中公文庫の『路上のジャズ』(中上健次・著)を買ったので、立ち読み的紹介をしてみました。
コメント
山本陽子さんからのコメント。
中上健次さんを読んだことがなかったので、私も来年の1冊目に読んでみようと思います!!
ご紹介ありがとうございました!
👍
御駄賃取郎さんからのコメント。
高野マスターが私の知る限りこれまでのジャズ評論家と異なるのは、違うなあ、新しいなあ・・そしておもしれえなあ!という、その「雑食性(良き意味で)」というか、好奇心あふれる貪欲さだと感じています。
ユーチューブ上でジャズの音源投稿動画が増えたなと実感したのは2019年頃だと思いますが、多くの皆様に同じく、そうしたジャズ音源サイトから自分の趣味や年齢を探りマークし続けているユーチューブのジャズのサイトが自分には主に2つあります。
そしてこれらのサイトには毎日4枚ほどの名盤音源がUPされていますが、さすがに4年も経過するとそのペースも少しずつダウンしてきてますよね。驚くべきはその総UP枚数ですが、どちらも概ね5000枚位です。
ジャズフアンには長年のコレクターも多いのですが、それでもレコード、CDをあわせて5000枚ともなると
普通の冷静な?生活空間?など望めませんよね?・・まさに「日常生活を破壊する」ような物量と場所取りだと思います。私も、「邪魔!」という同居人の苦情?に耐えかねて??長年かけてPCに取り込み、資料も完全に断捨離しましたが、好きな音源はジャンルを問わず「PCに保存」を趣味としてきましたが、今度は「いつそれを聴くの?」という攻撃?にあっています。笑
こちらに集う、多くのベテランフアンの皆様の中にはこうした同様の悩みを抱えておられるお方も多いと想像しております。
そんな自分から見て、高野雲さんはあきらかに「異常だあっ!」と思いつつ、「尊敬」しております。
異常!・・・もとい!以上!・・皆様良き年をお迎えください。来年も楽しみにしております。
ありがとうございます!
やまねこやまちゃんさんからのコメント。
ロックは死んだ とか ジャズは死んだ とか言うとカッコいいしキャッチーだし、でもプロのミュージシャンに対して失礼だと思う。
ロックにしてもジャズにしても、ある意味では死んだとしても不死鳥のように蘇ってきてるんだと思う。
今年一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
本当、おっしゃる通りだと思います。
この方が前半で話している通り、今のジャズって(それほどたくさん聞いてないので詳しくはないのですが…)、かなり凄い次元まで発展してきていると思います。
↓
【神回】なぜジャズライブに人が来ないのか 現状を分析し未来への展望を語る
来年もよろしくお願いいたします。
御駄賃取郎さんからのコメント。
>でもプロのミュージシャンに対して失礼だと思う。
・・・実は、私はそうは思いません。逆に観客があまりにありがたがり、拍手喝采で甘やかすことの弊害?当たり前のことが表面化しているだけだと思っています。これは今の時代、漫才などの芸能にも同じことをかんじますが、「おあいそ笑い、つられ笑い」が芸人を勘違いさせているのとあまり違わないように感じます。
まあこれが日本人のやさしさでもありよいところでもあると思うのですが、逆にクラシックやジャズのコンサートで私は日本では「ブーイング」を経験した記憶がほとんどありません。(ある有名外タレのコンサート以外では皆無です。)それとジャズのライブで各奏者のソロが終わるたび、拍手を送る?なんて、単に「マナー」だけだと思います。私はそれが(面倒くせえなあ)と感じてからライブにいくことはめっきりへりました。(屁)のせいだけではありません・
これの改善策としましては「電波法・放送法の改正」で「音楽プログラムの最低◯分の1はジャズを流すこと」と、クラシック同様のプログラム義務を課すこともありかな?
あるいは絵画のバンクシーのように「フィクサー」による仕掛けをつくり、公金で銭がまわるように仕組みをつくるとか。。もっと簡単に、政府がどんどん「労働力としての移民(中国など)をふやせば、全国にひろがる空き家問題や、ジャズ喫茶の再繁栄も可能かも??
あと、ジャズマン(アマチュア)がよく口にする、やれ「ドリアンがあ・・」とかのモード用語をきいていると、(うまそなケーキ名だな)としか思わんです。
やまねこやまちゃん
やはり「歌を忘れたカナリア」になっているのではないのでしょうか?
やまねこやまちゃんさん⇒御駄賃取郎さん
JAZZは死んだ ミュージシャン側の声でそういう狭い括りに囚われたくない広い曖昧な枠の中でシキタリとか関係なく音楽をやりたいとの考えから出てきたもの と
最近の若い人はJAZZを聞かないんで商売にならないという意味からのJAZZは死んだ、というのがあるみたいですね。
私は10年くらいコンサートとか見に行ってません。嫁にクリスハートのコンサート行こうと言われて断った記憶があります(田舎なんでクリスハートくらいしか害タレが来ない?)JAZZは1度だけマイルス・デイヴィス聞いたっきりです。ロックとかクラシックのほうが全然多かったな。
御駄賃取郎さん⇒やまねこやまちゃんさん
・・「007は2度◯ぬ」そうですが、ジャズは1960年代以降すでに何度も◯んだ!と言われ続けてきましたよね。笑
昨年驚いたことにNHKのBS番組で某評論家が「ストラビンスキーの春の祭典の初演では好評をもって観客に迎えられた 云々・・・」とかたり「ええ!またあ!大洞ふくなよ~!」と思いました。レコ芸などのクラシック専門誌などでは「初演では激しい怒号が飛び交い、物がステージになげつけられた」というのがそれまでの大定説だったはず・・。
今となってはどちらが正しいのか証明できませんが、怖いのは。NHKという「権威?」がこういうと、信じ込まれるということです。私はマスメディアのこわさがここにある、と思います。「ついにあの◯◯が来日!」などと放送するだけでチケットが動く・・。私は「え?あのって、どの?」と疑う。
同じ理由で全く見る気もおこらないのが、同局の人気番組?の「◯◯のルーツを探る」とかいう番組ですが、これも誰も追証したケースが無いということは・・・実にあやしい・・・。これと同様な疑問はSJでも多く?ありました。
ジャズやクラシックというあくまでも「趣味」を対象とするジャンルはこのあたりがとても微妙で、シャンソンや中南米音楽などの音楽専門誌もかつては存在し、人気もあったのに、何故消えたのか?
そう考えれば現在においても「追証体験」ができる「ジャズ喫茶」の存在こそ間違いなく国が援助してもおかしくないと思うのですが・・。
人力飛行機さんからのコメント。
ちょっと紹介されただけでも面白そう。主さんが進めている、一昔前のジャズ受容研究?の一環として最適な一冊。
中上健次さんて直接会場で講演と質疑応答聞いたことある。ここのコメント欄にも書いたかもしれない。1987年品川の倉庫使った24時間連続講演会。色んな人が代わる代わる壇上上がってお喋りしたり対談したり座談会したり、劇団が演劇したり。吉本隆明から中上健次から、歌手の都はるみが引退してて中上健次と公開対談しに来てた。D=G翻訳&研究でこの後知られていく宇野邦一さんも喋って講演の後に吉本さんと1時間近く壇上で対談した。D=Gをめぐって。『いま、吉本隆明 25時』(弓立社)ていう本にもなってます。この日の一言一句全記録なんで面白いです。
中上健次さんの前に吉本隆明さんが最近話題の作品を論じる講演があった。その講演に中上さんが嚙みついた。「なんで吉本さんはあんなつまらない村上龍『愛と幻想のファシズム』山田詠美『ソウル・ミュージック・ラヴァーズ・オンリー』村田喜代子『鍋の中』とか論ずるのか。一言つまらないと言えば終わりだろう」とか。会場の聴衆と論争になって。中上さんはビール片手でもう戦闘態勢で「文句あるんだったらかかって来いよ。受けるからさ」とか。聴衆の質疑が長いと「もうちょっと手短に話せよ」と凄むし。彼ってこういうときに本領発揮。高野さんみたいな軽やかで温厚な感じと対極。もう場末のチンピラ感むき出し。ひどかったです。会場が一気に凍り付く。そこで別室で聴いてたらしい作家の島田雅彦さんが来て「これは非常事態だと思いました」壇上に上がって中上さんと対談。しかし彼も酔ってて(笑)何言ってるのか難しくて分からない。とうとう吉本さん迄壇上に上がって中上さんとサシで話し始めて。このときの一言一句は上記の本に入ってますから興味のある方はお読みになればよいと思います。けっこういまだに通用する論議が展開されてます。実はこのときの中上×吉本の討議から私は受け取ったものって未だにある。何が問題になっているのか、現場ではみえなくて。段々分かってきた。
しかし壇上から睨みきかして座ってた、臨戦態勢の中上さんはいまだに思い出深い。スーツ着てるんだけど目が座ってる。会場はスチール製椅子が並んでるんだけど勝手に動かして座れる。壇上は一応カメラで映されてて、モニターが会場各所にご丁寧に設置されてて、表情が見えるんですよねよく。あれほど壇上から喧嘩売ってる講演者間近に見たのってあの人だけ。彼はときどき会場うろついてたけど目も合わしたくなかった(笑)いや訳の分からない怒りと短気。喧嘩っ早い文学者でした。
面白いですねぇ〜。
ある意味、格闘技のショーみたいな感じになっちゃったわけですね。
その吉本対談(討論?)の現場に居合わせたかったw
まだ冒頭の十数ページまでしか読んでいませんが、村上龍が兄貴として意識していた理由がなんとなくわかるような気がしてきました。
で、その弟分の村上龍の『愛と幻想のファシズム』のことを「兄貴」はつまらないと評していたんですか。私は結構面白いと感じていて何度も再読をしています。後半はスピード上げてコトが都合よく運びすぎな気もしますが、まあエヴァンゲリヲンの庵野監督に影響を与えまくった理由もめちゃくちゃよくわかるんですよ。中二病のコンプレックスのツボを心地よく突きまくりますからw
ちなみに『ソウル・ミュージック・ラヴァーズ・オンリー』は、たしかにつまらなかったw
人力飛行機さんからの返信。
コメントありがとうございます。ただ一つだけ言わせていただけば。アレは「格闘技ショー」或いは「朝まで生テレビ」のような論壇ショー。 まあ今年流行の語彙でいう「プロレス」じゃなかったですね。みてて背筋が寒い。会場凍ってますから(笑)静まり返って。
あと、「朝まで生テレビ」にはならなかった。プロレスというには寒かったけどカオスで終わるところが終わらなかった。というのは論議の後半に吉本が壇上にあがって、食って掛かった中上さんとサシで話し始めて、急に話がレベルが上がって、本格的になって。何を吉本が言い出したのか指摘しだしたのか。会場も私も、ほぼ分からなかったと思いますね。対手の中上さんも分かって無かった。島田さんははっきり「僕、何の話してるのか分かりません」と言ってた。なのでリアルタイムでは吉本の話がよく視えなかったんですね。論旨というか、話の主旨が。主旨は後から本になってから、しかも私の場合考えに考えて徐々にようやくこうじゃないのかなあ(笑)
ただその吉本の応答の中でその場でも理解ができた部分としては「あなたはやっぱり左翼なんだよ。左翼というか党派」これは言いたいことは分かった。しかしその根拠「五体満足で酒も呑む。歌も歌う。それが急に否定性という場合に一点に自己を凝縮させるのは、あなた、昔は左翼だったと言ってるけど、左翼や党派を経験した人でないとそういう何かを否定する場合に一点に凝縮、てことしないんですよ」これが分からなかった。あとから実はハイデッガーの用語である(恐らくそうであろう)ことが。私は後からそう思ったんですけど。その場ではとうてい分からない。中上さんも「なんですか?なんで僕が左翼なんですか?」と憮然として面食らってる。皆会場も面食らったんだけど結局、最低限の文学原理としては、文学論にせよ作品にせよ、一人一人の異なる、(他人と)無関係な・没交渉的なー『存在と時間 SEIN UND ZEIT』では unbezügliches ー自己や世界や時間から発現する、そこを視野に入れられないそれは自己を点ー『存在と時間 SEIN UND ZEIT』でいう自己点 Selbstpunktes ーにするから。自己も他者をも見誤ってるから。そこで異なる世界を帳消しにし、抹消するから。点にするから。それをできるのは左翼であり党派の特徴。という話。
その最低限の文学原理ということで最低綱領という語彙ーとりあえずここに文学作品として成立しているー。反対にこれ以上ない文学原理として最高綱領という語彙も出していた。こっちの語彙のほうは難しいけどなんとか分かりました(笑)しかし点という語彙が分からない。しかし分からないにもかかわらず、「あなたは左翼であり党派なんだよ。左翼や党派を経験した人でないとそういうこと言わないんだよ。まだ左翼なんだよ」という指摘は会場は納得いった(笑)そこでやっと和らいだ。という記憶があります。
なので吉本の指摘で「朝まで生テレビ」にはならずに、カオスのままで終わらずに、問題点はえぐられた。着地点までたどり着いた。。。今思えば難解だけど貴重な論争だったと思いますね。
高松貞治さんからのコメント。
最近中公文庫が頑張ってますよね!10年位前の中公文庫何なんか名著が絶版になったりして、一体どうしたの?て言う位おかしかったけど、最近編集の人が変わったせいか、最近の中公文庫はいいですね!
あ、それと、あけましておめでとうございます🎍
あけましておめでとうございます。
中公は読売資本傘下になったからなのかもですね。
ここ最近の経営は火の車のようですが……。
御駄賃取郎さんからのコメント。
謹賀新年。(これ、「金(キン)がほしいねん!」とまだ小さかった孫が、ごにょ・ごニョと語ったときには、笑いすぎて涙がでました。w
また、元日から地震被害に会われたみなさまに、つつしんでお見舞い申し上げます。m(_ _)m
私は今年も「定説・定盤は本当か?」という自分の50年来の疑問を、マスターや皆様に問い続ける所存です。w「そんな、屁垂れはいらん!?」?・・そうだよなあ・・。でもあまりにもおかしなジャス界の暗黙の掟?によってせっかく興味をもった人のほとんどが「むずかしい」「良さがわからん」といって離れていくのは見るに忍びない!とジジイは思うのであります!え?(余計なお世話だ!)てか?笑
どーか今年も御駄賃のあほに、あっきれけえりながらも、よろしくお願いしますだ。m(_ _)m
中上健次さんは数冊読んだだけですが、今どきめずらしい「コワモテの◯男」(自分と似たタイプだなあ)という印象しかないですぅ。(^^ゞ
>「定説・定盤は本当か?」という自分の50年来の疑問を、マスターや皆様に問い続ける所存です。
う〜む、50年前の定説・定盤って、そもそも知らないっすからねぇ〜。
だって、私が5歳くらいの時でしょ?
これはもう、アーカイヴァーであるTAKESI0506さんのお力を借りなければなりませぬ。
というより、そもそもなんですが、50年前の定説・定盤を私が知ったところで、一体何になるんでしょう?という疑問もあるのですが、その当時のジャズの受容形態を知りたいという私の好奇心は満たされるかもしれませんね。と同時に、内容によっては笑いのネタになるかもしれんw(←ヒドイ)。