昭和49年『ジャズ批評』No.18に掲載された「ジャズ・ジャーナリズムをめぐって~もしくは現代ジャズ・ファン論」(text:中山信一郎)を紹介しています。
コメント
TAKESI0506さんからのコメント。
中山信一郎さんは5年前に81歳で亡くなられたようですけど、85年のスイングジャーナルの“デスマッチシリーズ”で、原田充さんがソロ・モンク、中山さんがコンボ・モンクとして、対戦しています😅 長くなるので、中山さんの文を載せておきます。
宣戦布告
モンクの音楽をめぐってソロかコンボか、といった論争が可能になったのは、まさにモンクス・ミュージックが持っている独創性、あるいは強烈な個性ゆえであろう。モンクの妥協のない厳しいジャズは、それ自体、天空にそびえる孤高の彫像を思わせるものだ。そこからモンクの場合は、ソロ・ピアノがあればよいとするファンが生れるのも無理のないところであろう。正直言って、僕もモンクのボーグ盤や「イン・サンフランシスコ」は生涯のベスト・テンに入れてもよいと思うくらい好きである。だから、これからの論述は、あえて言わせてもらうことになるのだが、モンクの芸術のすべてを通してソロが示す比率は、おそらく10%くらいのものであり、あれだけ、すばらしいソロ集を出していながら、モンクがソロ・コンサートを行ったこともきいていない。ジャズ・ファンなら誰でも知っていることだが、ジャズの真の面白さは、集団による即興演奏にあるわけで、モンクもそこのことをよく知っていた。モンクの場合も、ソロはあくまで彼の音楽の裏側の一部を見せてくれたものであり、その裏側を掘り返して真のモンク芸術なりを主張するのは、ジャズ・ファンにはよくあるマイナー好みの、趣味的な論にすぎない。モンク音楽の革新性は、日本人のマイナー好みのジャズ観を破る躍動感あふれるものである。戦力比較
グループ表現におけるモンクの代表作は「ブリリアント・コーナーズ」と「モンクス・ミュージック」にとどめをさすであろう。この2作品は、50年代という枠を超える超ド級の傑作である。当時の名作たるロリンズ、ミンガス、ローチ~ブラウンの作品と比しても、この2作品にある迫力、スリル、音楽構成、スケールはズバ抜けたもので、集団演奏におけるジャズ形式の頂点を記録したものだ。さらに痛恨事は、57年、久しぶりにキャバレー・カードを手にしたモンクがコルトレーンを入れて『5スポット』に長期出演するが、その時の演奏が記録されていないことだ。僕らは、このカルテットのスタジオにおける3つの演奏及び1年後のジョニー・グリフィンとの白熱の演奏を耳にしてここに展開されたであろう演奏を想像する。というのも57年の演奏によってモンクは、初めてその真の姿を見せたわけで、この記録が残っていれば、先にあげた大傑作と合せて、モンクが志向するジャズがいかなるものであったかをより明確に知ることが出来たであろう。これまでに吹込まれたアート・ブレイキーとのトリオやロリンズとの共演によっても、モンクはそれなりに柔軟なピアニストであることを証明しているが、この50年代中期において彼の音楽の真骨頂は、スモール・コンボによる即興演奏であり、グループによるダイナミックな表現であった。攻撃開始
おそらく原田氏は、モンクとチャーリー・ラウズとの長いコンビによるマンネリズム化をついてくるであろう。60年代、「モンクよ、ラウズと手を切れ」とか、「このカルテットは死んでいる」といった評があちこちに出た。確かにラウズは二流の人である。二流であったがモンクとの交友は20年に及んでいるし、モンクにとってはかけがえのない友人でもあったろう。自分の人生を深く永く維持していくためには、本当の友人が必要である。ラウズは、師たるモンクの音楽を表現するために黙々とプレイを続けた。「モンクス・ドリーム」「クリス・クロス」「ストレート・ノー・チェイサー」などの作品は、50年代の衝撃度にはとぼしいが、愛すべき作品である。モンクは自らのスタイルを変える人ではない。むしろ〝マンネリズムに耐えることの出来た偉大なピアニスト”であった。世の中には絶えず変化を求める人間がいる。一般にはその変化や冒険が華々しく見えるのであろう。モンクの音楽に対して、スリルに乏しい、変化がないといった評を下すのは、モンク全体の芸術を理解していないのだ。一人の芸術家の全作品を通してある時期の失敗作やスランプがあったとしても、それらの作品をすら愛をもって聴けば「決して駄作でも失敗作でもなく、彼の成功作を補う作品」であることが理解されよう。
決定的一撃
モンクはレコードでもコンサートにおいても、1曲くらいピアノ・ソロを弾いている。〈ジャスト・ア・ジゴロ〉〈ボディ・アンド・ソウル〉〈ドント・プレイム・ミー〉といったモンクの至芸は、なるほどすばらしい。単なる余技ともいえない芸術的な感動を与えている。最初に述べたように僕もモンクのソロが好きである。立場が逆転すればあるいはソロ・ピアノ擁護論に変わりかねない。
だがモンクの歴史を見ていくと、モンクはあくまでもダイナミックで太くたくましい音楽世界を創ろうとしていたことが理解出来るのである。モンクの代表的な演奏である〈ミステリオーソ〉〈エピストロフィー〉〈リズマニング〉〈フォール・イン・ワン〉といった演奏のすばらしさがあって、ピアノ・ソロもひきたっているのだ。モンクのソロ演奏は、彼の全作品、彼の演奏活動のなかでほんの一部を形成していたにすぎない。僕の尊敬する映画作家ルイス・ブニュエルは『愛する場合には、すべてを。愛さなければ何も』といっている。モンクのすべてを愛する僕は、むろんソロ・ピアノも愛している。同様にモンクの被るさまざまの帽子も愛している。好きなミュージシャンであれば、すべてを愛したいのが自然であろう。だから、モンクのピアノ・ソロに文句を言っているのではない。ソロだけがいいと主張する偏狂的なファンを批判しているのだ。捨てゼリフ
原田充氏とは2回くらいしかお会いしたことがないが、僕らが発刊していた「モダンパルス」にも寄稿してくださった好人物で、かつて中野で一番おいしいという中華そばをご馳走になったこともあり、個人攻撃は極力避けたいところだ。が、美に対しては偏食家であられるようだ。それに、決してジャズメンに対して使ってはならない言葉をあえて店名にしたのは、彼の天邪鬼精神なのか、商魂なのか。僕の方は、すなおにモンクの名曲を店名にしているのだが、数年前、中華そばをご馳走になった夜のことだった。日本で最もモンクの理解者である渋谷毅も一緒で、ほどよく酔った渋ヤンは、早速、原田氏の店でソロ・ピアノを披露することになった。そういう時の渋ヤンのピアノは、これまた比類のない、美しさを誇るものであったが、原田氏は、彼のピアノをほとんど聴いていなかった。そればかりか、その頃まったく仕事のなかった渋ヤンに仕事を与えることもしなかった。そんな人にモンクのソロだけを愛する資格があるだろうかという疑念をぬぐいさることが出来ない。僕が渋谷毅に魅かれたのは、この世にモンクがいて、モンク芸術があったからだ。今回の論争は、原田氏にしても苦しい心境であろう。僕は、自分の立場を明らにしたように、モンクのすべてを愛する者であるから、モンクのソロにケチをつける気はない。編集者の軍配
今回の勝負、少差で原田氏の勝ち。多少分のいいソロの方がやりやすかったかもしれません。中山氏もコンボ・モンクのよさを再認識させてくれてお見事でしたが、ソロ・モンクヘの思い入れを断ち切れなかったところに敗因がありそうです。85年の図書新聞に掲載されて、寺島さんや後藤雅洋さんの怒りを買った鍵谷さんの「ジャズ界よ、震撼せよ! ジャズジャーナリズムに苦言を呈す」には、このデスマッチについても書かれてます。
「スイングジャーナル」誌が週刊誌まがいのVS方式で、故意かまたは作為で設定した紙面作りには、発想の貧困さが見えすいていただけない。モンクのソロとコンボのそれのいずれがよいかをめぐって、中野のジャズ喫茶ヒアズレーのオーナー原田充氏と鹿児島のジャズ喫茶パノニカの中山信一郎氏がわたり合っている。原田氏はソロ、中山氏はコンボのモンクをよしとして対戦しているが、これなどリングの外から見ていると、少々滑稽で片方は相撲、片方はボクシングをやっているようで失笑を禁じえない。原田氏の豊かなジャズ知識にはいつも敬意を払うし、氏のディスコグラフィーを中心としたプライマリーソースの正確な把握には、ぼくなど教えられることが多い。
いつもありがとうございます。
中山信一郎氏、『スイングジャーナル』の「デスマッチ」にも参戦されていたんですね。
私はまだこの時期はジャズを聴いていなかったので、この「バトル企画」は知りませんでしたが、当時の『スイングジャーナル』誌上は盛り上がっていたんでしょうね。
この「デスマッチ」が誌上をにぎわせていた頃は、プロレス好きの中山さん(康樹さんのほう)が編集長の時代だったんでしょうか?
TAKESI0506さんからの返信。
そうですね、中山康樹さんの編集長時代ですね。
中山信一郎さんは64年のスイングジャーナル読者論壇に「密室のジャズ―また虚音からの脱出~ジョン・コルトレーン論」という文章を寄稿しています。氏が28歳のときで、雑誌に載った初めての文章ではないかと思います。
c
kamaichi2002さんからのコメント。
これが発売された昭和49年、私は16歳、高校二年生だったと思います。たしかに、ジャズは「修行」でした。ジャズ喫茶はまさに「道場」。このころから鎌倉の「IZA」に出入りしていました。この店はマスターはおおらかな人でしたが、客層はシビアな大学生が多かったですね。へたなもの(ご想像にお任せしますww)をリクエストすると舌打ちの音が聞こえてきて怖かった思い出があります。
18歳ごろ、ここで酒を飲むことを覚え、そういう修行はどうでもよくなりましたがね(笑)。
酔っ払ってアイラーの「ラスト・レコーディング」をリクエストしてハイになっていたことを思い出します。
そのおかげで浪人するはめになりましたがface-pink-tears…。
私が今回読んだ本は、かまいちさんが高校生の時に購入された「号」だったんですか。
マセてるな~w
で、酔っぱらってアイラーをリクエストして浪人ですか~。
青春だな~w
いいですね。
ジャズですね。
私が学生の頃のジャズ喫茶には、もはや「修行」のような雰囲気はなく、あ、もちろん「一人スパーリング」しにくるお客はいましたけど、どちらかというと「ガチに議論」「真面目なジャズ論」を持ち出すような人間は「野暮だなぁ、青いなぁ、(対応するのが)面倒だなぁ」といった雰囲気があったような気がします。
「そんなこと基本的なことは分かっているよ、何をいまさら」みたいな醒めた感じですかね。
だから、ジャズに入門したてで、「これってジャズなんでしょうか・!(たとえばパット・メセニーなんか)」「やっぱり原点はパウエルとモンクですよね!?」なんて鼻息荒く質問してくる私の姿は、きっとスタッフからは野暮ったく青臭い学生に見えたんだろうなぁ(苦笑)。
博 橋本さん⇒kamaichi2002さん
kamaichi2002 さん 失礼いたします。
昭和47年〜49年頃には主に日曜日でしたが、月に1、2回「IZA」にお邪魔していました。
真っ直ぐに上まで登っていく、あのビルの階段を思い出しました。
列車の座席の様に並んだ列の外れが好きでした。私は舌打ちはしていません😅
一度くらいはすれ違う様な事も有ったのかも😅
いつか『爆音Room』にお邪魔してみたいです😊😊😊
kamaichi2002さん⇒博 橋本さん
おお! そうでしたか。絶対すれちがっていますね。なつかしいですね,IZA。
いまは、近所の手前もあり「爆音」ではありませんが、手作りのアンプとスピーカーでお迎えいたしますので、お時間のあるとき是非いらしてください。歓迎いたします。拙宅は何にもありませんので、ご自分の飲み物と食べ物ご持参でお願いいたしますw。
博 橋本さん⇒kamaichi2002さん
お招き有り難うございます。
すぐには叶いませんが、楽しみにしています。
高松貞治さんからのコメント。
今度の最新のジャズ批評、いつものように買いますが、高野雲さんのページ楽しみにしてますよ😂それにしても、マイク・モラスキーさんと話をしたというのはすごいですね!
話した時間は10分前後でしたけどね。
身の上話とか、ピアノの話とかです。
そして、山下洋輔が好きだという話に流れ……
Jさんからのコメント。
そうそうマイクモラスキーさん 一度読みました 本は どっかいきました~ 確か修士論文だったような
中山さん 岩浪さんおもしろい(≧~≦))ププッ ま 雲さんの徒然草が よか~ J
後編
こちらが後編です。
なるほど、『キネ旬』ね。
コメント
高松貞治さんからのコメント。
「キネマ旬報」昔はどうだったか知りませんが、今はゆるい雑誌ですよ!最近良かったのは、ゴダールの追悼特集したぐらいです。ジャズ批評に匹敵する雑誌そういえば私は「ミステリーマガジン」を押したいです。新しい企画を作ったり、発売されて目を離した隙にすぐに品切れなってしまうところなんか似ていますね!この前、高橋葉介の特集の7月号、買いそびれてもう高くなってしまって買えません😢高橋葉介の大ファンだったのに😭
『キネ旬』は、ほとんど読んだことがないのですが、やっぱり時代の流れで編集方針や誌面のテイストはどんどん変わっていくのが生き残る雑誌の宿命なんでしょうね。
永井勉さんからのコメント。
これはどうじゃ、ベムシャは揺れるじゃ・・
モンクをコピーオマージュするという、どでかい壁
に立ち向かう62歳のおやじだ・・・
どうだ雲・・・今日、5時間も掛かったんだぞ・・・泣くKawai Andyさんの評価ももらっているぞ・・・!!
モンクは言うなよ・
既に7時間前にコメントいれとるぞ・・・!!
主旋律の音色以外には、あまり「くる」ものはなかったですね(率直な感想)。
もっとテンポを落とせば、もう少し新鮮で、違う聞こえ方になったのかもしれません。
しまった、モンクいっとるわ(笑)。
永井勉さんからの返信。
素直な意見ありがとうございます・・・WWWW😅😅😅
確かに 置きにいっている音源です・・
・・・迷わずモンク道を切り開いていきます・・・
😅😅😅
ドロマスさんからのコメント。
雲さん✋
前編後編と聞き応えありましたよー🤓
ジャズ道‼️
食うか食われるか❗️
四谷派の使い手か吉祥寺派の使い手かーっ 笑
昭和49年のジャズ批評 熱いですね。。
日本のジャズもムンムンと熱い頃ですよね。
その頃小学生でしたが、10年後にはジャズ喫茶通いをしていたので、ギリギリ-ジャズ道-たる最後の方の道を少し歩いたような気がします😅
刺客を送り込まれてもバッサリと一刀両断するマスターがあちこちにまだいましたねー✨
切られに行ってましたー笑
へぇ、道場に「たのもう!」してたことがあったんですか?!
どんな議論をされてたんですか?!
興味あります。
話変わって、今度、ジャズ道場ドロシーに「たのもう!」しに行っていいですか?!(笑)
「ドロシー」なだけに「泥試合」になりそうですが……。
そして最後は「ドロシー愛」で乾杯!という流れがいいですね。
というか、単に酒呑みたいだけですが😅
ドロマスさんからの返信。
残念ながら~時は流れ…私にとってのジャズおやじの方々はご引退なされ外に呑みにでなくなった方や空の上へ旅立たれた方々が多いですね。。💧
「なんでミンナミンガス聴かねぇんだーっ🔥」と いつも酔っぱらって怒ってたマスターは死に水とらせていただきました。亡くなって30年以上経ってしまいましたが…会津若松の名店「5スポット」です。
とばっちりを受けて良く怒られ、飲み物作ったり洗い物したり(喜んで😅)してましたー笑
当店に威勢よく「たのもー」的なお客様は最近はほとんどいませんね…
だいぶ前に「ジャズは大好きですが、熱くジャズを語る方は苦手でして…」と面と向かって言っちゃた方はいましたね😅
そのマスター、最高じゃないですか!
お店の名前も素晴らしい!
ミンガス、ファイヴ・スポットl
なるほど、ドロシーのマスターはそのような素晴らしい方とお店で修行をされていたんですね。
なにげにジャズ侍じゃないですか。
人力飛行機さんからのコメント。
冒頭。雑誌のアンケートというか。批評家諸氏に雑誌が依頼する原稿の話が出るわけですが。「My Best Jazz 2022」を5枚、再発モノやdownloadも含めて、「あなたが良いと思った5枚を選んで原稿を書いてください」とか。その悩みが話されるんですが。そういうのってどういうんですかね。雑誌側の依頼する仕方がもう問題な気がしますね。私が仮に編集者なら、件数の制限はない。あげたいだけあげてよし。1件もないならそれでもよし。にすると思いますけどね。あと、bestだけじゃなくWorstもあげたら面白くなるんじゃないか。特にWorstは理由もあげて。「前作よかったので期待したが・・・・」とか。「この日じゃなく別の日のほうが良かったのに」とか。「どこがComplete~だ!怒」とか。あと一応雑誌が「ジャズ批評」ですけど、そこも制限つけないほうがよくないか、という。ジャズじゃないけどあげたいものがあればどうぞという。“あの人あんな作品も聴いてるの?あんな映画も視てるの?あんな本読んでるの?”というのがわかると面白い。「高野雲氏って中岡俊哉の本とか読んでるの?ウソでしょ」とか。
途中から中山信一郎さんのtextの紹介と感想に入っていきます。これがまた面白いtextですね。ただ今text聴いてると、時は流れたり。の感が強い。29:40「ジャズを聴くことに壮大な意味づけ」て言われると、ジャズ批評ってずっと、あるいは今でもそういうことだって思われてたり、してますよね。それも面白いといえば面白いんだけど。以前タモリと大西順子がNHKでジャズ紹介の番組を4夜連続でやってて。YouTubeでもUPされてるんだけど、タモリのそこでの役回りがいかにも物足りなくて、純粋ジャズファンじゃない自分でも「もっと堅いこと言えばいいのに」と思ったくらいで。あまりにジャズを語るときにタモリ的に柔らかいと逆に物足りないというのもあります。
14:52「芸術だって?ジャズは芸術でもエイターテメントでもない。ジャズはjust jazzさ」ていう宣言が出ますけど。しかしそういう区分けはともかく、奏法や音階や楽器が確立されてる以上、ジャズかどうかは耳で判断できるといえばできる。それを継承する人もいる。その継承を“伝統芸能”と言ってる人もいる。確立されてるからこそ『BLUE GIANT』みたいな漫画にもなる。日野皓正が若い演奏家つれて数人連れてライブやってYoutubeにUPされてますけど、あれって大丈夫なのかと思わないこともないですね。いかにも日野ジャズ学校の卒業生。ジャズ学校ってことは、教える側と学ぶ側ですでに決まった枠が成立してるってこと。ジャズってそういう、すでに決まった枠があり、そのなかでやるもの、少なくともあの場所では。そこの進化とか退行とか、停滞とか、どう考えてるのか。考え込んでしまう。あと、これは私の仮説ですが、ジャズが発展してきた背景には、音楽家の内面からのあるいは生活環境からあるいは社会的環境からの、劣等感というか、コンプレックスがあったんじゃないかと思えるんですね。勉強しなきゃいけないとか、知的な遊戯であるという側面。黒人があの発展の立役者であった。黒人が寄与したという歴史の意味にそこを感じるんですが。その、ただの音楽ではない、知的な遊戯であるという側面が、一大特徴であって。知的な人がリスナーでも集まってくる。知的でなきゃいけない、というのがバネでもあれば足かせでもある。いまだにその二重性があると思います。
その通りだと思います。
>ジャズが発展してきた背景には、音楽家の内面からのあるいは生活環境からあるいは社会的環境からの、劣等感というか、コンプレックスがあったんじゃないか
>知的な遊戯であるという側面
>知的でなきゃいけない、というのがバネでもあれば足かせでもある。