ライブ配信 新春大放談 2024/01/04

投稿者:

2024年1月4日、我が家で催した「新春オフ会」の模様のライブ配信動画です。

一応、最初の趣旨は「新春大放談(悪口大会)」だったのですが、あんまり悪口大会にはなっていないという……。

コメント

人力飛行機さんからのコメント。

ライブ配信お疲れ様でした。リアルタイムで部分部分とびとびに聞かせてもらってました。ただ、大西順子について喋り出したところはチャンネル変えましたけど。不思議なもので、あのライブ動画みてから、それまでそうでもなかったのに「大西順子」の名前聞くのも嫌気がさして(笑)話題になってるの聴くのも嫌気がさして。不思議なものですね。人間というか私。たしかに音楽や作品のことだけで判断できればいいんだけど、自分の場合、感性や視野や思考やの、対象も感度も限定しないので。目に映る、耳に聴こえる、肌に触れる、全部が私だとみなすので。必然的に、作品だけで、にはならない。ご了承ください(笑)

ライブ配信は全部は聴かないで、この正月は他人のBlogみて。ハイデッガーについて書いてる吉本隆明についても書いてる某もの書きの立ててたBlogみて、私もハイデッガーについて吉本隆明について考えてる人間なので興味があって。その人ー森崎茂さんーは1949生まれで全共闘だったみたいなんです。で、吉本隆明にもじかに会って対談してたり。で、自分で本も出してそれを吉本隆明は読んでたり。さぞかし凄い人なんだろうなと思ってた。経歴が凄いから。そしたらハイデッガーについても吉本隆明についても、ハイデッガーについてはナチス加担時代の色眼鏡でしか視ないは読めないは。吉本隆明についてもオウムの麻原がヨーガ修行者として優秀また親鸞論における、俗悪論ー悪に近いほど浄土に近いーをもって偽物と決めつけるは、そこがいかにも皮相的でよろしくないと見えてきて、というよりもハイデッガーの作品でこの森崎さんが引用する『「ヒューマニズム」について』という1946年のがあるんですけど。引用してるのがちくま学芸文庫版なんだけど、引用読んでこれはひどいと思って。翻訳はハイデッガー翻訳&研究で有名な渡辺二郎という人なんですが、渡辺二郎がこれを?と思える悪訳で、これも呆れて(このコメント終りの補注参照)。ただ森崎さんの思考停止は悪訳のせいばかりではなかろうと、改めてハイデッガー受容、読解における困難について思いましたけど。ハイデッガーも吉本もあなたが考えてるほどちゃちいもんではないよと。言いたくてBlogにコメントしたんですけど、なんと森崎さん。2022年に逝去されててBlogだけ残ってる状態。それを知ってたぶん返事は来ないけど(来たら怖い)コメントは送信しました。 

音源ではジェフ・ベックの1976年のブート音源にハマってます。彼のキャリアでもジャズに接近していた時期だと思います。
Jeff Beck with The Jan Hammer Group – 1976-10-10 Music Hall, Boston, MA, USA [AUD]

というわけで本年もジャズに疎い私ごときがときどき聴いて勝手なコメントもするとは思いますが、なにとぞひとつ大目に見てくださりますようお願い申し上げます。かしこ🐉

補注 どうも気になってちくま文芸文庫の『「ヒューマニズム」について』(渡辺二郎訳)を取り寄せて、Blogに引用されてる問題の箇所を開いてみました。すると、実際の渡辺二郎訳と、森崎茂さんの引用する訳文が違っていることが分かった。しかも重要なところで。ハイデッガーは人間の駆使する否定性の根源を、無化することー原語 Nightenーであり、それは私の没交渉的な世界(存在)から来るのだとする。それは辻村公一訳で「無化すること」渡辺二郎訳では「否む働き」だと訳されている。これは訳語としてまったく誤りではないでしょう。しかし森崎茂さんの引用ではこの語彙NIghtenが「歪む働き」になっている。意図的かどうかは不明ですが。で森崎さんは「歪む働き」をハイデッガー存在論の特徴だと決めて話を進めてる。「否む働き」は否定性。しかし「歪む働き」は明確に自己へのマイナス・疎外というニュアンスがある。しかも前者は他動詞。後者は自動詞。

なので森崎さんの記述ではハイデッガーへのまた訳者の渡辺二郎への誤解を生むよろしくない誤引用だということが分かった。それで進めて分かったつもりでやってる。あまりに文体が自信満々だから今回、改めてちくま文芸文庫を取り寄せて読んで初めて判明する。あまりにも、偶然のミスなら不注意すぎるし。意図的なら悪質な操作である。それでハイデッガーの思想的問題を当てた気になってる。⇒こちら
油断も隙もありません。(笑)

御駄賃取郎さんからのコメント。

ライブ配信、昨日ほぼリアルタイムで全編聞かせていただきました。大変お疲れさまでした。今回も実に興味ふかいものがありました。
お三方ともジャズのキャリアの長さが随所にかんじられて興味がつきませんでした。
かまいちさん、TAKESHI0506さんは特に私と世代も近く(私のほうが少し年上のようですが、四捨五入すれば同世代?ですね。笑)

正直申せば、かまいちさんとTAKESHI0506さんには同世代感がありますが、高野さんは新人類・新世代?の感じですかね。笑 まあ当然といえば当然ですけど、だからこそ面白いのだと思っています。

私は昔から、人と映画を観に行くことが大の苦手でした。観たあとの喫茶店などでは、どこが良かった?などの会話では、なんとなく自分の感想だけがずれているような気がして、(え?・・そこかよ?・・・)と思うこと、しきりでした。つまり昔から「変人」でした。あ?これは父が共産党員だったこととは全く関係ないと思っています。笑。

今回は「罵詈雑言大会?」と思って、いつ、かまいちさんがパーカーの嫌いなところ??をお話になるのかなあ?と期待していたのですが、やはりパーカーはわからん・苦手だ、なんてジャズサイトでぶっこく自分は、変態!変人!!といわれてもしかたがなひのだなあ・・・と、改めて実感ス。。。。(爆爆!)

でも、とにかくおもしろかったです!ありがたふございました!m(_ _)mv

PS、今年の大河ドラマは、私が一番キライなぶりぶり女優が主演なので、それでもドラマをみて、(えがったあ!)と思えるのやろか?自分。(^^ゞ

さらに御駄賃取郎さんからのコメント。

ライブ放送・・繰り返し聴いて、さきほど3回目を聴き終えたところです。てへへ(^^ゞ

 1970年代のオーディオブームの隆盛期に、ある週刊誌で(ポスト?)小学館VS集英社特集という特集があり、その中で、当時「・・日本の全出版社の中で一番利益率の高いのはスイングジャーナル社だ」、「社員一人あたりの売上も同社が日本の出版社でTOPだ」というデータが掲載されており、朝の通勤電車内でそれを見た私は思わず大仰天し、(・・これはなにかのマチガイに違いない!)と天を仰いだものでした。

そしてしばらくしてジャズの仲間がしきりに「あれ、読んだか?」という話しがでて「うん。。でもなにかのマチガイだろ?」くらいにいうと「お前、アホか!?」と馬鹿にされました。

たしかにオーディオブームの最盛期?の頃のSJ誌はおそろしく分厚く、ほぼ半分くらいはオーディオの記事と広告で埋まっていた記憶があります。

当時ジャズのことに興味をもたない友人から「その本、一体なんでそんなに分厚いのだ?そんなにジャズって人気があるのか?」とよく聞かれました。・・・あらゆる音楽誌の中でも抜きん出た分厚さでしたね?笑

しかし今ふりかえればジャズレコードそのもの(クリフオード・ブラウン~マックス・ローチのシリーズ)を油井正一さんが紹介・宣伝するというテレビCM(スポット)までもが頻繁にながされていたことを思い、また、オーレックス・ジャズコンサートなどが大手企業のスポンサードで開かれるというまさに絶頂期でしたね。

我が国でのジャズブームといえば1960年のジャズ・メッセンジャーズの来日で「そばやの出前持ちまでがモーニンを口ずさんだ」という有名なデマ伝説?がうまれ、(その頃にはまだオーディオブームはなかった)、その次にこのオーディブームにささえられた?大ジャズブームが頂点を極めたように思います。

そしてバブルの崩壊とともに次第に規模が縮小され、現在に至りますが、私の世代(70代)というのは偶然にもこうしたブームを体験できたことは実にしあわせだったな、と思っています。

・・そして今は(こんなシャンソンの曲あったなあ?)そのSJが創刊される直前の「ジャズ=ブギウギ」のドラマが朝ドラで見れる!!なんという偶然の喜び?なんだろうか!これで自分は「日本のジャズ」の創生期から衰退期??までの流れをひととうりかんじることができた!という喜びがあります。

でもジャズが大衆を熱狂させた時代というのは、規模こそちがえ、スタイルをかえながらも黙々として深く暑い灯火を燃焼させていることに注目しなくては!と思うばかりの、けうこの頃デス・・・。

自分も生あるうちに、せめてなんとかあの「聖地・いーぐる?」には行ってみたいものだ! ちゃん・チャン!(._.)v

3回も!!
よっぽど暇なんですね😁
あ、嘘うそ、そんなにたくさん聞いていただいてありがとうございます🙇

>日本の全出版社の中で一番利益率の高いのはスイングジャーナル社だ
栄枯盛衰、邯鄲の夢、盛者必衰の理をあらわす…