1990年に発売された『ジャズ批評』No.68の特集は「ジャズ・ピアノ vol.1」なのですが、その中で上條直之さんが書かれたフレディ・レッドの特集記事を紹介した動画をアップしました。
「フレディ・レッドが好きな話」
コメント
EnjoyableJazzForOldAgeさんからのコメント。
ジャズ批評編集部の上條君には随分と仲良くして頂きました。
羽目を外して夜の街で弾けたり、愉しい思い出ばかりです。兎に角信じられない程に明るく親切で頭も切れる理想の友人でした。
余りの親切ぶりとして、彼の方が遥かに安月給だった筈ですが一緒に飯を食いますと、どういう訳か必ず全額彼の奢りにしなければ気分を崩してしまう所があり、毎度恐縮しました。
彼はポケットtpが大変上手で、瘦身で風貌も何処かドンチェリーを思わせる所があり、私の出鱈目なアルトと一緒にOコールマン+Dチェリーもどき+素股こと茂串マスターのdsでイントロで遊ばせて頂いたのも青春の思い出になりました。
私のヘンテコアルトは58年Oコールマンの心算でしたが、イントロのブラインド大会で一度ふざけて私のアルト吹奏をブラインドに出題したことが御座いました。伴奏はシグナル盤のHオーヴァートンとDジョーダンがマイナスワン用に作ったレコードです。ほぼ全員誰だか分らない、と空欄ですが、スマタだけソニーレッド、と回答記入して下さった時は、何だか嬉しくなりました。
御駄賃取郎さん⇒EnjoyableJazzForOldAgeさん
NHKの朝ドラの「ブギ・ウギ」が、けうからはじまった。まだジャズが一般大衆から「いいね!」と思われていた頃のお話で楽しみだ。
これまでも朝ドラでは、スイング・ジャズまでは大衆音楽としてとりあげてきたが、バップ以降のモダン・ジャズはとりあげられていないようだ。自分はジャズ批評の松坂さんを尊敬していた。この雑誌こそ、「あの頃のジャズ」?を彷彿とさせてくれる正統派のジャズ雑誌として末永く続いてほしいものだ。
その意味では、じつは現在の80代から90代のジャズフアンの方々こそ日本におけるジヤズのまさに「生き証人」だと思うが、残念ながらネットでおめにかかることはできない。。
できればジャズ批評には「リアルジャズ創世記?」として、こうした「あの頃のジャズ(モダンジャズ以前の)のフアンの声」を特集していただきたいが、売れないだろうなあ?wwあるいは個人的には「再発されたらいつの間にかモノラル盤からステレオ盤へ?」という企画本をのぞみたい。
モノラルからステレオへの移行期の録音で、再発されたらステレオ盤になっていたというのは結構あった。
印象も随分と変わっていて、おどろくことがおおかったが、専門誌やレコード会社の担当もこんなことにまではほとんど興味がなかったようで、自分でCDで買い直して初めて驚くということが多かった気がする。若者にアナログレコードの人気が静かに再燃しているという。ジャズはこうした熱心なフアンにこそ受け入れられやすい音楽ではないだろうか。
EnjoyableJazzForOldAgeさん⇒御駄賃取郎さん
御駄賃取郎さま、はじめまして。
松坂さんと御懇意でいらしたのですね。
私は熱海の旅行会でご一緒させて頂いたのですが、フリージャズや公民権運動には疎く、深く語り合った事も御座いませんまま終わってしまいました。
アバンギャルドなところは微塵も無いどう見てもおっとりしたご婦人でしたので、この方がジャズ批評を?というのが第一印象でした。ジャズ批評も第102号だけデキシーとスイングを特集して呉れましたが、ファンには物足りないですよね。
そもそもデキシーとスイングが好き、と言ってしまったら最後、仲間外れになるモダン偏重の空気は、今後もどんどん進行してしまうのではないか、と危惧いたしております。
グレンミラーが大好きだからミラーにした、と公言するユッコミラーさんがスイングの旗振りをして呉れれば状況も変わりそうですが、期待できるか、どうなりますか…
御駄賃取郎さん⇒EnjoyableJazzForOldAgeさん
EnjoyableJazzForOldAgeさん はじめまして。日本のジャズはあまりにもモダン偏重だと私も感じております。若い頃、友人の結婚式で社会人のアマチュア・フルバンドが「ムーンライト・セレナーデ」を演奏して式がはじまったことがありますが、私はそれだけでもう胸が一杯!でした。
その後もスイング・ジヤズの 名曲のオンパレードでしたが、シメはなんと「スイング・スイング・スイング!」でしたが、会場総立ちで私は感極まって涙をこらえきれませんでした。
「なぜアメリカ人は(100万ドルのマンネリズム)といわれたスイング・ジャズを手放したのだろう?」黒人が始めたビ・バップによって、長い時間をかけてアメリカではジャズが衰退していったようにも思います。そして日本でもスイングジャーナルの創刊は1945年ということなので創始者は当然ビバップなど頭になかったでしょう。実際SJ誌の創刊号は「ダンスと音楽」というタイトルでまだペラペラの雑誌で、中身はダンス・ステップの足運びの図面が織り込まれており、ほとんどダンスと音楽のタイトルのままでしたね。(ここまで長年かけて調べました。)
生のビッグ・バンドのたのしさ、すばらしさを1度でも経験しますと、大抵みんな「ジャズっていいね!」といいますよね。 パーカーをきかせても「なんだ?これ??」となるだけですが・・・。w
でも生真面目な日本人はジャズを素直に愛し、慈しんできたおかげで今や世界に冠たるジャズがさかんな国となりましたが、今後モダン・ジャズだけでなくスイングやブギウギなどもジャズ喫茶でどんどんかかることを願っています。
EnjoyableJazzForOldAgeさん⇒御駄賃取郎さん
さま、こちらこそどうぞ宜しくお願い申し上げます!
スイングがお好きであれば、スイングジャズとは呼ばずに是非スイング、と呼ぶようになさってみて下さいませ。スウィングでもスィングでもスウィングでもスヰングでも結構ですのでジャズの呼称を外して頂けますと20世紀ファンの仲間入りになります。
理由は各所で書かれていると思いますし、多分コメント返しの動画を作って下さればもっと良い説明を高野さんが解説して下さるとも思います。Swing,Swing,Swing は、林家こぶ平さんが二木ゴルフのコマーシャルで作った・作って貰った(?)コマーシャルソングで御座いますので、恐らくお友達のご結婚式で演じられましたのは、LプリマのSing,Sing,Singだと思います。
この曲のブリッジは、白人のプリマが黒人Aカークのクリストファーコロンバスを盗作した、という説も多く在るのですが、吹込み順序で行きますとルイプリマの録音年月日の方がAカークよりも一週間早く、私はどちらが本当か気になって居ります。リフですのでレコード吹込みよりも遥か前に、ジャムやボールルームの合間で演じられていたのは確かだろうと思いますので、盗作説は多分それが理由なのだろうとは思います。
スイングも、若しかすると黒人スイングはジャズの呼称を付けても良いのかも知れません。この辺りも高野さんに補足して戴けると助かります。
エリントンのジャングルスタイルや、ベイシーのカンサスリフ、ジャンプバンドの数々は、白人ボールルームでのスイングとは明らかに異質であることは御存じの通りですので、スイングはそれ迄のジャズと異質な全く新しく清潔なもの、という意味合いが込められていた訳です。
キラーディラーというキーワードも御存じと思います。
豪華で煌びやかなスイングの雰囲気を言い表した当時の新語ですよね。主に白人スイングのビッグバンドを指して呼ばれることが多いですが、流行語になった当時制作された映画Killer Diller は黒人バンドを描いた作品だったり、所謂キラーディラーサウンドの編曲手法は勿論フレッチャーヘンダーソンが創始したものですので白人的洗練を指すとすると若干間尺が合わないところもあり、これまた高野さんに助けて戴きたい部分です。白人スイングの原点がどこにあるか、が私にも大きな興味対象です。シカゴのホットへの対語として編み出されたポールホワイトマンに代表されるスイートや、ノベルティバンドと括られている白人バンド群がフュージョンしてスイングになっているようにも感じますし、グッドマンを特筆しますと黒人バンドへの理解の深さも影響していますし、そこには当然下層白人扱いだったユダヤ人とイタリア系移民の意識も大きく影響していたでしょうし、これからもっと学んでいきたいと思っております。
又いお色教えて頂けますと助かります。
今後共どうぞ宜しくお願い申し上げます。
永井勉さんからのコメント。
雲さんの口からフレディー・レッドの1957 San Francisco Suite
のお話を聞くのは3回目くらいです・・・WWW
私はFreddie Redd – San Francisco Suite、大好きです・・・WWW
1959 – Kind of Blueの2年前くらいのアルバムですけど、
滅茶苦茶ポップなアルバムですよね!!
彼の良さは、テクニックとかジャズ感とか、ブルース感ではなく
少し速すぎたこのメロディーセンスがイイんです!!!😅😅😅
そんなに紹介してましたっけ😅
けっこう好きなんですね、私。
>少し速すぎたこのメロディーセンスがイイ
さすが!