求ム!学生運動をしていた方のジャズ話

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求ム!学生運動をしていた方のジャズ話

コメント

2019 enchanさんからのコメント。

配信ありがとうございます!ついに来ましたね、この企画!わたしも高野さんと同年代なので「お話を聞く方」なのですが、非常に興味があります!

Kawai Andyさんからのコメント。

さすが雲さん!
学生運動とジャズと言えば山下洋輔と高野悦子の「二十歳の原点」ぐらいしか思い浮かばないので
私も、その頃のリアリティあるお話は是非、たくさん聞きたいですね〜!盲点を突いたいい企画ですね!

高野悦子の『二十歳の原点』、そういえば昔読みました。
山下洋輔といえば立松和平ですが(?!)、そう、『今も時だ』ですね。こういうの読むと、当時のジャズの受け止められ方って、世代の違う私からしてみると全然違う思考回路のような気がするんですよね。
「鑑賞」ではなく「行為」と結びつけて受け止めていたように感じるのです。
なぜ当時の若者はそこまで突き動かされるようかのように「行為」してたのか、それほどまでの力が音には宿っていたのか、それとも単なる時代の風潮(空気)だったのか、そのあたりが非常に興味あります。

kamaichi2002さんからのコメント。

かまいちです。僕は公式・非公式に、十分語った(いい足りないやばい話もありますが)、ここで語ることは控えますね(笑)。

そうですね、別な場所で思い切りドッカーンしてください😁😁😁

永井勉さんからのコメント。

学生運動と聞くと映画の「いちご白書」を思いだしました・・・
音楽的にはプロテストソングが流行って、フォーク・ロックが
幅をきかせていた時代ですよね!!
こんな時代にあえてジャズを聴く・・・興味が湧きますね!!!😅😅😅

あれれ、永井さんは運動(スポーツじゃない運動w)はしてなかったんですか?

永井勉さんからの返信。

時代が違いましたね・・・WWW
モンク教団の宣伝活動は今、やってます・・・WWW
youtubeを使いモンクのコピー曲を流している事ですか・・・???
私も教団の広報担当ですので、すれすれのところでやらせてもらってます・・・WWW
これも運動です!! だめですか・・・WWW😅😅😅

こちらのほうがヤヴァい「活動」かもしれないですね。
さすが「活動家」永井勉!😱

TAKESI0506さんからのコメント。

学生運動といえば、1960年代中盤から後半にかけてが、最も盛んだったと思いますが、この頃は私は小学生高学年だったので、もちろんそれに携わることはありませんでした。

以前、岩浪洋三VS粟村政昭の件が話題になったときに書き込んだことのある、68年のスイングジャーナルの連載企画「僕の青春時代」は、中村とうようさんも書いてます。この動画の主旨とはかけ離れているかもわかりませんが、参考までに……

『ぼくが入ったころの京大は、まだ旧制三高の気風が残っていて、大学なんて勉強するところではなく、人間を磨く場である――といった考え方が何となくただよっていた。あるいは、自分が勉強嫌いなため、勝手にそんな風に感じていたのかもしれない。とにかく大学の4年間はほとんど講義には出なかった。大学へ入るとすぐ、周りの影響でマルキシズムの本を読み始めた。博物館に通ったりお寺を巡ったりもした。だが最大の時間を費したのはアルバイトである。仕事の内容をくわしく書くには紙数が足りなくなったが、ほとんど勤め人と変らないくらいの収入を得ていた。学校の中では学生運動が盛んだった。ぼくはそれに参加する時間もなかったが、ぼくを運動から遠ざけた最大の原因は運動家たちへの人間的な不信であった。アルバイトの場で知り合った仲間に手ひどく裏切られたことも一度や二度ではない。またアルバイト仲間のひとりK君は火炎ビン事件の被告だった。彼が党員だったころ、党の方針に従って火炎ビンを投げて起訴され、その後左翼冒険主義と訣別した党によって除名処分となり、独力で法廷斗争をつづけるうちに精神的に参ってしまい、すさんだ生活の果てに自殺を遂げた。
 K君は気の弱い、根は実にいい奴だった。彼の自殺はぼくに大きなショックを与え、党に対する拭い難い不信感を植えつけた。
 昭和28年の荒神橋事件のころまでは学生運動に熱心に参加していたぼくも、だんだん運動から遠のき、アルバイトに専念する方向に行った。余暇にレコードを楽しむようになったのはそのころからである。片田舎で育ち、しかも年寄り臭い趣味に没入していた高校時代のぼくは、軽音楽などというものには一度も興味をもったことはなかった。大学2年生のころ、これもあるアルバイト仲間の影響で、ジャズやポピュラー音楽を聞くようになったのである。おそらく「スイング・ジャーナル」のレギュラー執筆者の中で、ぼくが一番オクテであったに違いない。
 大学卒業後、5年近く銀行員生活を送った。その間、組合運動を大分やったが、大学時代以来の組織不信のせいで、運動に徹し切れず、結局銀行から飛び出してしまい、しばらく食うや食わずの生活もしたが、なんとか音楽評論でメシを食わせていただけるようになった。「オールド・アクト・ハート」だった高校時代からマルキシズムヘの接近、さらにポピュラー音楽へと、ぼくはだんだん若返っているようだ。いまは、議会主義的イイ子チャンぶりを発揮している代々木への批判をいよいよ強め、大いに三派系全学連に共鳴している。当分は結婚しそうもないし、やりたいこと、勉強したいことは山ほどあるし、大いに「回り道人生」のコースを歩むつもりなので、ぼくの青春時代はまだまだこれからという感じである』

 とうようさんは、大学に入りたいという気はなく、周りが強く勧めるので、受験勉強らしいこともやらなかったが、それでも合格してしまったそうです。
 それで超難関の京都大学に合格するとは、どういう頭の構造をしているのでしょうか😁

そういう地頭の良い人、たまにいますよね。
それにしても、とうよう氏、銀行員だったとは!(驚)

博 橋本さんからのコメント。

学生運動云々に拘らずジャズを愛して学生時代を過ごし、およそ1971年〜1972年辺りに大学を卒業された方々の、当時のジャズ事情やその他、当時への思いを伺ってみたいと思っています。
私自身は団塊の世代の弟世代。1970年に大学入学。学生運動との関わりも弟の立場で上の世代を見詰めていた次第です。

ジャズとは離れますが、当時、新宿の三越の裏に『青蛾(せいが)』という喫茶店がありました。音楽というよりは美術、映画などの趣の店でした。木造の二階家。古い柱時計や椅子とテーブルもシックな店内。
二階の床は一階の天井兼用の板張り。初めて行った時は下駄履きだったもので、店の親父に「下駄で二階はご遠慮下さい」と恐ろし気に且つ丁寧に諭され、同行の友人は「ハイライト有りますか?」と訊ねて「ウチはタバコ屋じゃぁありませんよ」とやはり一喝というか囁かれました😅 
しかしその友人は浪人時代から何度か通って「ハイライト」も何度も買っている経験者だったのに😅😅😅
新宿やジャズ喫茶に限らず、確かにいろんなことが有りました。
正直なところ「ジャズ喫茶の親父」の定説の様な、頑固でわからんちんは実際には遭遇した事は有りません。
青蛾のご主人も五味敏郎と仰る「静かな秩序を通す頑固親父」であった事も後々知りました。

>「下駄で二階はご遠慮下さい」
やばっ!😅

直接「運動」「活動」とは関係ないですが、当時の状況、つまり今回のコメントのような博 橋本さんの若かりし時代のお話、もっと伺いたいので、近々ご近所にお邪魔するかもしれません。(というか、また一緒に酒飲みたいだけだったりして)

一雄 杉田さんからのコメント。

ヘルメット被って、ゲバ棒振り回していたのがジャズマンなんでしょうがね?

「就職が決まって 髪を切ってきとき もう若くないさと」
言い訳言ってる男がジャズマンなのでしょうか?

ジャズマンとは、クスリに溺れ命を削ってながらもアルトを吹くパーカーや、鍵盤に叩きつけるエヴァンスなのでは?
手探りで新しいものを創造し続けたマイルスなのでは?
恋人に撃ち殺されようと、マフィアにクスリ代が払えず前歯を折られようと吹き続けたトランペッターがジャズマンなのでしょうか?

なんて、、コメントを入れてるわたくしごときが、ジャズマンとは遠く離れてるんですが、、

高松貞治さんからのコメント。

市岡仁なら、学生運動か何かの運動に関わっていったかもしれませんね。ご存命なら、ぜひインタビューを聴きたかったのですが、もうすでにお亡くなりになったので残念です😢