ダラダラ喋り~コルトレーン、モンク、植草甚一、寺島靖国…ほか

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先日、アップした動画「マイルス「いつか王子様が」の録音にかけつけたジョン・コルトレーンという男」(⇒こちら)にいただいた視聴者さんのコメントにアンサー動画をアップしました。

ダラダラと長い内容になってしまったため、これは一般よりマニア向けな内容かなと判断し、YouTubeチャンネルメンバーシップ限定動画としてアップしています。

ご興味のある方は、ぜひ「YouTubeチャンネルメンバーシップ」にご登録ください。

コメント

高松貞治さんからのコメント。

植草甚一スクラップブックの作られた、いきさつは、植草甚一さんが他の出版社から本を出版しないかと誘われているのを晶文社のために断っているところを晶文社の人が見て、これではいかんと思いスクラップブックを作ったんです!その後、植草甚一さんから、晶文社の人にありがとうと、感謝されたらしいです!印税もたくさん入ったらしいですよ!

え!寺島靖国さん、名前ペンネームなの!今さら言われても。本当にびっくりした‼️今年最大の衝撃です❗️

TAKESI0506さんからのコメント。

植草甚一さんの本は学生時代はよく読みました。
 
1984年のジャズ批評誌で岩浪洋三さんがスイングジャーナル編集長時代の想い出を語ってますが、植草さんのことが出てきます。

『愛媛の松山にいた頃から、久保田二郎さんとも文通していて、ジャーナルの編集にアキがあるから来ないかと声がかかって出てきたんですよ。24歳のとき、57年の暮れでした。編集長になったのは2年後。それまでは社長の加藤幸三さんが編集兼発行人だったと思います。
 僕が入った頃のジャーナルはディキシー、スイングの記事が多くて、当時のアメリカでぐっと盛り上がりていたハードバップはほとんど取り上げていなかった。せいぜいビーバップまででしたね。まだダンス・ミュージック的なものも載せていたくらいだもの。これじゃアメリカのジャズの現況を伝えられないから、モダンジャズを積極的に紹介しようとした。ところが、あの当時はリバーサイド、ブルーノート、プレスティッジあたりのレコードがほとんど輸入盤でしか手に入らないし、一枚の値段が2800円から3000円。当時は大金ですよ。だから評論家にも聴いている人があんまりいなかった。
 そこで僕が目をつけたのが植草甚一さんです。当時一番熱くなってモダンジャズを聴いていた人なんですよ。映画評論家でしたけど、〝モダンジャズを聴いた600時間〟なんて「映画の友」のグラビアページに紹介されていたしね。なんとしても登場させなくちゃ面白くならないと思った。そこで当時植草さんがしょっちゅう出入りしていた新宿のマルミ・レコードを通して、ある日いきなりジャズの原稿を書いて欲しいと頼んだわけです。確か58年の4月か5月号から植草さんの原稿が載り始めたはずですよ。ただ、原稿の入るのがものすごく遅い人で、出張校正の真最中に取りに行って入れるとかの連続でしたけどね(笑)』

寺島さんの「辛口JAZZノート」にも植草さんの名が出てきます。

『植草さんが、彼のファンという人に道で呼び止められ、何か用ですかといったら、急に泣きだされて困ったという話を『植草甚一日記』で読んだ。
 じつはぼくも植草さんのファンである。ぼくは植草さんを一度だけ見たことがある。むかし、「ホット・クラブ・オブ・ジャパン」というジャズの会があり、植草さんが来るというので新橋まで出かけていった。
 ちょっと驚いたのは、植草さんの話がとてもつまらないことだった。油井さんのあとだったから余計目立ったが、それにしても高校生以下という感じだった。主語がとんでもないところに顔を出して、ほとんど日本語の体をなしていない。
 10人ぐらいいた聴衆が、なんとなくモジモジしだして、そうした雰囲気を敏感に感じとった植草さんは「きょうはのらないからやめます」といって途中で壇をおり、さっさと帰ってしまわれた。
 実生活の植草さんは、聞くところによると、わがままいっぱいの人だったらしい。
 外出のときは玄関に坐り込んで両足をだらっと投げ出す。間髪を入れず奥さんが靴のヒモを結ばないと機嫌がわるくなったという。喫茶店に入ると大声で「ここの一番うまいものはなんだい!」。
 人前で編集者を怒鳴りつけたりもした。
 こういう植草さんと、もしぼくがおつき合いしていたら、おそらくファンにはならなかったと思う。ぼくもわがままな人間だからである。
 しかし、うまい具合にぼくは本の上で植草さんとおつき合いした。ジャズメンも作家も、実像より、作品の上の虚像のほうが、ずっと素晴らしいようである。
 ぼくが植草さんのどこに惹かれたかというと、おかしく思われるだろうが、植草さんの外出好きのところに惹かれたのだ。
 ぼくは出無精な人間である。怠惰なのか、できることなら家で一日中レコードを聴き、本を読んでいたい。しかし、植草さんの『スクラップ・ブック』を読むと、急に表へ出たくなる。本がぼくをせっつくのである。
 晶文社の『スクラップ・ブック』をぼくが全部集めたのは、内容より「~していたら~へ行きたくなった」というマクラの部分を読みたいからである。
 へんな読者がいたものよ、と地下の植草さんは苦笑いしていることだろう』

「~していたら~へ行きたくなった」というノリが、寺島文体にも影響与えているように感じますね。
「吉祥寺を歩いていたらアル・ヘイグを聴きたくなった」みたいな。

永井勉さんからのコメント。

コルトレーンチェンジはモンクの影響なんですね
…納得です・・・m(__)m
それから雲さん・・指が動く間は日々練習してください・・・
私62歳なんですがモブレーと同じで 次のフレーズへの引き出しはあるんですが
思い通りに指は動かないんです・・・悲しい現実・・・m(__)m
でも雲さんはいつもyoutubeで変化を求めてますよね・・・
私も日々youtubeで変化を求めてます・・・
面白い世界がやってきましたね・・・・WWW😅😅😅

はい!!!
>指が動く間は日々練習してください・・・

そうですね、変化を目的にしているわけじゃあないんですけど、ほぼ毎日動画をアップしているので、同じことやっているとだんだん飽きてくるというか、少し変えてみようかと無意識に思っちゃうのかもしれません。
>いつもyoutubeで変化を求めてますよね・・・

だから、ハードバップからモード、モードから無調に移行したくなったジャズマンの気持ち、なんとなく分かります。

龍 大阪さんからのコメント。

高野様、いろいろとご配慮、ありがとうございました。
メンバーにさせて頂きました。(最近、というか、ちょっと前まで、ジャニーズのタレントとかが、「~させて頂きました」を多用していて、それがすごく鼻についているんですが、あえて、「させて頂きました」というフレーズを言ってしまう私はダメな人なのかしらん。) で、「~かしらん」というのは植草フレーズでよく出てきていて、初めて読んだときにはちょっとショックを受けた、というか、「こんなん、女性が使う言葉じゃないんかい!」と青少年のワタクシは思ったわけです。でも、なんか、かっこいい。
そんで、高野さんの声についての私の感想なのですけど、「ちょうどいい」。なにが良いかというと、低音域がほどよく出ているのだが、麒麟の川島さんのようにくどくないのです。マーカスがよくインタビューとかで言ってる「倍音がよく出ている弾き方」みたいなやつ。
最終的なオチ(オチを今言ってる時点でお笑いとしては終わっているのですが)は、マーカス・ミラーにつなげたいのですよ。
植草甚一氏はワンダーランドという雑誌を創刊して、それは、後に「宝島」という名称に変わったらしい。ちゃんと調べたわけではないので、違っている部分は多々あるかもしれん。その「宝島」の二代目の編集長になったのは、1980年前後で有名になった小説家・エッセイストの片岡義男氏らしい。まだ片岡氏が小説家として本格的なデビューをする前のことだろう。実際に植草氏と片岡氏は親交があったらしく、片岡氏のFMのラジオとかで聞いたのかな?「植草さんのところにいくと本の無造作に積みあがった倉庫から何冊か取り出して”これ持ってきな”みたいに言われた。」っていうのをしゃべっていたのを記憶する。
それから、片岡義男に憧れつつ小説を書いたのが、長野県知事になったりと紆余曲折した田中康夫(こいつだけ呼び捨てw)。その処女作が「なんとなくクリスタル」。これはオイラも恥ずかしいけど買ってよんだ。東京の渋谷だとか六本木だとかの地名や店名を羅列するという、「行ったことのないやつはわからんやんけ」という、ちょっと斬新な小説だったと記憶する。
そんな、日本での流行がおきての、洋楽界はAORみたいなのが流行ってた。ボズ・スギャックスとか。てか、名前にクセありすぎやろ。千鳥のノブに拳固で頭こすられるやろ。
そんで、出ました。グローバーワシントンジュニアの「ジャストザトゥーオブアス」。私もラジオとかで初めて聞いたとき、「なんか、いい」と思った。
これ、作曲はパーカッションのラルフ・マクドナルドみたいなんねえ。コード進行がちょっといい感じで、メジャーとマイナーが交錯するような感じなんです。詳しくはググれ(笑)。椎名林檎の「丸の内サディスティック」も基本、同じコード進行らしい。なので、日本では、「丸サ進行」などと呼ばれ、他の日本のミュージシャンも、この手法で演奏している(らしい)
ここまで書いて、疲れた。では、また次回。オチがわかったひとは、どんどん誹謗中傷してくれ。

チャンネルメンバーシップへの登録、ありがとうございました。

今後も「表」の動画では語れない内容を中心に、こちらの「裏」のほうで語ったり紹介していこうかと思っています。

「丸サ進行」は、もう既に日本のポップスの中では定番の進行として定着しているようですね。
ヤマハのポピュラーコースの教材にもなっていますし、どちらかというとヒップホップの人が好んでバックで使う進行のようです。
YouTubeの動画やショート動画でも、簡単なヒップホップ音源の作り方などの素材になってりうのもこの進行ですし、晋平太のようなラッパーもこの進行のオケをバックにラップしてますし。

昔はC-Am-F-Gというようなフォーク進行(?)が定番で、このコード進行でジャラジャラとギターを弾けば、いくつものメロディと歌詞が即興で歌えるという便利な進行があったのですが(フォークではないですがチェッカースの《涙のリクエスト》もこの進行ですね)、21世紀になると「丸サ進行」が、おしゃれセツナイというか、「なんとなくセンスあるっぽいぜ、私ったら」を主張するには便利な定番ツールになってきているように感じます。

というわけで、もう少し突っ込んだ(?)個人的な話は、メールのほうでw

ドロマスさんからのコメント。

雲さんにとっては、ダラダラ喋り
かも知れませんが、私にとっては(きっと多くの雲さんファンも)とても聞き処のある長尺インプロヴィゼーション語りですよー🤓

ありがとうございます!
長尺インプロビゼーション頑張ります!
アキサキラ目指します!(謎)

ドロマスさんからの返信。

朝まで生雲!とか 笑

つきあってくれる人、いるかなぁ?