破壊せよとかまいちは言った(笑)逸脱せよと女教師は言った(悦)【ライブ配信 2023/08/12】

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2023/08/12 「JAZZ Salon Kamakura」(かまいち亭)にて催された「ジャズオフ会/対談編」の模様です。

コメント

kamaichi2002さんからのコメント。

ちゃんとアーカイブできてます。よかった!

よかったです!
昨日はありがとうございました。

2019 enchanさんからのコメント。

こんばんわ〜、用事があって今回は参加できず残念!次回はぜひ参加させていただきます。よろしくお願いいたします。

次回は是非!

kamaichi2002さんからのコメント。

これはいい座談会だったと思います。マジで!

かまいちさん、ならびに参加された皆さんのおかげです!

博 橋本さん⇒kamaichi2002さん

昨日から繰り返し聞き直しています。
「ゴダール・軽蔑・モラビア・大久保昭男」
一括りになりました。何だか一人で悦に入っています。
目指せ JAZZ Salon Kamakura で暫く過ごします😊

大 深堀さんからのコメント。

かまいちさん,雲さんお疲れさまでしたです。楽しめました。

御駄賃取郎さんからのコメント。

長時間のセッション、おつかれ様でした。また、ありがとうございました。今回も実に深い内容で楽しませていただきました。特にジョシュアさん?の冒頭のご発言には、感じるところが大でして、うれしく、たのもしく想いました。
また、かまいちさんって実に面白いお方なんですねえ。私も元気なうちに1度かまいち亭?にお邪魔できればと想いますです。
また毎度の話で恐縮ながら、お声だけで聞いていますと高野さんは上念司さん、かまいちさんが、長谷川さんのお声に似ておられるなあと思えて(すいません・・)思わずひとりで(ぐふふ)でありました。w

そして、このライブ配信が残ることをうれしく思います。会話だけで十分聴き応えを感じます。

 蛇足ながら、ごく最近の個人的大発見?はユーチューブでみつけた「サキコロの全曲間カット・メドレー形式の音源」でした。アルバムの印象がかわるのです。この手の楽しみ方があったのか?という驚きがありました。。

ありがとうございます。

かまいち亭=「JAZZ Salon Kamakura」は、Googleに「JAZZ Salon Kamakura」で検索をかけると出てきますよ♪
御駄賃さんとかまいちさんとなら、滅茶苦茶濃厚な話で盛り上がるのではないでしょうか?(滅茶苦茶喧嘩したりしてw)

ところで、「サキコロの全曲間カット・メドレー形式の音源」、そのままの言葉を入れて検索したのですが、それらしき動画が出てこなかったのですが、よろしければ、URLか、検索されたキーワードを教えてください。

御駄賃取郎さんからの返信。

1度返信したのですが反映されませんでした。サキコロのメドレー形式版は偶然にみつけました。映像は保存しましたがURLは控えませんでしたので「サキコロ フル」ででてきたリストから収録時間(通常は40分超、曲間カットバージョンは39分台です)でえらんでください。
たしか海外の方のサイトでした。さらに継続して再度みつけたらおしらせしますので。

ありがとうございます。
探してみます。

kamaichi2002さん⇒御駄賃取郎さん

すみません。上念司は存じておるのですが、「長谷川さん」って誰ですか? お暇なときにご教示ください。お願いします。

御駄賃取郎さん⇒kamaichi2002さん

いつも身勝手な妄想ばかりで、大変失礼申しあげまして、申しわけございません。
長谷川さんとは、経済評論家で有名な長谷川幸洋氏のことです。ご存知かとは思いますが、ユーチューブなどでご活躍のお方ですね。大フアンです。毎度手前勝手ながら、お声の感じと明晰な分析ぶりが、かまいちさんと似ておられるなあと関心しております。

ところで、サロンへは予約が必要なのでございましょうか?ご成功を心より祈念しております。

kamaichi2002さん⇒御駄賃取郎さん

事前連絡が必要なことのみです。買い物その他で家を空けることがありますから。近隣にお住まいなら是非!

kamaichi2002さん⇒御駄賃取郎さん

あああの人ですか。語り口は確かに似てるかもしれませんね。思想は180度違いますがwww。
それに僕はひどい吃音者で、最近は治りましたが、若いころは思っていることがストレートに発話に連続せず、往生していました。しかし、吉本隆明が「沈黙こそ言語なんだよ」という文章を読み、自身を慰めたことがあります。
ジャズもロリンズのごとくフレーズが突然途切れる時がありますよね。しかし無情にも時間(テンポ)は流れてゆく…。あの間(ま)がいいんですよね。
長々と失礼しました。

永井勉さんからのコメント。

Takeshi0506さんいいですよねえ~~~
切り口が優しくて・・・
私の場合はすぐに酒に呑まれるので、途中から
性格が豹変してしまうんです・・・泣く・・で、おかしな投稿・・・??
お酒は、昔からきちがい水といわれているんです・・・
多分、雲さんも解っていますよね・・・WWW 😅😅😅

ふぁい😅😅😅

Jさんからのコメント。

アレ〜 オワッてました

長丁場でしたね~お疲れ様です
何処かで飲んでました〜

べ~ス気になったので 参考なれば
アンプボリューム上げオリャー と
出た出たドクドクと 実は 分割振動・アンプ力不足で 痙攣状態
まれにあります
原音正確に出すもの時につまらなく聞こえること多々あり

       J

Jさんも参加すればよかったのに♪

人力飛行機さんからのコメント。

感想1
感想1
一言で共産主義とか左翼とか言っても論じる人によって亦読み方によって違ってくる。てことはどういう国家・社会・人間存在というのを理想とするのか。亦そもそも理想を突き詰めたことがあるのか。動いたことがあるのか。左翼ていっても先験的に言えるものだとは思わないんですよね。そこで「僕は左翼」と言われてもまあ旧国鉄であれば革マル系だとかいうのは想像つきますが。あと途中サルトルの話が出て「毛沢東主義になったからダメ」云々と。分かるといえば分かるんだが。マルクス主義における戦術や組織論の点では右往左往というかまあ古臭いというか。それが彼の特徴に1つではあったけど一方マルクス主義の再構成を『弁証法的理性批判』(1960年)という本で企てて。それは見事というべき疎外の表現、読み方、分析。いわゆる物化ですよね。モノを加工するほどに自分が物質と化していく人間。加工〈主体-対象〉となり個々同質の存在になっていく人間。或いは稀少なモノをめぐって敵対的になってしまう人間。これは今も社会のやりきれない姿として私たちの目前に展開されてもいる。見事な分析がある。稀少性が解決されない限り、悪は終わらない。悪は稀少性からくる、とインタビューでも語ってて、そこも鋭いんですね。或いは死の直前の対談。晩年のフローベール論(1971年)も見事。父母から兄の引き立て役の役回りでしか見られず、父母への呪詛、現世への呪詛を終生捨てなったフローベールの内面を描き切る。その文章自体が矢張り驚異だし、描かれるフローベールが、今すごくリアルに読める。そういう家族とか、家庭を終生呪詛するとか、ここもリアルだと思いますね。家庭のトラブルどころではない。家庭って1人の人間の生涯を左右するもんだって分かる。怖いし物悲しいし。で、フローベールの最後の小説は夢の中で両親を殺す話だという。それがサルトル晩年の文学的仕事なんですが。そういう多面的な像をサルトルも持っている。だから「毛沢東主義になったから」で切れるほどに単調なものではないんですね。そこがやはり読み方が、もしも「俺は読んだ」というのならば、ダメだと思いますね。致命的にね。あまりに思慮が浅い。理解が浅い。

危惧してしまうのが、メンバーのなかに1人若い人が居て高野さんから~君で呼ばれている。ああいう人がこのなかの話とか真に受けてるようにもみえて、サルトルにしてもああいう切り方で切れる書き手ではないということは強調しておきたいですね。杜撰だし雑だしお話にならない。高野さんのフーコーの話はまだ良かったけどね。資本主義批判とはまた違った角度で近代を批判するというね。1つ加えれば、加工する〈主体-客体〉の分析がサルトルだとしたらフーコーの場合は知の〈主体-客体〉として個別化されていく過程を分析した、とも言えますよね。

kamaichi2002さん⇒人力飛行機さん

たしかに私のサルトル観は浅いことは認めます。でも、現在サルトルがまったくといいほどかえりみられないのは、論者の読みが浅薄ということでしょうか。返信不要。

kamaichi2002さんの追伸。

僕のオヤジの話、自慢話にきこえました?反感を買ったのかな? 僕自身はオヤジじゃなく、たんなる野良犬ですから、お察しくださいね!

感想2
全体的にジャズや音関係はまあ詳しく喋ってるけどジャズ以外の話題は雑だし聴けない話が多いなという印象。感想1に上げたように聞くに堪えない話も多いね。たとえば「大江健三郎にノーベル文学賞やるなら三島由紀夫にでしょう」はいいんだけど、「三島がノーベル文学賞もらってたら死ななかった」って言ってる人いたでしょう。三島の焦燥や遣り切れなさって今でも実は深部で蔓延してて、厭世観を散布するという気がしてるんですよね。だからこそあの人の自死は古くはならない、むしろいまだ新しい。あと、彼の小説辿ると、戦後という時代への彼の見方がよく分かる。金閣寺の主人公が勤めている鹿苑寺の老師が祇園の女と遊び歩き、それを目撃した主人公がなんとか落胆しながらも気持ちを通わせようとするが、「人と人とが理解し合ってどうなる。どうもならん」と言い放つ。主人公に裏の顔を知られながら放置する、仏教などそんなものだ或いは世の中などそんなものだとお前も分かっただろうとでも言いたげに突き放す。そこで主人公は金閣を焼くことを決意する。それまで主人公にとって美の象徴だった金閣がそういう戦後のニヒリズムの中にいつの間にかいたことに気づき、或る意味金閣の美を救済する意味も込めての、焼失することで現世のものではなくなることで、むしろ完全なる美として残す。これは最期の天皇制への対し方と同じで、現人神を復活させなければならないと彼が考えた意味でもある。戦後の相対主義のなかに埋没していく天皇制を許せない。しかしクーデターは失敗。現人神は復活しないと分かった瞬間、現存する天皇制を破壊するかわりに自分が死ぬ。その背景に戦後の相対主義や拝金主義や席取り競争になじめない彼の心性があったと思うんですよね。だから彼の死はいまでも古びてなくていまだに本は出る。そういった三島の焦燥をどうも先の発言の人は見えてない。大丈夫かと思いますね。あの人の焦燥がなんとか大賞でおさまるものなら苦労はない。甘すぎるんじゃないか。

あと、大江健三郎のノーベル文学賞受賞ですが、大江健三郎を選んだノーベル賞選考委員会?のコメントがあって。状況のなかでいつの間にか窮している人間の哀しさやおかしさの絵を描いた。いつのまにかとんでもない状況にどうしてよいか分からなくなっている現代の人間。その悲喜劇が描かれている。と書いてあってけっこうちゃんと読んでるんじゃないかって私は思ったんですけどね。選考理由はちゃんとしていた。

で、全体的に話があまりに根拠のない話が多い。それってネット文化の悪弊だとも思うんだけど。匿名で書き捨てるのに慣れてる。5ch.とかそういう世界。ああいう文化に慣れてしまってる気がしたんですよね。それで聴いててこれはひどいなという話が増えてくる。ジャズだと元々評価しにくい分野なせいか、言い捨てでなんとか通るけど、ひとたび別の分野になるとアラが浮き上がって見れなくなる。何言ってるの?になる。根拠の示せない評価が多い。でそういうのが通用すると思い込んでいる。まさに言ったもん勝ちみたいな。そういう傾向がみえますね。私はそういうのをみかけると黙っておれない人間なので言わせてもらいましたけど。まこういうの書いてるとストレス発散にはなりますけどね(笑)だからたぶんまたやります。

kamaichi2002さん⇒人力飛行機さん

人力飛行機さん、ご批判は甘んじて受けますよ。こういう話は、対面で、アルコール抜きで、しないと真意は伝わりにくいですね。ノーベル賞云々はある意味放言と思ってください。「根拠のない話が多い」といういうご批判も甘んじてうけます。根拠は示せますよ。
しかし、貴兄、文学に詳しいんですね。感服しました。是非対談したいなあ。ご検討ください。

人力飛行機さん⇒kamaichi2002さん

ま対談云々はともかく、大事なのは目を通す、音楽なら耳を通す、で自分なりの掴み方をするという。それがないとやっぱり言いっ放し文化になるしかない。ぜんぜん生産的ではない。わたしはジャズは蓄積がないので語れないんですよねー辛うじて今回の動画みたいな人文系の話題なら少々はいける。しかし自分が目を通してないものについては喋れないしね。なのでこのチャンネルには部外者だし今回みたいに話題が拡散する回では喋れますけどね。でないと無理だし。

せっかくだから今回でなく前回(5月?)の会合での話題に戻りたいんですが。途中で吉本の話になったとき、吉本-花田論争の話になって、「吉本-花田論争は花田の勝ち」と言っていた人が居て、あれはたぶんかまいちさんだったんではないかと。違ったら失礼。

私はあの論争について非常にひっかかってて。ある時集中して自分なりに調べたことがあるんですよ。あれは1958-1959年くらい。で埴谷が「決定的な転換期」で戦前派である自分や花田は戦中派で仲間を戦争で失った吉本にはかなわないとか書いた。が、しかし花田の読者も根強くて、で、1982年に絓秀実が『砂ペルソナ』で花田清輝論を出して。吉本は「資本制下で単純再生産の基礎を確立」という花田のセンテンスを引いて転向ファシストだと断じたがそれは誤読である。単純再生産など無理であることを提示して当時出ていた官僚の妄想を皮肉ったのであると書いた。それにたいする吉本の反応はなかったので、この問題はこのままになってしまった。しかし考えてみると、実は花田があそこのセンテンスで「現代の課題は資本制下で単純再生産の基礎を確立することにある」と書いたとき、日本は国家総動員で戦争に邁進。戦争に使う物資を調達せなばならぬでまさに蓄積などとんでもない。戦争に勝たなきゃならないでまさに国民生活は単純再生産それ自体であり、花田に言われるまでもなく当時の戦時日本は単純再生産だったと思うのです。産業面でもまた生活面でも。生産即消費と。なのであのセンテンスは戦時日本政府に向けて書いてる。しかしそれだけではない。資本論を引用し書いていることで、当時の左翼に向けても書いてる。ということは、日本の戦争への加担。しかし一方、左翼というより当時のソ連に向けても加担。どっちにも加担しているように取れる謎のようなテキストを書いている。それはなぜ可能だったかといえば、ソ連という誕生したばかりで他国と戦争ばかりしている国家社会主義ーという名前の覇権主義ーと、戦時日本というファシズム国家が、かなり似通っている面を保持していることに、左翼が気づいて行った。そこで転向左翼というのは単純なものではなく、今ならソ連が覇権主義だということは分かっているし、ソ連に肩入れしていたからといって左翼だとかは通用しない。しかし、あの当時にはまだソ連の神話は続いていた。だから花田のような両刀使いが可能だった。「いやあれは転向しているとみせかけて、ソ連型の社会主義国家に移行する機会を狙ってたのだ」という言い訳が可能だった。それくらい両国家が左翼にとって近づいてるようにおそらく見えたことで、転向左翼の使い分けが可能になっていた。その転向左翼の見出した双頭の怪物が、結局ファシズムとスターリニズムの発祥であって、戦後、戦時中の転向左翼が組合ボスに早変わりし、組合運動潰しに回った、というのは吉本のあの論争のなかで言ってたことなんだけど。そこに私も気にかかって。ここに吉本という人の思想の始まりがある。と気づいて行った。だからこそあの論争は重要なのだと気づいて行ったんですね。つまりファシズムとスターリニズムの互換性に、戦時左翼が気づいて行った。ここが、リアルタイムで色々言っていた埴谷でさえが読めてなかった。だからあの論争は、どっちが勝ちと決めるよりか、今出した論点を読めていたか。が最大の問題である。吉本の思想はそこから始まった。しかし80年代の花田論を書いた絓秀実もあの『砂のペルソナ』の読者も読めていたとは思えない。もう一度言い直すならば、花田清輝の孕む問題とは戦時中に残したテキストの謎。そこで体現されてるファシズムとスターリニズムの近似。花田清輝とはそれであって、だからこそあの論争はいまに通ずる難問を孕む。だからこそ重要であって、そこを素通りするなら、どっちが勝ちだと言ったところで無意味。そこがあの論争について、今一番言っておきたいことですよね。

kamaichi2002さんからのコメント。

雲さん。いま聞いたらこの四時間以上に及ぶ動画、709回も再生されているんですね。驚きです! アナリティクスで最後まで視聴したひとの数はわかるんでしょうか?

最後まで聞き続けた人の人数まではわかりませんが(途中から聞き始めた人もいると思うので)、アナリティクスを見ると、配信時リアルタイムの場合ですが、ピークはちょうど1時間58分から2時間0分のところで最大の20人でした。
そして、最後の最後の視聴者さんの人数は12人となっていますね。
ライブ配信後に聞いている人が多いんでしょうね。で、途中まで聞いて、途中で去っていく人たちがほとんどだと思います。