ方向に行きますが…(苦笑)イカ天だと「たま」ですかね、ホントに彗星の様に消えてしまった。
私の高校の部活は文芸部と部屋が共用で他校の文芸部の昔の「文集」があって顧問の川上宗薫(当時はエロ小説家として高校生にも有名)の書評が載っていました。その後10年以上経ってから知り合いになった人と飲んでいたら、自分は作家志望で学生時代水上勉の取り巻きをしていた。川上宗薫が純文学から撤退したのは水上との確執のせい。水上は取り巻きを連れて銀座のクラブを豪遊していて自分も一緒に行った。取り巻きには位階序列があり「男の嫉妬」はすさまじい、など自分は嫌気がさして文学から撤退という話を聴いて話がつながりました。
水上勉といえば、実家に立派な箱入り本の全集がありましたよ。贈り物のウイスキーと一緒の棚の中に(笑)。
川上宗薫の作品は読んだことはないのですが、駅前書店の奥のほうに必ずといっていいほどあるオトナの小説コーナー(フランス書院とかカッパ・ノベルスなどがあるところw)で、よく著作は目撃していましたが、当時はまだ中高生だったので、すっさまじい勢いで大量に作品を書きまくっている小説家くらいなイメージしか抱いていませんでした。ぜんぜん違っていたら申し訳ないんですが、イメージ的には志茂田景樹に近かったです(表紙やタイトルのイメージから)。
そんな「大量大衆小説生産マシーン・元文学作家」が、「ウイスキー棚の人」と確執があったんですね。
>水上は取り巻きを連れて銀座のクラブを豪遊していて
まるで、映画やドラマに出てくる「文豪先生」のイメージそのままですね。
そういえば、先日『騙し絵の牙』という映画を観たのですが、高級ワインが大好きな小説家大先生の國村隼人に、編集者役の大泉洋が「うち(文芸出版社)は、アンタにいくら使ったと思ってんだ!」と、これまでの経費が書かれた紙をテーブルの上に「ボン!」と叩きつけるシーンを思い出しました。
そのシチュエーションは、高級レストランで高級ワインを飲みながら、松岡茉優が演じる新人編集者を酔わせているところでした。
出版社にとっては「作家大先生」は、何かと金食い虫だったんですね。
それとも水上勉は自腹切って銀座で豪遊していたのかな?
取り巻きには位階序列、うーん、ありそうだw
ご追従とおべっかが上手い人がヒエラルキーの上にいそうな感じですね。で、取り巻き同士が嫉妬と足の引っ張り合い。で、ある日「文学論」をめぐる些細な口論がキッカケで取り巻きAは取り巻きBの頭をガラス製の灰皿で殴り、ふと我に返った取り巻きAは、持ち前の推理小説の知識を活かして、密室での自殺に見せかけるアリバイ工作をし……ってスイマセン、さらに話があらぬ方向に。
ひょっとしたら映像作品の「作家先生・銀座のクラブ・取り巻きと豪遊」というステレオタイプのイメージは、水上勉がモデルになっていたとか?!
いずれにしても、小説家が筆を折るのは、才能や努力だけではない人間関係も大いに関係しているのだということが分かりました。
文壇に限らず、芸能界にしても、「表現力」という特殊な能力を求められる業界においては、本人の能力以外にも、「その世界独特の空気」に馴染めるか・馴染めないかも大きくかかわってくるのだと思います。
Hiromi Hasegawaさんからの返信。
>イメージ的には志茂田景樹に近かった
もろえっちい話だけですから、純文学出身でアダルトな感じは勝目梓の方が近い?>取り巻きには位階序列、
『重版出来』のドラマ化で明らかに手塚治虫の小日向文世のチーフアシスタントのムロツヨシが才能ある新人に意地悪する話で
結局自分の才能を見切って田舎に帰るムロさんの哀愁が….。水上先生の名誉のため(笑)に言いますと、それ以前からの「文壇」の伝統で、支払いは当然出版社だと思います。
当時は一般企業でも「法人税で持っていかれるくらいなら」と交際費で落としたり社員の福利厚生に使ったりしてましたが、
大手出版社は同族経営で株式非公開だから背任すれすれの金の使い方をしても株主から追及されないわけです。
とにかく売れる作家を見つけてくれば編集者の社内での地位は安泰、今の漫画と同じくベストセラーは映画化されさらに売れる、そうやって稼いだ金で金にならない辞書や棚に飾る全集を出していたので悪い事ばかりではありません。
最後にさらにあらぬ方向の話をすると勝目梓と中上健次は『文藝首都』の同人でライバル、中上といえば「破壊せよ、とアイラ―は言った」がありますが、中山さんのアイラ―=バカボンのパパ説を聴いて不謹慎ながら中上の風貌を思い出しました。(中山さんが生きていたら真意を聞いてみたい)
勝目梓!
中学生の時に1冊読みましたが、純朴な少年には刺激が強かったですわw
あと、高校生の時にも1冊読みましたが、こちらは、典型的かつマンガチックな成り上がり系の話で興奮して読みました。
いずれにしても、この人の文章は物語にハンパなく引きこむ力がありますね。
『重版出来』は見てましたが、猫背になりデッサンが狂ってきた小日向文世のところのチーフアシスタントで、後輩に嫉妬するムロツヨシのエピソード、なんとなく思い出しました。
ああ、なるほど、ああいう感じね。
ムロツヨシが、いい雰囲気出していましたね。実際は知らないけど、こういう人いそうだと思ったものです。
これは、日本のジャズマン同士にもよくあった足の引っ張り合いのようだとも思いました(昔の話なので、今のジャズマン同士はどうだかわかりませんけど)。
「経費」の件、納得です。
そうですよねぇ、やっぱり。
となると、軽井沢かどこかの別荘に各出版社の女性編集者(担当編集者は女性限定)をズラリと全裸で並べたりしていたという(噂)、某失楽園先生の別荘代とかは、これは印税がっぽりだから自腹だったのでしょうかね。
ところで、
バカボンパパ=中上健次
これはもう(笑)、分かる人なら捧腹絶倒するに違いないという、中山さんなりの隠れメッセージだと私は受け取っています(笑)。
Masanori Matsudaさんからのコメント。
高野さん、江南に住まれてた時期
あったんですね〜
今自分はお隣の一宮の会社に勤めて
おりまして、仕事で名鉄の岩倉駅前
朝通ってます。
五条川の桜🌸 さっき観たら
あと少しで満開って感じでした〜
カメラ持った人たくさん
いらっしゃいました〜
いつも、とても愉しく聴いてます。
これからも拝聴させて頂きます。
岩倉!
一宮!
懐かしい!!
岩倉は特急(急行?)が停まる駅なので、名古屋からの帰りに特急から準急(各停)に乗り換える駅でした。
名古屋なやり取りは、以下の動画のコメント欄でもしておりますので、よろしければご覧ください。