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◎コメントをいただいた動画
▼求ム!学生運動をしていた方のジャズ話
コメント
御駄賃取郎さんからのコメント。
中村とうようさんが元銀行員だったなんて、全くしりませんでした。氏の音楽評論にはほとんど共感したことがなかったもので・・・。
ヒロシ橋本さんは、想像しますに私とほぼ同世代であられるように拝察しておりますが、そのせいでしょうか
過去の投稿などを拝見しましても共感を覚えることが多いです。(勝手にどうもすいません。)実は実兄が団塊世代で、当時「学生運動家ごっこ?」に血道をあげていたクチのアホなので、先日ひさしぶりにあったおりに色々さぐってきました。w 開口一番「・・今頃そんな恥話しをもちだすなよ・・」といいつつ「過去の栄光?」に酔ったのか「遠い目」をしておりました。で後悔はなにもない!といいながら「当時アメリカではベトナム戦争で俺達の同世代が徴兵されて、戦場へ行かされていた時代に、自分も何かに燃えたかっただけだ。」などと綺麗事?をいっていましたが、たしか以前は「女にモテるため」と明言していたでわなひか!?ww
で、兄いわく、「投石仲間とジャズ喫茶にいくことはなかったな。.いくならゴールデン街とか・・・」とのことですが、私にいわせればこれもきれいごとにしか過ぎず、ゴールデン街などに集う猛者連の前では肩身がせまく、
おとなしめの?ジャズ喫茶あたりが会話ができないぶん、カッコつけするにはちょうどよく、よくいったものだ。
でもジャズのことなど特別な興味はなかった。とのことでした。持論の「団塊世代のあやしさが文化をつくった」の根拠になった実兄の証言ではありました。
また同時に「学生運動の仲間でお利口さんで要領のいいヤツは大企業などに潜り込み、それ以下のアホの多くはマスコミをめざしたな。」とかたり「テレビで大企業を定年退職した人間などがNHKのドキュメント番組などで笑顔で、「私も昔は鳴らしたもんですよ」 などと語るのをみると無性に腹が立つ!・・とも。我がオニイチャンよ、それはわしにいわせれば「引かれ者の小唄」とかいうんじゃなひかい?と思った。
わたし自身の経験からも、あの頃リアルタイムでジャズ喫茶などでこうした学生運動の匂いを感じたことはありませんでした。あの当時「本当の運動家(逮捕歴を持つような)は自分からは決して口を割らず、いるとすれば我が兄のごときアホだけだった」と思っています。
kamaichi2002さん⇒御駄賃取郎さん
こんにちは。あのころはそういう人々は「ファッション左翼」と呼ばれていましたね。僕自身全然女にはもてませんでしたよww。でも運動とは関係のないかわいい彼女はいましたが…。
僕らは遅れてきた世代なので(1978年大学入学)完全なマイノリティでした。僕自身は逮捕されたことはありませんが、友人は「凶器準備集合罪」で松本刑務所に懲役二年をくらいました。僕が一番やられたのは、1979年韓国全斗煥将軍のクーデターに対する抗議集会~デモでした。外務省正門前で、デモ指揮の奴が突然「座り込み」を指示しました。当然「東京都公安条例」違反です。機動隊が襲ってきて殴るけるの大弾圧。ジュラルミン盾の垂直攻撃。安全靴履いててよかったです。そのとき、僕のななめ前のHが「ゴボウ抜き」されて逮捕。公安から目をつけられていたのですね。幹部クラスでしたし、やばいもの作っていましたからねえ。懲役3年。
幸い私は小物なので逮捕されませんが、肋骨数本折りました。終着地点の日比谷公園に到着したときはボロボロ。帰りに新橋で一杯、と思っていたのですがそんな風体ではありません。帰りの東海道線でも乗客にじろじろみられ「見せんもんじゃねえぞ」といいたいところをグっと我慢。
帰宅し服を母に見せると「もーこれもう着れないじゃない。まったく荒っぽいことすんじゃないわよ。洋服代は出世払いにしといてあげるわ」としかられました。わりとリベラルな家庭環境だったんですww。これが僕のエピソード(のほんの一部)です。決して武勇伝を書いたわけではありませぬことをおことわりしておきます。
御駄賃取郎さん⇒kamaichi2002さん
かまいちさん、お見事です!・・私は20歳の頃よりバンドマンを経験してきましたが、女性には皆目・全く・全然・モテませんでした。www 友人からは「お前が女房自慢嫌いなのは、もしや?・・」とよく言われたくらい「顔が不自然・不器用な女性?」としか縁がなかったからであります。w(._.)
ついでにいえばパーカー苦手にも、もうひとつの別な理由があります。それは、初めてはいったコンボのバンマスが「ジョニー・ホッジス似の顔した、パーカー大好きアルト吹き」で、その人からいやというほど厳しく激しくしごかれた経験があるからでもあります。w
「・・・そこは単なるロールではなく、5連プラス7連の連続打ちのリピートだろ?」などということを平気でいってくるような方でしたが、どんな譜面も初見でラクラクと吹きこなすというワザをみせつけられては、「自分はパーカーの足元にも及ばん。」が口ぐせの恐るべきオッサンでした。
だから私は今でもパーカーを聞くとそのバンマスのジョニー・ホッジス顔?が浮かびます。トラウマなのです・・・。ww
でもお互いトシがいきますといい思い出ですよね。^^
私がロリンズの「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズ」に尋常ならざる思い入れがあることは「ゆけ!ぶちかませロリンズ!!男は見かけじゃないぞ!ということを、全部ぶちまけろ!!」
という気持ちで投稿したことも、高野マスターにはおわかりいただけたようで・・・うれしい限りです。。^^
kamaichi2002さん⇒御駄賃取郎さん
こんばんは。ドラマーだったのですね! で、そのアルト・サックスのバンマスは「森ケンジ」さんではなかったでしょうか? 間違っていたらごめんなさい。
博 橋本さん⇒御駄賃取郎さん
ちょっと話は変わりますが・・・😅
ジョニー・ホッジスを威勢良くするとキャノンボール・アダレイになるな😅と思っています。
ホッジスもキャノンボールも大好きです😊😊😊
私もそう思ってました。
kamaichi2002さん⇒博 橋本さん
コルトレーンはホッジスのバンドに一時いましたよね? たしか”Used to be Duke”というヴァーヴ盤だったような…。
博 橋本さん⇒kamaichi2002さん
“Used to be Duke” の頭の3曲にコルトレーンが入っていた筈です。私はこの盤は持ってはいません。随分後になって手に入れた、ホッジスのスモール・バンドのベスト盤 CD にコルトレーンが参加した ”Used to be Duke” ”On the sunny side of the street” “Sweet as bear meat” の3曲が入っています。
今でも iPod でよく聴いています。特にコルトレーンが聞き分けられる訳では有りませんが、ホッジスとローレンス・ブラウンがひたすら良いです😊😊😊
御駄賃取郎さん⇒kamaichi2002さん
ありがとうございます。私の場合はドラマーというよりは、太鼓持ちという感じでしょうか。w でそのアルトサックス奏者のバンマスは残念ながら森ケンジさんではありませんでしたが、うわさでは昔の有名なビッグ・バンドに在籍していたとか。とにかく(プロというのはここまですごい!)ということを骨身にしみるほど?おしえられました。
そして私自身はといえば、太鼓持ちはバイトでした。大学にはいってからは学生バンドにはいりましたがバカらしい?のでやめて、その後は普通の(固いというべきか?)サラリーマン生活でした。
余談ながら、その頃バンドマンでもタイコがフツー?にできる人間はほとんどいなかったようでギャラは他の楽器よりもかなり良かったようでした。大学を出て社会人となって初任給をもらい、思わず後悔したくらいでした。笑
御駄賃取郎さん⇒博 橋本さん
同感です。またジョニーグリフフィンのLPも45回転でまわすとパーカーになるともいわれていましたよね。笑
Jさんからのコメント。
時にジャズから離れ ジョンウィック 観ました
いや〜 実に渋い
ドニ─イェイン以前ジョンウィックは 貸しビテオで観てたので みようと
主役は キアヌ・リーブスでなく ドニ─だ キアヌは脇役 真田も出てたんだ!ところで ジャズアルバムで 脇役が渋く主役を奪うものあったかな~
カイナブル─にしても確かにキャノン凄いが渋くはないもんネ~J
kamaichi2002さん⇒Jさん
マイルスの「プラグドニッケル」なんかはどうでしょう?
博 橋本さん⇒kamaichi2002さん
マイルスは戸惑い始める。
トニー、ショーター、ハンコックは気がつくとお互いを煽り合ってる😅
Jさん⇒博 橋本さん
確かに この頃のマイルスは 特に仕掛けというか仕込みが 多そうですね
ショ─タ─は アップアップで 溺れそうにも感じるくらいです 😁
博 橋本さん⇒Jさん
マイルスは体調不良のブランクがあったんですよね。そんなマイルスの留守の間にハンコックやトニーが少しヤンチャ気味に走った様ですね。マイルス、トニー、ハンコックの探り合いが時々顔をちらつかせている様に思えます。そこが格好良い😅
Jさん⇒博 橋本さん
そうですか 病み上がりという意味では 確かにカマイチさん曰く 冴えイマイチ!? しかし名演だな~😏
博 橋本さん⇒Jさん
『ESP』から単にショーター四部作で完結していた70年代初頭のマイルスのディスコ・グラフィーでしたが、ショーター四部作前夜での出来事もしっかり記録されていた訳ですね。これで電化マイルスにはなかなか気持ちが向きませんでした😅😅😅
kamaichi2002さんからのコメント。
とうようさんは1953年の荒神橋事件に出会っていたんですね。まだ新左翼は成立していませんね。立命館大というのは『二十歳の原点』高野悦子の通っていた学校ですね。奇妙な符合です。自殺された友人は、日共1955年六全協の「極左冒険主義」自己批判~議会主義への方針転換に絶望されたんでしょうね。まさに「されどわれらが日々」の世界です。痛ましいです。その翌年は「スターリン批判」「ハンガリー動乱」という大事件も起こりましたからね。誠実に党の方針に従って活動してきた人にはたまらないことだったのでしょう。繰り返しますが痛ましいことです。これらの衝撃に耐ええた、いわば「タフ」(無神経ともいえる)人々がその後の新左翼諸党派を結成したのですね。左翼のつまらぬ黒歴史です。
ちなみに荒神橋事件当時に使用された火炎ビンは「モロトフ・カクテル」とよばれ、ビンが割れると自然発火するという高性能のものでした。その後の三里塚闘争などで使用されたものは発火剤(ガソリン)の入ったビンに、これまたガソリンを湿らせた綿等をつめあらかじめ火をつけてから投擲するという「劣化版」でした。技術的にも劣っていたのですね。どうでもいい話でした。また火炎瓶は1939(昭和14)ねんの「ノモンハン事件」でもソ連のBT戦車を攻撃するために関東軍が使用されたことも付記しておきます。ソ連はすばやくディーゼルエンジンに仕様を変更して、この火炎瓶も無力のものになりましたとさ。火炎瓶は戦前からあったので戦後すぐの左翼が使用したのも頷けますね! あーどうでもいい話を書いてしまった…。
本にしましょう(謎)😆