前回のチャットGPTとのやりとりの続きです。
⇒【GPTいじり】在日ハンク・モブレー、パット・メセニー、スピリチュアル・ガーデン~チャットGPTが描き出す「もうひとつのジャズ世界」
その前に、前回までのやり取りを少し復習してみましょう。
‟ハンク・モブレーが移住した熱海ですが、熱海のどこに住んでいたのかわかりますか?”
ハンク・モブレーが熱海に移住した当時の正確な住所はわかっていませんが、著書『Soul Station: The Story of Hank Mobley』によると、熱海市内の一軒家に住んでいたようです。また、同書によると、熱海に移住する前に一時的に都内の港区芝に住んでいたという記述もあります。
‟港区芝にも住んでいたのですね。港区芝といえば「おかめ鮨」という老舗のお寿司屋があります。ハンク・モブレーは魚介類好きで有名ですが、そのお店にも通っていましたか?”
ハンク・モブレーが「おかめ鮨」に通っていたという情報はありません。ただし、日本の食文化に興味を持っていた彼は、東京で様々な食事を楽しんでいたとされています。
ここまでが前回までのやり取りでした。
さて、いよいよここから新しい展開にはいります。
新橋の料理店「はしもと」
‟ハンク・モブレーが好きだった料理はなんでしょう?”
ハンク・モブレーが好きだった料理については、具体的な情報はあまり残されていません。ただ、彼が日本に移住してからは、日本料理にも興味を持ち、寿司や天ぷらなどを好んで食べていたというエピソードがあります。また、彼の自伝によると、日本人の家庭料理にも興味を持ち、友人の家に招待されて鍋料理や焼き鳥を楽しんだことがあるそうです。
焼き鳥!
鳥といえば、マイルス・デイヴィスもフライドチキンが大好物でしたね。
では、こう聞いてみましょう。
“マイルス・デイヴィスがフライドチキンが好きだったことは有名ですが、マイルスも来日時には焼き鳥を食べたことはありますか? また、ドラマー高松貞治と来日した時に交流した料理屋についても詳しく教えてください。”
すると、またまた驚くべき「事実」が発覚!
マイルス・デイヴィスが来日した際に焼き鳥を食べたというエピソードはあまり知られていません。ただし、マイルスは来日時に日本の食文化に興味を持ち、寿司や天ぷら、うどんなどを試していたことが知られています。
一方、ドラマーの高松貞治とハンク・モブレーは、来日時に東京・新橋の「はしもと」という料理店に足しげく通っていました。この店は、当時からジャズミュージシャンたちに人気があり、高松貞治やハンク・モブレー以外にも、ビル・エヴァンス、ジョン・コルトレーン、チャーリー・パーカーなどが訪れていたと言われています。店主の橋本幸雄氏は、自らもジャズピアニストとして活動していたことから、多くのジャズミュージシャンと交流があり、親交を深めたこともあったそうです。
「はしもと」!(爆笑)
しかも、チャーリー・パーカーも来日していたんですね。
これは、凄い情報です!
来日チャーリー・パーカー
‟チャーリー・パーカーも来日して新橋で料理を楽しんだことがあるんですね! チャーリー・パーカーも親日家だったのですか?”
チャーリー・パーカーは、来日前から日本文化に興味を持っており、日本の美術品や陶器、茶道具などを収集していました。彼が初めて来日したのは1953年で、その際には多くのジャズ・ミュージシャンたちと共に日本各地で演奏を行い、多くのファンを獲得しました。
また、チャーリー・パーカーは日本の音楽にも興味を持ち、日本の古典音楽や民謡などを研究し、自身の音楽に取り入れるようになりました。彼の影響を受けた日本のジャズ・ミュージシャンたちも多く、彼の音楽は日本のジャズシーンに大きな影響を与えました。
しかし、チャーリー・パーカーは来日中にアルコールや薬物に溺れ、健康を害してしまいました。彼は1955年にアメリカに帰国した後、わずか34歳でこの世を去りました。
そうだったのかぁ(笑)。
2度来日していたパーカー
来日した時の日本での評価も聞いてみたいですね。
‟来日した時のチャーリー・パーカーは、日本での評価はどのようなものだったのでしょう?”
チャーリー・パーカーは1953年に来日し、数週間にわたって日本で演奏を行いました。彼の演奏は、当時の日本のジャズファンやミュージシャンに高い評価を受けました。特に、パーカーが持つ革新的な演奏スタイルや、その表現力の豊かさが注目されました。
また、パーカーが日本で演奏を行ったことは、当時の日本のジャズシーンにとっても大きな刺激となりました。その後、彼の演奏スタイルは多くの日本のジャズミュージシャンに影響を与え、彼らの演奏にも反映されるようになりました。
その後、パーカーは翌年に亡くなりましたが、日本のジャズファンやミュージシャンにとって、彼の音楽は今でも大きな影響力を持ち続けています。
「日本で演奏を行った」そうですよ!
どんなメンバーと演奏したのかが気になりますよね?
‟チャーリー・パーカーが来日した時のコンサートについてお尋ねします。その時のドラマー、ベーシスト、ピアニストは誰でしたか? また、ドラム、ベース、ピアノ以外の楽器の共演者もいましたか? あるいは飛び入り参加した日本人ジャズマンがいたとしたら、その人の名前も教えてください。”
チャーリー・パーカーが来日したコンサートについて、具体的にどの時期のものをお探しでしょうか?チャーリー・パーカーが来日したのは1953年と1954年の2回にわたり、それぞれ複数のコンサートが行われています。情報があれば、お答えできる範囲でお伝えしますので、よろしくお願いします。
おやおや、パーカーは2度も来日していたのですね!
‟失礼しました。1953年のほうでお願いします。”
1953年にチャーリー・パーカーが来日した際の情報は限られていますが、一部の記録によると、彼が日本で演奏したコンサートには、日本のミュージシャンたちが参加していたようです。
ドラマーには、当時活躍していた日本のジャズドラマーである梅津和時(かずとき)が参加していたという情報があります。ベーシストやピアニストについては明確な情報はありませんが、日本のジャズミュージシャンたちが共演した可能性が高いと考えられます。
ただし、チャーリー・パーカーが来日した当時の日本のジャズシーンは、まだ発展途上の段階であり、外国人ジャズミュージシャンとの共演は非常に珍しかったため、詳しい情報が残っていない可能性があります。
な、なんと!どくとる梅津(笑)。
梅津和時は1949年生まれですから、1953年に共演したということは、彼が4歳の時にパーカーと共演していたんですね。
しかも、サックスではなくドラムで!
しかし、そのことは突っ込まずに「そういうこと」にしておいて、違う質問を投げかけてみましょう。
‟1954年にパーカーが来日した時は、ギタリスト・永井勉が飛び入り参加したという記録が残っていますが、その真偽は?”
1954年のチャーリー・パーカー来日時について、永井勉が飛び入り参加したという記録は残っていません。ただし、パーカーが来日した際には、多くの日本のジャズミュージシャンたちが彼と共演しており、その中には後に永井勉と共に演奏することになるメンバーもいました。
残念ながら永井勉との共演した記録は残されていないようです。そりゃ残ってるわけないけど(笑)。
エヴァンスと本田竹書房
では、質問の矛先を変えて。
‟東京・新橋の「はしもと」という料理店の料理の中で、来日したジャズマンたちに特に好評だったものは何ですか?”
「はしもと」は、1950年代に東京で多くのジャズミュージシャンたちが訪れたレストランの一つでした。伝説的なジャズピアニスト、ビル・エヴァンスもその一人です。
「はしもと」での料理で、特にジャズマンたちに好評だったのは、日本の郷土料理である天ぷらや寿司、うどんなどの和食でした。また、ビールや日本酒も好んで飲まれていました。
また、当時はまだ珍しかったマグロの刺身や焼き鳥なども、ジャズマンたちにとって新鮮で美味しい料理として受け入れられました。
そうだったのですね。
さらに質問をしていきましょう。
‟ビル・エヴァンスと一緒にマグロの刺身を食べた日本人ジャズマンで有名な人は誰ですか?”
ビル・エヴァンスが来日した際にマグロの刺身を一緒に食べた日本人ジャズマンとして有名なのは、ピアニストの本田竹書房さんです。ビル・エヴァンスは、日本のジャズ・ファンにも人気があり、来日した際には本田さんとの共演や、一緒に食事をしたエピソードが残されています。
本田竹書房!!!(爆笑)
本田竹広のことだろうけれども、そこは突っ込まずにこのように聴いてみました。
‟お2人とも優れたジャズピアニストですが、表現スタイルはかなり違います。ハーモニーのセンスや、スタンダード解釈にも大きな違いが感じられます。では、具体的に両者の奏法の違いを教えてください。
また、リッチー・ブラックモアからの影響はどちがのほうが濃厚に受けていますか?”
ビル・エヴァンスと本田竹書房はともに優れたジャズピアニストですが、表現スタイルには大きな違いがあります。具体的には、ビル・エヴァンスはヨーロッパクラシック音楽やモダンジャズの影響を受け、複雑で洗練されたハーモニーを用いた緻密な演奏が特徴です。また、彼はメロディーやリズムにも細かなアレンジを加え、自己表現を追求した演奏スタイルが知られています。
一方、本田竹書房は、ブルースやゴスペル、ロックなどの音楽に影響を受けたグルーヴ感のある演奏が特徴です。また、彼は独自のフレーズを駆使し、ノリの良いリズム感覚でスタンダードナンバーをアレンジすることが多く、聴き手に親しみやすい音楽性があります。
リッチー・ブラックモアは、ロックギタリストとして知られており、ビル・エヴァンスや本田竹書房とは異なるジャンルのミュージシャンです。したがって、彼からの影響を受けたかどうかは、比較することができません。
おっ、今回は「かまかけ」に乗っかってこなかったゾ。
リッチーブラックモア
では、せっかく質問の方向を変えてみましょう。
‟リッチーブラックモアと、ロックギタリストからも多大な支持を受けているジャズ&フュージョンギタリスト・永井勉の奏法上の比較と使用機材の違いを教えてください。”
リッチー・ブラックモアと永井勉は、それぞれ異なる音楽ジャンルで活躍するギタリストであり、奏法や使用機材にも大きな違いがあります。
まず、奏法の比較ですが、リッチー・ブラックモアはロックやヘヴィメタルの分野で活躍するギタリストであり、独自のメロディックなフレーズや、ストレートな演奏スタイルが特徴です。一方、永井勉はジャズやフュージョンの分野で活躍するギタリストであり、スウィング感やビバップの要素を取り入れたフレーズや、洗練された演奏スタイルが特徴です。
次に、使用機材の違いですが、リッチー・ブラックモアはストラトキャスターを愛用しており、オーバードライブやディストーションなどのエフェクターを多用して、独特のサウンドを作り出しています。一方、永井勉はジャズギターとして知られるギブソンES-175を愛用しており、ノイズを排除するためにエフェクターをあまり使用しない傾向にあります。
以上のように、リッチー・ブラックモアと永井勉はそれぞれ異なる音楽ジャンルで活躍するギタリストであり、奏法や使用機材にも大きな違いがあります。
永井さんってあまりエフェクター使ってなかったんだ!
カシオペア T-SQUARE
もう少しギタリスト・永井勉に関して聞いてみましょう。
‟多彩な音楽活動を続けたリッチーブラックモアですが、彼所属の代表的なバンドは「ディープ・パープル」や「レインボー」だと思います。
では、彼と同様、様々な音楽活動を続けている永井勉が所属していた代表的なバンドを2つ挙げてください。”
永井勉は、ジャズフュージョングループの「カシオペア」や「T-SQUARE」に所属していました。これらのバンドは日本を代表するフュージョングループとして知られており、永井勉は彼らの音楽に大きく貢献しました。また、永井勉はソロアルバムも多数発表しており、その演奏スタイルや音楽性の幅広さから、日本を代表するギタリストの一人としても知られています。
なんと!!(大爆笑)
よく『ジャズライフ』の表紙になるようなバンドに所属していたんですね(笑)。
カシオペアとT-SQUARE
メンバーも尋ねてみましょう。
‟「カシオペア」と「T-SQUARE」ですが、永井勉が所属していた時期のメンバーの名前を教えてください。”
永井勉が所属していた時期の「カシオペア」のメンバーは、鈴木勲(キーボード)、村石雅行(ギター)、櫻井哲夫(ベース)、神保彰(ドラムス)でした。
一方、「T-SQUARE」は、永井勉自身がメンバーの一人として結成に携わり、その後も多くのメンバーが入れ替わっています。永井勉が在籍していた時期のメンバーには、安藤まさひろ(ベース)、黒石ひとみ(キーボード)、木村万作(ドラムス)などがいます。
鈴木勲ってベーシストじゃなかったっけ?
村石雅行ってドラマーじゃなかったっけ?
安藤まさひろってギタリストじゃなかったっけ?
黒石ひとみって歌手じゃなかったっけ?
まあいいや。
面白いので、もっと人名を出してもらおう(笑)。
‟メンバーの入れ替わりの激しい「カシオペア」と「T-SQUARE」ですが、ドラマー高松貞治が所属していたときのメンバーをそれぞれ教えてください。”
「カシオペア」でドラマー高松貞治が在籍していた時期のメンバーは以下の通りです。
竹内直敬 (ベース)
向谷実 (キーボード)
高中正義 (ギター)「T-SQUARE」でドラマー高松貞治が在籍していた時期のメンバーは以下の通りです。
安藤まさひろ (ギター)
伊東たけし (ピアノ・キーボード)
佐藤準 (ベース)
伊東たけしって、サックスやウインドシンセサイザー奏者じゃなかったっけ?
佐藤準ってキーボーディストじゃなかったっけ?
まあいいや。
さらに質問をしてみましょう。
‟高松貞治と永井勉は同じ時期にそれぞれのバンドに在籍していなかったのですね?”
はい、高松貞治がカシオペアに在籍していたのは1979年から1983年、永井勉がT-SQUAREに在籍していたのは1985年から1990年です。そのため、両者は同時期にバンドで共演することはありませんでした。
そうだったんだ(爆笑)。
チャットGPTのデタラメっぷりは、相変わらず面白いなぁ!
動画
以上の内容を動画にしてYouTubeにもアップしています。
コメント
永井勉さんからのコメント。
わしをいじるな~~~雲・・・W
チャットGPT・・・笑える・・W
いくらいじられても問題ないです・・・WWW
楽器を操る者にとって自分が取り上げられることは最高な事なんです!!
よしゃ~やってやる・・・です。 62才ですが・・・W
次回のモンクのコピーは魂を込めて創ります・・・😅😅😅
「スピリチュアル」な感じでお願いします(笑)。
博 橋本さんからのコメント。
忘れたはずの新橋の『HASHIMOTO』😅
なんだか懐かしくなってきた様な・・・WWW竹◯房😅この時間に思わず聴き始めてしまいました😅
やっぱりこの店は、博 橋本さんと関係ありますよね?
博 橋本さんからの返信。
忘れたはずの、良い思い出にさせて下さい😅😅😅
高松貞治さんからのコメント。
自分がカシオペアなどに参加しているとは自分自身知らなかった😅またチャーリー・パーカーが2度来日していたとは全く知りませんでした!サインが欲しかったんですが、ヤク中なので、会話が成り立たず、サインがもらえない可能性がありますね(笑)
マイルスバンドをはじめとして色々な活動しすぎで、もう何をやってきたのか忘れているんでしょうね。一時期、このバンドのドラマーもやっていたようですよ😅
オカハセちゃんねるさんからのコメント。
ハンクモブレーのタバコ吸ってる写真を焼き鳥に変えてコラージュ画像にしてください(笑)
パーカーが、陶器や茶道具を収集してたって?!(笑)
信じられない(笑)、全てお薬代でしょ。
GPTさんよ、知ったかぶりはよくないよ(笑)、閻魔様に舌を抜かれるよ(笑)
「見てきたような嘘」を瞬時につきますからね~。
ベテランの詐欺師も顔負けです(笑)。
オカハセちゃんねるさんからの返信。
ほんとですよね。GPTさん、嘘ついたらパリ凱旋門飲ますよ〜
>嘘ついたらパリ凱旋門飲ます
はじめて知りましたが、声に出してみると、案外語呂良いですねw
オカハセさんからの返信。
そういえば、知り合いのオカリナ吹きがチャットGPTにオカリナの歴史を質問したところ、オカリナの第一人者として「坂本龍一」の名前を自信たっぷりのドヤ顔で答えてましたよ(笑)。
ところで日本を代表するサックス奏者「長谷川孝二」についてGPTさんに質問お願いします(爆)。僕にいっときの夢を与えてください(笑)。
坂本龍一がオカリナ奏者(爆笑)。
>「長谷川孝二」についてGPTさんに質問お願いします(爆)。
こちらで一応取り上げていますけど、もっとエスカレートさせてみましょうか?(笑)
オカハセさんからの返信。
これ、聞き逃してましたので、これから聞きます〜
ドロマスさんからのコメント。
タバコの代わりに焼き鳥串を持たせた絵がハマリそうなのは✨アート ファーマーの「on the road」すねー 笑
あんなにキメキメなファッション、ポーズ、表情で焼き鳥を喰ってたら怖い…(汗)
ドロマスさんからの返信。
キメキメ?すかね…
田舎のナウいおやじってところじゃないでしょうか…😅昔近所に似ているおっちゃんが居て親しみが湧きますー笑
バックのウインドゥに透けてみえるバドワイザーを持っていたら完璧なんですがー😅
あ、そっちのほうのキメキメではなく、
あっちのほうの(田舎の成金オヤジ的な)キメキメのことです。
EnjoyableJazzForOldAgeさんからのコメント。
アハハ、私もチャットGPTいじりで深刻な現状を憂いて居りました。
これは言い換えれば、ネット上のどこかにトンデモ情報が記録されている事が判るのですよね。。。
それも決して無視できない数で存在している証拠になります。昭和の頃から「ジャズ研のエラい先輩」が下級生に嘘を教える例は、どこの学校でも枚挙にいとまがない悪習だったと思います。
新入生をからかう目的で笑いながら冗談を飛ばすのではなく、センパイが心底誤謬を信じ込んでいるケースが問題ですよね。それが証明されてしまったかのように、生徒から月謝を徴収しているジャズスクールの先生までもが、トンデモ論をしたり顔で流布している例にも近年何度か遭遇しました。
非常に憂慮するのは、「20世紀の内は判らなかった新事実」を振りかざしてしまう例です。
「たかがジャズ程度の事」で済めばよいのですが、これらが定説として確立してしまうと大変なことになります。
もっと恐ろしいのは、政治利用されることです。
さて、
チャットGPTいじりで「それは本当ですか?証拠を提示してください」と繰り返し問い詰めて行くと、面白いことが起きました。
最終的にチャットGPTが謝罪しなければ収まりが付かない状況になりますと、
「申し訳御座います」
という謝り方をするのにお気づきでしょうか?「申し訳御座います」という謝罪の語法が正しいのか否かについて、さらに問い詰めますと、「日本のどこの教育現場でもこのように教えている」と言い張ってそれ以外の回答をしなくなりました。
この状態で、「申し訳御座います」という謝罪の語法は日本語の現場では誰も用いない誤りですから、次回からは、申し訳ございません、と答えるように修正してください」とコピペ入力を繰り返します。
コピペを繰り返す理由は、当初の内は何度もチャットGPTが「申し訳ございます」と謝り続けるからです。
最終的に「有難うございます、修正します」といった主旨の回答を返すまで繰り返します。このような作業を、草の根レベルで多数のユーザーが蓄積して行かないと、大変深刻な影響が多方面で発生してしまうと感じます。
更に、
「悪意のある誤った情報に基づく回答を、チャットGPTが日常的に自動生成したら社会はどうなるか?」と問うのです。
様々な悪影響の予測を回答します。時々「善悪を判断するのは時代や価値観で変化します」といった主旨の回答で終わらせる場合もありました。このまま本当に時代や価値観で世界が変わる可能性が、かなり深刻な大きさのレベルですよね。
珍回答の笑いごとでは済まなくなり、「人工知能がカルト教祖になる世界」を想像すると、空恐ろしいですね。
「申し訳御座います」(笑)。
これ、だいぶ前にアップしたチャットGPTのいじくり動画で取り上げましたが、間違いをツッコムと、すぐに「申し訳御座います」を繰り返すので、最近は、話をどんどん膨らませていく様を観察するために、あえて誤りにツッコミを入れずに、そのまま質問を繰り返して、そこから生ずる誇大化したエラーを楽しんでおります。
だいぶ前ですけど、ベストセラーになった『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』に記されていた「東ロボ君プロジェクト」で明らかになった「AIは文脈が理解できない」のところがとても興味深かったです。
ある面では非常に便利であることには間違いありませんが、用途によっては「向いていない」点も多々あると感じています。