同じアルトサックス、同じ曲なのに、なぜにこうも違う?
私がチャーリー・パーカーって滅茶苦茶スゴいアルトサックス奏者だと気が付く大きなキッカケとなった曲が《コンファメーション》でした。
もちろん、パーカーの凄さに気が付く前から『ナウズ・ザ・タイム』収録の《コンファメーション》は大好きなナンバーでした。
この曲のベースラインばかりベースで弾いていたほどですから。
そしてある日、ジャッキー・マクリーンの『4,5&6』収録の《コンファメーション》に合わせてベースを弾いていたら、パーカーの演奏に合わせて弾いている時とは微妙に感触が異なる。
マクリーンのアルトサックスに妙な「引っ掛かり」のようなものを感じたんですね。
その後、再びパーカーの《コンファメーション》に合わせてベースを弾くと、「引っ掛かり」はまったく無いどころか、収まるべき位置にピタリとすべての音が無駄なく正確に収まっているような感覚を覚えました。しかも一音、一音、すべての音にスピード感が宿っている。
これは、ひょっとしたら(ひょっとしなくても)猛烈にスゴイことなのではないかと感じたものです。
しかしそれは、パーカーが凄いからマクリーンが「ダメ」というわけではなく、私が感じた妙な「引っ掛かり」こそが、マクリーンの「持ち味」だということも逆に気が付くキッカケにもなったのです。
そして、ジャズマンの「持ち味」が分かれば、より一層ジャズを楽しめるのだということも。
今回は、動画でそのような話をしてみました。
コメント返し動画なので、それ以外の話もしていますが……。
たとえば、ケニー・バレルの『アット・ザ・ファイヴ・スポット・カフェ』のティナ・ブルックスもいいよねぇ、というか「ファイヴ・スポット」で行われたライヴの音源には良いものが多いよね、というような話も。
コメント
高松貞治さんからのコメント。
市岡仁の「チャーリー・パーカーの音楽」によると、ヘロインをやっているパーカーは素晴らしいが、ヘロインが切れているパーカーは全然だめ。との辛辣な批評でした。
時期やアルバムでパーカーの良さが変わるのは全てはヘロインのせいらしいです。
今、手元に『チャーリー・パーカーの音楽』が無いので確認できないのですが(借りた人、返してくれ~)、ダイアルの「ラバーマン・セッション」あたりのところでしたっけ?
個人的には、「ヘロインで左右される」というよりも、より正確には「アルコールでダメになる」のではないかと解釈しています。
つまり、ダイアルの「ラバーマン・セッション」は、西海岸で行われましたが、ホームグラウンドの東海岸と違って、馴染みのヤクの売人は西海岸にはいません。だから、禁断症状を酒のガブ飲みで誤魔化してレコーディングにパーカーは臨んだんですね。
ふらふらして倒れそうになりながら吹いているパーカーを背中から複数の人たちが支えていたという逸話がありますが、これはヘロインの禁断症状でふらふらしていたというよりも、アルコールの過剰摂取で酩酊状態だったからだと思うんです。
だから、《ラヴァー・マン》がああいう出来なのは(映画『バード』では、スタジオのガラスにサックスを投げつけて割っていましたね)、酒の飲みすぎが原因だったんじゃないかと思っています。
もちろん、その原因はヘロインをやっていなかったから、ではあるのですが。
パーカーの身体は、ヘロインに対する耐性はあったようです。
しかし、他のジャズマンたちにはパーカーほどの耐性は無かった。
だから彼は、他のジャズマンたちには「やるな」と忠告していたみたいですね。
「自分はやってるくせに」と思われていたのかもしれませんが……。
高松貞治さんからの返信。
ダイヤルレコードの『ラバーマン・セッション』あたりです。その中の、ナイト・イン・チュニジアにエピソードが書いてあって、『パーカーは後進達の手前もあってか「ヘロインを打ったレコードより、打っていないレコードの方が出来が良い」と言い張ったそうだが、要するにパーカーの才能にとって麻薬は問題ではなく、麻薬が切れた時間が問題なのだが、パーカーはその後自分の作曲を含まぬ曲での薬を切らした病人で、音楽どころではなく、人並みのアイディアも出すことも楽器を自由に扱うことができず、麻薬の禁断症状のためボロを出した醜態だ。』と市岡仁は書いてあります。高野さんは確かジャズ批評52号を動画で持っていると言っていましたが、続いて市岡仁は、53号にも連載しましたが、編集と喧嘩して、この本を出版したらしいです。
そういえば、うろ覚えですが、そのようなことが書かれていた記憶があります。
この噛みつくような文体では、リアルでも喧嘩しそうだなぁと思ったものです。
でも、実際は、とても温厚で良い人だったようですが。
TAKESI0506さんからのコメント。
前から不思議に思ってるのは、パーカーはあの「ラヴァー・マン」セッションの後、カマリロ病院に半年間入院しましたが、入院中は当然薬物は断っていたはずで、それが何故また元に戻ってしまったのか?
「チャーリー・パーカーの伝説」のハワード・マギーの想い出話には退院後のバードはまだ体の状態が完全には治っていなかったらしく、仕事の前には、ウイスキーをダブルで8杯ならべ、かたっぱしから飲みほしてから、とりかかっていた。これだけ飲めば、普通の男ならひっくりかえってしまうところだ。
という個所がありますが、薬物の代わりにウィスキーをガブ飲みしているうちに、次第に薬物の方に戻ってしまったということでしょうか。
うーん、詳しいことは分かりませんが、「売人」って断っても断っても、すぐに寄り付いてくるらしいですよ。それが原因かも。
日本の芸能人でも、完全に断ち切って復帰したとしても、たとえばサイン会などに売人がやってきて、握手しながら、こっそりと「包み」を手渡すそうです。
もちろん、こんなもんイラン!と捨てようとするのですが、いったん麻薬の味を覚えた人は、表面的な意識とは無関係に「脳からヨダレが出てくる」のだそうです。
たとえるなら、私たちは、梅干しを食べているので、梅干しの味を身体が覚えていますよね? だから梅干しを思い浮かべると口にヨダレがたまってきますよね。梅干しの場合は身体が欲するかどうかは分かりませんが、麻薬の場合は、脳からヨダレが出てくると、もう身体が求めてしまい、意思の力での制御はとても難しいのだそうです。なので、たとえ数か月コールドターキーに成功したとしても、売人が近寄ってくれば崩れ去るのは一瞬なんじゃないかと思います。
高松貞治さん⇒TAKESI0506さん
今のアメリカの薬物治療施設は、ジャンキーたちを集め、一生懸命、医者なみの知識を勉強して、立ち直り、大体の人は薬物治療施設の職員となり新たに入ってくるジャンキーたちを指導する立場になります。今のアメリカではこうやってジャンキーを立ち直らせるです。それに比べ戦前戦後のアメリカではそんな事は考えず入院とは言っても、今のような医者並みの知識を習得させようと言うところはなかった、ほとんど何の対策もしてなかったと思います。だからパーカーをはじめ、マイルスや他のジャズマンのヘロインを止めるのに苦労したんです。ヘロインは麻薬の中でもキングオブドラックと呼ばれ、ヘロイン欲しさに、肉親も殺す位欲しいと、薬の本に書いてありました。だからパーカーも止められなかったと思います。またドラックで逮捕された人は、ドラック欲しいけどもう捕まりたくない、それで酒に、逃げてしまうのです。前テレビで野球の巨人にいた投手が覚せい剤でつかまった後、テレビに出ていましたが、酒浸りでみんなびっくりしてました。合法的に手に入る薬物は強力なのは酒ぐらいしかないので、つい飲まずにはいられなかったんだと思います。
TAKESI0506さん⇒高松貞治さん
そうですね、ヘロインの多幸感というのは、人間が一生に味わうすべての幸福感をはるかに上回る、などということも聞いたことがあります。
薬物というのは、一度経験すれば完全に抜けるということはない、一生つきまとうという説もあるようですから、やはり絶対手を出すべきではない、恐ろしいものだということですね。
イヤダローさんからのコメント。
「ケニーバレル・アット・ザ・ファイヴ・スポット・カフェ」はいいライブアルバムですよね。ボビー・ティモンズのピアノがクールです。「ファイブスポットカフェ」は、60年代前半には閉業しているみたいですが、何かいい音が出るような雰囲気があったんでしょう。
そうですね。おそらく良い演奏ができる雰囲気だったんでしょう。
ドルフィーやモンクのライヴ盤のジャケットを見ると、ポスターが壁一面にペタペタと貼られていますね。
あとピアノの調律は何年もやっていなかったようです。で、狭かったという話も。
必ずしも「良い条件」ばかりとは限らないのですが、逆にかえってそういう要素がジャズマンの良いプレイを引き出す空気になっていたのかもしれませんね。
サンジョルディさんからのコメント。
コメント返し、ありがとうございました😊
ハードバップ好きは、やはり個々のジャズマンの、音色やフレーズの違いに、魅力を感じるのでしょうね😃
聴いたことのあるアルバムでも、発見があったりします☺️また、自分の知らないアルバムに、隠された<何か>が刻まれているような、そんな魅力が、円盤にはありますね😌
何年聴いても飽きないのは、隠された<何か>を発見する悦びがあるからこそ、なのでしょうね。
あと、「分かっているけど、また聴きたくなる」という箇所もジャズには多く、「普通だったら飽きて当然なのに、何故飽きないのだろう?」という不思議もありますよね。
その理由。
おそらくは、(全部じゃないけど)音に真剣さが宿っているからだと思います。
『マジすか学園』でいうところの「本気(まじ)」が音にくっついているんでしょうね。
前田敦子じゃないけど、「マジだよ、マジに演らなきなきゃ勝てねーよ」の精神です(?)。
で、ジャズマンたちが「マジ」にならなざるを得ない「システム」が、即興演奏なのだと思います。
(惰性の人もいたと思いますが)真剣に、その場一瞬一瞬でカッコいい音、美しいフレーズ、素晴らしいテクニックなどなどを繰り出そうとするからこそ、音に生命が宿り、我々はその生命を食って生きているのかもしれませんね(笑)。
しかし、そんな「システム」にも、だんだん小慣れて洗練されてきたはいいけれど、だんだんマジになれなくなってきたマイルスは、次の「マジ」を求めて、モードの世界を開拓していったのでしょう。
コルトレーンの場合は、モードの世界こそ自分の「マジ」を発揮できるフィールドだと感じ、あとは一生モードの土俵の上で「マジ」を貫きとおしました。
しかし、マイルスは、今度は新しい楽器(エレキギター、エレピ、エレベ、オルガン、タブラ、シタール、パーカッションなど)のサウンドに新しい「マジ」になれる地平を求め、最後はヒップホップの領域に上陸しようとしました。
次から次へと「マジ」になれるバトルフィールドを求めてさまよう喧嘩番長みたいですね(笑)。
まるで、『ヤンキー帝王マイルス喧嘩日記』の
「東京編(ビ・バップ編)」、
「横浜編(ハード・バップ編)」、
「大阪編(モード編)」、
「博多編(電気編)」、
「上海・香港編(ファンク・ラップ編)」という感じの
コンビニで売っているザラ紙の分厚いマンガを読んでいるような気分です(なんじゃそりゃ?)。
サンジョルディさんからの返信。
<マジ>は、キーワードですねー。
コルトレーンが、モードの領域で一生通したのは、やっぱり天然でかつ突き詰める性格なのでしょうね😌
マイルスは、<喧嘩番長冒険記>、もしくは<勇者冒険記>ですね😃
><マジ>は、キーワードですねー。
そうですね!
ちなみに、「マイルス放浪記」には、「番外編」もありまして、
「名古屋編(ボブ・ドロウ編)」、
「神戸編(映画音楽編)」、
「沖縄編(シンディ・ジャクソン編)」
などがありますw
このコミックは、パラレルワールドのヤンキーたちの間ではバイブルになっているようです。
😝
サンジョルディさんからのコメント。
ボブ・ドロウまでー😂
まさに<バイブル>ですねー(笑)
<番外ギル・エヴァンスとの友情編>もできそうですね😉
あと<クールジャズ湘南日帰り編>も😙
ボブ・ドロウは欠かせないでしょう!(根拠不明)
だって、ボブ・ドロウですから、ボブ・ドロウ!(意味不明)
ギル・エヴァンスとの友情編はなかなか泣ける内容だと思いますよ。
ところかまわず床に譜面を広げて音符を書き込んでいる姿がイラっとくるからという理由でいじめられていた、ガリガリのもやし君を助けるところから始まりますから。
湘南朝帰り編もサクッと読める短編ですね。
なにせ、湘南でマリガンやコニッツ君といったイキのいいビーチボーイたちと知り合うのですが、すぐに飽きて朝には帰ってくる話ですから(笑)。
サンジョルディさんからの返信。
ギル・エヴァンスとは、そういうエピソードがあるのですね。
<クールジャズ湘南朝帰り編>では、一緒に行ったギル・エヴァンスが、昼近くに目覚めたら、マイルスに置いてけぼりを食いましたー😉
焦ったギルくん。
おやびーん、待ってくれでやんす~!!
●
と、なんだか『ど根性ガエル』の五郎みたいな扱いにしてしまいましたが、スイマセン、ギル・エヴァンスは、本当にすっばらしいアレンジャーです。
フォローとして私が愛読しているギルの本を記しておこうと思います。
昔から愛読している本のひとつに径書房の『ギル・エヴァンスの音楽的生涯』があります。
著者はローラン・キュニー。
訳者は中条省平。
初版の発行日は1996年8月31日。
ボリュームたっぷり。
持った時の重量感がうれしい本です。
原題は『ギル・エヴァンスの音楽的生涯』の前に
「ラス・ヴェガス・タンゴ」がつきますが、カバーのビジュアルイメージが、
まさにラスヴェガスって感じがしますね。
ま、ギルの曲《ラス・ヴェガス・タンゴ》は、
もっと深くてコクがあるように感じるのですが、
デヴィッド・サンボーンが参加している『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』や、晩年の「スイート・ベイジル」のライヴ盤に近いイメージかもしれません。
この本は、カバーを外した表表紙(おもてびょうし)のデザインも、なかなか。
小口に大きく印された「GIL」の文字がインパクトです。
本文は2段組で、文字は大きめ、字間もたっぷり。読みやすい。
内容もさることながら、「物体」としての本としても、所有している喜びを満足させてくれるジャズ本なのであります。
これ読んで、ますますギルのことを好きになろう!
Hiromi Hasegawaさんからのコメント。
当時はみな正社員だったので「ボーナスは頭金で月々〇円払い」の月賦が使えたのだと思います。あと実家住みで親から借金してJBLの巨大なスピーカー買ったやつもいますし、雑誌で読みましたが住宅金融公庫の融資を受け「スピーカー買っちゃいました、てへぺろ」で審査通したつわものがいたという良い時代でした。
そうか、ローンという手があったか!!
しかし、住宅金融公庫の融資でスピーカー買うとは(笑)。
デカいスピーカーは「住宅の一部」という解釈もできたとか?
Ken Konishiさんからのコメント。
パーカーの”Loverman session”は好きです。ボロボロの演奏ですが、パーカーも普通の人間である事が良くわかります。”The Gypsy”の哀愁溢れるメロディは最高です🎵
まぐまぐさんからのコメント。
ありがとうございましたw ジャズというより個性の強い配信でw いい感じでしたねw
>ジャズというより個性の強い配信でw
だははは、ありがとうございます!(笑)
永井勉さんからのコメント。
ばかみたいな話ですいません ジャズギターが上達しません・・・m(__)m
課題曲はパーカーのコンファメイションとジョーパスのジャンゴです
いまだにテーマしか弾けてません・・・m(__)m
選曲間違っていますか・・・??
・・一言さぼるなと言って下さい・・・m(__)m
歳をとってくるとどうしてもずるくなります・・・・・・W
死ぬまで現役というのは無理なんでしょうか・・・・・?????
いやぁ、それは私とて同様ですよ。
20代前半からジャズのベースはじめているのに、学校に通って個人レッスンまでも受けているのに。それに、学生時代はけっこう仲間と演奏していたのに、それでも、まったくジャズっぽいフィーリングが身に付きません(涙)。
お互い諦めずに頑張りましょう!
やっぱりジャムセッションに通ったりするなどして、自分よりはるかに上手な人と合わせながら現場で学んでいくことが大事なんじゃないかなぁと思ってます(ここ20年ほどまったく行ってません・涙)。
やっぱり、現場で磨き上げられてきた音楽だと思うんで。
>選曲間違っていますか・・・??
いや、間違ってないと思いますよ。
あとパーカーだったら、《ビリーズ・バウンス》とか《ブルームーディド》のようなFとかB♭とかのブルースをやるといいんじゃないでしょうか?
MrNOBUchanさんからのコメント。
ジャッキー・マクリーンのリーダー作、もちろんすばらしい作品がいろいろありますが、私個人的には、いろいろ聴いても結局彼の初リーダーアルバム、アドリブの「ジャッキー・マクリーン・クインテット」(1955年10月録音)に還るんです。オリジナル・ジャケットの影響で、ネコのマクリーン、と俗称されているあのアルバム、です。
「The Jackie McLean Quintet – The New Tradition Vol. I 」 (Ad Lib AD 6601)
Donald Byrd, trumpet; Jackie McLean, alto sax; Mal Waldron, piano; Doug Watkins, bass; Ronald Tucker, drums.
Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, October 21, 1955created by Rinker¥1,400 (2024/10/05 16:08:09時点 Amazon調べ-詳細)伝説の録音技師ルディ・ヴァン・ゲルダーが、彼の代名詞ともなるブルー・ノート録音にかかわる以前の、素晴らしい業績の一つがこのアルバム録音だと、私は勝手に思っています。
同感です。
学生の頃、アルバイトをしていたジャズ喫茶で、マクリーンといえば、これが一番よくかかっていたんじゃないかと思います。
あとは同じくらいの比率で『メイキン・ザ・チェンジズ』も。
両盤ともに、ジャズ喫茶にピッタリのサウンド、プレイなんですよね。
もちろん、家で聴いても良いのですが、マクリーンやモブレイやバードって(いわゆる“サンジョル・バップ”の御三家w)、なぜかジャズ喫茶で聴くほうが、数倍良く感じるという不思議さがあります。
MrNOBUchanさんからの返信。
マクリーンがサイドに回って参加したセッションも、リーダー作以上にいいものがもうこれでもか、というくらいありますが、個人的に一番好きなのは「ジョージ・ウォーリントン・クインテット・ライヴ・アット・ザ・カフェ・ボヘミア」です。現在では未発表だった別テイク音源を加えCD二枚組全14曲で発売されていますね。
『カフェ・ボヘミア』もいいですね~。
こちらは、アルバイト先のジャズ喫茶のライバル店で、たまにかかってました(笑)。