テナーサックス奏者、ジョン・コルトレーンについて~粟村政昭・著『ジャズ・レコード・ブック』より

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『ジャズ・レコード・ブック』で、ジャズ評論家・粟村政昭氏はジョン・コルトレーンのことをどう評しているのか。

コメント

オカハセちゃんねるさんからのコメント。

あくまでも僕の感覚だと、録音された作品の場合は実験的な要素よりも予定調和的な要素多めのほうがわかりやすいことから「アセンション」は作品というよりも「イベント」又はもっと言えば【行為】だと思うので、あれは「スタジオだけでの出来事」なのが【本来の「アセンション」という行為】の意図は伝わりづらいのかも知れません。
あれがどこかのフェスの動画とかなら、全然違う印象だと思います。

鋭い意見ですね。
以前、動画で(ライブ配信だったもしれませんが)、「ミンガスの『カーネギー・ホール』は『アセンション』みたいなもの。モードなのか、コードなのかの違いだけで、あとはたくさんのホーン奏者がギャーギャーやっている圧巻演奏という面においては同一」というようなことを話した記憶がありますが、その考えに近いかもしれません。

『カーネギー・ホール』の場合は、ライヴ演奏で、しかも皆さんご存じのコード進行のあるナンバーの吹きまくり大会というか、そういう「イベントでの出来事」ですが、仰る通り『アセンション』の場合は、スタジオで録音された「作品」。

「作品」として発表されると、やれコンセプトだとか、思想とか、方向性とか、深読みしてしまう人が多いのは仕方がないのかもしれませんし、ましてやリーダーは当時ジャズシーンを牽引していた第一人者でしたからね。「何かあるに違いない」「いったい何をやろうとしたんだ?」「神の園?なんで、なんで、なんで?」などと、様々な深読みや想いを巡らせた人たちは粟村さんのみならず数多くいたのでしょう。

コルトレーンとしては「いつもオイラがやってることを、たくさんの人たちでやるとどんな感じなのかな?」くらいな興味だったのかもしれない(笑)。もしかしたら、集団で演奏することで、思いもよらぬ収穫があるかもしれないし、無いかもしれない(で、たぶん無かったw)。

永井勉さんからのコメント。

5年前 1965 Ascencionを聴きました・・
最初は2分で聴くのやめました・・・
こんなのどこがいいの????? ただの雑音??
そして時は経ち・・・1965 Ascencionをまた聴きました。
私は、1965 Ascencionは第二期マイルスバンドへのオマージュというか
コピー的なアルバムかな??と言う感じはしました・・・
プレーヤーとしては誰の追従を許さない演奏なんですが・・
何か作曲のセンスとかアレンジ能力とかが、マイルスに追いついていない
感じがあの音楽に反映されてているかも・・・
雲さん・・・激怒ですよね・・・
あれだけの腕前があるのに何かいつも誰かの影を追っている感じがしました・・・😅😅😅
泥酔永井です・・・

そんな、べつに怒りませんですよ。

アレンジ能力に関しては、どちらが上かは分かりませんが、そもそもあれは「アレンジ」というよりかは、簡単な「ヘッドアレンジ」で、あとはドバーン!ですからね。
各メンバーの音色とか距離感とか、そういうことまでのことはマイルスほどには考えずに、「やってみなけりゃわからんベぇ」なチャレンジ精神でドーン!とスタート、「やっているうちに見えてくる風景もあるだろう」的なところがイイんですよね。
妙に神格化されていたきらいのあるコルトレーンかもしれませが、私は、コルトレーンのそういう鷹揚なところ、案外テキトーなところ(?!)が好きです😀

私はYouTubeの動画を作る時は、ほとんど何の準備もせずにいきなり録画ボタンを押し、喋りながら考えていることが多く、そのイキアタリバッタリの中で、どう膨らませていくのか、どうオチをつけていくのかを考えるスリリングさを楽しんでいるところがあるので、なんとなく共感できるんですよね、コルトレーンのやったことに(まったく違っていたりして😅)。

コルトレーンは、もちろんアンサンブルにも気を配っていたとは思うのですが、マイルスとは方向性がまったく違う。自分自身を奮い立たせるための人選、そして細かなギミックや複雑な構造などは盛り込まず、非常に一直線でシンプル。とにかく、自分がエキサイティングできる土俵作りとしてのアンサンブルだったと思うんですよね。で、その土台の上で、どこまで行けるか、どこまで飛べるか。エキサイティングな演奏を重ねていくうちに見えてくる風景を探し続けていたのだと思います。

その一方で、マイルスの場合は、描こうとする風景が最初から「見えて」いた。「感じて」いた。それに近づこうと、手変え品変えメンバー変えて模索を重ねていたのだと思います。

マイルスもコルトレーンも、音楽を探究する「旅人」ですが、ただ、旅の目的は違って、コルトレーンは、ゴールを探し求める旅、マイルスの場合はゴールに近づいていく旅なのだと思います。

『アセンション』は、まさに「オイラ、どこに行きたいんだろ、オマエら、オイラが行きたい風景を見せてくれよ」な探究過程なんじゃないかと思っています。

邦題が『神の園』だったり、「私は聖者になりたい」発言だったりと、何かと「神めいた」晩年のコルトレーンゆえ、必要以上に深読みの対象となってしまったのかもしれませんね。

永井勉さんからの返信。

本当にすいません・・・
個人的には1957 Monk Quartet with John Coltrane – At Carnegie Hall
のプレーが大好きなんです・・・
07. Sweet & Lovelyを聴く限りもう頂点にいますよね・・・
1958 Thelonious in Actionで聴かれるグリフィンと肩を並べる名演だと思います!!
なんでそれ以上を求めるのか不思議なんですけど、性なんでしょうね・・・
😅😅😅😅😅

>なんでそれ以上を求めるのか不思議なんですけど、性なんでしょうね・・・
性なんでしょうね。
あと、あの猛演の《スウィート・アンド・ラヴリー》は、あくまで親分モンクの曲で、親分モンクのサイドマンとしての枠の中でのプレイなので(とっくに枠をはみ出してはいますが……)、あくまで自分がリーダーの自分のバンドの中で自分の曲で限界を追求していこうと思ったんでしょうね。

大森秀斗史さんからのコメント。

粟村さんといえば、1960年代にラジオ京都でアルファベットジャズと言う番組を思い出します。

番組を持たれていたんですね!
知りませんでした。

大 深堀さんからのコメント。

マイフェバリットシングコルトレーンアットニューポート買いましたとてもいい作品ですねー大好きです。深堀でした。