ジャズマン解説抜粋〜粟村レコードブックより

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A

ジュリアン・キャノンボール・アダレイ(as)
Julian Cannonball Adderley

僕が責任をもって推薦出来るLPとなると、たかだか、二、三枚を数えるに過ぎない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ヘンリー・レッド・アレン(tp)
Henry Red Allen

ときとしてサッチモに似過ぎる感のあるプレイが、前後の脈絡に欠けたフレージング、調子に乗ったときの何ともいえない軽佻浮薄ぶりと相俟って、鋭いアタック、奔放なスイング感、隔絶したヴァイタリティといった並々ならぬ長所を少しばかり上廻って聞こえたからである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ルイ・アームストロング(tp,vo)
Louia Armstrong

テナーサックスの父コールマン・ホーキンスは、サッチモのコルネットをきいてテナーのジャズ吹奏法を開拓した。アール・ハインズはハーレム・ストライド・ピアノ奏法から出発し、サッチモと共演することによりシングル・トーンを駆使した「トランペット・スタイル」ピアノを開拓した。トロンボーンは最初、半リズム楽器的なテイルゲート・スタイルにはじまったが、これメロデイ楽器として発展させたのはジミー・ハリソン⇒ジャック・ティーガーデンという系譜であり、ハリソンはサッチモの啓示をうけたのであった。ヴァイブの父ライオネル・ハンプトンはドラマーとしてサッチモのバックを担当、のちヴァイブとボーカルに転じたが、そのスタイルがサッチモに発していることは誰にもすぐわかる。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

アルバート・アイラー(ts)
Ablbert Ayler

アイラーの演奏はいわゆる「先祖がえり」を目指す一軍のニュー・シング派のなかでも、本質的な意味で最も純粋なものであり、エモーション一本に賭けて「普通の音」からの脱出をはからんとする彼の努力は、抜群のテクニックとともに異様な感動を呼ばずにおかぬものがあった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

B

ミルドレッド・ベイリー(vo)
Mildred Bailey

スイング・ジャズの全盛時代、多くのビッグ・バンドは、コマーシャルの意味合いも含めて、女性シンガーを起用する機会が多かったが、その中で真にジャズファンの耳を満足させ得た人となると、白人ではミルドレッド・ベイリーに次いで、わずかにリー・ワイリーとペギー・リーの名を挙げ得るに過ぎない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

チャーリー・バーネット(sax)
Charlie Barnet

彼のバンドが悪い意味ではなしに大衆に一番受けたのは30年代後期のスイング全盛時代であったが、この頃のバーネットはデューク・エリントンに対する敬意をあまりにも誇示していたため、バンド自体のオリジナリティを不当に軽視されていたきらいがあった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

カウント・ベイシー(cond,p)
Count Basie

「ベイシーの最高傑作は?」と聞かれれば、僕は躊躇もなく「レスターがいたころのデッカ盤」と答える。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

リーダーとしてのベイシーはエリントンの動きにくらべて地味ではあったが、彼がいないだけでバンドのサウンドは違ってきこえた。また最小の音符で最大の効果をあげる彼自身のピアノと共に、エリントンと並ぶ偉大なリーダーであったと言えるのである。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

シドニー・ベシェ (ss)
Sidney Bechet

ブルーノート・レーベルでワイド・ビル・デヴィソンと共演した二枚はデシャバリ爺さんの口喧嘩を見るようにやかましい。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ビックス・バイダーベック (tp)
Bix Beiderbecke

サッチモに支配されていたジャズ・トランペットの世界に初めてアームストロング以外の吹き方があることを示した偉大な先人として、ビックスの名をクレディットするのがやはり至当であろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

バニー・ベリガン (tp)
Bunny Berigan

サッチモとビックス-というまったく異なった二つの個性を巧みに融合させて特異なキャラクターを作り上げたバニー・ベリガンは、スイング時代を通じて最高の白人トランぺッターであったが、惜しいことにバンド経営の才に欠け、個人的な煩悶もこれに加わって若くして世を去った。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

チュー・ベリー (ts)
Chu Berry

チュー・ベリーは、ベン・ウェブスターとともにホーキンス・スクールの逸材として名をなしたが、今日残されたレコーディングに聞く彼のソロは、ミディアム・テンポにおいてはホークのそれよりもさらにリズミックであり、一方スローものに聞く彼のソロも(つねに成功であったとは言い得ないが)前記の2人に比して「よりスムーズでよりラブソディックな」と言う特徴を持っていた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

バーニー・ビガード(cl)
Burney Bigard

彼の全盛時代は無論デューク・エリントン楽団に在籍したころであろうが、重厚なエリントン・バンドのアンサンブルをバックに、あるときは鞭打つ如くしなやかに、あるときはからむが如くあでやかに駆けめぐったユニークな彼のソロは、文字通りこのバンドの輝ける商標の一部をなしていた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

アート・ブレイキー(ds)
Art Blakey

トレード・マークである爆発的なロール奏法の魅力もさることながら、独奏者に応じて微妙に変化していく細心のリズム感、メリハリのはっきりした独自のアクセント~まったく彼ぐらい豪放にみえてその実緻密なドラマーも数少ない。ワイルドなドラマーの代表的存在でありながら、悪趣味なドラマーとしての批判が殆どないところにブレイキーという人の真骨頂があるわけだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

リーダー・ドラマーとしてのブレイキーの長所は、メンバーのプレイをききながら当意即妙にプレイを変化させることで、ある時はワイルドに、ある時はソフトでリリカルに、実にメリハリのきいたリズムを付与するのである。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ジミー・ブラントン(b)
Jimmy Blanton

僕はジミー・ブラントンこそジャズ史上最大のベーシストであったと思うし、彼に迫り得る者としては現在でもチャーリー・ミンガスとオスカー・ペティフォードの名を指し得るに過ぎない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

クリフォード・ブラウン(tp)
Clifford Brown

僕はクリフォード・ブラウンの大ファンであり、彼が残したレコードはストリングスと共演した愚盤を除いてはあまさず蒐集の価値があると考えているほどの支持者だが、さて夭折したファッツ・ナヴァロとブラウンのどちらがより偉大なミュージシャンであったかということになると、しばしば首を傾けざるを得ない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

クリフォード・ブラウンとファッツ・ナヴァロにはいくつもの共通点があった。二人ともいくつかの楽器ができた。二人とも13歳の時父に買ってもらったトランペットを吹いた。二人とも天秤座で、ともに25〜26歳でこの世を去った。但しブラウニーに麻薬癖はなかった。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ローレンス・ブラウン(tb)
Lawrence Brown

ときに明朗ときにムクムクと頭をもたげてくる彼のプレイは一頃言われた「黒いトミー・ドーシー」などという散文的な表現ではとうてい律し切れないユニークな味わいを持っている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

レイ・ブラウン(b)
Ray Brown

ブラウンの真価はどちらかと言えばほかのソロイスト~とりわけピアニストのバックにまわったときに最高度に発揮されるので、その意味でいささか異色の選曲かもしれないが、ベースの音がみごとに捉えられているジュニア・マンスの『ジュニア』(verve)でまず推薦盤の一枚に挙げておく。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

デイブ・ブルーベック(p)
Dave Brubeck

その後(CBS盤『風とともに去りぬ』の後)ブルーベック・コンボはジョー・モレロの完璧なドラム・ワークを軸としてもっぱら変拍子ジャズの演奏に力を注いできたが、僕個人としてはこれをリズムの遊び乃至はモレロの才能の浪費以上に評価する気持ちになれなかった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジャッキー・バイアード(p)
Jaki Byard

バイアードが若いジャズ・ファンの間で今ひとつ高く評価されないのは、何でもやれるという彼の実力が、「節操がない」風に誤解されやすいのと、受け入れ側にモダン以前のジャズに対する認識が浅いためだと思うのだが、それでも「ソロ・ピアノ」あたりを聞けば、現代のファッツ・ウォーラーとしてのユニーク極まる彼の個性が判る筈である。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

C

ハリー・カーネイ (bs)
Harry Carney

彼はこの他人があまり振り向かぬ困難な楽器を駆使しつつ長年にわたって前人未到の荒野を切り拓いてきた。マリガンの功績はいわばこの偉大なカーネイの地盤を受け継いでの研鑽にあったわけで、平凡な金魚からランチュウやオランダ獅子頭のような異型を作り出した人も確かに偉いが、黒い鮒から一匹の赤い魚を作り出した人の恩恵には及ばぬのと同じことだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ベニー・カーター (as)
Benny Carter

カーターの編曲手法の最大の特徴はサックス・セクションの処理にあり、ブラス・セクションとの鮮かな対比のもとに、あたかもインプロヴァイズされたソロの如きメロディアスな合奏の妙味を生かして、ビッグ・バンド・アレンジにおける一つのパターンとも称すべきユニークな手法を確立したのであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

シドニー・カトレット (ds)
Sidney Catlett

ジャズ史上最高のドラマーはいまなおシドニー・カトレットではなかろうかと僕はひそかに考えているのだが、カトレットは、スイング時代の優れたビッグ・バンドをつぎつぎに転じた後、バップの初期にはガレスピーやパーカーとさえレコーディングを行ってオール・ラウンド・プレイヤーとしての盛名をほしいままにした。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

サージ・チャロフ (bs)
Serge Chaloff

今日優れたバリトン奏者言えば、まずハリー・カーネイかジェリー・マリガンの名を挙げる人が大部分だと思うが、五七年に癌のため惜しまれつつ世を去ったサージ・チャロフの名を忘れてはならない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ポール・チェンバース (b)
Paul Chambers

チェンバースがリーダーになって縦横に弾きまくった『ベース・オン・トップ』(B.N. NR-8842)はジャズ喫茶の人気盤の一枚で立派な出来だったが、彼のアルコ・ソロだけは何時聞いても悪趣味だった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

テディ・チャールズ (vib)
Teddy Charles

現在テディ・チャールズの近況を耳にする機会は殆どないが、かつての日の彼はプレスティッジ・レコードを中心に New Directions と名付けた実験的な作品をつぎつぎに発表し、新しい時代のジャズ演奏を目指す若手ミュージシャンの一方の旗頭として心あるジャズファンの暖かい支持を受けたものであった。当時の演奏を今日の耳で聞いてどうか――ということになると、他の実験作の多くがそうであったようにどこか空々しい感じを禁じえまいが、それでも一度は十二吋LPとして世に出た「Collaboration:West」(Prest. 7028)「Evolution」(Prest. 7078)といったかつての意欲作の再発を望む人は多いに違いない。

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粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ドン・チェリー (tp)
Don Cherry

「コールマンとチェリーは二卵性双生児で、出来のいい方がコールマン、大いにオチる方がドン・チェリー」といった調子で大いに二人を眺めていた。(中略)その僕がチェリーに対する見方を変えたのは、六三年に録音されたニューヨーク・コンテンポラリーファイヴの「Consequence」というアルバムを耳にしてからのことである。(中略)ここに聞くチェリーのプレイは従来のジャズの語り口をふまえた上でそれに革新性を盛り込んだ説得力あるもので、コールマンの相棒としての効果音製造係の彼からは一寸想像出来ない成熟ぶりを見せていた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

チャーリー・クリスチャン (g)
Charlie Christian

あくまでもシンプルなプレイに終始しながら、疑うことなくモダンの香りを一杯にたたえたこれら一連の演奏を聞くとき、ギターという楽器を初めてソロ楽器として全面的に採り上げたばかりでなく、一歩進んでジャズ界全体をリードするに至ったクリスチャンの偉業に対して改めて敬意を表さずにいられない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジューン・クリスティ (vo)
June Christy

「Ain’t no misery in me」や「Willow weep fo me」を聞けば、アニタのテクニックと初期のコナーの瑞々しい魅力を折衷したようなジューン独自の商法の全貌を知ることが出来る。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ソニー・クラーク (p)
Sonny Clark

決してスケールの大きな超一流のピアニストではなかったが、いかにもモダン・ジャズ・ファンの好みにピッタリとした、よくスイングする小粋なピアニストだった。

ジャズ喫茶における人気盤『Cool Struttin’』は確かに楽しい演奏だが、繰り返し聴いているといささか飽きのくるのが欠点ではなかろうか。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ケニー・クラーク (ds)
Kenny Clarke

なるほど彼はオフ・ビート奏法に新境地を拓き、ベース・ドラムを従来の基本リズムの枠から解放したユニークな先覚者だったが、ではクラークがローチやブレイキーと並ぶ大ドラマーかと言うとそうは思われぬ。彼のドラミングを聞いていて一番気になる点はとかくリズムが単調に流れやすいということだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

バック・クレイトン (tp)
Back Clayton

ルイ・アームストロングの影響を強く受けて育ったトランぺッターであったが、ルイの持っていた華やかさとはおよそ縁遠い渋みの勝ったプレイヤーで、それ故にこそ、その繊細な味が識者に認められ、あまりの地味さの故にまた一般の人気を博するまでには至らなかった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ナット・キングコール (vo,p)
Nat King Cole

彼は先人のアール・ハインズ、後進のウイントン・ケリー同様、歯切れの良いタッチ、比類のないスイング感を持ち、上品なユーモアと強力な左手を備えた稀に見る趣味の良いピアニストだった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

オーネット・コールマン (as,tp,vln)
Ornette Coleman

復帰後のコールマンの音楽は完全にプロの音楽であるということだ。前衛性という点にだけ焦点をしぼれば、かつてのコールマンの演奏に比して鋭さが欠けるという批判は否めまいが、引退以前のコールマンのレコードにつきものであった無意味な虚勢がまったくなくなり、必要な音だけが大人の思考を通して奔放に吐き出されてくる一瞬に心よいスリルと共感を覚えない人はまずあるまい。

『フリー・ジャズ』はダブル・カルテットによるフリー・インプロヴィゼーションというジャズ史上かつてなき大胆不敵な試みによる往時の問題作で、この線上に立った後年の失敗作がコルトレーンの『神の園』というわけだ。これに比べると『チャパクァ組曲』は完全なる一人称ジャズ。インプロヴァイザーとしてのコールマンの実力が無限のものであることを痛感させる一時間二十分である。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

オーネットの調子はずれのような音楽に対してベーレントは三つの音を指すが、オーネットが吹く音はすべてすこし高めか低めに、微妙にオフ・ピッチされていて、つまり全音がブルーノートであり、これはカントリー・ブルース・シンガーと同じコンセプションなのだというのである。オーネットの言葉「私は《平和》という曲のFの音と、《悲哀》という曲のFの音は同じであってはならないと考える」は、まさしくブルース歌手の考えと同じだ、とベーレントはいう。(中略)オーネットの出現は、黒人音楽本来の姿がヨーロッパの規範とは全くちがったものであることを示唆すると同時に、黒人音楽の正しいルートだけで、ヨーロッパ寄りのジャズ体制が根本からひっくりかえせることを暗示し、これが60年代フリー・ジャズへの引き金となったのであった。
これがオーネット・コールマン出現への私の評価なのである。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ジョン・コルトレーン (ts,ss)
John Coltrane

このあと(『至上の愛』発表後)トレーンはやおら眼を前衛ジャズの分野に転じ、『Ascension』という最大の問題作にして失敗作を世に問うに至った。「神の園」の失敗は集められた十人のミュージシャンが「十人のコルトレーン」でなかったところにつきる――と僕は思うのだが、「無秩序の秩序」などという便利なフレーズを製造してこの怪作の弁護に当たった勇敢な人々も世間にはあった。
このあとトレーンは妖怪じみた前衛ジャズの魔力に悩まされつつも、次第に自分なりの文法と打ち立てて「現状に満足しないミュージシャン」としての面目を示していたが、予期せぬ死の訪れによって未来に賭けた構想のすべては水泡に帰してしまった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

トレーンの短い一生をいろどるのは、あくことなき変貌の姿である。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

エディ・コンドン (g,banjo)
Eddie Condon

コンドンはメズロウ(メズ・メズロウ/cl)、ティッシュ、フリーマン(フランク・ティッシュメーカー/cl,sax)、クルーパ(ジーン・クルーパ)といった、シカゴのジャズ青年達を率いて歴史に残る何曲かの名演を残したあと、次第に商業主義との結びつきを深めてコンドン・ジャズとでも称すべき味もそっけもない安手のディキシーランド・ジャズの乱造を始めた。そこはパナシエ達が「シカゴ・スタイル」なる特別な名称を捧げたころの彼ら独自の素朴にしてジャズ本来のスピリットに溢れた真摯な態度はすでになく、魂のこもらぬソロが延々と続く場合が多かった。六四年に来日したときのコンドンは「チンコロ小父さん」然とした風貌でファンの好感を集めていたが、こんなところが案外安い演奏を高く売るのに役立っていたのかも知れない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

クリス・コナー (vo) 
Chris Connor

クリス・コナーの最高のLPは――と言われれば、外盤ではズバリ「This Is Chris」を僕は当てたいが、「Lullabye of Birdland」と「Chrins」の中に散在していたエリス・ラーキンの伴奏になる八曲もこれに劣らぬ逸品であった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

チック・コリア (p,el-p)
Chick Corea

現在までにチック・コリアが残した最高のアルバムは「ソロ第一集」である――と断じたら、果たしてこれは誉め言葉になるのだろうか?僕自身は真実そう思っているのだが、コリア君の方ではあまり嬉しそうな顔をしないような気もする。しかしそうした先様の思惑などは一切気にせず言を継ぐならば、これはチック・コリアの名盤として以後歳月を超えて残ると思われる演奏である。この予想は別段深い思索の果てに生まれた結論でもないので軽くお受け取り願いたいと思うが、影響とかスタイル別の分類とかいった評価基準に合わない名演というのは容易に老化しないことを過去の実例に照らして我々は知っているからである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ボブ・クロスビー (vo) 
Bob Crosby

スイング・ジャズの全盛時代にディキシーを演奏する大編成のバンドとして、ボブ・クロスビーと彼の一党が残した功績は長く記憶されてよいユニークなものであった。ただ、いかに立派なソロイストを起用し、いかに整然たる合奏を聞かせようとも、こうした大編成ディキシーという着眼そのものを「コマーシャルだ」と決めつけてしまえばそれまでの話だが……。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

D

タッド・ダメロン (p)
Tadd Dameron

コンポーザー並びにアレンジャーとしてのダメロンの隠然たる名声は、その生前すでに伝説的なものさえあったが、僕はついにこの説を納得し切れずに終わった。これは僕の不明であるか、彼がレコードのう上にその実力に相ふさわしい才能を残す機会に恵まれなかったかのどちらかであろう。

彼は麻薬禍のために一時楽界を退き、カムバック後リヴァーサイドに大編成のアレンジを録音したりしていたが、大して立派なものとは思えなかった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

マイルス・デイヴィス (tp)
Miles Davis

実演におけるマイルスは、スタジオ録音の場合とはガラリと変わって烈々火を吐くような激情的な演奏を聞かせるが、数多いマイルスの実録物のなかで、僕は「ブラックホーク」を最高に推す。マイルスも凄いが、ウィントン・ケリーも彼の最高のパフォーマンスを記録している。

話題を浚った「ビッチェズ・ブリュー」の良さについては、僕は遂に理解し得ぬままに終わった。この結論を読者諸兄に押し付ける積りは毛頭ないが、ロックに対する生理的嫌悪感を抑えて余りあるほどの説得力はこのアルバムもないと考えたい。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

1948年の『クールの誕生』から、70年代の終わりまで30年有余にわたってジャズ界をリードしてきたマイルス・デイヴィスは、まさに偉大な音楽家である。デビュー当時の稚拙なテクニックは絶えざる精進によって消え、1954年を境に比類なきソロイストとなって斯界に君臨したのであった。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ブロッサム・ディアリー (vo)
Blossom Dearie

彼女の最高傑作は文句なしに『Give him the Ooh-La-La』(verve)で、ハーブ・エリス、レイ・ブラウン、ジョー・ジョーンズという百万ドル・リズム・セクションをバックに妖精のようにキューティな彼女の魅力が百パーセント発揮されている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

バディ・デ・フランコ (cl)
Buddy De Franco

デ・フランコは、スイング時代に育ち、完全にモダンなスタイルに転身し得た稀なミュージシャンの一人である。彼のテクニックは抜群で、そのトーンはしばしば「冷たい」という非難を浴びはしたが、細かい仕掛けを排しつねにアド・リブ一本で勝負した彼のミュージシャン魂は、世評とは逆に「史上最もホットなクラリネット奏者」の称号を与えてもよいとさえ僕は考えている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

マット・デニス (vo,p)
Matt Dennis

シンガーとしての彼は決して恵まれた声の持主とは言えないが、軽妙洒脱な歌いぶりとたくまざるユーモアのセンスは、充分年期を積んだジャズ・ファンをも唸らすに足るだけのサムシングを持っている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ポール・デスモンド (as)
Paul Desmond

ブルーベックの良き相棒としてのデスモンドの真価についてはすでに等しくジャズ・ファンの認めるところだが、もしデスモンドの存在なかりせばブルーベック・コンボの成功も恐らく有り得なかったことであろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ヴィック・ディッケンソン (tb)
Vick Dickenson

一頃ディッケンソンはヴァーサタイルなミュージシャンの代表選手のように言われ、ディキシーからモダンまで何でもこなす人として名を馳せたが、いまとなってみれば、これは彼のアンダーレイトを惜しむファンの声が作り出した幻影に過ぎず、彼の本領はやはり中間派的なプレイのなかにのみ求めるのが妥当のようだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ウォルト・ディッカーソン (vib)
Walt Dickerson

(『トゥ・マイ・クイーン』は)楽器編成がMJQと同じというのは確かに苦しいが、たくさんの音符を使ってかつてのコルトレーンのイディオムをヴァイブを通して表現しようという彼の意図はある程度まで成功していると思う。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョニー・ドッズ (cl)
Johnny Dodds

彼の持っていたダーティなトーン、強烈なドライブ感、大胆なヴァリエイション--といった特質は、思いつきではなしに、今日の前衛ミュージシャンのそれに通ずるものがあったと断じ得る。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

エリック・ドルフィー (as,bcl.fl)
Eric Dolphy

彼のアルトの最高のプレイが、聞かれるのは、『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』であると僕は思うが、これはミンガスとしても屈指の名演に入ろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

フリー・ジャズ期のリーダー各プレイヤーで、彼のようにレギュラー・グループをもたなかった人はいない。。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ケニー・ドーハム (tp)
Kenny Dorham

ドーハムのプレイの最大の難点は、あと一押しのスリルに欠けている点で、これが第一級の演奏者としてはどことなく食い足りないという印象をつねに残した。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

トミー・ドーシー (tb)
Tommy Dorsey

ジャズ史上恐らくは最も美しい音でトロンボーンを吹いた亡きセンチメンタル・ジェントルマン、トミー・ドーシーの名演の幾つかは、スイング・ジャズに親しんだオールド・ファンにとってはいまなお忘れることの出来ない懐かしい思い出の一つであろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

E

ビリー・エクスタイン (vo,p)
Billy Eckstine

エクスタインの目指した演奏は当時の水準から見てあまりにも進歩的なものであり過ぎたため、無理解なレコード会社はバンド演奏を避けもっぱらビリーのヴォーカルだけを録音しようとした。しかもデ・ラックス、ナショナルといったマイナー・カンパニーの録音技術はひどく、またバンド自体も経済的な理由からメンバーの移動が相次ぎ安定した内容の演奏を行う場合が少なかった。これがエクスタイン楽団のジャズ史に対する寄与を過小評価させている原因のすべてである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ハリー・エディソン (tp)
Harry Edison

エディソンのトランペットというのは、いわゆる「朗々型」で、非常にシンプルなフレーズをつぎつぎと積み重ねて行ってヤマ場を作る。それだけに何度も聞いていると「またエディソンか」という不満を禁じ得ないが、個性という点でこれほどはっきりしたものを持った人はやはり少ないし、僕は偉大なスタイリストとして高く買っている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ロイ・エルドリッジ (tp)
Roy Eldridge

僕の個人的な趣味から言えば、彼の持つ鋭い乾いた音色や、「嵌め込み細工」という表現がぴったりくる独自のフレーズの作り方をあまり好まないが、だからと言って彼の偉大さやジャズ史に残した功績の数々を否定する気持は毛頭ない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

デューク・エリントン (cond,p)
Duke Ellington

僕は四十年から四二年にかけてのエリントン、オーケストラ、もっと細かく言えばその間のクーティ、ビガードが揃っていたころの演奏が一番好きだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

エリントンが創造したビッグ・バンド・サウンドは、それまでのジャズを支配していたブラストサックスのセクションごとの対立ではなく、そのブレンドにある。クラリネット、ミュート・トランペット、トロンボーンといったたった3本の楽器が色彩ゆたかなサウンドをつくりだすこともしばしばある。幼い時画家を志したというエリントンは、パレットの上で絵具をまぜあわせるように、楽器のサウンドをブレンドするのである。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ドン・エリス (tp,cond)
Don Ellis

ドン・エリスは五十年代の後半に新旧のビッグ・バンドを転じたのち、六十年代の初めから次第に実験的な演奏に手を染めるようになり、ジャッキー・バイアード、ロン・カーター、チャーリー・パーシップ、ポール・ブレイといった連中を混えて前記のアルバム(『ニュー・アイディアズ』『エッセンス』『ハウ・タイム・パーセズ』)を吹き込んで注目された。これらの作品は今聞き直してもそれなりに新鮮さを失っていないが、これはエリスという人が常にジャズ伝来の魅力の一つであるスイング感ということを念頭に置き、ジャズっぽさを放棄することが即ち前進であるかの如き錯覚に陥っていなかったためであろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ビル・エヴァンス (p,el-p)
Bill Evans

人はビル・エヴァンスのスローものを賞賛し「一度ときほぐした糸を再び紡ぎ合わせたような」という形容で創意に満ちた原曲の再生に感嘆する。だが、クイック・テンポに乗ったときのエヴァンスのプレイも、それに劣らず素晴らしい。早いテンポにおけるビル・エヴァンスは実によくスイングする。だがそれは他のピアニスト達の演ずるいわゆる「スイング」とはまるで異なった感覚で貫かれたものなのだ。例にとっては悪いが、ピーターソン流のブンチャ、ブンチャというリズムに乗った、切れるべきところで必ず切れるフレージングとはまったく異質のソロ・コーラスをビルは構成する。それと同時にあたかもスローものにおける彼の世界がそのまま早いテンポに置き換えられたような感じで一音一音が独自の輝きと閃きを残して空間に消えていくのだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョン・メーガンがエヴァンスとの対話で、「ピーターソンやシルヴァーの演奏にみるタイム感覚は、いわば“写実タイム”(photographic time)だ。君のタイム感覚は、絵画に例えるなら、近代派……その違いはコローとセザンヌに匹敵ルスね」といったのは至言である。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ギル・エヴァンス (arr,cond,p)
Gil Evans

固定したバンドも持たず器楽奏者としても抜群ではない一アレンジャーが、これほど高い評価を受けたという事実はジャズ史上にも他に例を見ないのではなかろうか。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

F

タル・ファーロウ (g)
Tal Farlow

タル・ファーロウはジャズ史上最も偉大なギター奏者の一人である。僕はクリスチャン、フレディ・グリーンとともに三大ギター奏者の一人に彼を数えている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

アート・ファーマー (tp,flh)
Art Farmer

アート・ファーマーはモダン・トランぺッターとしてマイルスに比肩すべき安定性と成熟さを兼ね備えたトランぺッターだが、一定の枠内にとどまって破目をはずそうとしない優等生的なプレイが、ともすれば「上手いけれどもスリルに乏しい」という評を生む結果となっている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

エラ・フィッツジェラルド (vo)
Ella Fitzgerald

エラの唄では僕はデッカ時代のものを好む。ヴァ―ヴ初期のLPは彼女自身の実力から言ってデッカ時代を上廻るものがあると僕も思うのだが、いかんせん企画と伴奏がよろしくない。「よろしくない」などという表現を使っては誤解を招く恐れがあるが、明けても暮れても大編成の伴奏で作曲家シリーズばかり聞かされたのではいい加減にくたびれもこようというものだ。

『エラ・イン・ベルリン』はどうもキメの荒さが気になるし、一般の評判ほどには作品の質は高くないように思われる。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ビリーは初期まるで楽器のように歌うといわれながらスキャットを手がけようとはしなかった。エラはどんどんスキャットをとりいれ、ホーンと対等にわたりあい、完璧な表現でこなしてしまうのである。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

トミー・フラナガン (p)
Tommy Flanagan

ハンク・ジョーンズの女性版の如くに彼を見做す人も多いが、ハンクには期待出来ぬのびやかな爽快さと清潔感がフラナガンの身上で、大げさな意味ではなしに名手の称号を捧げることの出来るピアニストの一人であろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

バッド・フリーマン (ts)
Bud Freeman

まるで枯れ木をポキポキと折って行くようなフリーマン独特のテナー奏法はその源をコールマン・ホーキンスの第一期のスタイルのなかに求めることが出来るが、スイング時代の開花とともにホーキンスの方はいち早くお馴染みのたゆとうようなテナー・スタイルに転向したから、極端な表現をとるならば、丁度進化と切り離されたオーストラリアの珍獣達のような恰好で彼フリーマンは新陳代謝の激しいジャズの世界に生き残ってきたのであった。だからフリーマンのファン達が彼に肩入れするあまりに、そのさして面白くもないスタイルを「独創的」と宣伝するのは実は正しくないわけだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

G

レッド・ガーランド (p)
Red Garland

レッド・ガーランドは不思議なピアニストで、マイルス・コンボに在籍していた頃の彼は、クインテットの一員として弾くときには特徴ある左手の動きとシンプルな右手のソロを巧みに対比させて、文字通り珠玉をころがすような見事な演奏を聞かせるのに、ひとたび自身のトリオを率いてスタジオに入ると、今度は一転何の変哲もない。漫画的演奏を繰り返してはファンを嘆かせたものであった。プレスティッジに吹き込まれた初期のトリオ演奏は、そういった意味でほとんど購入の価値のない第二級の作品ばかりである。
マイルスを去った後のガーランドはさすがに芸風が枯れてきて、『ソニー・ボーイ』あたりになると、かつては苦手としたスローもので逆に勝負に出ている感じさえあるが、このころになるとガーナーとピーターソンを足してさらに単純化したような彼の奏法が完全にファンの関心を失っていて、作品の出来不出来を云々する前に無視されてしまうという甚だ気の毒な結果に終わっている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

エロール・ガーナー (p)
Eroll Garner

彼のように単純な偉大さに徹したミュージシャンがいつまでも現役の人気者でいられるほどにはジャズ・ファンは義理固くはないし、マンネリの壁も破りやすくはないと言うことなのだが、『コンサート・バイ・ザ・シー』という金字塔的なアルバム1枚をとってもガーナの名はジャズ史に不滅であろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

スタン・ゲッツ (ts)
Stan Getz

ゲッツを知るに当たって、我々ジャズ・ファンがまず傾聴すべきは、ハーマンのセカンド・ハードで名を挙げた後、四九年から五一年にかけて新しいジャズ・エイジの担い手として楽界の注視を一身に集めた頃の演奏で、これに比べれば、ボサ・ノヴァなどは、所詮は大人のお道楽に過ぎない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ディジー・ガレスピー (tp,vo)
Dizzy Gillispie

ガレスピーほどの偉大なミュージシャンにどうしてこんなにも優れた作品が少ないのか――という嘆きはすべてのガレスピー・ファンに共通なものであろう。思うにレコード会社、なかんずく彼が長期にわたって籍を置いていたグランツ・ヴァーヴの録音に対する頭抜けた無神経さ、これにガレスピー自身のいささか過剰とも思える融通性が加わって、毒にも薬にもならぬ凡作の乱造と言う結果を招いたものに違いない。尤もバップの衰退期にはガレスピー自身のレコード会社にさえ道化精神横溢の駄作が吹き込まれているから、グランツ一人を悪者に仕立てて事足れりとすましているわけにもいかないかも知れない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジミー・ジェフリー (sax,cl)
Jimmy Giuffre

ジェフリーは、ウエスト・コースト・ジャズの全盛時代に西海岸に会って大活躍し、無調音楽的な作品からR&B的な作品に至るまで幅広く作曲を行い、ついにはドラムを基本的なリズムから追放した偉大なる失敗作『タンジェンツ・イン・ジャズ』を生んだ。このあと種々の楽器編成による『J.Giuffre Clarinet』という野心作を発表し、やがてドラム以外の楽器のなかにリズムを想定することの可能性に思い至ったジェフリーは、前記の『J.Giuffre 3』を世に問うことによってついに彼の思想の具現化に成功したのである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ベニー・グッドマン (cl)
Benny Goodman

全盛時代のグッドマン・バンドは、神経質で有能なリーダーの統率のもとに、黒人バンドには聞かれない整然たる合奏の妙味を聞かせた。主として中音域に音を集めたこのバンドのサウンズは、快適にジャンプするリズムとともに誰の耳にも気持よく抵抗なしに入り込んで行った。それだけにコンボ演奏は別として、フル・バンドによる録音は、録音自体の悪さも手伝って、けたたましいハイ・ノートの連発に慣れた今日のファンにとっては甚だ生ぬるい音の集団としか聞こえないかもしれない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

アメリカの大衆にとってスイング・ミュージックとは白人青年たちがはじめた新しい健康なダンス音楽で、20年代からあったジャズとは別物だと思われた。だからエリントンやジミー・ランスフォードさらにはグッドマンにアレンジを提供したフレッチャー・ヘンダーソンなどの黒人バンドはスイングブームに乗り切れなかった。グッドマンの全盛期は何といっても30〜40年代に尽きるのである。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

デクスター・ゴードン (ts)
Dexter Gordon

ゴードンはレスター・ヤングに影響を受け、アレン・イーガーや初期のスタン・ゲッツ、そして後にはロリンズやコルトレーンにも感化を及ぼした強い個性を持ったテナーマンであったが、六十年代の初めに再起してブルーノート・レコードの専属となるまでは、どちらかというと円熟味とは縁遠いギクシャクした感じのプレイヤーであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

グレン・グレイとカサ・ロマ・オーケストラ (bigband)
Glen Gray & his Casa Loma Orchestra

カサ・ロマ楽団の主要なソロイストとい言えば、トロンボーンのピー・ウィー・ハント、テナーのバット・デヴィス、クラリネットのクラレンス・ハッチンライダーあたりであったが、ともに二流のミュージシャンであり、バンドの最大の売り物は何と言っても(前記の如き)ジーン・ギフォードの複雑巧緻なアレンジメントにあった。ギフォードの編曲手法はあまりにもメカニカルに過ぎるという難点は確かにあったが、物凄いスピードに乗って展開されるブラスとサックスの応答と一糸乱れぬ完璧なアンサンブルは、当時の水準を遥かに上回る高度なものであった。
ただ、今なお解明されていない謎はこうしたユニークな演奏スタイルがどこにその範を求めたものであったかという点で、あまりにも整然とし過ぎた合奏効果の故にか、後年スタン・ケントン楽団の演奏のなかにその遺髪をを見出すまでこれといった模倣者もないままに消え去った事実とともに、今後に残された研究課題であると申せよう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ワーデル・グレイ (ts)
Wardel Gray

レスター・ヤングの繊細な感覚にたくましさを加味したようなグレイのテナーは、「ロリンズ以前の最高のモダン・テナー・マンはワーデル・グレイではなかったか」と言われるほどに趣味の良い、自然な寛ぎとスイング感に満ちた立派なものであった。気難しいBGが一時期グレイを採用して音楽監督の任を与えていたという事実も、彼の持っていた中庸を得た高度の音楽性を物語るものだ。(中略)グレイは決して時代の最先端を行くような前衛的なプレイヤーではなかったが、プロのミュージシャンとして備えるべき条件をすべて兼ね備えた最も好ましいジャズメンの一人であった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ベニー・グリーン (tb)
Benny Green

僕はあらゆるモダン・トロンボニストのなかでこのグリーンが一番好きだし(『ジョー・ジョーンズ・スペシャル』)、気分満点に吹く流麗なソロ・フレーズ、つねにスイングとユーモアを忘れないそのプレイを最も高く買う者の一人である。
ただまったく遺憾なことに、彼にはこれといって推薦出来るだけの自分自身の代表的なLPがない。レコードの数が多いのだが、どういうものか泥臭い中途半端な作品ばかりが目につく。これは共演するミュージシャンの質、そういう組合せを選んだ彼自身並びにA&Rマンの責任であろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

H

エドモンド・ホール (cl)
Edmond Hall

生粋のニューオルリンズ出身のクラリネット奏者でありながら、エド・ホールのプレイにはいわゆる「ニューオルリンズ臭」は極めて稀薄であった。彼はディキシー系のグループと共演する機会が多かったし、なかには「コンドンの黄金時代 第一集」のなかに収められたジョージ・ウェットリングとのセッションのように極上のムードに満ちた傑作もあったが、柔軟性と甘さに欠けた彼のクラは、ディキシー・アンサンブルのなかにあって不思議に浮き上がって聞こえることが多かった。(中略)ダーティなトーンを駆使してトランぺッターのように鋭角的なフレーズを吹くホールのプレイは、そもそもどのグループに加わっても光彩を放つといった類の融合性に富んだものではなかったということであろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジム・ホール (g)
Jim Hall

モダン・ジャズの世界においては、ギターという楽器は次第に「孤立した独奏楽器」の位置に追いやられつつあるが、そうしたハンディを物ともせず、ほかのホーン奏者との共演を期待以上のみごとさでやり遂げてみせたジム・ホールという人は、他楽器とのインタープレイのなかにグループ・エクスプレッションの概念を完全に生かし切ることの出来る当代稀な英知あるミュージシャンということが出来よう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

チコ・ハミルトン (ds)
Chico Hamilton

ウェスト・コースト・ジャズの全盛時代大いにその令名を謳われたチコ・ハミルトンも、いまにして考えれば、そのジャズ史に対する寄与は、ドラマーとしての彼自身の才能と五五年に結成されて当時のジャズ界を驚かせた例のユニークなチェロ入りのクインテットが残した何曲かのフレッシュな演奏にとどまるような気がする。現在でも彼の率いるいろんなタイプのグループが目指しているものが「新鮮さ」なのか「新奇さ」なのか僕にはよく判らないときがあるが、彼の狙っているものが校舎だとすれば、彼並びに彼のグループは永久にジャズ史のメインストリームには縁遠い存在と言わねばなるまい。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ライオネル・ハンプトン (vib)
Lionel Hampton

ハンプトンのビクター・レコードにおけるセッションを評していまなお「ハンプトン往時の吹込みに駄作なし」との賛辞が識者の間にも信奉されているが、これには僕は少なからぬ抵抗を感じる者だ。なるほどハンプトンがヴァイブを叩き、あるいはヴォーカルを担当した作品の幾つかは永遠に新鮮さを失わないジャズ史上のクラシックスに違いないが、彼の演ずるドラム・ソロはリズム感は抜群でもいまとなっては感覚的に言ってあまりにもコーニイだし、二本指で弾くピアノに至ってはノヴェルティ以上の興味は持ちようがないと僕は思うのだが……。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ハービー・ハンコック (p,key)
Herbie Hancock

ハンコックの才能がファンに認められるようになったのは、無論彼がマイルス傘下の新進ピアニストとして活躍中の頃であったが、さて今となって考えてみると、マイルス在籍時代のレコーディングの中にはこれと特筆出来るほどの第一級のソロ・ワークは見当たらない気がする。むしろ「ウォーターメロン・マン」の作者としての印象の方が強いぐらいだ。これはいささか不思議でもあるが、それだけに彼がその恵まれた才能を独立後一気に開花させたのだという証明になるのかも知れない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ビル・ハリス (tb)
Bill Harris

ゴロゴロという咽喉音に似た特異なトーンと力感溢れるリズミックな奏法、バラードに聞く情緒纏綿たる表現は、ディキシーとは言わぬまでも確かにモダン以前のジャズが持っていた硬軟両面にわたっての長所を吸収したものであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジミー・ハリソン (tb)
Jimmy Harrison

トロンボーンを文字通りのソロ楽器たらしめた偉大なるパイオニアはジミー・ハリソンであったが、彼はサッチモを筆頭とするニューオルリンズ派のトランぺッター達に影響を受け、それまで極めて制限された役割しか与えられていなかったトロンボーンという楽器をトランペットやサックスと同じ地位にまで引き上げるという大きな功績を残した。

ともあれハリソンの功績はあまりにも等閑視され過ぎている。真摯なジャズ・ファンはこの偉大な人の業績を研究する労を惜しんではならない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ハンプトン・ホース (p)
Hampton Hawes

彼は決してスケール抜群といった類のピアニストではなかったし、後輩に絶大な影響を与えるほどのスタイリストでもなかったが、彼の弾くブルースにはほかの誰にも真似のできない独特の味があり、聞く者を魅了せずにはおかないブルースの恍惚境を作り出す天賦の才に恵まれた人であった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

コールマン・ホーキンス (ts)
Coleman Hawkins

『ジェリコの戦い』も力演には違いないが、スイング全盛時代からモダンの初期にかけて吹き込まれた数々の傑作と比べるならば、自信、若さ、迫力といずれの点をとってみても明らかに聞き劣りのするところは否みようがない。ジャズはやはりその時代の最前線を行っているヤツでなくちゃあ駄目だ。そしてこうした往時の傑作が吹き込まれたころはホークは押しも押されぬ大御所的な存在であり、当時のジャズ界の偉大なる先駆者の一人でもあったのである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ロイ・ヘインズ (ds)
Roy Haynes

ビーバップの全盛時代からパーカーやバッド・パウエルに付き合い、サラ・ヴォーンの伴奏を四年以上も務めて、現在なおモダン・ジャズの第一線に頑張っているロイ・ヘインズは、ジャズ史上最もヴァーサタイルで趣味の良いドラマーの一人だが、彼の真価はほかのソロイスト乃至はヴォーカリストのバックにまわったときに最高度に発揮されるのであって、ドラム合戦の如きショー的要素の多いステージというのはどうも不向きのようだ。
ヘインズがリーダーシップをとったLPとしては『アウト・オブ・ジ・アフタヌーン』が内外ともに好評だったが、これは意外に聞き飽きてくるLPだ。
僕としてはそれよりもファイヴ・スポットにおけるモンクとの共演を記録した『Misterioso』あたりのプレイを称賛したいと思う。小ワザの魅力を百パーセント発揮したバッキングだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

フレッチャー・ヘンダーソン (p,arr)
Fletcher Henderson

ビッグ・バンド・ジャズはフレッチャー・ヘンダーソン楽団とともに始まった。ただしヘンダーソン自身がアレンジのペンをとるようになったのは三十年代半ばになってからのこととされており、ヘンダーソン楽団のトレード・マークのようになったセクション別のいわゆる「呼びかけと応答」式の編曲手法はバンドの初期のアレンジャーであったドン・レッドマンの手によって設定された。この事実が今日ともすれば忘れられ勝ちであるのは、三一年に自楽団を組織したころのレッドマンのアレンジが「色彩の魔術」風のものに変貌していたからであろう。ただしレッドマン自身が認めているように初期のヘンダーソン・バンドの平凡な演奏にジャズ本来のスピリットを注入したのは二四年に新加入したルイ・アームストロングであったから、ある意味ではビッグ・バンド・ジャズもまたルイ・アームストロングの手によって新しい生命を植え付けられたことになる。
ヘンダーソンは本質的に経営の才には欠けたリーダーであった。また彼はその金運ある後継者となったグッドマン同様、最初に成功した形式をあくまでも維持して行こうとするタイプのリーダーでもあった。しかしリーダー自身の表に出ない才能からか、当時の黒人楽士に対する需要の問題からか、このバンドに出入りしたミュージシャンの殆どは当時一流のジャズメンであり、そこに労せずしてバンドとしての色合いの変化が生まれ、BG楽団の業績を上廻って後世のジャズ・ファンの興味をつなぐだけの強力な魅力が生じたのであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ウディ・ハーマン (sax,cl,vo)
Woody Herman

スイング時代のウディ・ハーマン楽団はブルース乃至はセミ・ディキシーを演奏するバンドとして、異色ではあったが一流と称するにはいささか物足りぬ泥臭いバンドだった。それが四三、四年ごろになって有能な新人を多数起用すると同時に、突如バンド・カラーを一変して超一流のバップ・バンドに変貌した。しかもリーダーのハーマン自身も相も変らぬコーニイなクラリネットを臆面もなく吹いていたのだからこの間の心境の変化は判らない。
だたそれはともかくとして、ニール・ヘフティを中心に当時としては画期的なハイ・ノートのユニゾンを聞かせたトランペット・セクション、ビル・ハリス、フリップ・フィリップスといった花形ソロイストを支えて強力にジャンプしたジャクソン、タフのリズム隊――ファースト・ハードの名で親しまれたこのハーマンの第一期オーケストラの偉容は、四十年に頂点を究めたデューク・エリントン楽団にさえ比肩しうる圧倒的なものだった。
ファースト・ハードが四七年の初めに解散した後、ハーマンは再びゲッツ、シムズ、チャーロフといった優れた新人達を集めて、ブラスに特色のあったファースト・ハードに対し今度はサックス・ヴォイシングに重点を置いた新しいタイプのオーケストラを組織した。これがセカンド・ハードであり、ファンはその新鮮な音の響を「フォア・ブラザーズ・サウンド」と名づけて称賛した。ケントン楽団のピート・ルゴロとともに当時最高の新進アレンジャーであったラルフ・バーンズの才腕は一期二期のハーマン・バンドを通じて、後のクインシー・ジョーンズの活躍を遥かに凌ぐ強力なバンド・カラーの創造に成功したのであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

エディ・ヘイウッド (p)
Eddie Heywood

エディ・ヘイウッドの名はむしろコマーシャルな仕事によって今日のファンに知られていると思うが、四十年代の初め彼及び彼の率いるスモール・グループが野暮ったさとソフィスティケートを巧みにバランスさせた独特のバンド・カラーによって熱心なファンの注目を集めたものであった。ソフィスティケートされた味がスイートな嫌らしさに変わるころジャズマンとしてのヘイウッドの生命も終わったが、コモドアやデッカに吹き込まれた彼自身のレギュラー・コンボによる演奏は、ノンシャランなリーダーのピアノを中心としてディッケンソンやレム・デヴィスといった猛者のソロを配した立派なもので、年とともにコマーシャル化して行く傾向はあるものの通人の鑑賞に耐える内容を持った演奏であった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

J.C.ヒギンバッサム (tb)
J.C.Higginbotham

J.C.ヒギンバッサムは今日では殆ど忘れ去られたような存在となっているが、かつての彼は幅広いトーンと息の長い独自のフレージングによって話題を集めたジャズ・トロンボーン史上の革命児の一人だった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

アール・ハインズ (p)
Earl Hines

彼はバンドのなかで最も目立たぬ存在であったピアノという楽器に新しい奏法、新しいアイディアを導入し、無数の後進にはかり知れない影響を与えるとともに、トランペットのアームストロングやテナーのホーキンスに匹敵する巨人としてそのかみのジャズ界に君臨したのであった。ハインズのピアノは力強いタッチのシングル・トーンを駆使したトランペット・スタイルと形容される革新的なもので、彼とサッチモが組んでつぎつぎに送り出した一連のOK盤は、一時期のコルトレーンの演奏の如く全ジャズ界から驚異の目をもって迎えられたものである

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョニー・ホッジス (as)
Johnny Hodges

その昔カーター・スミスとともに三大アルト奏者と讃えられた時代から、ホッジスは少しの退歩もスタイルの変化もなしに、レイジーでスイートなトーン、粘りつくようなグリッサンド、三連音符を生かした独特のフレージングでその輝かしいアルトを吹き続けてきた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

※三大アルト奏者:ジョニー・ホッジス、ベニー・カーター、ウィリー・スミス

ビリー・ホリデイ (vo)
Billie Holiday

『レディ・イン・サテン』は身も心も疲れ果てた晩年のビリーが、シンガーとしての執念だけにすがって歌い抜いた鬼気迫る絶唱。美醜の概念を根底からゆさぶる問題作である。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

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最晩年の『レディ・イン・サテン』『ラスト・レコーディング』になるとひどい声だが歌への執念と気迫に圧倒されてしまうのである。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

J

ミルト・ジャクソン (vib)
Milt Jackson

ファンのなかにはMJQというユニットの一員としてのミルトの存在を「ジョン・ルイスによって制約を受け過ぎている」と言って嫌う人もあるが、野人ミルトがタキシードを着たとたんに堂々たる貴族に変貌し得るというその音楽的な幅の広さとスケールの雄大さを僕はむしろ称賛したいと思っている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョン・ルイスを単にバロックかぶれしたジャズマンととるのは正しくない。彼のユニークなブルース・ピアノは彼がジャズの伝統の上に現れたアーティストであることを物語っている。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

イリノイ・ジャケー (ts)
Illinois Jacquet

ジャケ―の蒙った悪評の要因は、つまるところ彼がノーマン・グランツのJATPに加わって聞かせた鳥がさえずるようなヒステリックな高音と厚顔無恥な大ブローに帰するわけだが、だからと言ってこの一時の無軌道ぶりをもって、ジャケ―の持つみごとなスイング感とバラード吹奏におけるこまやかな感情表現を無視するわけにはいかぬと僕は考えている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

J.A.T.P
Jazz at the Philharmonic

JATPコンサートは無批判な聴衆の拍手におもねあるあまり、結果として次第に音楽性を失ってショー的要素の強い空騒ぎに堕してしまったが、その一方で貴重な遺産をも我々に残した。それは今日になって初めて言えることでもあるのだが、レスター、パーカー、ナット・コールといった偉大な天才達の姿を罐詰のスタジオ録音ではなしに延々たるブロー・セッションの坩堝のなかにおいてキャッチしたという功績である。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

バンク・ジョンソン (tp)
Bunk Johnson

ルー・ワターズによって始められたニューオルリンズ・リヴァイヴァルの動きをさらにセンセーショナルなものにしたのは、伝説上の巨人バンク・ジョンソンの再発見とそれにまつわる幾つかの劇的なエピソードであった。
しかしリヴァイヴァル派の勤王の志士軍に対して与えられた「錦の御旗」としての役割以外に、バンクの演奏はさまざまな疑問と新発見を我々にもたらした。その最大のものは、かつて我々が最高のニューオルリンズ・ジャズとして信奉していた(それ故にワターズの一党も徹底的に分析解明した)キング・オリヴァーの昔の録音が、実はシカゴで商品化されてからのニューオルリンズ・ジャズであって、リヴァイヴァルによって陽の目を見たニューオルリンズの生き残りの古老達の演奏とは大いに異なった雰囲気のものであるという事実であった。同時にバンクや(ジョージ・)ルイスのある種の演奏にうかがえる深い敬虔な感情は、昔のニューオルリンズにおけるジャズの存在が宗教的な要素を抜きにしては語れなかったであろうという推測と、一部の成功者達が職業として演ずるようになった夜毎のジャズが次第にその信仰心をジャズとは無縁のものに変えて行ったであろう必然性を我々に告げたのである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

J.J.ジョンソン (tb)
J.J.Johnson

クリティックス・ポールのトロンボーン部門は過去十年間以上もJ.J.ジョンソンの独走に終わっているが、さりとて「俺は熱狂的なJJのファンじゃよ」と自称するファンにもあまり出喰わさない。卓越したテクニックと高度の音楽性、あまりのソツのなさがどこか彼をして整い過ぎた美人に接するときのような疎外感をファンに植えつけてしまったのかもしれぬ。由来日本人は揚げ足取りが好きな癖にソツのある英雄を好む傾向があり、そのデンから言えばJJなど甚だ日本のファン向きではない名人ということになろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジェームス・P・ジョンソン (p)
James P.Johnson

偉大なるハーレム・ピアニストJ.P・ジョンソンの名はいまではジャズ史の伝説の一部と化した感もあるが、その昔ラグタイム・スタイルに新しい息吹を与え、同時に強力なストライド奏法を完成して遠く現代のモンクにまで影響を与えた彼の偉業は、いま一度敬意をもって振りかえられるべきであろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

エルヴィン・ジョーンズ (ds)
Elvin Jones

彼のドラミングが真に魔術的な妖力をもって我々に迫るようになったのは言うまでもなく彼がコルトレーン・カルテットの主要人物の椅子に収まってからのことだが、それ以前のエルヴィンの代表作としては僕は文句なしにトミー・フラナガン・トリオの『オーヴァーシーズ』を挙げたいと思う。いつになく戦闘的な姿勢を見せるフラナガンの快演もさることながら「Little Rock」に聞かれる強力なオフ・ビート奏法の威力は、このセッションの成功の鍵の大部分エルヴィンの手中にあった事実を明瞭に物語っている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

フィリー・ジョー・ジョーンズ (ds)
Philly Joe Jones

マックス・ローチの良さを「予想通りのスリル」にありとすれば、フィリー・ジョーのそれは「予想できないスリル」にあったとも申せよう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

クインシー・ジョーンズ (arr,tp)
Quincy Jones

クインシーのアレンジの良さはソロイストを自由に遊ばせているように見えながら、そこはかとなく締めるべきところを締めている――という点に大きな特徴があったわけで、逆に申せば、コマーシャリズムの入り込む余地もまた大きかったということであろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

サド・ジョーンズ (tp)
Thad Jones

この双頭バンド(サド・メル・オーケストラ)の演奏は素晴らしかった。このバンドの真価は実際に接した人でなければ百パーセント理解出来まいが、興に乗って延々と続くソロの連続と卓越したサッドの指揮ぶりの一端は『アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』の中に生々ととらえられている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

K

マックス・カミンスキー (tp)
Max Kaminsky

彼に影響を与えたミュージシャンはやはりルイ・アームストロングであろうが、甘さのない野性味溢れるカミンスキーのプレイは、ときに出来不出来の差があろうとも、確かに玄人筋を唸らせるだけの筋金入りのディキシー魂に満ちていた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ウィントン・ケリー (p)
Wynton Kelly

最近のウイントン・ケリーはすっかりハッピー・スタイルのピアニストに変貌してしまいかつての彼を知るファンを嘆かせるばかりだが、一時期の彼は確かに中堅ピアニストのナンバー・ワン的存在であった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

スタン・ケントン (arr,cond)
Stan Kenton

五二年にカンドリ、ロソリーノ、コニッツといったスター・ソロイストを擁して結成された新しいんケントン・バンドの演奏は、ジャズ的な見地からみてケントンが率いたバンドのうち最高のものであったことは疑いない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

第二次対戦中、ヒトラーの弾圧に耐えかねてヨーロッパの巨匠たちは相次いでアメリカに亡命した。バルトーク、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ミヨー、ヒンデミット……講師た巨匠たちの教化のもとにアメリカの音楽水準は大きく飛翔したのである。近代音楽への関心はジャズ界にも浸透した。その代表的リーダーがスタン・ケントンである。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

バーニー・ケッセル (g)
Barney Kessel

ハンプトンの有名なパサデナ・コンサートに出演したころのケッセルには未だクリスチャンの幻影が強く感じられたものだったが、ウエスト・コースト・ジャズの全盛時代が到来し、コンテンポラリー・レコードにクリスチャンに捧げた一曲を録音するようになったころから、ケッセルは独自の個性を備えたジャズ・ギター史上有数の巨人の一人にのし上がってきた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョン・カービー (b)
John Kirbyv

このグループ(ジョン・カービーのセクステット)が力を入れていたクラシックのジャズ化はいささか漫画的な効果しか生まれなかったけれども、全員一丸となって演ずるスイング・ナンバーの素晴らしさは正に三十年代の後半を飾る一服の清涼剤の感があった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

アンディ・カーク (cond,sax)
Andy Kirk

カークのバンドが真にジャズ史に残る名演を残すようになったのはデッカへ録音を行い始めてからのことで、「Unit the real thing,comes along」がヒットしてからはジャンプ・チューンの演奏はなかなかに許可がおりなかった由だが、つねに寛ぎを忘れぬスマートなKCスタイルを創造した点でカーク楽団の功績は永久に讃えられてよい。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ローランド・カーク (ts,strich,manzello,fl,vo,whistle)
Roland Kirk

先般来日した際のカークは尺八、大正琴、それにオルゴールといった小道具まで持ち出し、盲目を強調するオーヴァーなゼスチュアで一部の不審を招いたが、こうしたいささかエクセントリックな性格と貪欲なまでの探求心がなかったならば、盲目のハンディを克服することはとても不可能であったろう――と僕はいささか好意的に考えている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

リー・コニッツ (as)
Lee Konitz

ヴィブラートの少ないレスターの音にヒントを得た彼はテナーにおけるスタン・ゲッツに対応してあるとのクール・サウンドを創造するとともにレスターのプレイを特徴づけている独自のリズム感をも体得したのであった。即ち彼が師トリスターノより受けた最大の影響――四小節や八小節を単位としてではなくもっとホリゾンタルに拡大された概念でソロ・コーラスの構成を考えるという行き方は、レスター流のリズミックな寛ぎによって長いメロディック・ラインが惹き起こす絶えざる緊張感からの解放を得たのである。だからコニッツに対するパーカーの影響は同時代のアルト・マン達に比して遥かに稀薄だったと考えてよい。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジーン・クルーパ (ds)
Gene Krupa

昔のレコーディングが証明するように彼は最良のディキシー・ドラマーの一人であり、BGコンボとの数多くのセッションによっても判る如くバンドにおけるドラマーの役割というものを完全に理解した名人の一人であった。ドラム・ソロがバンドの売物の一つになり得ることを初めて証明した功績は確かに偉大だったが、それ以前に、彼はよく歌いよくスイングし、二本のスティックから微妙なリズムの陰影を叩き出した文字通りジャズ・リズムの権化であった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

L

トミー・ラドニア (tp)
Tommy Ladnier

ここ(ビクターの『パナシエ・セッション』)にはモダン・ジャズが失ってしまったジャズ本来の「泣き」の要素が泥臭い土の香りとともにふんだんに満ち溢れている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

フランキー・レイン (vo)
Frankie Laine

いわゆるシャウト・スタイルと呼称された特異な彼の唱法はシナトラなどより遥かにジャズのスピリットに富んだものであり、彼自身が選んだ道とはいえ、そのジャズ界からの脱落は残念でならない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ランバート・ヘンドリックス&ロス (vo)
Lambert,Hendrix & Ross

結果的にデビュー作となった「Sing a Song of Basie」は、複合録音という特殊手段を弄しているので、いかに結果的にみごとな出来ばえであろうとも僕自身はジャズとしての価値はまったく認めない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ペギー・リー (vo)
Peggy Lee

BGに見出されたころの彼女は清楚なお色気と洒落た「投げ節」の魅力で大いに売ったが、当時のBGバンドはバンドとしてはすでに下り坂にあったためにアレンジその他の面で彼女がかなり損をしている向きもあった。ジャズ・シンガーとしての彼女の最高傑作は「ブラック・コーヒー」ということになっているが、ビリー・ホリデイをしのばせるペギーの力唱は誠にみごと。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョージ・ルイス (cl)
George Lewis

アメリカン・ミュージックのLPがまだわが国にも入荷していた当時、ジョージ・ルイスの名声はディキシー・ファンの間で信仰に近いものさえ持っていた。その後ヴァ―ヴを中心に凡作を乱発した結果、すっかり「堕ちた偶像」化してしまった一時期もあったが、来日を機会に再びその実力を高く買われるようになったのはめでたい限りだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

チャールス・ロイド (ts)
Charles Lloyd

チャールス・ロイドがジャズ・マンとして第一級の実力と情熱の持主であることは、早くより多くの人々が認めていたのだが、そのあまりにもコルトレーンを追い過ぎた奏法が禍してか、長いこと真に創意ある音楽家としての定評を受けるに至らなかった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジミー・ランスフォード (sax,arr,cond)
Jimmie Lanceford

ランスフォード楽団は、スイング全盛時代にいわゆる「ランスフォード・ビート」と言われた独特のトゥ・ビート・スタイルの演奏で若人の間に大きな人気を博したハーレムの名バンドだった。このバンドの最大のスターはアルトのウィリー・スミスとアレンジャーのサイ・オリヴァーだったが、なかでもオリヴァーの存在はその退団がランスフォード楽団の事実上の崩壊にもつながったほどの偉大な力を持っていた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

M

シェリー・マン (ds)
Shelly Manne

マンのドラミングの最大の特徴はあらゆる意味でメロディックな――という点にある。同時に、ウエスト・コースト・ジャズの全盛時代、ロジャース、ジェフリー、シェリー・マンと並ぶ西海岸派の三巨人のなかで最も野心的な作品に取り組む機会の多かったのた実はアレンジャーでもないドラマーの彼であったあたり、マンが単なるリズム屋の域にとどまらぬ見識ある斯界のリーダーであった事実を物語っている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ハワード・マギー (tp)
Howard McGhee

バップ全盛時代のマギーのプレイはまとまりという点でやや難点はあったものの、荒々しく奔放で、感覚的には抜群のものを持っていた。ただ楽歴の点からもニュー・ジャズ創造への貢献への貢献という点からもつねにディジーに一歩の遅れをとっていた彼が、ついに「いま一人のガレスピー」になり得なかったのは当然のことであったろう。
(中略)
近年のマギーはすっかり角がとれてしまった感じで、外見演奏ともに昔日の凄味を失ってしまった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジャッキー・マクリーン (as)
Jackie McLean

ブルーノートと契約を結んでからのマクリーンは「Cool Struttin’」での好演が物を言ってか一躍わが国ジャズ喫茶の人気者となったが、甘い音でスムースに歌うというだけでいまひとつアグレッシヴなところのない彼のプレイは次第にファンの支持を失うに至った。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

カーメン・マクレエ (vo)
Carmen McRae

キャップ以後のマクレエのLP中で推薦に値すると思うのは「Bittersweet」(Focus 334)「オン・ステージ」(Col. YS-827-MS)それに「ライヴ・アンド・ウェイリング」(Main. Ys-2278-MS)あたりか。その他の作品は彼女自身の唱法に対する迷いを反映してか嫌味のあるものもかなり多い。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

高いよくひびく金属性の小枝が、ディクションは明瞭で、日本人にもはっきり歌の意味がわかるためファンが多い。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ヘレン・メリル (vo)
Helen Merrill

アニタの技巧もエラやサラのヴァイタリティもメリルにはないが、情緒纏綿(じょうしょてんめん)たる彼女の小唄には、我々日本人の心の琴線を揺さぶって止まない何物かがある。
(中略)
わが国におけるメリル人気の大部分は、彼女の人柄に接した人々の好感が積もり積もって作り出されたものであるような気がする。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

メズ・メズロウ (cl)
Mezz Mezzrow

メズロウという人は麻薬の商売で挙げられて臭い飯を食べたり、特別志願黒人と自称したり、数奇な半生を送った人だが、彼のクラリネットは僕は大変に好きである。彼のクラリネットはどことなく素人臭いが、かといって素人名人会風の稚拙なものでは決してなく、いわばプロの技術の上にアマの精神が宿っているといった感じのものなのだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

チャールス・ミンガス (b)
Charles Mingus

一曲単位でミンガスの最高傑作を――ということになれば、僕はいまでも「直立猿人」を推したいと思う。ミンガスの演奏にあり勝ちな饒舌と勇み足とがまったくなく、作曲と演奏が混然一体となった歴史に残る名演である。
ミンガス音楽の最大の特徴は、編成が変われば変わるだけそれに応じた別の面白さが現れてくるという点にあると僕は思うが、こうした無限に続く新しいアイディアと幻想は、彼がベーシストとしてもブラントン以来の最大の大物であるだけになおのこと以上な感歎を呼ばずにはおかぬものがある。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

クインテット演奏でもミンガスは必ず譜面台を並べて、極端なアドリブに陥ることを避けた。演奏が気に入らないと同じ曲をもう一度アタマからやり直させた。思い通りに事が運ばないとサイドメンに暴力をふるったり、お客に喧嘩を売ったりもした。しかし根は善人で、エリントンを心から崇拝していた。人種問題がからんだ時だけ彼の怒りはいろんな形で爆発するのだった。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

モダン・ジャズ・カルテット/MJQ (group)
Modern Jazz Quartet

このグループがスタートした当時、MJQの演奏に聞かれるアド・リブは高度の練習によって煮つめられた唯一の存在的アド・リブであり、真の意味での即興演奏とは違ったものではないか――という議論が一部に生まれた。またルイスの自身のいささか過度なヨーロッパ古典音楽への傾倒は、ときにクラシックの手法を模倣するのみに終わる危険性をも包含していた。もちろんこのグループの絶えざる研鑽と努力はこうした諸々の疑念を一掃し、あらゆる意図を完全にジャズ的なものに昇華することによって史上最高のグループ・エクスプレッションの創造に成功したわけだが、MJQが単に五十年代の代表的なコンボであったにとどまらず、六十年代も半ばを過ぎた今日、依然第一級のみりょくある存在であることを考えると、完成とマンネリズムの問題について我々はいま一度考え直さねばならないような気がする。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

セロニアス・モンク (p)
Thelonious Monk

かつてニューヨークの片隅で訥々として、「売れないピアノ」を弾いていた昔から、モダン・ジャズ界の神格的存在として君臨した五十年代後半の活躍を経て「最近のモンクはスリルがない」と冷然たる非難を浴びるようになった今日まで、モンク自身は変わることなく彼自身の「モンクス・ミュージック」を演奏し続けてきたと僕は思う。変わったのはモンクではなく、彼を取りまく世界の方なのだ。

モンクという人は由来固く自分の城を守っていて、全体の出来を考慮して共演者に迎合乃至は協調しようという態度などまったく持ち合わせていないから、共演者がモンクの音楽を理解し得るか否かによって、こういった演奏の成否は決まる。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

モンクをバッパーに数えることは誤りで、彼はバップらしいバップ・ピアノを弾いたことはない。「ディミニッシュ分解のアドリブをあまりやらない点で、パーカーを中心とするバッパーとはちがう」という八木正生の指摘は正しい。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ウェス・モンゴメリー (g)
Wes Montgomery

故ウェス・モンゴメリーがその前人未踏のオクターブ奏法によってすべてのファンやミュージシャンを圧倒してからすでに久しいがヴァ―ヴ入り以降のウェスはコマーシャル化の一途を辿り、ジャズ的な意味ではまったく冴えなかった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ベニー・モートン (tb)
Benny Morton

ベニー・モートンはいわゆる「朗々型」のトロンボニストだが、柔らかい音とつねにやり過ぎない趣味の良さが、スイング時代を通じて彼を最良のトロンボニストの一人に数えさせた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジェリー・ロール・モートン (p)
Jelly Roll Morton

グループ・エクスプレッションの概念をニューオルリンズ・ジャズの世界に最初に強力に持ち込んだリーダーとして、モートンの名はジャズ史に不滅である。(中略)にとガラに対する評価からの彼の功績を積極的に認めたがらない向きもあるが、レッド・ホット・ペッパーズの名でビクターに吹き込んだ二六年の十一曲の演奏は全盛時代のルイの名演にさえ比肩し得る偉大なものだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ベニー・モーテン (p,arr,cond)
Bennie Morten

カウント・ベイシー楽団の前身であり、カンサス・シティ最高のフル・バンドであったベニー・モーテン楽団は、リーダーの数年早過ぎた急死により来るべきスイング全盛時代の脚光を浴びることなく終わったが、モーテン楽団の残した足跡を丹念に辿って行くことは、カンサス・シティ・ジャズの研究者にとってまず第一になさねばならぬ重要な仕事である。(中略)カウント・ベイシー往時のヒット作を聞いたくらいでは、モダン・ジャズ最大の温床となったカンサス・シティ・ジャズのルートを探ることなど不可能に近いことをファンは銘記すべきである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジェリー・マリガン (bs)
Gerry Mulligan

彼の四重奏団の商業的成功の最大の因は、ピアノレスという形式でもディキシーのモダン化という音楽理念でもなく、新人チェット・ベイカーのユニークあトーンとマリガンのバリトンの柔らかい音色が醸し出す絶妙のインタープレイにあったと僕は考えている。当時のベイカーの実際のプレイにはずいぶん難点も多かった由だが、レコードに聞く限りにおいては完璧の出来ばえで、当時はマイルス以上にベイカーを評価する人があっても不思議ではなかったほどだ(ただし彼の変質者的なヴォーカルは薄気味悪かった)。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

N

ファッツ・ナヴァロ (tp)
Fats Navarro

ナヴァロはパーカーのように取り直しごとにまったく違ったフレーズを吹くということはしなかった。これは彼のソロがあらかじめ組み立てられていたということではなくて、彼がつねに最良のソロを求めて修整を重ねて行くといったタイプのプレイヤーであったためであろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

アルバート・ニコラス (cl)
Albert Nicholas

アルバート・ニコラスはニューオルリンズ系のクラリネット奏者としては第一級の人である。彼に最大の感化を与えたミュージシャンはジミー・ヌーンであったが、幅広い音域に及ぶテクニカリーな彼のソロはときにバーニー・ビガードを思わせる一瞬もある。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

レッド・ニコルス (cor)
Red Nichols

その昔アレンジを用いたディキシーランド・ジャズの演奏によってニコルスのレコーディング・コンボが素晴らしい盛名を誇っていたころ、ニコルス自身のプレイはビックスの拙劣な模倣などと言われて評判が悪かった。時移りニコルス・コンボの新吹込みは一部オールド・ファンのノスタルジアを誘うだけのものとなったが、彼自身のプレイは逆に格段の進歩を遂げ、生気溌剌たるソロがファンの耳を奪うようになった。六四年に来日したあと間もなくニコルスは死んでしまったが、彼のステージに接した人はことごとくその演奏を称賛していた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジミー・ヌーン (cl)
Jimmie Noone

ヌーンの持っていた美しい音色、高度のテクニック、豊かな歌心を抜きにしてはBG以下のスイング・クラリネット奏者達の誕生は考え難い。彼はメロディを美しくストレートに歌い上げ、アンサンブルにみごとなカラミをつけることを得意とした。史上に名高いヌーンのエイベックス・クラブ・オーケストラは、アール・ハインズのピアノを擁し、クラとアルトにリズムがつくというディキシーの範疇をまったく超えた異色の編成と内容を持っていた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

レッド・ノーヴォ (vib)
Red Norvo

ハーマンを辞した後ノーヴォは、ミンガス、タル・ファーロウといった有能な若手を起用して、当時稀にみるフレッシュでユニークな内容を持った異色のトリオを作ることに成功した。いまになって考えるとノーヴォの狙った線は意外にジョージ・シェアリングの小編成化にあったような気もするが、ミンガス、ファーロウの後釜にジミー・レイニー、レッド・ミッチェルを採用したあたり、そのタレント・スカウトぶりだけでも能坊(原文ママ)の才人ぶりは大したものであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

O

アニタ・オデイ (vo)
Anita O’day

アニタの欠点は声に甘さがなさ過ぎること、音域の狭いこと、音程がフラットしやすいこと、歌詞をあまり大切にしないこと等だが、彼女の持つ天衣無縫のジャズ・フィーリングと抜群無比のテクニックはこれらを補ってあまりある。シンガーによっては伴奏の編成が変わると真価を発揮出来ない人もあるが、アニタの場合はバックがフルであれコンボであれそんなことは一切無関係。音程の問題も、人生における音楽というものの存在意義を考えると、大部分の人が不快と感じない程度の乱れは問題にするには当たらねえ--と僕は豪快に考えている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

キング・オリヴァー (tp)
King Oliver

その昔ニューオルリンズのラッパ奏者達はこぞってその音の大きさを競い合ったというが、そういう単純な伝説が一番不似合いに思える人が、初代のジャズ王であったキング・オリヴァーである。オリヴァーのプレイは単純素朴であったがつねに歌心に満ち、当時としては珍しいミュート・プレイの名手でもあった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

キッド・オリー (tb)
Kid Ory

ニューオルリンズ・リヴァイヴァルのおかげで、我々は再びオリーの雄姿に接することが出来たわけだが、再起した老人達の殆どがそうであったように、オリーのバンドもリヴァイヴァル直後のものほど演奏内容が良く、後年のものは殆ど厚顔なユルフン・スタイルに堕してしまっている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

P

チャーリー・パーカー (as)
Charlie Parker

パーカーが最高の演奏を記録したのは、レコードで判断する限り四七年だと一般には言われている。レーベル別に言うならば主としてダイアル盤だ。ダイアル・レコ―ドはパーカーの死後、原盤が四散した形であちこちのマイナー・カンパニーから不完全な編集でLP化されていたが、近年イギリスのスポットライト・レーベルの手によって理想的なオーダーで覆刻され、これまで入手困難であったテイクまでが揃って陽の目を見た。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

モダン・ジャズの母胎となったビ・バップは、チャーリー・クリスチャン、ロイ・エルドリッジ、ディジー・ガレスピーら衆智の所産であったが、その頂点に立ったのがチャーリー・パーカーであったことは誰もが認めるところなのである。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

アート・ペッパー (as)
Art Pepper

比較的初期のアルバムの中ではジャケットは愚劣の極だが「Surf Ride」が仲々良く、パシフィック・ジャズに吹込まれた好演をセレクトした「アート・ペッパーの芸術」共々、充分推薦に値する小傑作であった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

オスカー・ピーターソン (p)
Oscar Peterson

ピーターソンという人は、たとえて言うならば超一流の大衆作家なのである。彼のプレイを支えるものは、その猛烈なドライヴ感と豪快なテクニック、泉のように湧き出てくる無限のアイディアだが、言うところの芸術臭はその作品にはいささか稀薄である。同時に彼の「手」はいつも同じだ――という不満がつねにつきまとう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

オスカー・ペティフォード(b)
Oscar Pettiford

ジャズ史上最も雄弁なベーシストは恐らくミンガスであろうが、ペディフォードもまた「退屈しないベース・ソロ」を聞かせることの出来る数少ない巨匠の一人であったしそれにもまして彼は最良のリズム・マンであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

バド・パウエル (p)
Bud Powell

混沌たる美と厳格の世界の深淵を何度か浮き沈みした挙句、一代の天才児バッド・パウエルは永遠に我々の前から姿を消してしまった。天才と狂人とは紙一重――という諺を文字通り一身に具現していたかの感があった彼は、この世の俗事とは相容れぬ病めるミューズの化身であったのかも知れない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

彼はドラマーにほとんどの場合ブラッシュを要求した。ルースト盤で最も速い演奏は、「インディアナ」だが、マックス・ローチのブラッシュ・ワークは見事である。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

R

ボイド・レエバーン (sax)
Boyd Raeburn

四四年の初めより約三年間、ボイド・レエバーン楽団は、ウディ・ハーマンに次ぐ進歩的な白人バップ・バンドとして、圧倒的な実力と識者の支持を誇っていたものだ。
ハーマン楽団のラルフ・バーンズに比すべき存在は、鬼才の名を謳われたジョージ・ハンディであったが、レエバーン楽団の有力な支持者としてデューク・エリントンの名が挙げられていたこともこのバンドの良識を物語る証左となろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ドン・レッドマン (arr,comp)
Don Redman

フレッチャー・ヘンダーソンとマッキニーズ・コットンピッカーズに各三年間在団し、ジャズの世界にビッグ・バンド・アレンジメントの礎を築いた偉大なるアレンジャー、ドン・レッドマンは、三一年に独立しホレス・ヘンダーソンの協力を得て野心に満ちた彼自身のバンドを結成した。しかし折からの不況の波は当然の如くレッドマン楽団にも押し寄せ、路標的名作「Chant of the Weed」に示された妖しいまでのレッドマンの才気は、次第次第に商業主義との結びつきの中に浪費されて行ったのであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

バディ・リッチ (ds)
Buddy Rich

誠に不思議なことに、この超人にしてこれまで代表作と呼び得るほどのレコードが全くなかったのである。TD時代の「Quiet Please」あたりが代表作というのではいささか気毒だし、ハリー・ジェームス時代の吹き込みにはジャズ的な興味をそそられるような企画はほとんどない。むろんレコーディング・コンボにリッチの参加した例は数多くあったが、これがまた意外と印象に残らないのである。ビッグ・バンドのバックを務めて光るメリハリのはっきりした彼のドラミングが、コンボ演奏において極めて味わいに乏しい、ただスイングしているだけの存在に終わっているものがほとんどなのである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

マックス・ローチ (ds)
Max Roach

ローチは最高級のジャズ・ドラマーであると同時に、ドラム奏者として真に意義ある作品を創造することの出来る数少ないリーダーの一人でもあった。六十年代になると、単なるミュージシャンとしての力量だけでなく、「ファイティング・ニグロ」としてのローチの存在が大きくジャズ界にクローズ・アップされてくることになるが、黒人差別問題に強く抗議するローチの熱意はついに「ウィ・インシスト」というジャズ史上かつて前例のない異様な作品となって世に問われた。僕個人としては、こうした政治的な意図を内蔵した作品というものをまったく好まないが、このアルバムに限っては、いつまでもカタログに残しておいて頂きたいような気がする。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ショーティ・ロジャース (tp)
Shorty Rogers

俗に言うウエスト・コースト・ジャズの三人のリーダー達ーーショーティ・ロジャース、ジミー・ジュフリー、シェリー・マンのうちで、良い意味で最も保守的な立場をとっていたのが、ロジャースであったが、ハーマン・ハードの嵐を巻き上げるようなブラス・セクションの一員として活躍し、その優れた編曲によって重いケントン・バンドを軽妙にスイングさせた彼ロジャースにとっては、演奏すること即ちスイングすることであったのかもしれない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ソニー・ロリンズ (ts)
Sonny Rollins

レスター・ヤング直伝とでも擬称したいようなーー緊張と寛ぎ、安定さと不安定さが微妙に混在しつつ全体として抜き差しならぬ構成をとって行くというユニークな発想と霊感は、常に「出来損い」に終わる危険と背中合わせだったからである。それだけに好調時のロリンズのソロは凡人の思案をはるかに超えた意表の起承転結によって聞き手を魅了したが、レスターに始まった「全体」と「その一部」に対する新しい解釈は、ロリンズの出現によってより俯瞰的なものとなってジャズ・インプロヴィゼーションの世界に一紀元を画したのである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

アドリブというものがロリンズによって、ここまで達成されてしまったら、このあと余人に何が出来よう。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

ジミー・ラッシング (vo)
Jimmy Rushing

声の張りや若さという点を考慮すれば、ラッシングの全盛時代はもちろんカウント・ベイシー楽団の専属シンガーだった頃であろうが、五十年代の半ばにヴァンガード・レーベルに吹き込むようになってからの彼の唄には、良い意味での甘さとレパートリーの広さが加わって、シンガーとして評価された場合のアームストロングに通ずるようなポピュラリティを持った存在となった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョージ・ラッセル (p)
George Russell

彼自身の作品系列を仔細に聞いて行くならば、複雑なリズミック・パターン、耳慣れぬハーモニーがジャズ伝来のルートと奇妙に混在しながら、次第に折衷されて一つのユニークなジャズ的表現法を形造りつつある過程に気づくはずである。無論、一度軌道からはずれた途端、ジャズとは無関係な世界へ突入しそうな危険性も確かにラッセルの音楽にはあるが、周囲に前衛グループの抬頭(たいとう)を見、また自身ピアニストとして飛躍的な成長を遂げることによって作編曲者と演奏者との間にあるギャップを埋めつつある昨今、「あくまでもアド・リブを重視し、テーマとヴァリエーションは対等の位置にあらねばならぬ」とする彼自身の信念が変わらぬ限り、将来主流派陣営の最前線に彼の名が浮かび上がる可能性もあるのではなかろうか。『ベートーヴェン・ホールのラッセル』(MPS)もそれを暗示していると思う。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ピー・ウィー・ラッセル (cl)
Pee Wee Russell

ピー・ウィー・ラッセルは「独立独歩」という言葉がいかにもピッタリと当てはまる巨匠の一人だが、ディキシー勢総崩れの感のある近年になってますますその真価が認められつつあるという不思議な存在である。これは別に彼がモンクやジュフリーと共演して少しも不自然さを感じさせなかったというフロック的な事実のおかげでなくて、自己のスタイルを唯一無二のものと信じて疑わぬその信念の強さが党派を超えての感動をもたらすものと解釈したい。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

S

バド・シャンク (as,fl,ts,bs)
Bud Shank

彼のプレイはいかにも白人的西海岸的なもので、その繊細で甘美なアルトが、ゴリゴリの黒人ジャズ万能の現在、ともすれば忘れられがちな存在になりつつあるのも寂しいながら当然のことかもしれない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

アーティ・ショウ (cl)
Artie Shaw

彼がスローで吹く甘いクラリネットは、テンポの速いものを苦手としていたBG(ベニー・グッドマン)を遥かに凌いでいたし、何よりもまず彼はリーダーとして野心的な人であった。有名になる前の弦楽四重奏団を加えた演奏やメキシコから帰ってきたときのストリングスを加えた美しい編曲、結果的には失敗に終わったがハープシコードのサウンドを小編成の演奏の中に持ち込もうとした大胆な試みなど、彼はいくつかの新しい試奏をジャズの世界に持ち込み、ロイ・エルドリッジ、ビリー・ホリデイ、ホット・リップス・ペイジ等を起用して人種偏見の壁を勇敢に突破しようともした。今日多くの人々から、スイング時代にジャズとダンスの間をウロチョロしていた群小バンド並みに扱われているショウ楽団の重要性を僕は改めて強調しておきたいと思う。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョージ・シアリング (p)
George Shearing

いまどきジョージ・シェアリングを讃える一文を発表したところで怪訝な顔をされるくらいがオチだが、わが国でMGMのSPが一枚一枚と発表された頃のあの新鮮な喜びを僕はいまだに忘れることが出来ない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

アーチー・シェップ (ts)
Archie Shepp

前衛ジャズというのは本質的な意味では皆ジャズ本来の伝統のなかに大きく根を張っているわけだが、そのなかではシェップのプレイのなかに一番具体的な意味での伝統を僕は感じる。だから彼がいまのようにテラッた立場を離れ一歩退いた地点で吹いたとしたら、コールマンの「Golden Circle」にも匹敵するような円熟した傑作が生まれるような気がしてならない。ジャズの歴史はつねに一歩前進、半歩後退を繰り返しながら、結果としては着実な前進を遂げて今日に至った。それを考えると、口角泡を飛ばしながらつねにトップの座を狙うばかりが最善の道でもあるまい。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ウェイン・ショーター (ts,ss)
Wayne Shorter

僕個人としては、二版三版を重ねても、なおこの小著にウェイン・ショーターの項を設ける気持ちにはなれなかった。別段もっともらしい理由があった訳ではない。ただ五十年代の中期から六十年代の前半を牛耳った他の偉大なるテナー・マン達ーーソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンといった人々の功績を考えると、殊更ウェイン・ショーターに乏しい頁を割くこともないと思えたからである。
しかしマイルスの許を去ったショーターが、ジョー・ザヴィヌルと組んで「ウェザー・リポート」なる奇妙な名前のグループを組んだ頃から、僕は現代の第一線音楽家としての彼の実力を本気で認める気になった。とりわけグループの名前をそのまま表題とした『ウェザー・リポート』という第一作は、ロックの跳梁に荒らされたジャズ界が、久々に態勢を立て直して過去二、三年間の音楽的決算をやってのけた感じの作品で、内外共に絶賛を博した。ただ難を言うならば、技法的あるいは録音技術的に、あまりに創られ過ぎているといった感じのする点で、実際に聞くこのグループのサウンドがいわゆるアート・ロック風の軽薄さをのぞかせる点と併せて、グループそのものに対する最終的な評価は、今少し先に持ち越した方が無難のような気もする。
ブルーノートに沢山あるショーター名義のアルバムもそれぞれにどこかに聞きどころは持っているが、一頃彼が傾倒していた黒魔術風の作曲は、所詮はキワモノであったように僕は判断する。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ホレス・シルヴァー (p)
Horace Silver

個人的な好みから言えば、僕はホーレスのあの子猫が手まりをもて遊んでいるような感じのピアノ・ソロをあまり好きではない。しかしコンポーザー並びにリーダーとしての彼の力量には脱帽する。第一彼の曲には「フシ」があるし、彼の率いるコンボには常にグループという表現がいかにもピッタリくるような同志的な雰囲気があった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ズート・シムズ (ts)
Zoot Sims

彼の全楽歴を通じて、前衛性という点ではシムスは一度も話題にのぼることはなかったが、よく歌いよくスイングするという点に関しては彼は常に抜群のソロイストであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ベッシー・スミス (vo)
Bessie Smith

それにしてもベッシー・スミスの描き出す世界の何と人間臭く何と苦悩に満ち満ちていることよ。いずれにせよ「ベッシー・スミス物語」を持たずしてコレクターとは名乗り得まい。

※ベッシー・スミス物語:ジョン・ハモンドの手により発売された10枚組のLPセットで、国内盤は油井正一の懇切丁寧なる歌詞付きの解説書が添付されていた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョー・スミス (ts)
Joe Smith

ビックスのエッセンスをそのまま黒人流に消化したようなデリケートでソウルフルな彼のプレイは、スイング時代の初期に咲いた白い一輪の日蔭の花であった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ウィリー・スミス (as)
Willie Smith

スミスのアルトはホッジスの艶麗(えんれい)なプレイやカーターの端正なソロに比してより力強くより華やかであり、往時全盛を誇ったランスフォード楽団最大のソロイストとしてスイング時代のアルト界に覇を競ったものであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

エディ・サウス (vln)
Eddie South

サウスのプレイには彼の最も良きライヴァルであったスタッフ・スミスの持つ荒々しさの魅力というものはなかったが、楽器本来の音色を生かした優雅で均整のとれた彼のソロは、彼もまたジャズ史上最高のインプロヴァイザーの一人であることを物語っていた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

マグシー・スパニア (tp)
Muggsy Spanier

いわゆるディキシー系の白人トランペッターのなかでは、僕はマグシー・スパニアが一番好きである。マグシーに最大の影響を与えたのはルイで、それも初期のホット・ファイヴにおける演奏のなかにマグシー・スタイルの根源を求めることが出来る。尤もマグシーという人は、かつて共演したテッシュメイカーがジミー・ヌーンのフレーズを真似たことに腹を立て、思わず小節の数を間違えたという伝説(二八年吹込みのシカゴ・リズム・キングスによる「There’ll be some changes made」の演奏)があるほどの硬骨漢(こうこつかん)であったから、次第にルイの影響を消化して、中音域を生かしたシンプルでソウルフルな独自のスタイルを築き上げるに至った。特にユニークなのがそのミュート・プレイであり、「Lonesome Road」のソロなどには最高の「泣き」がある。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

レックス・スチュアート (cor)
Rex Stewart

レックス・スチュアートの「カット・グラスの切り口を思わせる」と形容される研ぎすまされた鋭いアタックと、ハーフ・ヴァルヴを駆使した独自の奏法には、好き嫌いは別としてやはりジャズ史に残る名手としての風格がある。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ソニー・スティット (as,ts)
Sonny Stitt

ソニー・スティットはモダンの初期を飾る有数の名人の一人であったが、パーカーがなかなか死ななかったために(?)当然受け得べき栄誉を半分しか貰うことの出来なかった不運のミュージシャンであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

T

アート・テイタム (p)
Art Tatum

タイニー・グライムスとスラム・スチュアートを加えて結成された初期のトリオは商業的にもかなりの成功をおさめたが、僕はスラムのソロにはウンザリしているのでそれほど高く買う気にはなれない。やはり彼は生まれながらの徹底したソロ・ピアニストであったように思う。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

セシル・テイラー (p)
Cecil Taylor

キャンディドの「ワールド・オブ・セシル・テイラー」は、シェップの存在はオマケだが、スタイルを超越した凄みのあるトリオ演奏に圧倒される。新しい吹込みのうちでは「Conquistador」とJCOAに加わってのソロが群を抜いていたと思う。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジャック・ティーガーデン (tb)
Jack Teagarden

トロンボーンを真の独奏楽器たらしめた最初の巨人は言うまでもなくジミー・ハリソンであったが、その後を受けてスイング・イーラに君臨したジャック・ティーガーデンは、さまざまなバンド歴と数多くのディキシー〜スイング系のセッションを通じて、死ぬまでそのレイジーでよく歌うトロンボーンを雄弁に吹き続けた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

フランク・テッュメイカー (cl,as)
Frank Teschemacher

レコードに聴くテッシュの音は豊麗さとはほど遠いギクシャクした感じのもので、ドッズやヌーンの明らかな模倣すらときに顔を出した。しかしその裏を流れる彼の音楽に対する誠実さにはこれらの欠点を補ってあまりあるだけのひたむきな説得力があった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ラッキー・トンプソン (ts)
Lucky Thompson

ラッキー・トンプソンを嫌いだという人はいまでも多いが、これはその昔の彼のソロがまるでイタチが這い廻るみたいにモゾモゾした感じの悪いものであったからに違いない。
トンプソンはテナー・マンとしてはいわゆる中間派とモダン派の両特質を併せ持っており、スタイルとしてはレスターとホーキンスとのこれまた中間あたりに位する人である。ただしトンプソンの場合、その演奏りねんが極めて明快であり、「トンプソン・スタイル」という看板をオッ立てて進ぜたいくらいにユニークなのである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

メル・トーメ (vo)
Mel Torme

ジャズ喫茶でよくかけられた「Commin’ Home Baby」は黒人節をみごとに消化したメルの実力には脱帽するが、推薦LPとするにはいささか品格に欠け過ぎる。メル・トーメという人はやはりハイ・ブロウな企画で洒落たセンスと優れたリズム感を聞くべき人のように思われるがいかなもの(原文ママ)であろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

レニー・トリスターノ (p)
Lennie Tristano

クール・ジャズの全盛時代にその名を謳割れたトリスターノ・スクールの存在をジャズの歴史のアダ花にたとえては申し訳ないが、彼らの音楽は所詮は名誉ある孤独を甘受する運命にあったような気がする。
(中略)
比較的新しい吹込みのなかでは「Lennie Tristano(鬼才トリスターノ)」が好評を白舌が、「Line Up」や「Requiem」の感動を認めつつも、テープ操作によるトリックの存在を考えると虚心平意に溶け込むことの出来ない何ものかを僕は感じる。新しい音を求める探究心が演奏自体の自然の姿を侵食し始めたとしたら➖➖その結果をどう受け取るべきか、これは難しい問題であろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

マッコイ・タイナー (p)
McCoy Tyner

マッコイ・タイナーに対する僕の評価を一口で言わせてもらうならば、彼は「ちょっとしたピアニスト」だということだ。正直なところ、彼はそれ以上の人でもないし、それ以下の人でもないと思う。彼は革新的なコルトレーン・コンボの一翼を担っていたがために極めて短期間のうちに今の盛名を得たが、僕はかねがねその趣味の良いフレッシュなプレイに感心する一方で、彼が時代に先駆けた新しいタイプのピアニストであるとの風評をどうしても納得し切れずにいた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

V

サラ・ヴォーン (vo)
Sarah Vaughn

好き嫌いは別として「サラ・ヴォーン・ウィズ・マイルス・デヴィス』はコレクターズ・アイテムの価値が充分ある。ただしマイルスの参加に期待すると、スカ屁の様なソロが少々ーーでアテがはずれる。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

スイング・ジャーナル誌のディスク大賞でも、ボーカル賞が創設されて以降の15回のうち実に5回はサラが年間第一位で受賞している。エラとカーメンはそれぞれ1回ずつであるかところからみてもその人気のほどが証明されよう。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より

チャーリー・ヴェンチュラ (ts)
Charlie Ventura

ヴェンチュラ自身のテナーは決して感動的と評するほどの偉大なものではなかったが、バップの全盛時代、とかく難解とされたこの音楽を「Bop for the People」の旗印のもとに楽しく判りやすいものとして大衆に提供した彼の功績は、決して大げさではなくジャズ史に不滅である。
しかも「普及版」という看板にもかかわらず、そのコンボはコンテ・カンドリ、ベニー・グリーン、エド・ショネシーといった当時気鋭のミュージシャン達を擁し、ジャッキー&ロイというユニークなヴォーカル・チームをも傘下に収めて、ジャズ史に語り伝えられる幾つかの傑出したレギュラー・コンボにも劣らぬ素晴らしい人気と実力を誇っていたのであった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

W

マル・ウォルドロン (p)
Mal Waldron

マルが悲劇のシンガー、ビリー・ホリデイに捧げて吹き込んだ「レフト・アローン」がヒットして以来、この地味な、灰色の楽想を持ったピアニストは、完全にわが国ジャズ・ファンのハートを掴んでしまった感が深いが、全世界にかつて一度も華やかな話題にのぼることのなかったこの才人が、遠く東洋の地に多くの支持者を得たことは、意外であると同時に、ささやかな祝福を送らずには居られぬものがある。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ファッツ・ウォーラー (p,vo)
Fats Waller

ウォーラーのピアノはJ.P.ジョンソン直伝の奏法に力強さとユーモアを加えたスケールの大きなものだったが、そのヴォーカルもまた無類に楽しいもので、ときに破目をはずし過ぎるきらいはあったが、エンターテイナーとしてのファッツの名声を高めるには恰好の武器であったろう。いずれにせよ、その優れた才能を媚の衣に包んで売らねばならなかった昔の黒人ジャズメンの習性は悲しかった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ジョージ・ウォーリントン (p)
George Wallington

ピアニストとしての格から言えば、同時代に活躍したアル・ヘイグの方が明らかに上である。「格」などと曖昧な表現を使わず、あっさり「実力」と言ってしまってもよい。しかし今、アル・」ヘイグの名を知らぬ若いファンは多くとも、ウオリントンが残した幾枚かのハード・バップのアルバムを耳にしないヤング・コレクターはまずあるまい。ジャズ・ジャーナリズムの誘導ということを頭に入れたとしても、なお且つ、人気という不可解な代物の持つ魔力には驚かざるを得ない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ルー・ワターズ (tp,arr)
Lu Watters

ワターズはサンフランシスコに住む一アレンジャー兼トランペッターに過ぎなかったが、ニューオルリンズ・ジャズの熱心な信奉者であり、キング・オリヴァーズ・クレオール・ジャズバンドの楽器編成とレパートリーを範にとって、忘れられていたオリヴァー楽団の演奏を徹底した分析と研究のもとに再現して見せたのである。
こうしたワターズ一党の試みは、やがて「サンフランシスコ・スタイル」なる称号のもとに爆発的な人気をもってファンに迎えられ、次いで埋もれていたバンク・ジョンソンやジョージ・ルイスが発見されてニューオルリンズ・リヴァイヴァルはジャーナリスティックな話題にまで発展していくわけだが、今日バンクやルイスのレコードを集める人こそあれ、ワターズ自身の吹込みには、ほとんどのファンが無関心であるという事実は、再現ジャズの持つ宿命であったとは申せ、庇(ひさし)を貸して母屋を取られた以上の皮肉を感じずにはおれぬものがある。
ワターズのYBJBが演じたジャズは確かにオリヴァーの手法の模写ではあったが、明快な独自のトゥ・ビート、強いアタック、規則正しくオン・ビートで演奏するホーン隊の存在ーーといったところに僕は彼らなりの創意を感じるし、それにもまして往年のオースティン・ハイスクールの青年達に通ずる、黒い巨人達への心からなる敬意と憧憬をを察知せずにはいられない。こうしたアマチュアイズムにも似た情熱こそジャズの演奏にとって最も大切なものだと僕は思うのだが……。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

チック・ウェッブ (ds)
Chick Webb

ご存知の通りチックはセムシのドラマーであった。従って彼が豪快無双のドラム・ソロによって挑戦者を一蹴するという可能性は、肉体的条件から言ってもまずなかったと言って良い。それどころか現在入手可能なこのバンドのLPを聞いてみても、ウェッブ自身の存在が時に消え入らんばかりのつつましさでリズム・セクションの全体のなかに埋没していることすらある(レコードで聞く限りにおいてはチック・ウェッブ楽団のリズム・セクションもカウント・ベイシーのそれと同じく四者一体となってのスイングを心がけていたかのように思われる)。
では、抜群のソロイストにも恵まれていなかったこのバンドの常勝の秘密はどこにあったのか?  それは恐らくリーダのチックがジャズ史にも稀な「ツボ」を心得たドラマーであり、最少の刺激によって輩下のジャズマン達を最大限にジャンプさせるだけの曰く言い難い秘法を身につけていたためであろう。チックのドラミングを最新の録音技術で捉える術はもはやないが、驚異のテクニックと絶大なヴォリュームを叩きまくるばかりがリズム・メイカーの目標ではないことをチックは身をもって実証していたかの感がある。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ベン・ウェブスター (ts)
Ben Webster

一頃ベンは表現がオーヴァーに流れ、僕など「蒸気機関車が動き出したみたいだ」とか「ブレス漏れをきかせてるのか音を聞かせてるのか判らぬ喃(しゃべり/ナン・ダン)」などと悪態をついた者だが、最近の彼はまた元の抑制された好ましい奏法に戻っているようだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ディッキー・ウェルス (tb)
Dicky Wells

特徴あるヴィブラートを生かした詩情溢れるウェルスのソロを古き良き時代のジャズに対する憧れをオールド・ファンの心の奥底に呼び起こさずにはおかぬものがある。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

ランディ・ウェストン (p)
Randy Weston

モンクの影響を巧みに消化したウェストンのピアノ・スタイルはデビュー当時からすでに識者の注目を集めていたが、「Hi Fly」を代表作とする作曲家としての才能も第一級の賛辞を捧げてよい優れたものである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

リー・ワイリー (vo)
Lee Wiley

七二年度のニューポート・ジャズ祭において、往年の名花リー・ワイリーは見事にカムバックを遂げた。(中略)どちらかと言えばオールド・ファッションに過ぎる唱法が七十年代の聴衆達を満足させたという現実は極めて暗示的であった。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

トニー・ウィリアムス(アンソニー・ウィリアムス) (ds)
Anthony Williams

マイルス・コンボに加わって演奏したときのトニーは、誇り高きリーダーの好みを反映してか、意外と常識的なラインに沿った演奏にとどまることが多かったようだが、数多いブルーノートのセッションに耳を傾けるならば、この若きドラム界のプリンスが一ドラマーの域にとどまらない進歩的なリーダーシップの持主であることに気づくはずである。
(中略)
独立後の彼は意外にも、喜喜としてロックと手を結び、潜在的なパルスを巧みに生かしたユニークなドラム・ソロと洋々たる前途への可能性を自ら一時放棄した形になって旧来の彼の支持者達を悲しませた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

クーティ・ウィリアムス (tp)
Cootie Williams

クーティ・ウィリアムスをフィーチュアしたエリントン楽団の傑作「Concerto for Cootie」はあらゆるジャズ・レコードのなかで僕が最も好きな演奏の一つだが、そのほかにも彼がエリントン楽団、グッドマン・セクステット、ハンプトンのレコーディング・コンボなどに加わって残した傑作ソロは枚挙に暇がないくらいだ。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

メリー・ルー・ウィリアムス (p)
Mary Lou Williams

彼女はアール・ハインズから大きな影響を受けブギー並びにブルースの名手として名をなしたが、時代の変遷とともに少しずつスタイルを変え、コンテンポラリー・レコードから「M.L.Williams」というアルバムを出すころには、モンクやバッド・パウエルの影響さえ巧みに消化�て我々を驚かせた。ただし巷間伝えられるほどには僕は彼女のモダン・スタイルを高く買っていない。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

テディ・ウィルソン (p)
Teddy Wilson

ウイルソンのピアノはアール・ハインズの影響を顕著に受けている。これは疑いようのない事実なのだが、BG時代の演奏だけを聞いていると、一聴ハインズとは無関係なピアニストだという感じを受けないでもない。それと言うのもBG時代のウイルソンは、ハインズより得たエッセンスを思い切ってソフィスティケイトしたイディオムで弾いているためで、ウイルソンがまだベニー・カーターのバンドに加わって演奏していたころのピアノ・ソロにはハインズの影響が明白に現れている。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

レム・ウィンチェスター (vib)
Lem Winchester

ウエス・モンゴメリーに通じるブルージーな感覚をモダン・ヴァイブの世界に持ち込んで初めてミルト・ジャクソンの不敗の王座に迫ったレム・ウィンチェスターは、つまらないイタズラがもとで六一年に世を去ったが、その生前幸運にもプレスティッジその他のレーベルにかなりの数の録音を残していた。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

カイ・ウィンディング (tb)
Kai Winding

J&Kはつねにノヴェルティに堕する危険性を内蔵していたわけだったが、二人の高い音楽性は厳としてコマーシャリズムの侵襲を払拭し続けてきた。あらゆる可能性を探求した後にこのコンボは円満解散の道を辿ったが、こうした事実も離合集散の激しいジャズ界では異例の出来事であったろう。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

Y

レスター・ヤング (ts)
Lester Young

フランキー・トラムバウアーのC・メロディー・サックスとジミー・ドーシーのアルトにひかれたというレスターの音は、小さく滑らかであり、しかもほとんどヴィブラートに欠けていた。あるいは正確には「あとヴィブラート」と言うべきかも知れないが、こうした音色の上での特徴に加えて、リズムへの「乗り」がまたレスター独特のもので、ためにフレーズが予期せぬところで、つながったり切れたりし、これが従来のジャズには聞かれなかった新しい「寛ぎ」を生み出した。レスターはまた一聴退屈とも思えるフレーズを吹くことを決して恐れなかった。長く伸ばした同一音の繰り返しのあとには必ず躍動するようなフレーズが現われて単調さを救い、凡手が一瞬のうちに絶妙の布石に変わるというスリルを生んだ。こうしたレスター独自の発想法は、後年ソニー・ロリンズに引き継がれてモダン・ジャズの世界のなかに再び開花している。
しかしレスターのテナーは同時代のミュージシャンにとってはあまりにも新奇すぎたとみえて、彼の出現後もホーキンスに連なるテナー・マンた達のプレイには動揺のかげはなく、その影響力はスイング時代を超えて遠くモダン・ジャズの隆盛期を迎えるまで持ち越されたのであった。
アレン・イーガー、ワーデル・グレーといったバッパーに続いて、スタン・ゲッツに代表されるクール・スクールの若手達は、レスターのトーンと、それにもまして、彼一流の嫋嫋(じょうじょう)たるたるフレージングの魅力に傾倒した。しかもこうした個々のミュージシャンに対する感化ばかりでなく、ある意味では、レスターの影響力は、マイルスの九重楽団に始まる当時全盛のウェスト・コースト・ジャズの世界にも浸透して行った感があった。なぜなら、西海岸派の有力なリーダー達は、彼らの野心的な吹込みを終えるに当たってしばしば「レスターの持っていたトーンと寛ぎを目指した」と語ったからである。

粟村政昭『ジャズ・レコード・ブック』より

それほど重要なレスターのスタイルが他のプレイヤーを動かすのにたっぷり10年を要したのは、あの弱々しいサウンドに問題があったように思う。彼の絶頂期と言えるベイシー楽団時代ですら、彼の革新的スタイルな万人に注目されたものではなかった。

油井正一『ジャズ ベスト・レコード・コレクション』より