動画「これがジャズ喫茶のブルーノートだ!発売記念イベント at 四谷・いーぐる」(こちら)に動画視聴者さまよりいただいたコメントを紹介した動画をアップしました。
コメント
御駄賃取郎さんからのコメント。
うう~む、・・それにしてもサンジョルディさんのブルーノート愛にはひたすら(ブルブル!)だなあ。。笑
自分はそれほどブルーノートレーベルにはこだわりがないので、ただただ、ひたすらにおびえてしまうなあ。。(^^)
・・それに、高野マスターの「本人を超える?擬人トーク??」の迫力のおかげで?自分にはますます「いーぐる」は敷居が「見上げたもんだよ月夜のなんたら?」に思えるよなあ?・・・。 ん?この感覺って・・はじめて上京した頃の「ジャズ喫茶へのあこがれ・怯え?」を思いだすなあ・・。自分の中には「いーぐるの敷居をまたぐまでは わかった!なんぞというな!」と勝手な思い込みがあるのだが、
どうやら障害を抱えた我が身には生涯、「叶わぬ夢」となりそうだなあ。。(^^ゞ・・・ _(_^_)_v
Jさんからのコメント。
ぉ~
今日は朝から カリズマのスィーツ聴くぞ~J
サンジョルディさんからのコメント。
コメント返し、ありがとうございましたー
このコメントは、折にふれて<編集/修正>した<お気に入り>ですー
「ブルーノートという道の隅に咲く小さな花」…よ〜く分かっていらっしゃいますー🥹
<ごっちゃん>のモノマネ、もう<本人>が乗り移っていますー(笑)
<ブルーノーティアン>の、サンジョルディより
>もう<本人>が乗り移っていますー(笑)
本当ですか!
ありがとうございます!
今後、ますます精進いたします!😆
Jさんからのコメント。
カリズマをあらためて聴き返すと…
やはりリ─モには その曲にたいする邪念が全くない
その意味では シダ─にしてもモブレ─にしても然りだどうだろう
マルサリスにしてもブラウニーにしてもマイルスにしても 上手く見せたいとか こう聴かせたいという まあ邪念といったら大変失礼になりますが~なので最期は モ─ガンにいってしまうのかな~
J
リーモ😆
御駄賃取郎さん⇒Jさん
やはりリー・モーガンにいきますよねえ?^^わかる気がすんなあ。やはり「カエルのツラになんたら」よりは「モウガンばれねえよ~!」?という弱さをみせてくれるとこが愛されるんだとおもうんだよね~!
「判官びいき」こそ、日本人の美徳だあね!٩(๑´3`๑)۶v!
サンジョルディさんからのコメント。
【<パラレルワールド江戸>
思いつきでしゃべる熊さんと、知らないとは言えないご隠居の会話、あるある】【熊さん】
ご隠居、あっしは、ドナルド・バードの評価がいまいち低いんじゃねえかと思いやす。【ご隠居】
お前さんは、2024年6月になっても相変わらず<藪から棒>じゃのう。
まあ言ってみなされ。【熊さん】
ネットとか見やすと、「ドナルド・バードは、時流に乗った」とかいう記述が目に付くんでさあ。【ご隠居】
ふむ。それは、72年録音の『ブラック・バード』の印象が、大きいのじゃろう。あのアルバムで「ドナルド・バードは、ファンク界の寵児になった」と言われたりもするわい。大ヒットして、その後も続編を出したからのう。
それまでの、<ハードバップのトランペット>というドナルド・バードのイメージからすると、<時流に乗った>と見られるのじゃろう。【熊さん】
あっしの周りでも、<人形町のくもちゃん>とかは、「ドナルド・バードは、『ブラック・バード』を出して良かったと思うよ、熊さん」なんて言ってくれやすがね。他のジャズ好きは、『ブラック・バード』というアルバムを、どうも<無かったこと>にしているんでさあ。【ご隠居】
まあ、モダンジャズ好きが<イメージする>ジャズとは、かなり違うからのう。
じゃが、ドナルド・バードを過小評価するお人は、ドナルド・バードの試みた先進性を、しっかり理解していない気がするのう。【熊さん】
と言いやすと?【ご隠居】
ドナルド・バードを<線>で聴かずに<点>で聴いておると言えば良いかのう。
ハードバップ時代のドナルド・バードが、一足飛びにファンクへ行ったわけではないからのう。
ドナルド・バードは、61年録音の『ザ・キャット・ウォーク』あたりまでは、ど真ん中ハードバップじゃった。
じゃが、63年録音の『ア・ニュー・パースペクティヴ』で、コーラスを取り入れ、ゴスペルとの融合を模索したのじゃ。
67年録音の『スロー・ドラッグ』では、ビリー・ヒギンズがアフリカ系アメリカ人独特の抑揚をつけたセリフを入れるなど、ヒップホップの先駆けのようにリズム主体を試みたのう。
そして、69年録音の『ファンシー・フリー』、70年録音の『エレクトリック・バード』では、エレクトリックピアノやパーカッションでの軽快なリズムを土台とした、まあ、のちのフュージョンの先駆けと言うべき演奏をしておる。
これらのドナルド・バードの試みがあってこその『ブラック・バード』なんじゃが、どうもハードバップ/ファンキージャズ全盛期で59年録音の『フュエゴ』と、
ファンク演奏を試みた『ブラック・バード』という<点と点>だけをつなげて聴いてしまうではないかと思うのじゃよ。【熊さん】
『フュエゴ』から『ブラック・バード』に飛ぶと、確かに「あっしの知ってるドナルド・バードじゃないやい」と思いやすね。【ご隠居】
ところで、<ドナルド・バード過小評価>の、お前さんの見立てはどうじゃの?【熊さん】
あっしは、どうもドナルド・バードを、潜在的にマイルス・デイヴィスと比べているんじゃねえかと思うでさあ。【ご隠居】
ほう。それは、聞くのが少しこわい話題じゃ。【熊さん】
どっちが良いとか悪いとかじゃねえんですがね。
マイルスはいつも<オレ様ミュージック>なのに対して、
ドナルド・バードは<君たちミュージック>なんじゃねえかと。【ご隠居】
意味は分かるが、ますます、どちらのファンからも、にらまれそうなタイプ分けじゃのう。【熊さん】
言いかえれば、マイルスは<リーダー気質>で、ドナルド・バードは<サポート気質>でやすね。【ご隠居】
お前さんの見立てに乗っかると、
マイルスはキャリアの早い時期からリーダー作を録音し、バンドのリーダーとしてもキャリアを積んだと言えるのう。
対して、ドナルド・バードは、早くにトランジションレーベルでのリーダー作はあるものの、ジョージ・ウォーリントンのバンドやザ・ジャズ・メッセンジャーズの一員じゃったのう。
58年録音のブルーノート初リーダー作『オフ・トゥ・ザ・レイシズ』を出すまでは、確かに<ハードバップアルバムのサイドマン>の印象が強いのう。【熊さん】
ドナルド・バードは、ブルーノート56年録音のソニー・ロリンズ『ソニー・ロリンズvol.1』でのロリンズとのかけ合いや、
プレスティッジ58年録音のジョン・コルトレーン『ブラック・パールズ』でのコルトレーンとのつばぜり合いなど、
言わば、相手の個性や曲の雰囲気にうまく合わせた<協調共鳴型>なんでさあ。それに対してマイルスは、サイドマンに色々演奏させても、「主役はオレ様だからな」と言わんばかりに吹いて、良いところを持って行っちまいやす。ウェイン・ショーター がほとんどを作曲しても、エレクトリック楽器を使っても、やっぱり<マイルスミュージック>なんでさあ。
ところが、ドナルド・バードは、若手のメンバーに対して、「良いよー、どんどんやってよー、主役は君たちだよー」と、たとえばマイゼル兄弟を全面に出し、自分は控え目にアンサンブルの一員になっちまうと思うんでさあ。
【ご隠居】
自分のバンドにいたハービー・ハンコックの将来を考えて、マイルスに紹介するぐらいの性格だからのう。【熊さん】
いつもサウンドの中心にいて、自分の立ち位置は変えずに、新しいサウンドを<取り込む>マイルスに対して、新しいサウンドに<寄り添い>自分の立ち位置からそこに<飛び込む>ドナルド・バードでやすから、オールドファンは、「バリバリ吹いてほしい」とか「別にドナルド・バードのトランペットでなくても、誰のトランペットでも良さそうなアルバムだなあ」と思うんじゃねえですかい。【ご隠居】
そうじゃのう。実際は、細かく聴くと、ドナルド・バードは、少しずつブロウが変化しておるようじゃ。ブルーノートリーダー2作目で59年録音の『バード・イン・バンド』から、少し抒情的な、抑制の効いたトランペットになっておる気がするわい。
さらに『ファンシー・フリー』以降のドナルド・バードは、徐々に後ろに引っ込んだ感じになったのう。アルバムがエレクトリック楽器やパーカッションが目立つ<リズム・グルーヴ>重視になり、ホーン陣もかつての<花形フロント楽器>から、<アンサンブル楽器の一員>になった感もあるわい。それから、確かに、お前さんの言うように、「マイルスはこうで、コルトレーンはこう」とか、我々は、潜在的にジャズマンを比べるところはあるかも知れんのう。比べるのが、ジャズを聴く醍醐味でもあるがの。
【熊さん】
ご隠居の<点と点で聴いてしまう説>は、
<定額配信サービス>をよく使う江戸の若い衆では、克服は難しそうでやすねえ。ジャズをレコードやCDで、アルバム単位でつぶさに聴くことは減ってきていやす。また、あっしの<君たちミュージック説>も、マイルスとドナルド・バードを比べてしまうジャズ好きの<さが>みてえなものが消えない限り、ドナルド・バードの再評価は先が長いのかも知れやせん。
【ご隠居】
そうじゃのう…
(湯呑みのお茶をごくりと飲む)
とは言え、わしらが、ドナルド・バードについて語ると言うこと自体、
ドナルド・バードに魅力があるという<あかし>とも言えるのう。
人形町のくもちゃんとしては(笑)、ドナルド・バードの<協調共鳴型>にはその通りだと思いますねぇ。
「場」は用意したから、あとは好きにやってよ〜、最後はなんとなく自分がまとめる(コメントする)からさぁ、みたいな。
その「場」のテーマも、マイルスほど方向性が確固としたものではなく、結構ゆるーい感じ(笑)。
だいたいこんな感じで、あとは好きにやっていいよ〜ん、俺もチラリと参加するからさぁ。そんな感じだったんじゃないでしょうか。
まさに、この動画のコメント欄😆
サンジョルディさんからの返信。
<共鳴>していただき、ありがとうございますー(笑)
<ブルーノートの語り部>サンジョルディより