アーマッド・ジャマルと友部正人

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YouTubeの視聴者の皆さまからいただいたコメントへの返信動画をアップしました。

いただいた動画とコメントは、

齋藤俊一さんからのコメント⇒ジャズ ピアノトリオ ベスト10(個人的愛聴盤/もちろん名盤ではなくてもOK!)を教えてください。

くまが集う喫茶店さん&脇秀樹さんからのコメント⇒ピアニスト・益田幹夫インタビュー『jazz』1974年9月号より

です。

いやぁ、ジャマルの『ポート・フォリオ』はいいよ!

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コメント

長谷川孝二さんからのコメント。

益田幹夫さんの演奏YouTubeでいくつか観てみました。
とてもセンスが良いですね。
それから、動画で見ると結構シュッとした目力が強いかっこいい人なんですね。

『ゴーイング・アウェイ』のジャケット写真、一瞬、若い頃の松田優作を思い出しました。

高松貞治さんからのコメント。

益田幹夫のアルバム、来週には届くと思うので、聞いたら感想をすぐに高野雲さんに伝えるので待っていて下さい!私も楽しみにしてますよ!

よろしくお願いします!

Kawai Andyさんからのコメント。

The Portfolio of Ahmad Jamal は10枚に入れようか迷いました〜!繰り返し頻度でもれた感じでした。スリリングな展開が魅力なまさにJAZZなピアノ・トリオ、ライブ盤!私も好きな一枚。

いいっすよね~!

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脇秀樹さんからのコメント。

コメント読んで頂き
ありがとうございました😊
嬉し恥ずかし秀樹感激です🎯
ジャズ圏外で申し訳ありませんでした🙇‍♂️

「あいてるドアから失礼しますよ」
1990年代初頭、
「たま」と共演してるのがあります🎯
70年代よりかは聴き易くなったかも💦
でも目は鋭く根本は変わっていません。

友部の「終わり、始まる」という曲で
🎶岩に張った4本の弦を
  チャーリーミンガスがかき鳴らしてる
…というフレーズで、
僕はチャールズ ミンガスを知りました🍀
「俺の事、チャーリーって呼ぶな!」
…って、怒られそうですネ🤣

たしかに目が鋭い♪
一点を見つめて、まばたきあまりしてなさそう。

たまとの共通点、たしかに感じますね。
というか、音楽性、相性、バッチリじゃないですか。
たまのルーツを垣間見た感じ。

教授とやった「あいてるドアから失礼します」に比べると、ずいぶんと聴きやすいです。

御駄賃取郎さんからのコメント。

意外でしたあ。。。マスターがコルトレーンを大嫌いだった、最初は嫌悪感をもった・・・・へ~~!ぶったまげ!・・でござんした。(笑)まあ、私は50年もパーカーを聞き続けながらついぞ、理解できず(好きになれず)これを好きだという人は別な人種だ(パーカーに近い特殊才能を秘めたお方)とさえ確信するに至りましたが(笑)でも「いやよいやよも好きのうち」というのは理解できます。自分の連れ合いとの最初のであいではお互いが(この人だけとは絶対に無理!)と思いました。不思議なものです。(笑)

最近やっと理解した言葉・=「チャーリー・パーカーは大御心(おおみこころ)なのだよ」・・・これは昔ある、おもしろおじさんがおしえてくれた言葉ですが、おおみこころってなんだ?と長年思っていましたが、「好き嫌いなどという下世話な批判をしてはならぬ、犯すべからずな存在=大御心(おおみこころ)」なのだ、ということをマスターのおかげでやっとこさ理解しました。。m(_ _)m

永井勉さんからのコメント。

友部正人・・・どこがいいの???
以前投稿しましたが、高田渡さんと加川良さんの前座
を一度だけやらせてもらった事があります・・・m(__)m
凄かったでしたよ!!・・・そのカリスマ感は・・・
曲よりも歌詞の方が優先されている素晴らしい世界観が
そこにありまりました・・・
下手なプレーだとしてもそれを超える詩がそこにありました!!!
友部正人 昔のフォークのドロドロした音楽を聴きたい人にはいい
音楽かもしれませんね・・・毒・・泥酔

前座やった
⇒凄いですね!

>曲よりも歌詞の方が優先
2曲しか聴いてないのですが、たしかにそう感じました。

博 橋本さん⇒永井勉さん

若い頃に井の頭公園を散歩していると、赤ん坊だった蓮君を抱いた高田渡と時々出会いました。吉祥寺の駅ビルのスーパーのレジで、前後して並んだ事も有りました😅
永井さんも一緒だった事がお有りなんですね。
この世は面白いなあ😆

永井勉さん⇒博 橋本さん

30年ほど前に静岡の浜松市のライブ会場でご一緒しました・・・m(__)m
豪快な人でしたよ。楽屋でスタッフ達とお話しながら銀色のウイスキーの入った
銀のボトルを永遠と飲んでました・・・WWW
そしてライブが始まりノリのいい曲だと思い、手拍子していると
氏は演奏をピタリとやめ 「この曲の意味を解っているのか!! 手拍子は
やめろ!!」と怒られました・・・m(__)m
不世出のシンガーソングライターだと感じました・・・m(__)m

博 橋本さん⇒永井勉さん

まだまだ、日本中で歌い続けていてほしかったです。

齋藤俊一さんからのコメント。

Jazzピアノトリオは数多く最近良く視聴している10枚です。  Bobby Timons sweet and soulful sound riverside Barry Harris at the jazz workshop riverside Kenny Barron Ljve at Bradleys Chico Hamilton introduces Freddie Gambrell Roland Hanna trio Lover come back to me Black and Blue Larry Willis Lets Play steeplechase イタリア人のワンドライブGuido Manusardi Immagini Visive

Freddie Gambrell Gerry Wiggins Wjg is here Mulgrew Miller Live at the kennedy center Volume 1.2.3

人力飛行機さんからのコメント。

動画の中で「フォークはさだまさしのアルバムはよく聴いていました。友部正人のものは今は好みではないなと感じました」とのことですが。あと、「たまと友部正人の共演も聴きました。坂本龍一と友部正人の共演よりも聴きやすかった」というコメントも視ました。私は友部正人といえば彼の一番最初のアルバム2枚『大阪へやってきた』『にんじん』が思い浮かぶ。その2枚は熟聴しましたね。彼のルーツとして、ボブ・ディランという存在があって。ディランは声もガラガラ。歌詞は全体が何かの喩えとして聴こえる。サウンドもアクが強い。こんなものが商業歌謡として成立するのかという作品なんですね。整ってない。全部が粗い。そこで全部が整っているさだまさしとは対極だと思います。で、友部正人はそのボブ・ディランに影響され、日本語でそれをどうやって継承できるのか考え、実践したと思います。ディランを自分なりに解釈して自分の歌を書き、歌う人なんですね。だから初期の吉田拓郎もそう呼ばれたように「日本のボブ・ディラン」とか呼ばれた。初期の吉田拓郎も友部正人も、日本語でディランみたいにやるにはどうしたらいいかディランのサウンドを日本語で再構築できるのかを模索したと思います。そこでさだまさしとか、整った歌世界を構築するタイプとは差異が出てきた。というか、歌謡曲で整った世界を作り上げるのが普通だし、それで商品化するのが普通ですから。しかし、こういうとわかりやすいかもしれない。音の耳障り、触感、としてボブ・ディランてジャズ的な気がする。決して一回たりとも同じようには歌わない、また歌えない。というのは必ず何かが変わっている。そこで即興性が入ってる。即興性を大事にする。それがディランだとしたら、初期の吉田拓郎や友部正人もそうだった。一応歌の形はとっているけど、カッチリしてない。その場での即興性を大事にしていた。ほとんどの歌謡曲は即興性は排除したがりますよね。歌謡曲で一回一回節回しが微妙に違ってきては困る。叫びになっては困る。音楽的でなければ困る。その違いがある。あと、ディランは歌詞の面でも字余りで整えない。その分自由がきくし、語りにも近かったりする。そこで何かを訴える力を歌に具えさせる工夫もあった。抗議したり、気持を過剰に籠めたり。整わない分歌を「これって歌なのか?」というところまで持っていくことが可能なんですね。それは何なのか良くわからないところまで行っちゃうことだし、歌なのか朗読なのか音楽なのか訴えなのか、そのどれでもあるような。ただ、基準はあって、リアルであることを、自己の眼に何が見えるのか、自己の感性に忠実であることを大事にした、そういう分野を開拓した。それは本当の意味で革命的だったと思います。だからその当時の吉田拓郎とか友部正人の音源は面白かったですね。刺激的でした。

ボブ・ディランは、仕事の関係で、30歳過ぎてから10数枚CDをまとめ買いして聴いたことがほぼ私にとっての初体験でした。
そして、ちょうどその時期とリンクするかのように、中山康樹氏が出した著書に「ボブ・ディランはただ歌いたかったから歌った」という説(←大雑把にまとめていますが)が書かれていて、めちゃくちゃ腑に落ちた記憶があります。私の場合は、ウディ・ガスリーや、ロバート・ジョンソンのように「あっちの国」の人たちの表現に関してですが、翻って「こっちの国」の表現者の人たちにあてはめて考えると、まったくもって守備範囲ではなかった人たちに対しても人力飛行機さんの解説が補助線となって、非常に明快な一本の線が浮かび上がってきたようです。好き嫌いは別として(笑)。
ありがとうございました。