植草甚一と宝島

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先日、「ダラダラ喋り~コルトレーン、モンク、植草甚一、寺島靖国…ほか」というタイトルの動画をアップしました(こちら)。

この動画に、視聴者の皆さまよりいただいたコメントに対してのアンサー動画をアップしました。

コメント

ドロマスさんからのコメント。

「植草甚一コラージュ日記」-東京1976-を久々に開いてみました。
1976年の1月から7月までの全日分の緻密な行動日記です💦
せっかくなので、1976年の今日(4/19)のところを~
「起きてすぐ原宿の事務所アイランズへ行く。その手前の田島でアクセサリーをのぞく。高平さんとTBSへ。終わってから服屋のジョージ五世により、鳳月堂で食事した。渋谷に出て正進堂でニューヨーカー10冊、ハーパーズ5冊。新しいバックナンバーなので喜んだが、1750円とは洋古雑誌も高くなったなあ。以前なら400円程度だった。石井さんのところで23冊(7200円)。重かった。」
以上。
こんな具合に、目覚めて何処へ行った、何を食べた、何を買った、誰と電話で喋った、、といった内容がほとんどなので興味持って読める部分は少ないのですが…💦たまーに、同じ日付のところをペラペラとめくったりしています😅
67~8歳あたりの日記と察しますが、フットワークの軽さと行動力は若さみなぎってますね。晶文社、宝島、片岡義男さん…のくだりがよく出てきたような~
長文失礼をば🙇

安原顯の日記みたいですね。
『上野桜木ジャズ日記』みたいな。

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龍 大阪さんからのコメント。

コメント返しありがとうございます。最近アマゾンリーディングで無料で読める本で喜多川泰さんの小説とかエッセイを何冊が読んでたんですが、「本当にその会社の仕事に興味があったら、内定が決まったら無償でお手伝いに行ったら良い。きっと皆に喜ばれる」みたいなことが書いてありました。雲さんのようにアルバイトでやっているうちにそこに就職してしまうというのも、同じ感じなんでしょうね。エピソードを聞いていて、雲さんの頭の回転の速さ、センスの良さ、記憶力の良さに脱帽します(いや、ほんとにそう思う。でもジャズにハマったため、億万長者にはなれなかったんですよねw)
JICC出版局の功績のひとつとしては、マイルスの自叙伝を出したことですね。翻訳が中山康樹さんで装丁も最高だし、たぶん部分読みを含めると100回以上は読み返しています(今、手元にあるのは上巻が初版本で、下巻が文庫本という、なぞの組み合わせ)。どのページをめくってもエモい言葉が飛び込んできて、そのまま続けて読んでしまう麻薬のような本です。前田日明氏がどこかで、「この本は感動ではなくて感激が書いてあるんだ。すべてが感激で書いてあるんだと」評していましたが、ウマイこと言うなあ。
マーカス・ミラー話のオチは、当時流行った「なんとなくクリスタル」に乗っかって、「Just The Two of Us」の邦題を「クリスタルな恋人たち」にしたということ。バブル経済に浮かれた感じの曲名がイラっと来る。でも、イントロのスチールドラムっぽいキーボードのキラキラした感じが「クリスタル」感を出しているんで、曲の雰囲気を原題よりも表しているともいえる。
マーカスは20歳にGRPレコードに所属して本格的にプロ活動を始めたらしいが、参加したレコードでスマッシュヒットしたのが、「クリスタルな恋人たち」というわけです。丸サ進行がどうこうよりも、このレコードが売れたのはマーカスのベースの存在感が8割だと思ってます。
話はぶっ飛びますが、1983年問題というのを提起します。
この年になにがあったかと言いますと、ヤマハがDX-7というシンセサイザーを出したのです。ジャズ系の本とか全部目を通してるわけではないので、確証はないのですが、DX-7の登場とジャズ・フュージョンの変化に言及している人を見たことないので書いてみます。
本格的なデジタルシンセサイザーでありながら、小型・軽量であり当時の価格で25万円という、大学生でもバイトすれば買える値段。なによりアナログシンセのように音程が不安定になったりしないのが有難られたのだろう。
例えば、復活したマイルスバンドは、当初、キーボードレスの構成で、マイク・スターンにピアノの役割もさせていた。しかし、アルバムでいえば「デコイ」で本格的にシンセサイザーを取り入れて、バンド構成もキーボード奏者を多いときで二人にしている。
一方、ウェイン・ショーターだが、1985年ぐらいに「アトランティス」というアルバムでウェザー・リポート脱退後に、本格的に自分名義のバンドで活動を始めるのだが、それが出来た理由としてデジタルシンセが発達して、ジョー・ザビヌルのような専門家でなくても容易にシンセサイザーが扱えるようになり、ショーターが望むようなサウンドをザビヌルなしで生成することが可能になったことがあるのではないか。
それと、ショーターの吹くサックスとしては、これもヤマハ製なのだが、セミカーブドソプラノに出会ったというのが転機になっている。「セミカーブド」ってなんやねん、ということだが、ストレートのソプラノサックスのネックの部分が、若干、曲がっているというだけの話なのだけど、それが、ショーターにとって、音色やボリュームにすごく作用して、自身にマッチしたらしい。
そのすぐあとに、日本では、NECがPC-98を発売したし、アップルとかもMIDIでPCとシンセをつなげる技術を開発したりして、音楽に新しいテクノロジーが流れこんできたみたいです。

喜多川泰・著の本は何冊か読んでますよ。
まあ、なんというか自己啓発本の小説版というか、ドラマ化(映画化)を狙っているんじゃないかと穿ってしまうほどの分かりやすいストーリーテリングとオチのつけかたはサスガだとは思いますが、うーん、個人的には説教臭さはそれほど感じさせないだけの力量は認めつつも、なーんか薄いですよね(好きな人ゴメンなさい)。
たぶん、読者の想像力の隙間を、作者のほうが全部言葉で語っちゃってるからだと思います。

DX-7の登場で音楽が「変わったな」ということを激しく体感したのは、TOTOでした。私の場合。
4枚目までは暖かでのびやかなアナログシンセの味付けとジェフ・ポーカロのドラミング、スティーヴ・ルカサーのエコーギターがひとつのサウンドトレードマークだと感じていたのが、いきなり『アイソレーション』で、露骨にデジタル臭くなった。リズムもタイトに。これまでのTOTOのテイストがガラリと変わったことが衝撃でした。しかもDXにプリセットされていたであろう音色をそのまま使っているような気もしたし。

ま、残念ながら当時高校生だった私は24万円くらいした効果な「7」は変えず、友達から借りた「21」のほうを使っていたので、実際のところは分かりませんが。
ただ、MIDI(ミュージック・イントゥルメンタル・データ・インターフェイス)とDXのようなデジタルシンセの登場で、ずいぶんと時代の色までもが塗り替わってしまったと感じた高校1年生の私でした。

あのYMOの「散会」と入れ替わるように、デジタルな音色のポップスが巷にあふれはじめたので、YMO散会が私にとっては「一つの時代が終わったな」感がとても強かったのですが、間髪を入れずに、まるで昨日の音と入れ替わるように新しい音色のデジタルシンセの音楽が猛烈な勢いで世を席巻しはじめたので、その移り変わりのスピードには単純に驚きでした。もっとも、YMOも散会ライブの時は、幸宏氏はシモンズの六角形のドラム、細野さんはスタインバーガーのベースを弾いていたので、もうこの頃からデジタル色が強い楽器が普及しはじめてはいたのですが……。

この音楽景色の塗り替わりのスピードは、当時リアルタイムで体感していないとなかなか分かりにくいものだとは思うのですが、原田知世の『パヴァーヌ』や、斉藤由貴の『チャイム』など歌謡曲方面のアルバムにもDX、DXした音色が大胆かつ全面的に取り入れられており、そのこともかなり新鮮な驚きだったことを昨日のように覚えています。
原田知世の《カトレアホテルは雨でした》のイントロの音色なんか、いま聴いても刺激的です。また、斉藤由貴の《水の春》も、あの秀逸なアレンジは、デジタル音源のシンセがなければ効果は半減だったことでしょう。

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これだけでも、かなりのことなのに、それだけではなく、同時代にフェアライトCMIを大胆に駆使した坂本龍一の『エスペラント』に『未来派野郎』でしょ? あとトーマス・ドルビーとのコラボ作品の『フィールド・ワーク』もそうか。

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もう、なんというか、ものすごい勢いで世の中の音が進化を遂げている。この先どうなっちゃうんだろう?という期待感で胸がわくわくしているところに、「イカ天」を発端としたバンドブームでシラけた(爆笑)。
なんだよ、先祖返りかよ、って(苦笑)。

ジャズに興味を持ち始めたのは、そのシラけ気分の反動だったのかもしれません。今思えば。

……って、全然いただいたコメントのアンサーになっていませんね(すいません)。